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第二十四話 金じゃなくて飯の話かよ!しかも揉めてるじゃねえか

案内されたのは、配信室でも、パソコンが並んだ教室でもなかった。

 旧給食室だった。

 廊下の先に、金属の扉がある。
 その横には、手作り感のある貼り紙が貼られている。

【共同食スペース】
【料理部・食費改善部・健康体操部共同利用】
【見学者は案内役の指示に従ってください】

 俺は、その貼り紙を見て、思わず立ち止まった。

「いや、待て」

 案内役の女が振り返る。

「どうしましたか?」

「俺、金稼ぎの学校に来たんですよね?」

「はい」

「なんで最初が飯なんですか」

 案内役は、当たり前みたいな顔で言った。

「生活を立て直すなら、まず食事だからです」

 正論っぽい。

 正論っぽいが、納得はしたくなかった。

 俺は、もっとこう、パソコンが並んだ教室に案内されると思っていた。
 副業部。
 ライター部。
 動画編集部。
 AI活用部。
 シビックSNSナビゲーター部。

 そういう場所を見せられて、

「ここであなたも稼げます」

 みたいな話が始まると思っていた。

 それが、旧給食室。

 金稼ぎの学校の最初の授業が、飯。

 どういうことだよ。

 金じゃなくて飯の話かよ。

 扉が開くと、湯気の匂いがした。

 味噌汁の匂い。
 野菜の匂い。
 炊いた米の匂い。
 それから、鶏肉の匂い。

 旧給食室の中では、数人の参加者が動いていた。
 大きな鍋をかき混ぜる人。
 冷凍野菜を袋から出している人。
 ゆで卵の殻をむいている人。
 タブレットに何かを入力している人。

 壁にはホワイトボードがあった。

【本日の共同食】
・鶏むね肉と野菜の味噌汁
・豆腐
・ゆで卵
・納豆
・バナナ
・白米あり/なし選択
・夜勤明け軽食あり

 俺は、その文字を見て、少しだけ眉をひそめた。

 悪くはない。

 悪くはないが、なんだか俺の生活を見透かされているみたいで嫌だった。

 案内役が説明する。

「共同食は、料理部と食費改善部が中心になって運営しています。もともとは、GVSの合論で出た“安くて満腹になるレシピを共有する”というテーマから始まりました」

「ああ、あれか」

 俺は思い出した。

 副業情報を探していた時、第二合論で急に出てきたやつだ。

 安くて満腹になるレシピ。
 起業アイデア。
 シェアハウス。
 保険見直し。

 あの時の俺は思った。

 余計なお世話だろ、と。

 俺は副業の話をしたかった。
 金を稼ぐ話をしたかった。
 なのに、食費だの家賃だの保険だの、話が勝手に広がっていった。

 だが、目の前の鍋から湯気が上がっている。

 それを見ていると、あの余計なお世話が、急に現実の形を持っているように見えた。

「この共同食は、レシピ共有だけではありません」

 案内役が続ける。

「食費、栄養、睡眠、作業効率、体調、参加者の生活リズムをログ化します。料理部の作業も、食費改善部の研究も、GVS活動として扱われます」

「飯を作るのも活動なんですか」

「はい」

「食うのも?」

「条件によっては、食事ログの提出が活動になります」

 俺は、思わず笑った。

「飯食ってログ出すのかよ」

「はい。生活を立て直すための実践ログです」

「なんでもログだな」

「生活は、かなり多くの問題を含んでいます」

 案内役は、平然と言った。

 俺は言い返そうとして、やめた。

 確かにそうかもしれない。

 金がない。
 仕事がきつい。
 副業が続かない。
 眠い。
 体調が悪い。
 コンビニ飯ばかり食っている。
 ラーメンを食べる。
 菓子を食べる。
 そしてまた眠くなる。

 俺の生活は、金の問題だけではなかった。
 たぶん、飯も、睡眠も、体力も、全部つながっていた。

 それを認めるのは、少し腹が立った。

 案内役は、端末を操作して、食費表を見せた。

【共同食の目安】
朝の軽食:80円〜150円
昼・夜の共同食:180円〜280円
個人食:自由
食費補助:条件により適用
料理部参加:活動ポイント対象
食事ログ提出:一部GVS報酬対象

「安すぎません?」

「支援食材、共同購入、シビックファンドの生活補助、企業提供品などを組み合わせています」

「企業提供品?」

「食品ロス削減、生活改善ログ、栄養改善の実証データとして協力している企業があります」

「飯まで社会活動かよ」

「はい」

 はい、じゃねえよ。

 俺はそう思ったが、口には出さなかった。

 金がない人間が安く飯を食える。
 その代わりに、生活改善のログを出す。
 そのログが、次の支援や企業協賛やGVS報酬につながる。

 理屈としては分かる。

 分かるが、飯を食うだけでもシステムに組み込まれている感じがして、少し気持ち悪い。

 でも、安い。

 これは強い。

 金のない人間にとって、安いは強い。

「食べてみますか?」

 案内役に聞かれ、俺は少し迷ってから頷いた。

「まあ、せっかく来たんで」

 白米は少なめにした。
 というか、ほとんどなしにした。
 米を食べると眠くなる気がするからだ。

 代わりに、味噌汁を多めにした。
 鶏むね肉と野菜が入っている。
 豆腐もある。
 ゆで卵もある。
 バナナもある。

 皿を持って、長机の端に座る。

 周りには、何人か参加者がいた。
 若い男。
 中年の女。
 大学生くらいの女。
 作業着の男。
 俺より少し年上に見える男。

 全員、どこか疲れている。

 だが、暗いわけではない。

 疲れているのに、妙に落ち着いている。
 少なくとも、コンビニ前でスマホを見ながら菓子パンを食っている時の俺よりは、ちゃんと人間らしく見えた。

 俺は味噌汁を飲んだ。

 薄味だった。

 正直、ラーメンの方がうまい。

 だが、胃には優しい。

 鶏むね肉は少し硬い。
 野菜は普通。
 豆腐も普通。
 ゆで卵も普通。

 全体的に、普通だった。

 でも、温かかった。

 その普通さが、少しだけ腹立たしかった。

 まずかったら文句を言えた。
 意識高いだけの薄い飯なら、馬鹿にできた。
 だが、これは普通に食える。

 しかも安い。

 俺は小さく呟いた。

「……悪くないな」

 案内役は、少し笑った。

「ありがとうございます」

「いや、褒めたわけじゃないです」

「はい」

 何が、はい、だ。

 俺がゆで卵を食べていると、隣のテーブルから声が聞こえた。

「共同食って、食べる量が多い人はどうするんですか?」

 若い男の声だった。

 それに、別の女が答える。

「それ、私も気になります。私はあまり食べないので、同じ料金だと少し不公平に感じます」

 向かいに座っていた作業着の男が言う。

「でも、細かく分けすぎると、料理部の人が大変じゃないですか?」

 別の参加者が続ける。

「自分は白米を食べると眠くなるので、主食を選べるようにしてほしいです」

 さらに別の声。

「アレルギーがある人は、別メニューにできますか?」

「共同食に参加しない日は、食費補助がどうなるんですか?」

「料理部ばっかり負担が大きくないですか?」

「食べるだけの人と、作る人の差はどうなるんですか?」

 俺は、箸を止めた。

 始まった。

 飯だけで、もう揉めている。

 いや、まだ揉めているというほどではない。
 みんな一応、丁寧に話している。
 怒鳴っているわけでもない。
 責めているわけでもない。

 でも、火種はそこら中にある。

 量。
 金。
 好み。
 健康。
 アレルギー。
 負担。
 公平感。

 飯だけで、これだけある。

 俺は味噌汁を見下ろした。

 金稼ぎの学校に来たはずなのに。
 最初に出てきたのは飯。
 しかも、その飯ですでに問題が出ている。

 なんだこれ。

 案内役は、慌てる様子もなく言った。

「それらは、共同食ルール合論で扱います」

 壁際のモニターに、画面が表示された。

【GVSオフラインモード】
【共同食ルール合論】
対象メンバー:シェア村第一実験拠点・体験参加者を含む固定メンバー
現行ルール:Ver.1.2
次回リアルGVS:金曜 19:00
次回ルール更新予定:三週間後

 俺は画面を見た。

「GVSオフラインモード?」

「はい」

 案内役が、端末を持って説明する。

「シェア村では、生活上の問題をGVSオフラインモードで扱います。共同食、掃除、夜間通話、共有スペース、金銭貸借、部活予算など、テーマごとに合論ルームがあります」

「オフラインって、アプリを使わないって意味ですか」

「いいえ。アプリは使います」

「じゃあ、何がオフラインなんですか」

「通常のオンラインGVSは、テーマに対して、オンライン上の参加者からランダムにメンバーが選ばれます」

「知らない人と組むやつですね」

「はい。ですが、オフラインモードでは、現実に同じ場所で暮らしている人、同じ部屋、同じ部活、同じ担当の人など、固定された関係者で合論できます」

「ああ。つまり、シェア村の中のメンバーで使うGVSってことか」

「近いです」

「で、アプリで話し合う」

「はい。その後、必要に応じて実際に集まります。それがリアルGVSです」

 俺は画面を見直した。

 オフラインモード。
 名前だけ聞くと、スマホを閉じて直接話すような印象だった。

 でも違う。

 アプリは使う。
 ただし、参加者が固定されている。

 現実の生活に関係している人たちだけで、GVSを回す。
 それがオフラインモード。

 そして、その結果を見ながら実際に顔を合わせるのが、リアルGVS。

 少しややこしい。
 でも、意味は分かる。

 画面には、共同食に関する提案が並んでいた。

【提案1】食べる量に応じて、大盛り・普通・少なめを選べるようにする
【要請】大盛り希望者は、事前に申請していただけませんか?

【提案2】料理部の作業時間を活動ポイントとして記録する
【要請】料理・皿洗い・片付けに協力できる人は、担当可能な時間を入力していただけませんか?

【提案3】白米以外の主食・主食なしを選べるようにする
【要請】眠気や体調に影響が出る食材がある人は、食事ログに記録していただけませんか?

【提案4】アレルギー・宗教・体調による別メニュー申請を作る
【要請】食べられないものがある人は、公開範囲を選んで登録していただけませんか?

【提案5】共同食に参加しない日も責めないルールを明記する
【要請】個人食を選びたい理由がある人は、必要に応じて条件を共有していただけませんか?

 俺は、少し黙った。

 なるほど。

 ただ話し合うよりは、分かりやすい。

 普通に食堂で話し合ったら、たぶんこうなる。

「食う量が多いやつは払え」
「少食の人が損する」
「作ってもらってるのに文句言うな」
「米くらい食え」
「アレルギーは仕方ないけど、好き嫌いはわがままだろ」

 そんな感じで、すぐに誰かが悪者になる。

 でも、画面では全部、提案と要請になっていた。

 何を変えたいのか。
 誰に何を頼みたいのか。
 自分は何に協力できるのか。

 そこだけが残っている。

「これ、アプリだけで決めるんですか?」

 俺が聞くと、案内役は首を横に振った。

「いいえ。アプリだけでは決めません」

「じゃあ、全員で集まるんですか」

「基本的に、百人全員で自由討論はしません」

「じゃあどうするんですか」

「五人ずつに分かれます」

「アプリと同じ?」

「はい。ただし、シェア村では実際に顔を合わせる場合があります。リアル版GVSです」

 案内役は、画面を切り替えた。

【リアル版GVS:共同食ルール合論】

  1. オフラインモードで固定メンバーが提案・要請・協力可能性を入力
  2. 必要に応じてサブルームを作成
  3. 第一合論メンバー五人でリアルGVSを実施
  4. 第一合論代表者を選出
  5. 第一合論代表者五人で第二合論を実施
  6. 必要に応じて第三合論へ進行
  7. ルール案を全体共有
  8. 異議・例外条件を受付
  9. 試験運用
  10. 三週間ごとに更新

「第一合論メンバー?」

「最初に話し合う五人です」

「下のメンバーってことですか」

「いいえ。上下ではありません。第一合論で一緒に話す担当メンバーです」

 案内役は、少しだけ強調した。

「代表者は、第一合論メンバーの意見を持って第二合論へ進みます。偉くなるわけではありません」

「まあ、偉そうにされたら腹立ちますからね」

「はい。なので、代表者の発言もログに残ります」

 やっぱり記録はある。

 ただ、記録されるのは俺たちだけではない。
 代表者も記録される。
 カウンセラーも記録される。
 ナビゲーターも記録される。

 それなら、少しはマシかもしれない。

「でも、結局、実際に話すんですね」

「はい」

「アプリだけじゃ駄目なんですか」

「駄目です」

 案内役は、即答した。

「GVSだけで決まったルールは、現実のルールとして弱い場合があります。誰が何を引き受けるのか。守れない時はどうするのか。例外はあるのか。そこは、顔を知っている人同士で確認する必要があります」

「面倒くさいですね」

「共同生活は面倒です」

 また正直な返答だった。

「ただし、毎回全員で集まる必要はありません。オフラインモードで材料を集め、五人で確認し、代表者が次へ持っていく。全体集合は、重要ルールの共有や交流会、入村式のような場に限ります」

「交流会もあるんですか」

「あります。揉めた時だけ顔を合わせると、相手が敵に見えやすくなります。揉めていない時にも会う必要があります」

 俺は、少し嫌な顔をした。

「交流会とか苦手なんですけど」

「参加は段階制です」

「強制じゃない?」

「完全な自由ではありません。共同生活に必要な最低限の接点はあります」

「結局、逃げられないじゃないですか」

「逃げる自由もあります。ですが、共同生活を選ぶ場合は、一定の関係性を作る必要があります」

 俺は何も言えなかった。

 正しい。
 正しいが、嫌だ。

 たぶん、シェア村はそういう場所なのだ。

 安く暮らせる。
 飯も出る。
 仕事の訓練もできる。
 GVS報酬もある。
 SNSナビゲーター活動もできる。

 ただし、人と関わらないで得だけ取ることはできない。

 そこが、俺には少し重かった。

 案内役はさらに説明を続けた。

「リアルGVSで話している最中も、オフラインモードは稼働しています」

「会議中にもアプリが動いてるんですか」

「はい。言い忘れたこと、あとから思いついたこと、言い方を変えたいことがあれば、その場で入力できます」

「その場で話せばよくないですか」

「話せる人は話して構いません。ただ、全員がその場でうまく話せるわけではありません」

「まあ、それは分かる」

「小さい論点は、サブルームで扱うこともできます」

「サブルーム?」

「たとえば共同食全体の話し合い中に、白米なしメニューだけを細かく扱いたい場合や、アレルギー対応だけを分けたい場合です。小さなテーマを素早く扱えます」

「便利ですね」

「はい。ただし、悪用もできます」

「認めるのかよ」

「固定メンバーの合論では、マッチポンプや自作自演のような議題化が起きる可能性があります」

「自分で問題を作って、自分で騒ぐみたいな?」

「はい。自分に有利なルール変更を狙ったり、仲間内で空気を作ったり、代表者が都合よく要約したりする可能性があります」

「結構危ないじゃないですか」

「なので、ログを残します」

 案内役は、画面を指差した。

「誰が何を提案したか。どの要請が出たか。誰が何に協力できると言ったか。代表者が第二合論へ何を持っていったか。どの意見が採用、保留、未反映になったか。カウンセラーやナビゲーターがどう介入したか。すべて記録されます」

「監視じゃないですか」

「監視でもあります」

 案内役は、正直に言った。

「ただし、裁くためだけの記録ではありません。記憶違いを減らし、少数意見や未反映意見を残し、あとで再確認するための記録です」

 俺は少し黙った。

 言った、言わない。
 そんな話は、どこにでもある。

 職場でもそうだった。
 誰かが言ったことが、いつの間にか変わる。
 上司の都合で、話が変わる。
 こっちの言い分は、なかったことになる。

 リアルで話し合うだけでは、結局、強い人間の記憶が残る。
 弱い人間の言葉は消える。

 それなら、チャットに残る方がマシかもしれない。

「でも、全部は記録できませんよね」

 俺が言うと、案内役は頷いた。

「はい。廊下での会話、個室での密談、外出中の会話、個人的なDMまでは記録できません」

「じゃあ、抜け道だらけじゃないですか」

「完全な仕組みではありません」

 案内役は言った。

「ただ、重要な合論、ルール変更、代表者の伝達、カウンセラーの介入は記録できます。全部を監視するのではなく、生活ルールを作る過程をできるだけ見えるようにします」

「信用してないみたいですね」

「信用するために、記録します」

 その言い方は、少し引っかかった。

 信用しているから記録しない。
 そういう考えもある。

 でも、信用するために記録する。

 そういう考えもあるのかもしれない。

 その時、食堂の隅から、妙な電子音声が聞こえた。

「共同食ルール合論に、新しい要請が追加されました」

 俺は振り向いた。

 そこに、段ボールがいた。

 いや、段ボールで作られた何かがいた。

 小さな箱を二つ重ねたような体。
 丸く切った紙の腕。
 胸には、マジックで書かれた文字。

【試作型シビックカウンセラー】

 顔の部分には、スマホが貼り付けられていた。

 俺は、しばらくそれを見つめた。

「……なんですか、あれ」

「試作型の自動カウンセラーです」

「段ボールじゃねえか」

「はい。初期型なので」

「初期型にも限度があるだろ」

 案内役は真面目な顔で言った。

「軽い合論の補助に使います。GVSの提案を読み上げたり、攻撃的な言葉を観察・感情・ニーズ・要請へ戻したり、必要に応じて人間のカウンセラーを呼びます」

「これが?」

「はい」

 段ボールのスマホ画面に、簡単な顔のアイコンが表示されている。

 丸い目。
 横線の口。

 ふざけているようにしか見えない。

 だが、その間抜けさが、逆に少しだけ安心感を出していた。

 スーツを着た偉そうなカウンセラーに説教されるよりは、段ボールの方がマシかもしれない。

「記録もこいつがするんですか」

「一部は記録します。会話の要約、提案と要請への変換、未反映意見の確認などです」

「全部録音するんですか」

「すべてではありません。記録対象の合論や、参加者が同意した話し合いが中心です」

「じゃあ密談は記録できない」

「できません」

「それでいいんですか」

「完全な監視は目的ではありません」

 案内役は言った。

「段ボールカウンセラーは、人を裁くための機械ではありません。話し合いを合論に戻すための補助です」

「合論に戻す?」

「攻撃や愚痴を、観察、感情、ニーズ、要請に戻します。記録は、相手を責めるためではなく、もう一度確認するために使います」

 段ボールカウンセラーが、電子音声で続けた。

「記録は、人を裁くためではありません。記憶違いを減らし、次の合論へ接続するために使います」

 俺は段ボールを見た。

「お前が言うと、なんか腹立つな」

「その発言は、軽度の反発として記録されました」

「記録するな」

 近くの参加者が少し笑った。

 俺も、少しだけ笑ってしまった。

 案内役は言った。

「初期は、人間のカウンセラーや協力的コミュニケーション研究部のメンバーが同席します。段ボールカウンセラーは補助です」

「そこまでしないと駄目なんですか」

「はい。共同生活は、金稼ぎより難しい場合があります」

 その言葉は、妙に重かった。

 俺は周りを見た。

 金がない人間。
 仕事で疲れた人間。
 副業に失敗した人間。
 家族とうまくいかなかった人間。
 社会に居場所がなかった人間。

 そういう人間が、廃校に集まっている。

 その全員が、きれいな心を持っているわけではない。
 俺だってそうだ。

 腹も立つ。
 嫉妬もする。
 楽をしたい。
 得をしたい。
 人と関わりたくない。
 でも、金は欲しい。
 助けてほしい。
 認められたい。

 そんな人間たちが一緒に暮らす。

 たぶん、飯だけで揉める。

 掃除でも揉める。
 音でも揉める。
 金でも揉める。
 恋愛でも揉めるかもしれない。
 部活の成果でも揉める。
 報酬でも揉める。

 揉めないわけがない。

「ここでは、匿名のまま終わらせません」

 案内役が言った。

「ただし、いきなり名指しでぶつけることもしません」

「どういうことですか」

「まずオフラインモードで、要請を整えます。その後、必要に応じてリアルGVSで本人同士、または関係者同士が確認します」

「匿名は逃げ場じゃないってことですか」

「はい。生身で話す前の下ごしらえです」

 俺は、少しだけ納得した。

 アドラー心理学とか、協力的コミュニケーションとか、そういう言葉はまだよく分からない。

 ただ、いきなり本人に言えと言われても無理なことはある。
 逆に、匿名のまま陰口みたいに終わるのも嫌だ。

 なら、間に一段階置く。

 言葉を整える。
 要請に変える。
 その上で、必要なら顔を合わせる。

 面倒だ。

 でも、いきなり怒鳴り合うよりはマシかもしれない。

 案内役は、端末を閉じた。

「宿泊体験に進む場合は、初期安全ルールへの同意が必要です」

 俺は顔を上げた。

「ここからですか」

「はい。ここまでは見学です。宿泊、共同食、部活体験、生活合論に参加する場合は、初期安全ルールに同意していただきます」

 画面に、ルールが表示された。

【初期安全ルール】
・金銭貸借は、原則として直接行わず、GVSに要請化する
・外部勧誘、商材販売、無断の投資勧誘は禁止
・無断撮影、無断録音、無断投稿は禁止
・個室への無断立ち入りは禁止
・暴力、脅迫、性的接触の強要は禁止
・共有スペースの長時間占有は生活合論の対象
・ルール違反が起きた場合、まず安全確保、その後GVSで再合論
・初期安全ルールは、生活合論で変更提案できる
・ただし、変更されるまでは現行ルールに従う

 俺は、画面を眺めた。

「結構、縛りますね」

「はい」

「自由じゃないですね」

「完全な自由ではありません」

「そういうの、嫌がる人もいるんじゃないですか」

「います」

 案内役は、まっすぐ言った。

「なので、同意できない方は体験参加に進めません」

「厳しいな」

「ルールを変える自由はあります。ですが、ルールなしで入る自由はありません」

 その言葉で、少し黙った。

 ルールを変える自由はある。
 でも、ルールなしで入る自由はない。

 管理されている。
 確かにそうだ。

 でも、管理されていない場所で、俺は何度も嫌な思いをした。

 副業の情報を探せば、商材に誘導される。
 相談すれば、努力不足と言われる。
 掲示板では、強い言葉の人間が勝つ。
 弱っている人間は、狩られる。

 何でも言える場所は、何でも言える人間にとっては楽園なのかもしれない。
 でも、弱っている人間にとっては、ただの狩場になることもある。

 俺は、初期安全ルールの画面を見た。

 気持ち悪さはある。
 だが、必要なのかもしれない。

 少なくとも、ここでは、管理する側も監査される。
 ルールも変えられる。
 合論もできる。
 文句も要請に変換される。

 それなら、ただ黙って従うよりはマシだ。

 俺は、ため息をついた。

「同意しないと泊まれないんですよね」

「はい」

「じゃあ、同意します」

 画面の下に、ボタンが表示された。

【初期安全ルールに同意して体験参加へ進む】

 俺は少し迷ってから、押した。

 その瞬間、段ボールカウンセラーが電子音声で言った。

「体験参加を確認しました。共同生活で困ったことがあれば、観察、感情、ニーズ、要請に分けて入力してください」

 俺は段ボールを見た。

「お前に言われると腹立つな」

「その発言は、軽度の反発として記録されました」

「だから記録するな」

 また、近くの参加者が笑った。

 その時、食堂の端で、また声が上がった。

「すみません。大盛りを申請した人の追加負担って、今日からですか?」

「いや、まだ現行ルールでは普通盛りと同じです」

「でも、それだと食べる量が少ない人が損じゃないですか?」

「料理部の負担ポイントも、まだ反映されてないですよね?」

「白米なしの人は、代わりに卵を増やせますか?」

「それ、卵の数が足りなくなりません?」

 案内役は、落ち着いた声で言った。

「その件は、共同食ルール合論に追加してください。必要ならサブルームを作成します。次回の第一合論メンバーで確認します」

 俺は、手元の味噌汁を見た。

 湯気はまだ少し残っていた。

 金稼ぎの学校に来た。
 なのに、最初に出てきたのは飯だった。

 しかも、その飯ですでに揉めている。

 ただ、その揉め事は、怒鳴り合いにはなっていなかった。

 画面に残る。
 提案になる。
 要請になる。
 第一合論メンバーに渡る。
 リアルGVSで確認される。
 必要なら、またオフラインモードに戻る。

 面倒くさい。

 でも、ただ空気で決まるよりはマシかもしれない。

 俺は味噌汁を飲み干して、心の中で呟いた。

 金じゃなくて飯の話かよ。
 しかも、結局揉めてるじゃねえか。

第二十四話 解説

目次

金の話をする前に、なぜ飯の話をするのか

第二十四話では、主人公がシェア村に到着した後、最初に案内される場所として「共同食スペース」を描きました。

前話の第二十三話では、シェア村を「金稼ぎの学校」として紹介しました。副業、SNSナビゲーター、ライター部、動画編集部、AI活用部など、いかにも収益化につながりそうな部活が並びます。

しかし、次に主人公が案内されたのは、配信室でも作業室でもなく、旧給食室でした。

主人公からすれば、

金じゃなくて飯の話かよ!

という違和感があります。

ただ、生活を立て直すという意味では、食事はかなり重要です。

お金がない人は、単に収入が少ないだけではありません。
食事が乱れ、睡眠が乱れ、体力が落ち、判断力が落ち、副業や転職活動をする気力も削られていきます。

つまり、金銭問題は、食事・睡眠・健康・人間関係・生活リズムとつながっています。

だからシェア村では、いきなり「稼ぎ方」だけを教えるのではなく、まず食事を整えます。

これは貧困者を管理するためではなく、生活を立て直す土台を作るためです。

共同食は、単なる節約ではない

今回出てきた共同食は、ただ安い飯を出す仕組みではありません。

共同食には、複数の意味があります。

食費を下げる。
栄養を安定させる。
生活リズムを整える。
料理部や食費改善部の活動ログにする。
安くて満腹になるレシピの実証データを集める。
企業や支援者からの協力を受けやすくする。
参加者が「生活を立て直す実践ログ」を出せるようにする。

つまり、飯を作ることも、飯を食うことも、GVS活動やシビックドライブの一部になります。

ここが普通のシェアハウスや共同生活施設との違いです。

シビックドライブでは、生活の不便や困りごとそのものが、提案・要請・実践ログになります。

「食費が高い」
「白米を食べると眠くなる」
「料理担当の負担が重い」
「大盛りの人と少食の人で不公平感がある」
「アレルギーや体調に配慮したい」

こうした小さな生活問題も、GVSでは合論の対象になります。

飯だけでも揉める

今回の最後では、共同食をめぐって早速揉め始めます。

食べる量が多い人はどうするのか。
少食の人は損をしないのか。
白米なしも選べるのか。
料理部ばかり負担が大きくないか。
大盛りの追加負担はどうするのか。

これは、かなり生活臭い問題です。

しかし、共同生活ではこういう問題こそ重要です。

壮大な社会改革や、戦争・犯罪・搾取的労働の解決を語っていても、実際の生活では「誰が皿を洗うのか」「誰が多く食べたのか」「掃除当番は誰なのか」で揉めます。

そして、こうした小さな揉め事を扱えない仕組みは、大きな社会問題も扱えません。

シビックドライブは、いきなり世界を変える魔法ではありません。
まず、飯の量で揉める人間たちが、どうやって仲間として話し合えるか。
そこから始まります。

オフラインモードとリアルGVS

今回の重要な設定は、GVSの「オフラインモード」と「リアルGVS」です。

オフラインモードは、アプリを使わないという意味ではありません。

通常のオンラインGVSは、オンライン上の参加者からランダムにメンバーが選ばれます。
一方、オフラインモードは、現実に同じ場所で暮らしている人、同じ部屋、同じ部活、同じ担当など、固定メンバーで合論できるモードです。

シェア村では、このオフラインモードを使って、生活上の問題を扱います。

共同食、掃除、夜間通話、共有スペース、金銭貸借、部活予算などを、アプリ上で提案・要請・協力可能性に変換します。

ただし、アプリだけで終わらせるわけではありません。

オフラインモードで材料を集めた後、実際に顔を合わせて話し合う。
それがリアルGVSです。

この流れによって、アプリだけの空論にもならず、全員集合の非効率な会議にもならない形を目指しています。

ログは監視か、信用の土台か

今回、オフラインモードではログが残るという話も出しました。

誰が何を提案したか。
どの要請が出たか。
誰が何に協力できると言ったか。
代表者が第二合論へ何を持っていったか。
どの意見が採用・保留・未反映になったか。
カウンセラーやナビゲーターがどう介入したか。

これらが記録されます。

これは確かに監視でもあります。

しかし、記録がないと「言った・言わない」が起こります。
代表者が勝手に要約するかもしれません。
少数意見が消えるかもしれません。
カウンセラーやナビゲーターが無意識に誘導するかもしれません。

リアルな話し合いだけでは、空気や記憶によって、弱い立場の人の意見が消えてしまうことがあります。

だから、GVSではログを残します。

ただし、これは人を裁くためだけの記録ではありません。
記憶違いを減らし、少数意見を残し、あとで再合論できるようにするための記録です。

作中の言葉で言えば、

信用するために、記録する。

という考え方です。

段ボールカウンセラーの意味

今回、試作型シビックカウンセラーとして、段ボールの体にスマホをつけたような簡易AIカウンセラーを出しました。

これは少しギャグのように見えます。

主人公も、

段ボールじゃねえか

と突っ込みます。

しかし、この段ボールカウンセラーは、シェア村の思想をかなり象徴しています。

高級なロボットでも、偉そうな先生でもなく、まずは手作りの補助装置から始める。

役割は、人間を裁くことではありません。
結論を決めることでもありません。

攻撃的な言葉を、観察・感情・ニーズ・要請に戻す。
GVSの提案を読み上げる。
未反映の意見を確認する。
必要なら人間のカウンセラーを呼ぶ。

つまり、段ボールカウンセラーは、話し合いを支配する存在ではなく、話し合いを合論へ戻す補助輪です。

シビックドライブにおけるAIは、人間の代わりに支配するものではなく、人間が協力しやすくなるための道具として扱っています。

アドラー心理学との違い

今回のシェア村GVSは、アドラー心理学的な学級会や家族会議に近い部分があります。

ただし、そのままではありません。

アドラー心理学では、誰が困っているのかを明確にし、本人同士が向き合い、共同体の中で話し合うことが重視されます。

しかし、シェア村は学校のクラスより難易度が高いです。

年齢も違う。
境遇も違う。
精神状態も違う。
生活習慣も違う。
金銭的な切実さもある。
教師のような強い管理者もいない。

その状態で、いきなり名指しでぶつかれば、攻撃・防衛・離脱・暴力が起こる可能性があります。

だから、シェア村ではまずGVSで要請を整えます。

匿名や半匿名は、責任から逃げるためではありません。
生身で向き合う前に、言葉を整えるためのクッションです。

最終的には、必要に応じて本人同士・関係者同士がリアルGVSで確認します。

つまり、GVSは対話の代替ではなく、対話に入る前の下ごしらえです。

今回のテーマ

今回のテーマは、かなりシンプルです。

金を稼ぐ前に、生活を整える。
生活を整えるには、飯だけでも揉める。
その揉め事を、提案と要請へ変換する。

シビックドライブは、壮大な思想だけでは成立しません。

飯をどう分けるか。
誰が作るか。
誰が片付けるか。
大盛りの人はどうするか。
少食の人はどうするか。

こういう小さな生活問題を扱えるからこそ、現実の社会システムになり得ます。

第二十四話は、シェア村編の入口であり、生活合論編の始まりです。

主人公はまだ納得していません。

ただ、少なくとも思い始めています。

面倒くさい。
でも、ただ空気で決まるよりはマシかもしれない。

シビックドライブは、この「マシかもしれない」から始まります。

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