なぜ“エリートによる意思決定”は限界なのか?
歴史の大半は、“賢い少数のエリート”が制度や法律を作り、大多数の市民はそれに従うだけの存在でした。
政治も、経済も、教育も、国際関係も──「専門家に任せるしかない」とされてきたのです。
しかし今、私たちはこう問い直すべき時に来ています。
「エリートが決めた社会は、本当にうまくいっているのか?」
- 格差は広がり続け
- 戦争は終わらず
- 気候変動も止まらず
- 教育も労働も限界を迎えている
むしろ、“エリートにしか任せられない”という前提こそが、
社会を閉塞させている元凶だったのではないか?
エリート政治の構造的な欠陥
エリート支配には明確な問題があります。
✅主体性の欠如
例えば、戦争を例にとってみると分かりやすいです。エリートが勝手に決定した戦争を実際に実行するのは一般市民です。この構図は、一般市民の反発を生むということは言うまでもありません。
一方で市民が自分たちで決めた戦争であるならば、痛みを伴うことにも納得がいきます。自分の人生を人に勝手に決められる構造。これがエリート主義の実態です。
✅ 利権の集中
民主主義には公僕が必要だとされます。自分のことではなく国民のことを優先して考える政治家や官僚がいるということ民主主義の前提です。
しかし、一方で官僚制度は、必ず腐敗化し自分のことしか考えない人ばかりになります。これは当たり前の話で、そもそも民主主義という制度自体に問題があるといわざるを得ません。
エリートに利権が集中すれば、エリートがそれを私物化するのは信条として当然であると思いませんか?エリートの気分に丸投げする政治システムが正常だとはとても思えないでしょう。
シビックドライブならば、市民がすべての利権を手にし、全てが透明になり全てが公平になります。
✅ 国民の思考停止
「考えても意味がない」「選挙しかできない」──このように思うことで国民は思考停止してきました。確かにエリート主義は正しい意見は出せるのかもしれない。
その正しさを証明することは決してできないと思いますが、人々を正しいと騙せるような意見は出せるという言い方が正確でしょう。
しかし、そのやり方はエリートにとっても一般市民にとっても悲劇です。エリートは責任を押し付けられ、職や命を失う恐れがあります。また、軽蔑や侮蔑の対象となるでしょう。
一方で、一般市民もまたエリートから搾取され、軽蔑や侮蔑を招くことになります。やってることは、雨乞いをする呪術師と何ら変わりありません。
未来など誰にもわかるわけない。正解など誰にもわかるわけない。そんなことは明白なのにエリートに答えを求め、それに従おうとします。
これは、冷静な判断というよりも盲目的な呪術的判断と言わざるを得ないでしょう。
では、どうすればよいのか?
「じゃあ民主主義でいいんじゃないか?」
──そう思うかもしれません。
しかし現在の民主主義も、多くの場合「誰に投票するか」というレベルにとどまり、“何をどう決めるか”の議論には参加できません。
そこで登場するのが、GVS(合論型投票システム)です。
GVSは“思考する市民”が主役の社会
GVSは、特定のエリートでもなく、人気者でもなく、
すべての人が平等に「社会の意思決定」に参加できるシステムです。
- 数人で議論する少人数制
- 他人の意見に対して投票・合意
- 最終的に選ばれた意見が全体へと提案・実装される
これにより、社会のあらゆる問題──政治、経済、教育、医療、地域課題まで──
“自分たちで考えて決める”ことが可能になります。
そして、参加者には収益も還元される仕組みがあるため、
「考えること=報酬」となる新しい社会が実現するのです。
エリート支配の終焉、それは人類の進化
GVSの最大の革新は、「エリート支配からの卒業」です。
- 誰もが自分の言葉で発言し
- 他者と対等に議論し
- 合意を作り出し
- 実際に社会を動かす
これまで人類は、「賢い誰かに任せる」という構造に依存してきました。
しかしこれからは、「みんなで決める。だからみんなで賢くなる」社会へと進むのです。
あなたの頭脳が、社会を変える時代へ
「どうせ自分の意見なんて通らない」
「考えても意味ない」
──そう思ってきたあなたにこそ、GVSは必要です。
ここでは、あなたの言葉がそのまま社会の行動に変わる。
あなたの知恵が、人類の進化につながる。