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第三十八話 工場はエンターパークではありません

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支援対象に選ばれた工場

 人類変革は、国会議事堂から始まったわけではない。

 巨大企業の本社でも、革命広場でも、大学の研究室でもなかった。

 福野県の片隅にある、眼鏡フレーム工場。

 鯖川フレーム製作所。

 その社長室の応接机を挟んで、私は一人の社長と向かい合っていた。

 小泉知事は、県議会対応で来られなかった。

 今日は私が、知事の代理としてここに来ている。

 向かいに座るのは、鯖川フレーム製作所の社長、鯖川隆一。

 六十代前半。

 創業家の三代目。

 穏やかな笑みを浮かべているが、目はよく動く。

 利益になる話かどうかを、一瞬で見極める目だった。

「つまり、白瀬さん」

 鯖川社長は、資料をめくりながら言った。

「わが社が、福野県の若者定着モデルの第一号に選ばれたと」

「はい」

「そして、工場内GVSボード、巡回カウンセラー、工場内ラジオ、発信設備、工場改革チャンネル。その導入費用については、県と政府の支援対象になる」

「その予定です」

「ほほう」

 鯖川社長は、短く息を漏らした。

 表情は崩さない。

 だが、内心は小躍りしているだろう。

 無理もない。

 民間の一工場が、県のモデル事業第一号になる。

 設備費も、人材費も、発信費も、一部は公的支援で賄われる。

 若者採用にもつながる。

 全国に社名が出る。

 断る方が難しい話だった。

「これは、ありがたいお話ですな」

「ありがとうございます。ただ、事の本質は支援金ではありません」

 私は、少しだけ釘を刺した。

 鯖川社長は、すぐに笑顔を作った。

「分かっていますとも。シビックドライブとやらの改革対象に、わが社が選ばれたのですよね」

「はい」

「県民の合論で選ばれた。光栄なことです」

 言葉だけなら、完璧だった。

 だが、私は少しだけ違和感を覚えた。

 この人は、まだシビックドライブを見ていない。

 見ているのは、支援金と知名度と採用効果だ。

 それでも構わない。

 最初から理念で動く経営者など、そう多くない。

社長は乗り気、現場は反対

「それで、いかがでしょうか」

 私は聞いた。

「お受けいただけますか」

「私としては、ぜひお受けしたい」

 鯖川社長は、すぐに言った。

 やはり、受ける気はある。

 だが、そこで言葉を切った。

「しかし、社員が何と言うか」

「社員の反応、ですか」

「ええ。社長の私が面白がって、現場を見世物にした。そう思われたら終わりです」

 それは正論だった。

 撮影されるのは社員。

 カウンセラーに割って入られるのも社員。

 GVSボードに不満を書かれるのも社員。

 工場インフルエンサーなどという新しい役職が生まれて、空気が変わるのも社員。

 社長は、毎日ラインに立つわけではない。

 現場の痛みを引き受けるのは、別の人間だ。

「では、断るおつもりですか」

「そうとは言っておりません」

 鯖川社長は、少しだけ身を乗り出した。

「合論でわが社が選ばれたことは光栄です。社員たちの一部も、すでに湧いているようです。若手は特に」

「では」

「ただ、そうでない社員もいます。ベテランも、パートも、現場の管理職もいる。そこに考慮していただきたい」

 責任をこちらに押し付ける気か。

 一瞬、そう思った。

 自分は支援金と注目を受け取りたい。

 だが、現場が揉めた時の説明は行政とシビックドライブ側に任せたい。

 そんな本音が見えた気がした。

 だが、私はそれを飲み込んだ。

 まだ、シビックドライブは十分な結果を出していない。

 受けてくれただけでも、ありがたいと思うべきだ。

「もちろん、考慮いたします」

 私は答えた。

「小泉知事も、まずは若者定着モデルを作り、最大の問題に取り組んだうえで、工場全体の調整へ広げる予定です」

「そう。そこです」

 鯖川社長は、指で机を軽く叩いた。

「そこの説明を、しっかりしてくださいよ」

「承知いたしました」

「若者のためだけに工場を変える、と受け取られたら困る。うちは若者だけで成り立っているわけではありません」

「分かっています」

「なら、まずは工場長に話を通してください」

「工場長ですか」

「ええ。現場のことは、彼が一番分かっています」

 数分後、私たちは工場長室に移動した。

 工場長の名前は、黒川誠司。

 五十代半ば。

 太い眉と、固い背中。

 作業着のまま現れたその男は、席に着くなり資料を見た。

 そして、開口一番に言った。

「工場はエンターパークではありませんよ」

 私は、思わず言葉を止めた。

 黒川工場長は、資料を机に置いた。

「工場内ラジオ。撮影。インフルエンサー。巡回カウンセラー。GVSボード」

 一つずつ読み上げる。

「現場を何だと思っているんですか」

「若者定着のためのモデル事業です」

「行政だからといって、民間の事業に口を出さないでいただきたい」

「社長からは、前向きなお返事をいただいています」

「社長が何と言おうが、私は反対です」

 黒川の声は、はっきりしていた。

 社長のような笑顔も、遠回しな言い方もない。

 現場に来る負担を、自分が受け止める立場だと分かっている声だった。

「撮影が入れば、作業の集中が乱れます。カウンセラーが巡回すれば、指導ひとつにも気を使う。GVSボードに不満を書けるようにすれば、個人攻撃になる危険もある」

「そこは変換とルールで」

「ルールで現場が回るなら苦労しません」

 言い返せなかった。

 黒川の言葉には、現場の重さがあった。

「それに、若者が辞めているのは事実です」

 黒川は続けた。

「そこは認めます。若い社員が続かない。入っても数年で辞める。親御さんから苦情が来たこともある」

「では」

「だからといって、工場を見世物にすれば解決するとは思えません」

 私は、資料を閉じた。

 ここで押しても無理だ。

 黒川は、補助金にも、知事案件にも、チャンネルの注目にも釣られない。

 彼が見ているのは、明日のラインが回るかどうかだ。

拒絶ではなく条件を出す

「分かりました」

 私は言った。

「しかし、もう一度だけ話す機会をいただけませんか」

「話すくらいなら、いくらでも」

 黒川は即答した。

 意外だった。

「厳しいことを言いましたが、支援対象としてわが社を選んでいただいたこと自体は感謝しています」

 黒川は、少しだけ声を落とした。

「若い社員が続かないことも、本当に困っています」

「では、次回は現場の不安をGVSにかけさせてください」

「不安を?」

「はい。改革を受けるかどうかではなく、どういう条件なら受け入れられるかを、現場の方々に出していただきたいのです」

 黒川は、しばらく私を見ていた。

「条件なら、山ほどありますよ」

「その方が助かります」

「助かる?」

「条件が出れば、調整できます。何も出ないまま拒否されるより、ずっといい」

 黒川は、鼻で笑った。

「変な人だ」

「よく言われます」

「では、また連絡してください」

「ありがとうございます」

 工場を出るころには、空が少し曇っていた。

 私は車に乗り込む前に、鯖川フレーム製作所の外観を振り返った。

 古い建物。

 灰色の壁。

 駐車場に並ぶ軽自動車。

 どこにでもある地方の工場。

 人類変革。

 そんな大げさな言葉とは、あまりにも遠い場所に見えた。

 だが、たぶん歴史は、そういう場所から動く。

 社長は支援金に目を輝かせた。

 工場長は現場を守ろうと反対した。

 若者は未来が見えないと言った。

 知事は県を変えると宣言した。

 その全部を、ひとつの場に出す。

 そこからしか、シビックドライブは始まらない。

 私は端末を開き、新しいGVSテーマを作成した。

【鯖川フレーム製作所・関係者GVS】

【テーマ】
工場改革を受け入れるための条件を出してください

【実行案】
私は、鯖川フレーム製作所でシビックドライブ工場改革を始める前に、現場の不安と協力できることを整理します。

【要請】
もしよければ、社員、元従業員、応募希望者、関係者の方は、撮影、巡回カウンセラー、GVSボード、工場内ラジオ、工場インフルエンサー職について、不安な点と協力できる点を共有していただけませんか?

 送信。

 まだ、何も始まっていない。

 だが、拒絶ではなく条件が出た。

 それだけで、最初の扉は開いていた。

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