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シビックヒーローズ 第四十五話 ヒーローの最後

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もう無秩序ではない

 シビック地区が成立してから、数週間が過ぎた。

 最初に戻ったのは、水だった。

 完全ではない。
 かつての水量には遠く及ばない。

 それでも、壊れた水路の一部に水が流れた。

 井戸のポンプが動き、貯水槽が作られ、農地の一角に細い流れが戻った。

 次に戻ったのは、土だった。

 住民たちは、長く放置されていた畑へ入った。
 国際連合軍の兵士が道の脇に立ち、カマラ側の兵士たちは銃を背中に回して水を運んだ。
 外部から来た農業技術者は、住民の老人から昔の水路の位置を聞き、若い者たちは石をどかし、乾いた土を崩した。

 最初の作物は、わずかだった。

 だが、そのわずかな緑は、住民たちにとって金爆弾よりも重かった。

 空から落ちる食料ではない。
 自分たちの手で戻した食料だった。

 やがて、シビック地区のいくつかでは、自給自足の目処が立った。

 配給所は、倉庫と記録所に変わった。
 医療区画には冷蔵設備が入り、修理工房では農具と発電機が直されている。
 住民GVSは、毎朝、畑、水、医療、子供、警備、配給の要請を整理した。

 すべてがうまくいったわけではない。

 失敗した地区もあった。
 支配者層が裏切り、物資が奪われた場所もあった。
 外部支援者が撤退した地域もあった。
 住民同士の不信が強すぎて、リアルGVSが何度も崩れた場所もあった。

 それでも、成功した地区は増えた。

 食料を奪うより、協定に入る方が得だと知った兵士たちは、少しずつ命令に従わなくなった。
 家族がシビック地区で保護され、負傷者が医療を受け、農地が戻ると、武装集団に残る理由は弱くなった。

 武装集団のほぼすべてが、紛争地帯各国の指揮下に入った。

 彼らは、完全に武器を捨てたわけではない。
 多くは、各国の国軍、あるいは暫定治安部隊として再編されることになった。

 それが理想の平和ではないことは、誰もが分かっていた。

 国同士のいさかいは、むしろ増えるかもしれない。
 境界線、井戸、水路、農地、旧武装勢力の扱い。
 新しい争いの種は、いくらでもある。

 だが、以前とは違う。

 誰が誰を支配しているのかも分からず、検問ごとに物資が奪われ、明日どの旗が掲げられるかも分からない完全な無秩序には、よほどのことがない限り戻らない。

 少なくとも、人々は畑へ戻った。

 井戸の場所を覚えている老人が、若者へ水路を教えた。
 子供たちは、配給列ではなく畑の脇で遊んだ。
 端末には、今日のDRIVEが並んでいる。

 水路を見る。
 倉庫を直す。
 種を分ける。
 負傷者を運ぶ。
 夜間の移動を減らす。

 戦場は、まだ平和ではない。

 それでも、生活の形を取り戻し始めていた。

まさか、成功するとは

 ワシントン。

 国家安全保障会議の部屋は、重い沈黙に包まれていた。

 大統領は、報告書を閉じた。

 その表紙には、短く書かれている。

【シビック地区進捗報告】

 補佐官の一人が言った。

「まさか、レオ・グラントが成功するとは」

 誰もすぐには答えなかった。

 失敗すると思っていた。

 金爆弾は、派手な人道支援として終わる。
 シビック地区は、現地勢力の裏切りと住民不信で崩れる。
 支配者層は再び物資を奪い、ナビゲーターは撤退する。
 その時は、レオ・グラントの民間暴走として処理できる。

 それが、米国側の本音だった。

 だが、そうはならなかった。

 シビック地区は完全ではない。
 失敗も多い。
 それでも、いくつかの地区では農地が戻り、武装集団の再編が始まり、国際連合軍は治安維持の枠内で機能している。

 そして、その中心にはレオ・グラントがいる。

 紛争地帯では英雄。
 世界では、金爆弾とシビック地区の象徴。
 だが、アメリカ国内では犯罪者だった。

 非合法支援便。
 拘束回避。
 暴走した資金調達。
 政府への圧力。
 大統領会見での騒動。

 そのすべてが、未処理のまま残っている。

 別の補佐官が言った。

「このまま紛争地帯にレオ・グラントを取られ続けるのは、米国の損失です」

「同時に、彼を野放しにもできない」

 大統領は静かに言った。

 画面には、レオの映像が映っている。

 畑の前で笑うレオ。
 水路の横で住民と話すレオ。
 米国の演説会場で、大統領の肩を抱いたレオ。

 大統領は、その最後の映像で少しだけ眉を動かした。

「前回は、超法規的に対処しようとして失敗した」

 FBIの麻酔銃案。
 内部告発。
 世論の炎上。

 あれは、米国政府にとって痛手だった。

「今回は、正式に行う」

 大統領は言った。

「文書を送る」
「レオ・グラントの身柄引き渡しを求める」
「彼は紛争地帯では英雄かもしれない」
「だが、アメリカ合衆国では、未解決の犯罪容疑を持つ米国民だ」

 補佐官が確認する。

「紛争地帯側が拒否した場合は?」

「その時は、彼らが何を選ぶかを見る」

 大統領は椅子に深く腰を下ろした。

「シビック地区が本当に国家間秩序へ移行するつもりなら、手続きに応じるはずだ」

「応じなければ?」

「レオ・グラントが、やはり国家秩序を脅かす民間権力者だと示すことになる」

 誰も反論しなかった。

 その日、米国政府は、正式な文書を送った。

 レオ・グラントの身柄引き渡しを求める文書だった。

潮時

 カマラの拠点に、その文書が届いたのは翌日だった。

 カマラは、しばらく黙って文面を読んでいた。

 部屋には、レオ、ジェイデン、ノア、マヤ、エヴァがいた。

 イーサンとマーカスも、少し離れた場所で立っている。

 カマラは文書を閉じた。

「米国政府は、君の引き渡しを求めている」

 レオは、驚かなかった。

「だろうな」

 ジェイデンが顔をしかめる。

「だろうな、じゃねえだろ」

 マヤも立ち上がった。

「拒否できるの?」

 エヴァは冷静だった。

「政治的には難しいわ」
「レオを守れば、シビック地区全体が米国との対立に巻き込まれる」
「今の地区には、それを受ける余裕はない」

 ノアは何も言わなかった。

 レオは、窓の外を見た。

 遠くに畑が見える。

 以前は、乾いた土だけだった場所。
 今は、小さな緑が並んでいる。

 それだけで、十分だった。

「俺はもう十分やった」

 レオは言った。

 部屋が静まる。

「そろそろ潮時だ」

 ジェイデンがレオを見た。

「本気か」

「ああ」

 レオは振り返る。

「ここで俺が駄々をこねれば、シビック地区が巻き込まれる」
「米国と紛争地帯の間で、また話がこじれる」
「せっかく畑が戻ったんだ」
「俺のせいで潰すのは、さすがに違うだろ」

 マヤは唇を噛んだ。

「あなたらしくないわね」

「俺らしいだろ」

「どこがよ」

 レオは笑った。

「俺は勝ち逃げが好きなんだ」

 ジェイデンが短く息を吐いた。

「お前が逃げる側か」

「逃げじゃねえ」
「引き渡しだ」

「言い方だけだろ」

「言い方は大事だ」

 軽口は、そこで途切れた。

 レオは、ヒーローズの面々を見た。

 ジェイデン。
 ノア。
 マヤ。
 エヴァ。

 彼らを見て、少しだけ表情を変えた。

「お前ら」

 その声には、いつもの軽さがなかった。

「悪かったな」

 誰も動かなかった。

 レオは続ける。

「死ぬかもしれないドッキリにつき合わせちまって」

 地雷原。

 ヘルメットカメラ。
 ピンマイク。
 車内で青ざめていた仲間たち。
 レオが笑っていたあの日。

 マヤの顔が強張った。

「今さら?」

「ああ」

 レオは頷いた。

「今さらだ」

 エヴァの声は冷たかった。

「遅すぎるわ」

「分かってる」

「許せと言うつもり?」

「言わねえ」

 レオは答えた。

「ただ、言っておくべきだと思った」

 ジェイデンが、低く笑った。

「本当に潮時だな」
「お前が謝るなんて」

「うるせえ」

 だが、レオは怒らなかった。

 ノアが、静かに言った。

「それでも、言うべきことでした」

 レオはノアを見た。

「そうか」

「はい」

 ノアは頷いた。

「遅くても、言わないよりはいい」

 マヤは顔をそむけた。

 エヴァは何も言わなかった。

 ジェイデンは腕を組んだまま、レオを見ていた。

 許されたわけではない。

 それでも、その言葉は部屋に残った。

引き渡し

 数日後。

 レオ・グラントの引き渡しは、シビック地区の外れで行われた。

 米国側の代表団。
 紛争地帯各国の担当者。
 カマラ側の護衛。
 スイス、北欧の監視員。
 GVS記録担当。
 国際連合軍。

 すべてが正式な手続きとして記録された。

 前回のような強制拘束ではない。
 麻酔銃も、分離案もない。
 カメラは最初から入っている。

 レオは、両手をポケットに入れたまま歩いてきた。

 ジェイデンが隣にいる。

「最後まで偉そうだな」

「癖だ」

「直せよ」

「もう遅い」

 レオは立ち止まり、シビック地区の方を見た。

 畑には人がいた。

 水路のそばで、住民と技術者が話している。
 子供たちは日陰で紙に絵を描いている。
 カマラ側の兵士が、国軍の新しい腕章をつけて立っていた。

 完全な平和ではない。

 だが、無秩序ではない。

 レオは小さく笑った。

「悪くねえな」

 ジェイデンが横に立つ。

「お前がいなくても回るか」

「回るだろ」

 レオは言った。

「回らなきゃ困る」

 米国側の担当官が歩み寄る。

「レオ・グラント氏」

「氏なんてつけるな。気持ち悪い」

 担当官は一瞬止まったが、すぐに表情を戻した。

「あなたを米国政府の管理下へ移します」

「好きにしろ」

 マヤがカメラを構えていた。

 その横で、エヴァが腕を組んでいる。
 ノアは端末を持ち、手続きの記録を確認していた。

 カマラが、レオへ近づいた。

「君には、礼を言うべきなのだろうな」

「やめろ」

 レオは顔をしかめる。

「似合わねえ」

「なら、一つだけ言う」

 カマラは静かに言った。

「君がいなくても、この地区を続ける」

 レオは、少しだけ目を細めた。

「それでいい」

 米国側の担当官が、手続きを進める。

 レオは振り返らずに歩き出した。

 ジェイデンが、ぎりぎりまでついていく。

「レオ」

「なんだ」

「世界一のヒーローは、こんな形で連れていかれるのか?」

 レオは笑った。

「ヒーローなんて、だいたい最後はろくでもねえだろ」

「違いねえ」

 ジェイデンは足を止めた。

 レオだけが、米国側の車両へ向かって歩く。

 その背中に、マヤのカメラが向いていた。

 世界中が見ている。

 紛争地帯の英雄が、米国の犯罪者として引き渡される。

 だが、彼が落としたものは、もう回収できなかった。

 金爆弾。
 シビック地区。
 住民GVS。
 水路。
 畑。
 国軍に再編された元武装集団。
 現地に残ったナビゲーターたち。

 レオ・グラントがいなくなっても、それらは残る。

 車両の扉が閉まる直前、レオは窓越しにこちらを見た。

 いつものように、少しだけ笑う。

 そして、何かを言った。

 音は聞こえなかった。

 だが、ジェイデンには分かった気がした。

 あとは頼んだ。

 車両が動き出す。

 砂埃が上がる。

 遠くの畑では、住民たちが水路へ向かって歩いていた。

 レオ・グラントは引き渡された。

 それでも、シビック地区の一日は続いていた。

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