
それからのレオ・グラント
それから、レオ・グラントは少し変わった。
獄中の彼には、制限付きの端末が渡された。
最初は、どうせ暇つぶしだと思っていた。
だが、レオはその端末で、今までほとんどやらなかった活動を始めた。
シビックサポーター。
誰かのDRIVEを読む。
荒い要請を整える。
現地に行けない人間の不安に応答する。
若いナビゲーターの投稿に、短い助言を入れる。
失敗したシビック地区の再挑戦ルームで、必要な人材と資金を整理する。
昔のレオなら、まず叫んだ。
端末を手に取れ。
金を出せ。
空を埋めろ。
世界を動かせ。
だが、その頃のレオは、少し違った。
誰かの話を最後まで読むようになった。
自分が前に出る前に、相手のDRIVEを確認するようになった。
乱暴な言葉は相変わらずだったが、相手の行動を奪うことは減った。
結論から言うと、レオはシビックヒーローをやめなかった。
ただし、ヒーローそのものを目指すことはやめたようだった。
代わりに、ヒーローを演じることにしたらしい。
違いは何か。
簡単に言えば、昔より少し優しくなった、ということかしら。
もちろん、違いが分からない人もいた。
何も変わっていないと言う人もいた。
実際、レオは相変わらず目立ちたがりだった。
相変わらず口が悪かった。
相変わらず、ここぞという時には人の前に出たがった。
でも、明らかに一線を引くようになっていた。
仲間を勝手に死地へ連れていかない。
他人の人生を、自分の英雄物語の小道具にしない。
自分の欲望を消したわけではないが、それが欲望であることを少しだけ認めるようになった。
それだけでも、大きな変化だった。
私は、そんなレオとよりを戻した。
いろいろあった。
本当に、いろいろあった。
私たちには子供が生まれた。
レオは父親らしい父親だったかと言われると、かなり怪しい。
けれど、子供に対してだけは、妙に不器用で、妙に真面目だった。
日本のシェア村にも関わった。
鯖川フレーム製作所の応援にも行った。
スイスのシビックファミリーにも加わった。
時にはまた大騒ぎを起こした。
時には、昔よりずっと静かに誰かのDRIVEへ応答していた。
レオは最後までレオだった。
でも、昔のように、世界を自分のものにしようとはしなくなった。
ヒーローの衣装は着続けた。
けれど、その中身がただの人間であることを、本人もようやく知っていた。
そして、五十年の歳月が流れた。
ネジの甘い老人
宇宙開発訓練施設は、思ったより地味だった。
巨大なロケット。
透明な訓練ドーム。
無重力区画。
ホログラム管制室。
そういうものも、もちろんある。
だが、訓練の大半はもっと細かい。
点検。
固定。
交換。
確認。
記録。
再確認。
老いたレオ・グラントは、床に膝をついて、工具を握っていた。
その隣に、同じく老いたジェイデンがいる。
ジェイデンは白髪だらけになっていた。
だが、目つきだけは昔とあまり変わっていない。
「よう、レオ」
「なんだ」
「元気してたか?」
レオは、ネジを締めながら笑った。
「ああ。俺はまだ全然元気だぜ」
「若い者には負けてねえ」
「そりゃ結構だ」
その時、二人の前に、若い訓練生が立った。
まだ十代に見える。
背は低く、表情は落ち着いていた。
訓練生は、レオの手元を見た。
「レオさん」
「あ?」
「その固定、まだ甘いです」
「次の振動テストで外れる可能性があります」
「締め直していただけませんか?」
レオは、顔を上げた。
「俺にネジの締め方を教えるのか?」
「はい」
若い訓練生は、当たり前のように頷いた。
「今は、その作業中なので」
ジェイデンが横で吹き出した。
「言われてるぞ、世界一のヒーロー」
近くにいた年配の職員が、苦笑して若い訓練生に言った。
「君、この人は昔、すごい人だったんだぞ」
「レオ・グラントだ」
「金爆弾作戦を動かした、シビックヒーローズの中心人物だ」
若い訓練生は、レオを見た。
「へえ、そうなんですね」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「でも今は、ネジの締め方が甘い人です」
ジェイデンは腹を抱えて笑った。
レオは、しばらく黙っていた。
それから、工具を握り直した。
「うるせえ」
「次はちゃんと締める」
「はい」
「締め直したら、私が確認します」
若い訓練生は、そう言って別の区画へ歩いていった。
レオは、その背中を見送った。
怒っているようにも見えた。
笑っているようにも見えた。
ジェイデンが言った。
「すげえ時代になったな」
「ああ」
「お前を知らないガキが、お前にネジを締め直せって言う」
「悪くねえ」
レオは小さく笑った。
「神の子も、ネジが甘けりゃ怒られるってわけだ」
新しい人類
訓練施設の若者たちは、あまり昔話をしなかった。
レオ・グラントが何をしたか。
シビックヒーローズがどれほど世界を騒がせたか。
金爆弾がどんな映像だったか。
知っている者もいる。
知らない者もいる。
だが、彼らにとってそれは、今目の前の作業より大事ではなかった。
「次の固定を確認します」
「私は記録を取ります」
「その工具を渡していただけませんか?」
「この手順で不安がある人は、今出してほしいです」
「振動テスト後、作業ログを共有します」
会話は、だいたいそんなものだった。
不満をそのまま愚痴にすることは少ない。
相手を笑わせるためのいじりも少ない。
自分がどれほどすごいかを話す者も、あまりいない。
けれど、彼らは退屈そうではなかった。
協力して進むこと自体を、自然に楽しんでいる。
誰かができないことを出す。
別の誰かが応答する。
作業が進む。
記録が残る。
次の人が受け取る。
それだけで、場は明るかった。
旧時代の人間から見れば、少し物足りないかもしれない。
冗談も少ない。
ドラマも少ない。
英雄もいない。
だが、だからこそ、彼らは遠くまで行けるのかもしれなかった。
レオは、若い訓練生たちを見ていた。
「こいつら、俺に興味ねえな」
ジェイデンが言った。
「いいじゃねえか」
「お前が望んだ世界だろ」
「俺が望んだ世界は、もう少し俺を尊敬してる予定だった」
「残念だったな」
レオは鼻で笑った。
「まあな」
それから、工具を腰につけて立ち上がる。
「でも、悪くねえ」
ジェイデンは少しだけ目を細めた。
「どうだ、レオ」
「何がだ」
「昔みたいに、またヒーローごっこをしてみないか?」
レオは、ジェイデンを見た。
老いた友人の顔。
何度も死にかけた男の顔。
レオが最後まで一緒に悪ふざけをできる、数少ない相手の顔。
レオは笑った。
「宇宙でか?」
「ああ」
「派手だな」
「最後くらい派手でいいだろ」
レオは、少しだけ空を見上げた。
訓練施設の天井は透明で、その向こうに星が見えていた。
「いいぜ」
彼は言った。
「最後のヒーローごっこだ」
最後の任務
二人が宇宙へ行ったのは、それからしばらく後だった。
任務は派手なものではない。
軌道上施設の外部点検。
資材固定。
微細な損傷の確認。
若い作業員の補助。
レオとジェイデンは、英雄として選ばれたわけではない。
訓練を終え、必要な技能を満たし、本人たちが志願したから選ばれた。
それだけだった。
宇宙服の中で、レオは笑っていた。
『見えるか、ジェイデン』
『ああ』
『地球だ』
『見りゃ分かる』
『昔の俺なら、ここで何か名台詞を言ってたな』
『今も言いたそうだぞ』
『まあな』
二人は、軌道上施設の外壁を進んだ。
遠くには青い地球。
下には、かつてレオが金爆弾を落とした大地もある。
ギャングの街も、シビック地区も、日本のシェア村も、鯖川フレームも、すべて見えないほど小さい。
通信に若い管制官の声が入る。
『レオさん、右側の固定を確認していただけますか?』
『ジェイデンさん、予備ラインを保持してください』
『了解』
レオは答えた。
その声は、昔よりずっと落ち着いていた。
事故は、突然だった。
微小デブリの衝突。
軌道上施設の一部損傷。
補助アームの制御異常。
作業員の安全ラインへの負荷。
若い作業員の一人が、姿勢を崩した。
レオが動いた。
ジェイデンも、ほぼ同時に動いた。
通信が乱れる。
『待ってください』
『その角度では危険です』
『レオさん、戻ってください』
『ジェイデンさん、ラインを――』
レオは笑っていた。
『ジェイデン』
『なんだ』
『最後のヒーローごっこだ』
『言うと思ったぜ』
二人は、若い作業員を押し戻した。
安全ラインが張り直される。
作業員は施設側へ戻った。
その直後、破損した補助アームが大きく揺れた。
通信が途切れた。
青い地球だけが、静かに広がっていた。
最後まで
マヤが連絡を受けたのは、地球時間で翌朝だった。
彼女はもう年老いていた。
髪には白いものが混じり、若い頃のように一日中配信を続けることはなくなっていた。
それでも、端末の扱いはまだ早かった。
連絡を持ってきた若いシビッカーは、少し緊張していた。
「マヤさん」
「どうしたの」
「レオ・グラントさんと、ジェイデンさんが……」
若いシビッカーは、言葉を選んだ。
「宇宙作業中の事故で亡くなりました」
マヤは、少しだけ目を閉じた。
長い沈黙はなかった。
泣き崩れることもなかった。
「ああ、そうなの」
彼女は、窓の外を見た。
空はよく晴れていた。
あの人らしい。
そう思った。
若い頃から、ずっとそうだった。
危ない場所へ行く。
笑いながら境界線を越える。
誰かを巻き込み、誰かに怒られ、最後には自分でも少し困ったように笑う。
ヒーローになろうとしていた。
神の子になろうとしていた。
世界の中心になろうとしていた。
でも最後には、ただの老いた一参加者として宇宙へ行った。
そして、最後の最後まで、ヒーローごっこをした。
マヤは、小さく笑った。
「まったく」
若いシビッカーが顔を上げる。
マヤは静かに言った。
「あの人は、最後までヒーローごっこが好きな人だったわ」
それ以上、特別な言葉はなかった。
世界は止まらなかった。
宇宙開発の作業ログには、事故原因と救助記録が残された。
若い作業員は治療を受け、数週間後には訓練へ戻った。
レオとジェイデンの名前は、死亡者記録に載った。
少しだけ追悼され、少しだけ語られ、やがてまた次のDRIVEが始まった。
それでよかった。
レオ・グラントは、最後までヒーローそのものにはなれなかった。
けれど、最後までヒーローを演じ続けた。
そしてたぶん、誰よりもそれを楽しんでいた。
マヤは端末を閉じた。
窓の外では、若いシビッカーたちが次の宇宙開発DRIVEについて話し合っていた。
誰が何をするか。
誰に何を協力してほしいか。
世界は、今日も動いている。
ヒーローがいなくても。
ヒーローごっこが好きだった男がいなくなっても。
それでも、少しだけ明るく。
