
面会
面会室に入ってきた男を見て、レオはしばらく黙っていた。
特別な服を着ているわけではない。
護衛を何人も連れているわけでもない。
背筋を伸ばした政治家にも、成功者にも、宗教家にも見えなかった。
少し疲れた顔の、普通の男だった。
隣には通訳がいる。
男は軽く頭を下げた。
通訳が言った。
「ミスターシビッカーです」
レオは、椅子に座ったまま男を見た。
「お前がミスターシビッカーか?」
通訳が訳す。
男は、少し不思議そうに頷いた。
レオは鼻で笑った。
「もっと偉そうな奴かと思ってたぜ」
通訳が訳す。
ミスターシビッカーは、通訳に耳を傾けてから、首をかしげた。
「そうなんですか?」
少し間を置いて、彼は言った。
「ところで、今日は何か御用で?」
レオの眉が動いた。
「じゃあ何しに来た」
通訳が慌てて訳す。
ミスターシビッカーは、静かに聞いている。
レオは、苛立ちを隠さなかった。
「俺がどれだけ稼がせたと思ってる」
「俺がどれだけGVSを広げたと思ってる」
「あんたは、一言もなしか?」
通訳が訳し終えると、ミスターシビッカーは「ああ」と小さく頷いた。
「ああ、そのことですか」
彼は、少しだけ姿勢を正した。
「それについては、私も常々感謝しています」
「シビックドライブは、レオ氏がいなければ実現できなかったかもしれません」
「少なくとも、私が生きている間には」
通訳の声を聞きながら、レオは黙っていた。
「夢ではないかと、今でも疑うくらいです」
レオは、低く笑った。
「俺にとっちゃ悪夢だぜ」
ミスターシビッカーは何も言わなかった。
「そもそも、だったら何で今まで黙りこくってたんだ?」
「常に予算ルームで、レオ氏の報酬の要求はしておりますが」
「そうなのか?」
レオは一瞬、気を抜かれた。
すぐに顔をしかめる。
「いや、そんな話はしてねえ」
「なんで直接会いに来なかったんだと言っている」
ミスターシビッカーは、少し考えた。
「特に理由はありませんが」
「次の仕組みを考える日々でして」
「もちろん、呼ばれれば、できる限りは対応しますよ」
レオは、しばらく口を開けたまま黙った。
それから、荒く息を吐いた。
「なんか、てめえと話してると調子狂うな」
俺を戻せ
レオは、机に肘をついた。
「だったら、俺をもう一回ヒーローに戻せ」
通訳が訳す。
ミスターシビッカーは黙って聞いている。
「牢からも出せ」
「そのくらい、お前の力なら簡単だろ」
「シビックドライブの創設者なんだからな」
通訳が最後まで訳すと、ミスターシビッカーは頷いた。
「ああ、もちろん」
「協力します」
レオは目を細めた。
ミスターシビッカーは続ける。
「私がやることは、GVSでテーマとして出す、ということでいいですかね?」
「牢から出すという点についても、私から米国に頼んでみますよ」
レオは固まった。
「……は?」
「ところで、ヒーローに戻すための具体的な案としては?」
「それは、てめえが考えるんだよ」
レオは机を指で叩いた。
「なんで俺に頼む?」
「俺はここから出られないんだ」
「お前なら、いくらでもどうとでもできるだろ」
ミスターシビッカーは、少し困ったような顔をした。
「何か勘違いしているかもしれないので、一言言っておきますが」
彼は通訳を見てから、レオへ向き直る。
「私には、特別な権限は一切ないですよ」
レオは黙った。
「私の報酬も、予算ルームで決定されます」
「何か特別な権限があるわけではありません」
「国の要職についているわけでもありません」
「言うならば、時々GVSで活動しているシビッカーの一人にすぎません」
ミスターシビッカーは、少しだけ笑った。
「あなたはゴールドランクですが、私はブロンズランクですからね」
レオの目が大きく開いた。
「なんだと?」
通訳が訳す前に、レオは続けた。
「ブロンズ?」
「お前が?」
「いくらなんでも無責任すぎるだろ!」
ミスターシビッカーは、静かに聞いていた。
「それに権限がないって?」
「本当に何の権限もないのか?」
「じゃあ、お前は何のためにシビックドライブを作ったんだ?」
その問いに、ミスターシビッカーはすぐには答えなかった。
彼は、机の上に置かれた自分の手を見ていた。
「自分にしかできない何かをやりたいと、考えていたのかもしれません」
通訳が、ゆっくり訳す。
「ですが、そんな言葉で片付けることもできないのかもしれない」
「強いて言えば、時代がそうした、というのかもしれないですね」
ミスターシビッカーは、少しだけ顔を上げた。
「とても一言で話せるものではありません」
レオは、しばらくその男を見ていた。
怒鳴る気が、少しずつ薄れていく。
「そうか」
レオは、低く言った。
「じゃあ、ここから出たら、ゆっくり聞かせてくれ」
ミスターシビッカーは頷いた。
「ええ」
レオは、ふと思い出したように言った。
「ただ、一つ聞く」
「はい」
「名声欲はなかったのか?」
手放したもの
ミスターシビッカーは、すぐに答えた。
「ありますね」
レオは少しだけ笑った。
「即答かよ」
「あります」
「金銭欲もあります」
「名声欲もあります」
「自分が認められたい気持ちもあります」
通訳の声が、静かな部屋に響く。
「ただ、それを前面に出しすぎると、シビックドライブが崩壊することも知っています」
レオは黙った。
「私は、あくまでもシビックドライブ以前の旧世代の人類です」
「金銭欲もあれば、名声欲もあります」
「ですが、シビックドライブを成功させたい欲の方が強い」
ミスターシビッカーは、自分の胸元を軽く指で押さえた。
「だから、それらを手放したというわけです」
レオは、ゆっくりと息を吐いた。
「そうか」
彼の声は、さっきよりも低かった。
「だから報酬も権限も、全部手放したってことか」
「そうでなければ、シビックドライブが成立しないから」
「その通りです」
ミスターシビッカーは頷いた。
「私が権限を持ちすぎれば、GVSは私の王国になります」
「私の報酬を私が決めれば、シビックファンドは私の財布になります」
「私が命令すれば、DRIVEとSUPPORTは、ただの指示になります」
レオは、何も言わなかった。
「それでは、意味がない」
ミスターシビッカーは、静かに続けた。
「私はシビックドライブを作りたかった」
「自分の王国ではなく」
レオは、目を伏せた。
「お前は、とてつもない偉業をしたのに」
その声は、ほとんど独り言だった。
「何者でもない者を選んだんだな」
ミスターシビッカーは、少し困ったように笑った。
「選んだ、というより」
「私の場合は、そうせざるを得なかった、というのが本音ですね」
レオは顔を上げた。
「俺も、そうすべきだったのか?」
「さあ」
ミスターシビッカーは首を振った。
「それは分かりません」
レオの目に、ほんの少しだけ苛立ちが戻った。
だが、ミスターシビッカーはレオを慰めるようなことは言わなかった。
「ただ、繰り返しますが」
「レオ氏には感謝しています」
彩り
面会室の外で、係員が時計を確認した。
通訳も、それに気づいたようだった。
だが、ミスターシビッカーはもう少しだけ話した。
「私は思うのですが」
彼は、言葉を探すように少し間を置いた。
「死ねば、未来を見ることはできません」
レオは黙って聞いていた。
「しかし、こういう未来ができるだろうと、空想することはできます」
「私は、ずっとそれをしていました」
「GVSが広がったら、どんな社会になるのか」
「人が要請と応答で動き始めたら、世界はどう変わるのか」
「戦争や犯罪や搾取的労働が少しずつ減ったら、人間はどんな表情をするのか」
ミスターシビッカーは、レオを見た。
「あなたは、私の空想に彩りを与えてくれた」
レオの表情が止まる。
「だから、今死んだとしても」
「私は、楽しく死ぬことができます」
通訳が訳し終えると、部屋に沈黙が落ちた。
レオは、しばらく何も言えなかった。
自分にとっては悪夢だったもの。
檻の中へ戻ってきた、質の悪い夢。
だが、この男にとっては、空想に色がついた未来だった。
レオは、低く言った。
「勝手なこと言いやがる」
「そうですね」
ミスターシビッカーは素直に頷いた。
「勝手なことを言っています」
レオは、少しだけ笑った。
その笑いは、怒りだけではなかった。
時間
通訳が、控えめに言った。
「ミスターシビッカー。時間です」
ミスターシビッカーは頷いた。
「時間のようです」
彼は、レオへ向き直る。
「時々、またやってきますよ」
「あなたのヒーローの復帰を手伝います」
レオは、すぐには答えなかった。
それから、首を横に振った。
「いや」
ミスターシビッカーが首をかしげる。
「その件なら、もういい」
「そうですか?」
「ああ」
レオは、机の上で指を組んだ。
「少し考えさせてくれ」
「必要なら、改めて連絡する」
ミスターシビッカーは、静かに頷いた。
「分かりました」
「では、私はしばらくアメリカにいるので、また連絡をお願いします」
彼は立ち上がった。
護衛もなく、威厳もなく、ただ普通に椅子を引いて立ち上がる。
レオは、その姿を見ていた。
ミスターシビッカーは、もう一度軽く頭を下げた。
「今日は、お話できてよかったです」
通訳が訳す。
レオは、少し遅れて片手を上げた。
「またな」
ミスターシビッカーは面会室を出ていった。
扉が閉まる。
白い壁。
鉄の扉。
監視カメラ。
制限付きの端末。
何も変わっていない。
レオは、まだ檻の中にいる。
だが、胸の奥で何かが少しだけ動いていた。
ヒーローに戻る。
その言葉が、さっきまでよりも少し遠く感じた。
レオは椅子に座ったまま、しばらく天井を見ていた。
「何者でもないただのシビッカー、か」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。
