
辞める若者、残るベテラン
鯖川フレーム製作所は、正式にシビックドライブ工場改革を受け入れた。
その翌朝。
工場の空気は、明らかに変わっていた。
いつもなら、社員は黙ってタイムカードを押し、作業着に着替え、ラインへ向かう。
だが、その日は違った。
誰もがスマホを見ていた。
アメリカのニュース。
スイスの討論番組。
北欧の労働政策チャンネル。
どこを開いても、鯖川フレーム製作所の名前が出てくる。
「俺たち、世界に見られてるのか?」
若手社員の一人が、呆然とつぶやいた。
「やばいっすね」
「工場インフルエンサー職、マジでできるんですか?」
「俺、応募したいかも」
盛り上がる若手がいる一方で、顔色の悪い若手もいた。
昼休み。
一人の若手社員が、黒川工場長の前に立った。
「工場長。すみません」
「どうした」
「自分、辞めます」
黒川は黙った。
若手は、申し訳なさそうに続けた。
「この流れが悪いとは思ってません。でも、自分は目立ちたいわけじゃないんです。普通に静かに働きたかっただけなので」
黒川は、しばらくその顔を見ていた。
「分かった」
「すみません」
「謝るな。手続きは穏便に進める」
若手は、少し驚いた顔をした。
黒川自身も、自分の口からそんな言葉が出たことに少し驚いていた。
一方で、ベテランたちは意外なほど落ち着いていた。
「世界に見られてるんだってよ」
「へえ」
「俺の研磨も映るのか」
「映るなら手元だけにしろ。顔はいらん」
「スイスってどこだ」
「ヨーロッパだろ」
「じゃあ、俺の研磨もヨーロッパか」
ベテランの一人が、少しだけ笑った。
若者ほど未来の選択肢を気にしていない。
何十年も、この工場で働いてきた。
いまさら外へ出るつもりもない。
むしろ、自分たちの技術が世界に見られているという事実に、少しだけ悪くない気分になっていた。
黒川は、その様子を見て眉間にしわを寄せた。
若者は辞める。
ベテランは残る。
工場は変わる。
だが、変わる速度が速すぎる。
応募者が門に押し寄せる
午前十時。
工場の正門前は、すでに人で埋まっていた。
県外ナンバーの車。
レンタカー。
スマホを構える若者。
自撮り棒を持った配信者。
マイクを持った記者。
英語で話す外国人。
警備員は、朝から何度も同じ説明を繰り返していた。
「予約のない方は入れません」
「面接はオンライン受付です」
「撮影許可のない撮影はご遠慮ください」
だが、誰も聞かない。
「俺、動画編集できます! 工場インフルエンサー枠で雇ってください!」
「若者定着モデルなんですよね? 若者が来たんですよ!」
「なんで面接してくれないんですか!」
「ここに入ればバズれるって聞いたんですけど!」
守衛が止める。
配信者が叫ぶ。
周囲のカメラが一斉に向く。
通勤してきたパート社員が、ぎょっとして後ずさった。
「何これ……」
「うちの工場よね?」
そのうち、一人の配信者が勝手に敷地内へ足を踏み入れた。
警備員が止める。
揉める。
誰かが通報する。
数分後、警察車両が到着した。
黒川は二階の窓からそれを見て、頭を押さえた。
「だから言ったんです。工場はエンターパークではないと」
隣に立つ鯖川社長も、顔を青くしていた。
「いや、しかし……応募者が殺到しているのは、悪いことではない……のか?」
「社長。あれは応募者というより、配信者です」
「……そうか」
社長は、現実逃避するように正門の群衆を眺めた。
「いや、しかし、注目されているのは事実だ」
「作業の邪魔です」
黒川は即答した。
その直後、メディアの一団が黒川を見つけた。
「黒川工場長! 今回のシビックドライブ導入について、現場としてどう受け止めていますか?」
「工場インフルエンサー制度は、社員の同意を得ていますか?」
「海外投資家が注目していますが、現場は対応できるのでしょうか?」
黒川は、マイクの群れを見て短く答えた。
「作業の安全を最優先します」
「それだけですか?」
「それだけです」
そう言って、工場の中へ戻った。
福野県がパンクする
混乱は、工場だけでは終わらなかった。
鯖川町の駅前には、見慣れない人間があふれ始めた。
ホテルは満室。
民泊予約は一瞬で埋まった。
駅前のタクシー乗り場には長蛇の列。
コンビニの駐車場には県外ナンバーが並び、道の駅には海外から来たGVSプレイヤーが集まっていた。
主婦たちは、スーパーの入口で立ち止まった。
「ねえ、なんで駅前に外国人があんなにいるの?」
「鯖川フレームって、あの地味な工場でしょ?」
「何が起きてるの?」
町内放送が流れた。
「鯖川フレーム製作所周辺は混雑しています。不要不急の通行はお控えください」
いつもの町ではなかった。
鯖川町の人口密度は、一時的に東京の繁華街並みになったと報じられた。
福野県庁にも電話が殺到した。
「宿が足りない」
「道路が詰まっている」
「外国人の案内はどうするのか」
「町内会で対応できる規模ではない」
小泉知事は、県庁の災害対策室に近い部屋で、画面を見つめていた。
「これは地方再生なのか」
誰にも聞こえない声でつぶやく。
「それとも、県がパンクしているだけなのか」
日本の首相も、記者会見で言及した。
「福野県で発生している大規模な人流について、政府としても県と連携し、交通、宿泊、治安、外国人対応を支援していきます」
各国政府も反応した。
アメリカ。
スイス。
北欧諸国。
それぞれが、自国民に注意喚起を出した。
シビックドライブの熱狂は、いつの間にか国際問題になっていた。
レオとジェイデンの出番
その混乱を見て、レオ・グラントは笑っていた。
隣にはジェイデンがいる。
「ジェイデン」
「はいはい」
「俺たちの出番だぜ」
レオは、すぐに配信を始めた。
「鯖川町に集まっているGVSプレイヤー、ナビゲーター、シビックヒーローズの仲間たち! 今すぐ民間ボランティアを組織する!」
画面に指示が流れる。
通訳班。
交通誘導補助班。
宿泊案内班。
ゴミ回収班。
迷惑配信者誘導班。
GVS登録案内班。
地元住民苦情受付班。
ジェイデンは、笑いながら多言語で呼びかけた。
「日本のお友達を困らせちゃだめだよ! 遊びたいなら、まず町を助けよう!」
数時間で、数百人のボランティアが集まった。
だが、警察は当然、簡単には受け入れなかった。
「民間人が勝手に交通整理をしないでください」
「警備区域に入らないでください」
「指示系統が不明です」
レオは、そのやり取りも生配信した。
「だったら首相と交渉させろ!」
警察官は顔をしかめた。
「そういう問題ではありません」
「こっちはアメリカ大統領のお墨付きだ!」
「何を言っているんですか」
その数分後。
本当にアメリカ大統領の短い声明が流れた。
「私は、レオ・グラント氏による民間協力活動を支持します。日本政府および関係機関と連携し、安全で秩序ある市民協力が進むことを期待します」
日本側は沈黙した。
そして、上から話が降りてきた。
県警、自衛隊、県庁、町役場、レオ側の民間ボランティアが、急きょ連携会議に入る。
自衛隊は治安維持ではなく、後方支援として動いた。
人流整理。
輸送支援。
通訳拠点の設営。
外国人来訪者の誘導。
万が一のテロ警戒。
鯖川町は、地方の小さな町ではなくなっていた。
世界中から押し寄せた熱狂を受け止める、巨大な実験場になっていた。
バブルと胴上げ
熱狂は金融市場にも飛び火した。
鯖川フレーム製作所そのものは未上場だった。
しかし、親会社である福野精工ホールディングスの株価が急騰した。
ネット証券のランキングには、見慣れない銘柄名が並んだ。
【福野精工HD ストップ高】
【GVS工場改革関連銘柄として物色】
【地方製造業×シビックドライブに海外投資家が注目】
SNSでは、投資家たちが叫んでいた。
「今は鯖川を買え!」
「GVS工場改革銘柄、第二波来るぞ」
「福野県関連、全部見直しだ」
鯖川社長は、地元金融機関と株主、取引先が集まる小さなパーティに呼ばれた。
会場は異様な熱気に包まれていた。
「鯖川さん! 世界に見つかりましたな!」
「福野県の誇りですよ!」
「社長、これはもう地方製造業の革命です!」
社長は、作り笑いを浮かべた。
内心では、胃がひっくり返りそうだった。
だが、周囲はそんなことを気にしない。
「胴上げだ!」
「社長を胴上げだ!」
「いや、私はそういうのは」
言い終える前に、鯖川社長の身体が宙に浮いた。
「わっ、ちょ、ちょっと!」
会場が笑いに包まれる。
誰かが動画を撮る。
その動画もまた拡散される。
白瀬は、匿名シビック政治チャンネルの管理画面を見ていた。
【鯖川フレーム製作所密着シリーズ】
再生数:一億回突破
「政治コンテンツで、一億再生……」
白瀬は、思わずつぶやいた。
これは政治なのか。
社会現象なのか。
それとも、新しい種類のバブルなのか。
判断はつかなかった。
ただ一つだけ分かることがある。
鯖川フレーム製作所は、もう静かな地方工場には戻れない。
福野県も、もうただの地方県ではいられない。
GVSには、また新しいテーマが立ち上がっていた。
【背景カード】
鯖川町では、鯖川フレーム製作所への注目により、来訪者、応募希望者、配信者、海外GVSプレイヤーが急増している。交通、宿泊、治安、住民生活への影響が出始めている。熱狂を受け止めつつ、地域住民の生活を守る必要がある。
【実行案】
私は、鯖川町に押し寄せる来訪者を、住民生活を守りながら受け入れるためのルール案を作ります。
【要請】
もしよければ、住民、町役場、警察、工場関係者、来訪者、ナビゲーターの方は、困っていることと協力できることを共有していただけませんか?
白瀬は、深く息を吐いた。
工場改革は、まだ始まったばかりだった。
だが、問題はもう工場の外へあふれ出している。
地方再生は、成功しすぎても災害になる。
その事実を、福野県は世界で初めて知ることになった。
