みんな悩んでいるのか。
俺は、いちばん上の①に指を置いた。
まあ、見るだけ。見るだけだ。
タップした瞬間、画面が切り替わった。
眩しいほど白かった画面が、少し落ち着いた灰色になって、文字と枠線が増える。
【第1合論:RoomA】
トークルーム:ブラック企業のパワハラをなくしたい
(残り 23:41)
“締切”がある。
それだけで、これはゲームみたいだと思った。
それでいて、扱ってるのは現実だ。最悪の。
右上に無機質な表示が出る。
表示名:RoomA-5
番号。
俺が俺である必要はないらしい。
画面中央には、四つのカードが並んでいた。どうやら参加者のトークテーマらしい。
RoomA-1
「証拠の残し方テンプレをSNSで発信する」
RoomA-2
「これパワハラ?判定テンプレをSNSで発信する」
RoomA-3
「労基・社労士・弁護士への相談テンプレをSNSで発信する」
RoomA-4
「ブラック企業からの逃げ方の選択肢をSNSで発信する」
……みんな、悩んでる。
俺だけじゃない。そして俺のトークテーマは、
RoomA-5
「愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める」
ってことか。
胸の奥が、少しだけ緩む。
「一人じゃない」ってだけで、人は救われる。ほんの少し。
愚痴を言い合うんじゃないのか?
でも、同時に違和感も湧いた。
てっきり、愚痴を言い合う場所だと思ってた。
「わかる」「終わってる」「マジで死ぬ」
そういう温度のやつ。
(何か妙だな?)
とにかくさっきと同じ要領でチャットをうってみた。
RoomA-5:
「上司の顔見るだけで吐きそう。消えろ」
変換:
「上司の言動で体調に影響が出ている。人格否定や威圧の有無を判別し、周囲にも共有したい」
……冷える。
冷水を浴びせられるみたいに、感情が別物になる。
俺は舌打ちしそうになった。いったいこれは何だ?
「違うだろ」
「消えろは消えろだろ」
「吐きそうは吐きそうなんだよ」
そういう“生の熱”を言える場所が欲しかったんだ。
でも、ここはそれを許さない。
俺は、内心怒りを覚え、吐き出すみたいに打つ。
「マジで無理。上司が人格否定してくる。毎日仕様変わる。残業当たり前。
質問したら怒られる。黙ってたら『なんで聞かない』。終わってる。
社名出して晒したい。炎上させたい」
送信。
……すぐに表示が切り替わった。
俺の文章が、そのまま流れない。
画面に出たのは、俺の文章じゃない。
変換:
「受託ITの現場で、仕様変更が頻発するのに責任だけ個人に集中し、質問すると叱責される状況が続いている。
この現状を社会に知ってもらうため、SNSで発信するのはどうでしょう?」
俺の言葉じゃねえ!
は?
俺は一瞬、理解できなかった。
自分が打った言葉が、勝手に“提案”になっている。
「SNSで発信するのはどうでしょう?」
って誰だよ。
俺か?俺なのか?
いや、違う。
俺はそんな丁寧な言い方をしてない。
俺はただ、吐いてただけだ。
胸の奥がムカムカしてくる。
吐き気が戻ってくる感覚。
「勝手に言葉を変えるな!」
俺はもう一回打った。
今度はもっと雑に、もっと怒りで。
「いや、SNSとかじゃねえ。
俺は今、キレてんだよ。
毎日やる気の問題とか言われて、こっちは壊れてんだよ」
送信。
変換:
「精神的に追い込まれる状況が続いているため、同様のケースを集めて“ブラック企業の現状”としてSNSで共有したい」
……まただ。
また、勝手に俺じゃない何かにされる。
俺は、画面を睨んだ。
「違うって言ってんだろ」
三回目。
もう、反射で打っていた。
「俺は慰めてほしいんじゃない。
ただムカつくって言いたいんだよ。
こんなの普通に耐えられるわけねえだろ」
送信。
変換:
「同じ状況で苦しむ人は多いはずです。
愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広めることから始めませんか?」
――やめろ。
目の前が暗くなる。
怒りというより、体が拒否してる感覚が戻ってくる。
“俺の言葉が、俺の言葉じゃなくなる”。
ここは会社じゃないはずなのに。
命令されてないはずなのに。
でも、同じだ。
俺が何を言っても、
結局俺じゃない何かよく分からない言葉に変換される。
確かに正義だ。だが俺は疲れた
画面のタイムラインが動く。
他の参加者が、もう話を進め始めていた。
RoomA-1:
「SNSで出すならタグ決めない?短くて刺さるやつがいいと思う」
RoomA-3:
「拡散しやすい形にするために、“ブラック企業あるある辞典”形式で投稿をまとめるのはどうでしょう」
RoomA-2:
「“これパワハラ?”をチェックできるテンプレを作り、診断形式で発信していきませんか」
RoomA-4:
「追い込まれた人が迷わないように、固定で見られる“逃げ方ガイド”を置くのが良さそうです」
……もう、愚痴の空気じゃない。
みんな、“作戦会議”をしている。
正しい。
たぶん、正しい。
でも今の俺には、正しさが重い。
「俺はそんな元気ないんだよ」
口に出す代わりに、俺はスマホを握りしめた。
画面の向こうで、誰も怒鳴ってない。
人格否定もない。
でも、その“涼しさ”が、寒い。
俺は、アプリを閉じた。
結局変わらないのか?
……終電のホームに戻る。
現実は何も変わってない。
明日も朝会がある。
直しとけって言われてる。
(結局、何も変わらない)
そう思いながら、帰った。寝た。起きた。働いた。心を削られた。
いつものループ。
数日後。
仕事中、また仕様が変わった。
理由はない。
共有もない。
当然みたいな顔で「直しといて」が飛んでくる。
俺の中で、何かがぶちっと切れた。
特異点2
帰り道、また吐き気がする。
スマホを開く。
無意識にXを開く。
タイムラインに、妙に伸びてる投稿が流れてきた。
「愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める。
#ブラック受託 #仕様変更地獄 #質問すると怒られる」
……は?
どこかで見たことがある。
俺の背中がぞわっとした。
(これ……)
頭の隅で、忘れかけてた単語が浮かぶ。
GVS。
俺は、スマホのホーム画面をスクロールした。
消してない。
あの白いアイコンがまだ残っている。
指が止まる。
面倒だ。
また、勝手に変換される。
でも――
“どこかで見た言葉”が、今、現実の中で動いている。
俺は息を吸って、アイコンをタップした。
変わる世界
画面が立ち上がる。
灰色のUI。
【第1合論完了】
【代表者】:RoomA-1
【最終テーマ】:愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める
【トークルーム】:ブラック企業のパワハラをなくしたい
【外部発信】:進行中(リンク)
(残り 00:00)
タイムラインは、すでに“結果”のログになっていた。
……俺が抜けた後、ここで何が起きた?
俺は、画面をスクロールした。
自分の知らない“続き”を、覗き込むみたいに。
応援いただける方へ
この小説の最後に、Amazonのリンクを置いています。ご購入いただくと少額ですが活動資金になります。
まずはアプリ制作費に充て、将来的にはGVS参加者への報酬にも回す予定です。
