
終わったはずの部屋
灰色の画面を、俺は無言で見つめていた。
【第1合論完了】
【代表者】:RoomA-1
【最終テーマ】:愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める
【トークルーム】:ブラック企業のパワハラをなくしたい
【外部発信】:進行中(リンク)
……終わっている。
俺が閉じたあとに。
俺が、もう見たくないと思って投げたあとに。
指先が少し冷える。
別に、戻ってくるつもりはなかった。
ただ、タイムラインに流れてきた投稿が気になっただけだ。
でも今、その“続き”が、ここにある。
俺はログを開いた。
まだ続いていた
最初に目に入ったのは、俺がアプリを閉じた直後の記録だった。
RoomA-1
「RoomA-5さんが離脱したようです。いったん進行テンプレに戻します」
「では、各トークテーマについて、自分たちにできることを順番に出していきませんか」
RoomA-3
「了解です。まずは、そのテーマを出した人が持っている案を共有して、そこに足せることを各自出す形でどうでしょう」
RoomA-2
「賛成です。最後に、自分がいちばんやりたいテーマへ投票する流れで良いと思います」
RoomA-4
「大丈夫です」
……何だこれ。
思わず眉が寄る。
冷たい。相変わらず。
いや、冷たいというより、妙に整っている。
俺があんなにぐちゃぐちゃだったのに。
俺が途中で投げたのに。
この部屋は、何もなかったみたいに進んでいる。
少し腹が立った。
少しだけ、置いていかれた感じもした。
でも、スクロールする指は止まらなかった。
愚痴を言い合う場じゃない
最初に扱われていたのは、RoomA-1のテーマだった。
証拠の残し方テンプレをSNSで発信する
RoomA-1
「以前、別ルームでこのテーマが出たときに、証拠として残しやすいものをまとめたメモがあります」
「今回は選ばれなかったのですが、素材としては残っています」
その下に、短く箇条書きが続く。
- 上司とのチャットのスクリーンショット
- 業務指示メールの保存
- 日時と発言内容のメモ
- 急な仕様変更の記録
- 残業時間の記録
RoomA-1
「私にできることは、このメモをSNS向けに出せる形まで整えることです」
……経験者か。
俺は少しだけ見方を変える。
ただの綺麗事を言ってる奴じゃない。
一回どこかで、これを考えたことがあるんだ。
RoomA-3
「私は短文化できます。
“まず残すならこれ”という3項目版なら作れそうです」
RoomA-2
「私は“証拠になりやすいもの/なりにくいもの”を分ける形なら案を出せます」
RoomA-4
「辞めたい人向けに、“限界のとき最低限これだけ残す”版があると助かると思います」
RoomA-1
「ありがとうございます。
ではこのテーマでは、
“詳細版”
“初心者向け短縮版”
“退職直前向け最低限版”
の3方向が作れそうです」
……変だ。
話し合いって、こうだったか?
普通は、もっと違うはずだ。
「それは甘い」だの
「いや、その前に制度が」だの
「根本解決にならない」だの。
そういうのじゃない。
誰も“このテーマが正しい”とは言っていない。
ただ、出されたテーマに対して、
自分なら何ができるか
を出している。
まるで、議論じゃなくて組み立てだ。
できることを出し合う
次はRoomA-2のテーマだった。
これパワハラ?判定テンプレをSNSで発信する
RoomA-2
「自分も、何年か“これが本当にパワハラなのか”分からないまま我慢していたので、このテーマを出しました」
「今ある案としては、チェック形式がいいと思っています」
- 人格を否定する言い方がある
- 質問すると強く叱責される
- 断りにくい時間外連絡が続く
- ミスの責任だけ個人に集中する
- 周囲の前で強く責められる
RoomA-2
「私にできることは、こういう判定項目のたたき台を作ることです」
RoomA-3
「“相談前の確認用”としても使えそうです。私は文言を少し硬めに整えられます」
RoomA-4
「追い込まれてる人は長文読めないので、YESが2つ以上なら要注意、みたいな簡単版があると良さそうです」
RoomA-1
「保存しやすい画像形式にする前提なら、項目数は絞った方が拡散されやすいかもしれません」
……まただ。
おかしい。
会話なのに、喧嘩にならない。
しかも、誰も黙っていない。
ちゃんとそれぞれが何かを出している。
俺は、少しだけ苛立つ。
こんなの、現実じゃない。
会社の会議なら、声の大きい奴が決める。
家では、言ったもん勝ちか、我慢したもん負けだ。
SNSなんて、正義の奪い合いばっかりだ。
なのにここでは、
「俺はこれができる」
「私はこう足せる」
「じゃあその形もある」
で進んでいく。
……何だそれ。
俺の言葉は消えていなかった
スクロールを続ける。
RoomA-3、RoomA-4のテーマも同じように進んでいた。
労基・社労士・弁護士への相談テンプレをSNSで発信する
では、相談先の違いを整理できる案が出ていた。
ブラック企業からの逃げ方の選択肢をSNSで発信する
では、辞めた後に何をすればいいか、貯金が少ない人向けの最小行動が話されていた。
そして最後に、俺のテーマ。
愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める
画面を見た瞬間、喉が少し詰まった。
RoomA-1
「では最後に、RoomA-5さんの
“愚痴をSNSで発信して、ブラック企業の現状を広める”
について、自分たちにできることを出していきませんか」
RoomA-4
「私はこれ、かなり大事だと思います。
逃げ方とか相談先の前に、“自分だけじゃない”って分かることが必要な人も多いので」
RoomA-2
「判定テンプレより先に、共感で届く入り口として機能しそうです」
RoomA-3
「感情のままでもいいですが、SNSで広がるなら短文化は必要かもしれません。
私は投稿の型を整えることならできます」
RoomA-1
「以前の合論でも、最初は“現状の可視化”が必要という意見が多かったです。
“怒られないためだけに動いている職場では、何も改善されない”
のような一文はかなり伝わると思います」
俺はそこで、指を止めた。
“怒られないためだけに動いている職場では、何も改善されない”
……それ、俺が言ったやつだ。
正確には、もっと荒かった。
でも、あのときの俺の中身が、そのまま残っている。
消されてない。
勝手に変換されたと思っていた。
俺じゃない言葉にされたと思っていた。
でも違ったのか。
こいつらは、俺の怒りを否定したんじゃない。
使える形にしようとしていたのか。
胸の奥が、じわっと変な熱を持つ。
嬉しい、とは違う。
納得、とも違う。
ただ、少しだけ、自分の言葉が地面に着いた感じがした。
変な話し合い
タイムラインは最後の段階に進んでいた。
RoomA-1
「5つのテーマについて、各自できそうなことが一通り出そろいました」
「では最後に、今いちばん自分が進めたいテーマへ投票しませんか」
「投票先のテーマを出した人を、今回の代表者とする形でどうでしょう」
RoomA-3
「異議ありません」
RoomA-2
「賛成です」
RoomA-4
「大丈夫です」
そのあと、投票ログが並ぶ。
RoomA-1 → RoomA-5
RoomA-2 → RoomA-5
RoomA-3 → RoomA-5
RoomA-4 → RoomA-1
俺は小さく息を止めた。
……3票。
俺のテーマに。
でも代表者は、RoomA-1になっている。
少し考えてから、理由が分かった。
俺は途中で消えた。
だから進行役を引き受けたRoomA-1が、代表として処理されたんだろう。
何だよ、それ。
勝ったのか負けたのかも、よく分からない。
でも、妙な感じがした。
ここでは、正しさが勝ったわけじゃない。
声の大きさでもない。
人格の強さでもない。
「この中で今、自分がいちばんやりたいもの」に投票した。
ただそれだけで、部屋の方向が決まっている。
変だ。
変だけど——
少しだけ、羨ましい。
現実の話し合いも、こうだったらいいのにと思ってしまった。
お前が正しい、俺が正しい、あいつが悪い。
そうやって削り合うんじゃなくて。
俺はこれができる。
私はこれをやりたい。
じゃあ、まずそれで進めよう。
……そんな決め方、見たことがない。
いや、会社のプロジェクトとか、文化祭とか、そういう場では近いものがあるのかもしれない。
でも少なくとも、俺がこれまで生きてきた“話し合い”とは全然違った。
話し合いって、相手を言い負かすものだと思ってた。
正しいことを言える奴が上に行くものだと思ってた。
でもここでは、
できることを持ち寄る奴が前へ進める。
そんなルールになっていた。
未来へ
画面の下に、新しい表示が出ていた。
【第2合論へ進みますか?】
その下に、短い説明文。
「第1合論で選ばれたテーマをもとに、次は“実際に何を作るか・どう動くか”を話し合います」
俺は、その文をしばらく見つめた。
また勝手に変換されるかもしれない。
また、俺の言葉じゃなくなるかもしれない。
でも今は、少しだけ違う。
前は、奪われたと思った。
今は、混ぜられたのかもしれないと思っている。
俺の怒りだけじゃ、たぶん何も残らなかった。
こいつらの整った言葉だけでも、たぶん誰の心にも刺さらなかった。
混ざったから、残った。
ホームに風が吹く。
終電のアナウンスが、遠くで鳴る。
現実は何も変わっていない。
明日も会社はある。
上司も消えない。
仕様変更も、たぶんまた飛んでくる。
それでも、昨日とは少し違う。
この世界には、
怒りをそのまま消すんじゃなく、
前に進む形へ変える場所がある。
俺は親指を画面の上に置いた。
「……見るだけだからな」
そう呟いて、タップした。
画面が切り替わる。
【第2合論:RoomC】
テーマ:ブラック企業の現状を広めたあと、何を作る?
参加者を待っています……
白でも灰色でもない、少しだけ青みのある画面が開いた。
俺は、初めて少しだけ思った。
……もしかしたら、これはただの愚痴アプリじゃないのかもしれない。