請求書の来ない朝
税金の封筒が来なくなってから、朝が少し静かになった。
昔は、ポストを見るだけで胃が重くなった。
住民税。
国保。
年金。
所得税。
何かの通知。
何かの督促。
何かの支払い。
働いても、後から来る。
忘れた頃に来る。
少し生活が落ち着いたと思ったら、白い封筒が来る。
開ける前から、負けた気分になる。
今は、それがない。
税金は消えた。
正確には、強制徴税が段階的に廃止され、公共拠出トークンとシビックファンドによる任意拠出型の財源へ移行した。
そんな言い方をすると難しく聞こえる。
でも、俺の実感はもっと単純だった。
請求書が来ない。
それだけで、朝の空気はだいぶ違った。
地下都市の人工太陽が、ゆっくり明るくなる。
天井の光が、白から薄い橙色に変わっていく。
壁の通気孔から、温度調整された風が出る。
湿度は一定。
気圧も一定。
外が台風でも、猛暑でも、黄砂でも、ここまではほとんど届かない。
地上に住む人は、もうかなり少なくなっていた。
安全性、気候管理、災害対策、核攻撃への防衛。
そういう理由で、生活の中心は地下へ移っていた。
昔なら、地下に住むなんて閉塞感しかなかったと思う。
でも今の地下都市は、昔の地下街とは違う。
人工の空があり、木があり、水路があり、散歩道がある。
自然環境もかなり調整されている。
本物の空ではない。
それでも、俺はもう慣れていた。
スマホではなく、部屋の壁面端末に今日の通知が出る。
【おはようございます】
睡眠評価:良好
本日の訓練:月面居住区メンテナンス基礎
公共拠出トークン:今月分が付与されました
未確認要請:12件
シビックカウンセラー面談:任意
俺は布団の上で、ぼんやり画面を見た。
昔なら、朝の通知は会社のチャットだった。
「今日早めに来られますか」
「昨日の件、確認お願いします」
「なぜ共有していないのですか」
「朝会で説明してください」
今は違う。
税金の封筒も来ない。
会社のチャットも来ない。
その代わり、GVSが今日の要請を持ってくる。
これを自由と呼んでいいのかは、まだ分からない。
でも少なくとも、昔よりは息がしやすかった。
仕事を辞めた後
俺は、もうあの会社にはいない。
ブラック企業と呼んでいいのか、今でも少し迷う。
法律的にどうだったのか、全部が違法だったのかは分からない。
ただ、俺には無理だった。
質問すれば怒られる。
確認しなければ責任を問われる。
仕様が変わっても共有されない。
最後は、やる気の問題にされる。
あの頃、俺はずっと腹の中に愚痴を溜めていた。
その愚痴をGVSに投げた。
そこから始まった。
合論。
サポーター。
ナビゲーター。
X投稿。
協力要請。
公共拠出。
政治。
税金廃止。
気づけば、会社を辞めていた。
辞める時、昔想像していたほどドラマはなかった。
怒鳴り合いもなかった。
泣きながら退職届を出すこともなかった。
上司を論破することもなかった。
GVSで作った退職前チェックリストを見て、必要な記録を残した。
相談先を確認した。
次の収入見込みを確認した。
シビッカーとして参加できる案件を確認した。
そして、辞めた。
あっけなかった。
あれだけ辞められないと思っていたのに、辞める準備の順番が見えると、少しずつ現実になった。
もちろん怖かった。
でも、昔のように真っ暗ではなかった。
仕事を辞めるというより、働き方そのものが変わっていた。
俺だけではない。
社会全体が、そうなっていた。
生産労働が消えた世界
昔は、AIやロボットが発展すれば、人間は仕事を失うと言われていた。
その通りだった。
少なくとも、昔の形の仕事はかなり消えた。
大企業では、AIとロボットの導入が一気に進んだ。
倉庫。
物流。
工場。
小売。
清掃。
警備。
受付。
事務処理。
コールセンター。
経理。
単純な確認作業。
昔、人間が毎日やっていた仕事の多くは、AIとロボットが担うようになった。
以前なら、それは失業の恐怖だった。
ロボットが働く。
AIが考える。
企業は人間を切る。
富はAIとロボットを持つ富裕層に集中する。
「AIが発展すれば、人間は働かなくても豊かになる」
そんな楽観論を言う人は、よく笑われていた。
豊かになるのは企業と富裕層だけだろう、と。
俺もそう思っていた。
機械が働けば、下にいる人間から切られる。
そういう社会にしか見えなかった。
でも、シビックドライブ以降は少し違った。
競争して勝つ社会が、協力して目標を達成する社会に変わった。
AIとロボットが作った余剰は、GVSの要請と応答を通じて流れ始めた。
GVS報酬。
シビックナビゲーター報酬。
公共拠出トークン。
シビックファンド。
技術支援案件。
地域プロジェクト。
教育支援。
医療支援。
防災訓練。
宇宙開発訓練。
人間は、生産労働から完全に消えたわけではない。
ただ、毎日同じ場所に行き、同じ作業をし、怒られながら覚え、生活のためにしがみつく仕事は減った。
失業者は次々とシビッカーになった。
正確には、失業者という言葉自体が少し古くなった。
仕事を失った人間が、何もできない人間になるわけではなくなったからだ。
シビッカーの仕事
シビッカーの仕事は、話すことだけではない。
ここを勘違いしている人は、今でもいる。
GVSで愚痴を言う。
提案する。
要請する。
合論に参加する。
それだけを見れば、確かに話しているだけに見える。
でも実際は違う。
シビッカーの仕事は、社会の中にある不便を見つけることから始まる。
生活していて困ったこと。
こうした方がいいと思ったこと。
誰かがやりたいと言ったこと。
危ないと思ったこと。
もっと楽にできると思ったこと。
今まで見過ごされていた小さな不満。
それをGVSに出す。
愚痴でもいい。
提案でもいい。
要請でもいい。
そこから、必要な人が集まる。
技術を持っている人。
知識を持っている人。
文章を書ける人。
動画を作れる人。
現地に行ける人。
運転できる人。
修理できる人。
法律を読める人。
話を聞ける人。
訓練を受けている人。
そして、実際に動く。
テンプレを作る。
現場を確認する。
資材を運ぶ。
データを読む。
説明会を開く。
災害訓練をする。
高齢者の移動支援をする。
地下都市の区画改善をする。
月面基地のシミュレーションに参加する。
従来の仕事が生産労働だったなら、シビッカーの仕事は知識労働だった。
ただし、それは机の上だけの知識ではない。
要請を読み、提案し、技術を学び、必要なら体も動かす。
生活の中の不便を、社会の作業に変える仕事。
それがシビッカーだった。
俺も、いつの間にかその一人になっていた。
実践より、練習の多い日々
シビッカーになったからといって、毎日現場に出ているわけではない。
むしろ、実践は少ない。
多くても週に一回。
案件によっては月に一回。
危険度の高い仕事なら、数か月に一度しか実践はない。
その代わり、訓練が多い。
資格取得。
シミュレーション。
安全講習。
AIとの共同作業訓練。
リスク評価。
記録の取り方。
要請の読み方。
報告書の書き方。
現場での応答訓練。
昔は、仕事は現場で覚えろと言われた。
分からないままやらされる。
失敗して怒られる。
聞くと怒られる。
聞かないと怒られる。
「一回見ただろ」と言われる。
「普通分かるだろ」と言われる。
今は逆だ。
覚えてから現場に行く。
訓練して、記録されて、シミュレーションで何度も失敗してから、本番に入る。
危険な現場ほど、実践より練習が多い。
最初は、少し変な感じがした。
仕事をしていない気がした。
でも、考えてみれば当たり前だった。
失敗してから怒るより、失敗する前に練習した方がいい。
現場で人を壊すより、訓練で止めた方がいい。
分からないままやらせるより、分かるまで練習した方がいい。
昔の社会は、それを怠けだと思っていたのかもしれない。
今の社会では、それが仕事だった。
地下都市の朝
部屋を出ると、地下都市の通路にはもう人がいた。
人工太陽が上がりきる前の時間帯。
壁面の植物区画には、水滴がついている。
小さな清掃ロボットが、音もなく床を滑っていく。
通路の向こうから、子どもたちが走ってきた。
学習区画へ向かう子どもたちだ。
制服はない。
それぞれ違う服を着て、腕に小さな学習端末をつけている。
昔なら、子どもは学校へ行くものだった。
今は、学習区画、GVS教育ルーム、実験区画、地域プロジェクト、オンライン合論を行き来する。
政治家が子どもの憧れの職業になったというニュースを、前に見た。
あの時は笑った。
でも、子どもたちがGVSの模擬合論で「地域の水路をきれいにする提案」とか「高齢者が迷わない案内表示」とかを真面目に話しているのを見ると、笑えなくなる。
この子たちにとって、政治や社会参加は遠いものではない。
提案する。
要請する。
応答する。
それが、最初から生活の中にある。
エレベーターホールに着くと、壁面ニュースが流れていた。
【地上居住区の縮小計画、最終段階へ】
【宇宙開発安全基準、月面資源基地事故を受け再検討】
【白瀬悠真政治団体、基礎公共枠の配分ログを公開】
【ブラック企業対策テンプレ事業、旧労働環境アーカイブを更新】
俺は、最後の見出しで少し止まった。
旧労働環境アーカイブ。
自分がいたような職場も、今では過去の資料になりつつある。
少し変な気分だった。
俺の苦しかった日々が、歴史資料みたいになっていく。
でも、消えるよりはいい。
宇宙へ行く訓練
今日の訓練区画は、地下都市の第七層にある。
宇宙開発訓練センター。
俺は、そこに三年前から通っている。
宇宙へ行ったことは、まだない。
月面基地にも行っていない。
軌道ステーションにも行っていない。
地球の外に出たことは一度もない。
それでも、訓練は続いている。
月面居住区メンテナンス基礎。
低重力環境での配管交換シミュレーション。
酸素循環系トラブル対応。
外壁補修ドローンとの共同作業。
放射線警報時の避難判断。
閉鎖空間での心理負荷管理。
事故報告ログの書き方。
俺が実際に宇宙関連の現場に入れるのは、早くてもあと二年後らしい。
下手をすると、もっと先だ。
それでも続けている。
宇宙開発は、シビックドライブ以降の新しい危険だった。
戦争は減った。
災害被害も減った。
ブラック企業もかなり減った。
犯罪も、昔より下火になった。
独裁国家の体制も少しずつ弱まり、宗教や民族の対立も、完全に消えたわけではないが以前ほど燃え上がらなくなった。
AIが人類を支配するだの、根絶するだのという話も、昔ほど聞かない。
AIは神でも敵でもなく、GVSの要請に応答するための巨大な道具になった。
核戦争の恐怖も、消えたわけではない。
ただ、国家だけが人間を囲い込める時代ではなくなり、戦争に協力しなくても生きられる人間が増えたことで、昔ほど現実味のある恐怖ではなくなっていた。
その代わり、人類は新しい危険に向かっていた。
宇宙。
月面。
小惑星。
軌道上の建設。
地下都市の拡張。
深海資源。
未知の環境。
戦争で死ぬ人は減った。
でも、挑戦で死ぬ人はいた。
先月も、月面資源基地で事故があった。
酸素循環系のトラブルと、作業判断の遅れ。
三人が亡くなった。
ニュースでは、追悼合論が立った。
怒りもあった。
悲しみもあった。
開発を止めろという声もあった。
それでも続けたいという声もあった。
GVSは、それを提案と要請に分けていた。
危険をなくすことはできない。
でも、危険を見ないふりはしない。
それが今の社会だった。
指示は、全部残る
訓練室に入ると、壁に表示が出た。
【本日の訓練】
月面居住区メンテナンス基礎
低重力環境での配管交換シミュレーション
担当指導者:AI補助官+人間指導員
作業指示記録:全録音
シビックカウンセラー:同席ON
心理負荷モニター:任意
異議申し立て:常時可能
俺は、指示記録の項目を見るたびに、昔の職場を思い出す。
「言っただろ」
「聞いてないのか」
「なんで確認しなかった」
「一回説明したよな」
昔は、それで終わりだった。
言ったかどうかは残っていない。
聞いたかどうかも残っていない。
共有されたかどうかも曖昧。
でも責任だけはこっちに来る。
今は、指示は全部残る。
指導者の説明も録音される。
AI補助官の表示も記録される。
受講者がどこで迷ったかも残る。
質問した内容も残る。
質問に対する返答も残る。
それは監視でもある。
最初は息苦しかった。
でも今は、守られているとも感じる。
理不尽な指導は、シビックカウンセラーの評価対象になる。
不明確な指示は、改善要請になる。
受講者側のミスも、責任追及ではなく訓練設計の改善素材になる。
完璧ではない。
記録があるからこそ、逃げられないこともある。
自分のミスも残る。
適当にやったことも残る。
でも、昔よりはいい。
少なくとも、「言っただろ」で終わらない。
訓練が始まる。
低重力シミュレーターの床が、ゆっくり反応する。
足裏の感覚が軽くなる。
目の前に、月面居住区の配管モジュールが表示される。
AI補助官が言う。
「作業前確認を開始してください」
俺は、深呼吸した。
「作業環境確認。酸素循環系、警告なし。配管圧力、基準内。工具固定、確認。作業指示ログ、録音中」
人間指導員がうなずく。
「確認できています。次に進んでください」
声が記録される。
俺の返答も、指導員の返答も、全部。
それだけで、少し安心する。
今月の公共拠出
訓練が終わると、体はそれほど疲れていないのに、頭だけ妙に重かった。
実践より練習が多い社会。
それでも練習は楽ではない。
部屋に戻り、シャワーを浴びて、壁面端末を開く。
朝から残っていた通知を押す。
【公共拠出トークンが付与されました】
今月の公共拠出可能額:12,400 CCT
配分期限:あと7日
未配分の場合:基礎公共枠へ自動拠出
俺は、画面を見ながら水を飲んだ。
税金の封筒は来ない。
でも、社会に出す金が消えたわけではない。
ただ、どこに出すかを俺が決める。
昔なら、勝手に取られていた。
何に使われるか、よく分からなかった。
文句を言っても、結局払うしかなかった。
払えなければ怖かった。
今は、画面に候補が並ぶ。
【おすすめ拠出先】
- 教育支援ファンド
不登校・学習支援・子ども向けGVS教育 - 地域医療・福祉ファンド
夜間診療、低所得者向け医療相談、高齢者移動支援 - 白瀬悠真 政治団体
任意拠出型シビックファンドの運用監査、反対意見対応、基礎公共枠見直し - 地域防災プロジェクト
避難所改善、停電時の低リソースGVS訓練、備蓄管理 - ブラック企業対策テンプレ事業
確認文テンプレ、証拠保存ガイド、退職前チェックリスト、労働相談ナビゲーター育成 - 宇宙開発安全訓練ファンド
月面・軌道作業者向けシミュレーション訓練、事故遺族支援、安全基準更新
俺は、しばらく黙って見た。
全部、大事そうに見える。
教育。
医療。
政治。
防災。
労働。
宇宙。
どれか一つだけ選べと言われても困る。
画面の下に、久しぶりの表示が出た。
【サポーターを呼び出しますか?】
俺は、少し笑った。
「久しぶりだな」
押す。
電子音声が流れる。
「迷っていますか」
懐かしい声だった。
人間なのかAIなのか、今でも分からない。
初期の頃はAIが多いと聞いた。
今は人間サポーターもかなり増えたらしい。
どちらでもよかった。
「まあ、迷うだろ」
俺は言った。
「税金がなくなったって言っても、結局どこかには出すんだよな」
「はい」
「社会を支える負担が消えたわけではありません」
「冷たいな」
「事実です」
俺は笑った。
この感じも久しぶりだ。
サポーターは続けた。
「ただし、以前と違い、あなたが応答先を選べます」
「前からやってたけどな」
「はい」
「GVSプレイヤーにとって、公共拠出は新しい負担ではありません」
「日常の延長です」
確かにそうだった。
俺はもう何年も、GVSで報酬を受け取り、公共拠出トークンを配分してきた。
税制が変わったから急に始めたわけではない。
主人公みたいな言い方をすれば、世界が変わったのではない。
GVSでやっていたことが、国の制度になっただけだ。
俺にとって大きかったのは、むしろ逆だった。
新しい負担が増えたことではない。
古い請求が消えたことだった。
どこに出すか
画面を拠出先比較に切り替える。
【拠出先比較】
教育支援ファンド
必要額:8.2億CCT
達成率:74%
不足理由:地方講師・学習ナビゲーター不足
想定効果:中〜高
地域医療・福祉ファンド
必要額:21.6億CCT
達成率:61%
不足理由:夜間対応・高齢者移動支援不足
想定効果:高
白瀬悠真 政治団体
必要額:5.4億CCT
達成率:92%
不足理由:基礎公共枠見直し・反対意見対応コスト
想定効果:高
地域防災プロジェクト
必要額:3.1億CCT
達成率:39%
不足理由:備蓄更新・停電時GVS訓練不足
想定効果:中
ブラック企業対策テンプレ事業
必要額:1.8億CCT
達成率:48%
不足理由:旧労働環境アーカイブ更新・相談ナビゲーター不足
想定効果:高
宇宙開発安全訓練ファンド
必要額:14.7億CCT
達成率:52%
不足理由:月面事故後の追加訓練枠不足
想定効果:高
俺は、表を見てため息をついた。
善意というより、投資画面みたいだ。
どこに出せば効果が高いか。
どこが不足しているか。
どの分野が自分に近いか。
どれを放っておくと危ないか。
昔の寄付は、もっと温かいものだと思っていた。
困っている人を助ける。
いいことをする。
誰かのためにお金を出す。
今の公共拠出は、もう少し冷たい。
要請がある。
不足がある。
達成率がある。
効果予測がある。
反対意見がある。
リスクがある。
その上で選ぶ。
でも、俺はこの冷たさが嫌いではなかった。
感情だけで選ぶと、見えやすいものに偏る。
泣ける話。
派手なプロジェクト。
人気のある政治家。
分かりやすい子ども支援。
もちろんそれも大事だ。
でも、夜間診療の人手不足や、備蓄更新や、旧労働環境アーカイブの整理みたいな地味なものは、感情だけでは選ばれにくい。
だから、数字がいる。
要請がいる。
冷たさも、必要だった。
白瀬悠真は、まだやっている
俺は、白瀬悠真の政治団体を開いた。
【白瀬悠真 政治団体】
主な活動:
・任意拠出型シビックファンドの運用監査
・公共拠出トークン未配分ルールの見直し
・基礎公共枠の不足要請対応
・反対意見代表との公開合論
・GVS参加困難者向け代替拠出窓口整備
・政治責任ログ更新
今月の不足額:4,320万CCT
主な要請:基礎公共枠の説明をもっと分かりやすくしてほしい
白瀬悠真の顔写真が表示される。
少し老けた気がする。
当選した夜、彼は「私は政治家になりたかったわけではありません」と言っていた。
その言葉を、俺は今でも覚えている。
GVSで多くの政治家や官僚を支援してきた人。
政治家を育てる側にいた人。
でも、最終的に自分が大衆に発見され、政治家になってしまった人。
あの人は、まだやっている。
税金が消えた後も、やることは終わらない。
むしろ、そこからが本番だったのだろう。
俺は、支援者コメントを開く。
【支援者コメント】
税金がなくなって楽になりました。
でも、基礎公共枠が分かりにくいので、説明を続けてほしいです。
【反対意見】
公共拠出トークンは実質税金です。
名前を変えただけではありませんか。
【白瀬悠真 応答】
近い面があることは否定しません。
違いは、拠出先の選択権、使途ログ、要請との紐づきです。
その違いが実感できない場合、制度説明が不足しています。
今月は基礎公共枠の説明改善に予算を使います。
俺は、少し笑った。
まだ同じことを言っている。
でも、同じことを言い続けるのは大事なのかもしれない。
政治家は、当選して終わりではない。
制度は、成立して終わりではない。
税金は消えた。
でも、説明は消えない。
俺が見た要請
次に、ブラック企業対策テンプレ事業を開いた。
【ブラック企業対策テンプレ事業】
主な活動:
・質問すると怒られる職場向け確認文テンプレ
・口頭指示の記録化ガイド
・退職前チェックリスト
・証拠保存ガイド
・労働相談ナビゲーター育成
・旧労働環境アーカイブ更新
今月の不足額:9,800万CCT
主な要請:AI・ロボット化後も残る人間指導トラブルへの対応テンプレが必要
俺は、その画面で止まった。
これだ。
俺が最初にGVSへ入った理由。
質問すると怒られる。
聞かないと責任になる。
仕様変更が共有されない。
最後は、やる気の問題にされる。
あの頃の俺が欲しかったものが、今は事業になっている。
確認文テンプレ。
退職前チェックリスト。
証拠保存ガイド。
昔の俺が見たら、笑ったかもしれない。
こんなものに金がつくのか、と。
でも、今の俺は知っている。
つく。
つくべきだ。
誰かが、これを作る。
誰かが、更新する。
誰かが、相談に乗る。
誰かが、旧労働環境の記録を残す。
誰かが、次の同じ苦しさを減らす。
それは仕事だ。
立派な仕事だ。
画面の右側に、関連要請が表示される。
【関連要請】
AI・ロボット化後の職場でも、人間指導者による理不尽な指示が残っています。
業務指示ログの取り方と、シビックカウンセラーへの相談テンプレがほしいです。
俺は、さっきの訓練を思い出した。
指示は全部残る。
指導も記録される。
でも、それを使えなければ意味がない。
昔と同じような理不尽は、形を変えて残る。
完全には消えない。
だから、テンプレも更新され続ける。
サポーターが言った。
「この事業は、あなたの過去の要請と関連が深いです」
「分かってる」
「拠出しますか」
俺は、すぐには押さなかった。
教育も大事だ。
医療も大事だ。
防災も大事だ。
宇宙開発安全訓練も、今日の自分には近い。
白瀬の政治団体も、制度を保つには必要だ。
全部に出したい。
でも、全部に多くは出せない。
選ぶしかない。
税金の頃は、選ばなくてよかった。
いや、選べなかった。
今は選べる。
そして、選べるというのは、少し面倒だった。
仕事が消えた後に残ったもの
俺は、配分画面を開いた。
【配分設定】
今月の公共拠出可能額:12,400 CCT
拠出先を選択してください。
俺は、少し考えてから入力した。
ブラック企業対策テンプレ事業:4,500 CCT
白瀬悠真 政治団体:2,500 CCT
宇宙開発安全訓練ファンド:2,000 CCT
地域医療・福祉ファンド:1,500 CCT
地域防災プロジェクト:1,200 CCT
教育支援ファンド:700 CCT
合計:12,400 CCT
画面に確認が出る。
【配分確認】
この拠出は、以下の要請への応答として記録されます。
・旧労働環境の理不尽な指導を減らしたい
・任意拠出型シビックファンドの説明と監査を継続したい
・宇宙開発事故を減らしたい
・夜間医療と高齢者移動支援を維持したい
・地下都市の防災備蓄を更新したい
・子ども向けGVS教育を支えたい
送信しますか?
俺は、しばらく画面を見た。
昔なら、税金は勝手に取られた。
使い道なんて、ほとんど見えなかった。
不満があっても、払うしかなかった。
今は違う。
俺が選ぶ。
それは自由でもあり、面倒でもあり、責任でもあった。
でも少なくとも、どこへ行ったのか分からない金ではない。
俺は、送信を押した。
【拠出が完了しました】
【今月の公共拠出ログを保存しました】
サポーターが言う。
「おつかれさまでした」
「税金払っただけみたいなもんだろ」
「近い面はあります」
また、あっさり認める。
「ただし、今回はあなたが応答先を選びました」
俺は、壁面端末を見た。
ブラック企業対策。
白瀬悠真。
宇宙開発安全。
医療。
防災。
教育。
俺の金が、正確には俺が得た公共拠出トークンが、そこへ流れた。
世界は大きくなりすぎた。
地下都市。
AI。
ロボット。
宇宙開発。
政治家。
公共拠出。
シビッカー。
知識労働。
昔の俺は、ただ会社の愚痴を言っていただけだった。
質問すると怒られる。
聞かないと責任になる。
普通に無理。
それだけだった。
でも、その愚痴は消えなかった。
提案になり、要請になり、テンプレになり、公共拠出先になった。
仕事は、昔の形では消えた。
税金も、昔の形では消えた。
それでも、人間の役割は消えなかった。
社会の中にある不便を見つける。
要請する。
応答する。
訓練する。
実践する。
記録する。
改善する。
どこへ金を出すか選ぶ。
それは、昔の仕事より楽なのかもしれない。
いや、別の意味では面倒だ。
でも、少なくとも、命令されてやるだけではなかった。
取られるだけでもなかった。
俺は、椅子にもたれて目を閉じた。
明日はまた宇宙開発訓練がある。
来週は、地域防災プロジェクトの実践参加がある。
月末には、知識職資格の更新試験がある。
実践より、練習の方が多い。
それでも、何かにはつながっている。
壁面端末に、今日最後の通知が出た。
【あなたの拠出は、6件の要請に応答しました】
俺は、それを見て小さく笑った。
税金はなくなった。
仕事も、昔の形ではなくなった。
でも、応答だけは残った。
むしろ、それだけが最後に残ったのかもしれない。
