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第三十六話 シビックドライブによる地方再生計画

目次

匿名知事、撮影開始

 巨大モニターの中央に、モザイクのかかった男が映っていた。

 表示名は、匿名知事。

 背景はぼかされ、声も低く加工されている。

 もちろん、私はその正体を知っている。

 福野県知事、小泉純也。

 仕事はある。
 だが、若者が残らない。

 地味な製造業が県を支えているのに、その仕事が若者の未来として見えていない。

 今日の撮影は、その問題をGVSにかけるためのものだった。

「今回は番組への参加、ありがとうございます」

 私は、加工された声で言った。

「こちらこそ」

 小泉は短く答えた。

 声は落ち着いている。

 だが、歓迎されている感じはなかった。

 まだ疑われている。

 それでいい。

 最初からGVSを信じている政治家では、意味がない。

「では早速ですが、現在の福野県……いえ、匿名県の問題として、率直に言って何が一番大きいですか?」

 小泉は、少しだけ間を置いた。

「やはり一番の問題は、働き盛りの層の県外流出でしょう」

 画面に、右肩下がりのグラフが表示された。

 二十代。

 三十代。

 県外転出。

 福野県から、未来を担う世代が少しずつ消えていく。

「働き口自体はあります。人手不足の企業も多い。工場もある。地元産業もある。ですが、若者の数は年々減り続けている」

「仕事はあるのに、若者が残らない」

「そうです」

 私はうなずいた。

「では、その問題をGVSのメインテーマに設定し、トークルームを立ち上げましょう」

 小泉の表情は見えない。

 だが、空気が少し冷えたのが分かった。

「分かりました」

 声は平静だった。

 しかし、期待している声ではなかった。

 まあ、やってみればいい。

 その程度だろう。

 私は、巨大モニターにメインテーマを表示した。

【メインテーマ】
仕事はあるのに、若者が県外へ出ていく地方県をどう変えるか

【実行案】
地元に仕事があるにもかかわらず若者が県外へ出ていく理由を、若者、親世代、県外在住者、地元企業、それぞれの立場から整理します。

【要請】
もしよければ、地元に残りたい条件、戻りたい条件、地元企業に改善してほしいこと、行政に求めたいことを共有していただけませんか?

 送信。

 次の瞬間、参加枠が一気に埋まった。

 五人。

 二十五人。

 百二十五人。

 事前に設定していた参加枠が、数秒で埋まっていく。

県政に参加する視聴者たち

 モニターには、複数の第一合論ルームが並んだ。

 RoomA。

 RoomB。

 RoomC。

 RoomD。

 RoomE。

 それぞれ五人。

 それぞれの背景カード。

 それぞれの実行案と要請。

 小泉が、わずかに前のめりになったように見えた。

「匿名ナビゲーターさん」

「はい」

「事前の説明では、マッチングには時間がかかるとのことでしたが」

「通常はそうです」

「NVC診断と背景カードの作成時間がないように見えます」

「今回は、事前に告知しておきました」

 私は説明した。

「このテーマに参加したい方には、事前にNVC診断、背景カード作成、練習ルームへの参加を済ませてもらっています」

「練習まで?」

「はい。参加希望者が多かったため、今回は抽選です。全員参加はできませんでした」

「ほう」

 加工された声に、少しだけ関心が混じった。

「なぜ人数に制限を?」

「今回の合論は、第三合論までと設定しているためです」

 私は簡単な図を出した。

 五人で第一合論。

 代表者が第二合論へ。

 さらに代表者が第三合論へ。

「GVSでは、五人までの話し合いが基本になります。参加人数を増やす場合、ルーム数を増やすか、合論の回数を増やす必要があります」

「メンバーを五人に保つなら、合論回数を増やすしかない」

「その通りです」

「番組に参加できた視聴者は、感動するでしょうね」

「もちろん、感動すると思います」

 私は答えた。

「ですが、それはメディアに参加できたからではありません」

「では?」

「県政に参加できたからです」

 小泉は、そこで黙った。

「なるほど」

 加工された声が低く響く。

「私はまだ、その部分には懐疑的です」

「分かっています」

「結果を見てみましょう」

 その時、第一合論の一部が画面に表示された。

 RoomAのテーマは、地元仕事のリアルログだった。

【RoomA-2:実行案】
私は、若者側として、地元企業に応募する前に確認したい項目リストを作ります。仕事内容、給料、夜勤、身につく技術、転職可能性、つらい部分、離職理由を入れます。

【RoomA-2:要請】
もしよければ、地元企業で働いている方や採用担当の方は、良い部分だけでなく悪い部分も含めた実践ログを共有していただけませんか?

【RoomA-4:応答/実行案】
私は、地元企業の採用担当として、仕事内容、給料の目安、夜勤、若手がつまずきやすい点、離職理由をまとめた説明ページのたたき台を作ります。

【RoomA-4:要請】
もしよければ、若者側の方は、説明ページに必ず入れてほしい確認項目をリスト化していただけませんか?

 小泉が、画面をじっと見ていた。

「匿名ナビゲーターさん」

「はい」

「会話のやり取りに違和感があります」

「分かります」

「普通の議論とは違う。反論や感想が少ない」

「これは、意図的にそう設定されています」

「意図的に?」

「はい。GVSでは、実行案、要請、応答、要請という順で話し合いが展開されます」

 私は、RoomAのログに色をつけた。

 実行案。

 要請。

 応答。

 要請。

 それぞれが短く並ぶ。

「こうすると、自分がやることと、他の人にしてほしいことが浮き彫りになります」

 小泉は、しばらく黙って画面を見ていた。

「確かに、そうなっていますね」

 声の温度が、少しだけ変わった。

「これは、調査では分からない声かもしれません」

「はい」

「ただの世論ではない。少し考えられた国民の声、とでも言うべきか」

 私は、その表現をメモした。

 ただし、小泉はすぐに次の疑問を出した。

「しかし、あなたも、この参加者たちも匿名ですよね」

「はい」

「責任能力がないのでは?」

 当然の疑問だった。

「こちらをご覧ください」

 私は画面を切り替えた。

 Xの画面。

 シビックナビゲーターたちの投稿が並んでいる。

 地元仕事リアルログ募集。

 若者流出テーマへの協力要請。

 工場勤務者へのインタビュー募集。

 県外在住者へのアンケート。

 地元企業に向けた説明資料テンプレ。

 本名のアカウントもある。

 ハンドルネームのアカウントもある。

 だが、どちらも実際に動いていた。

「GVSのシビックドライバーたちの実行案を、シビックナビゲーターが拾い上げ、外部で応答事業として動かしています」

「匿名の声を、実名または活動名を持つ人間が外へ運ぶわけですか」

「はい。全員が実名である必要はありません。ただ、現実に動く段階では、誰かが責任を持って接続する必要があります」

 その時だった。

 小泉の横から、別の声が入った。

 おそらく秘書か政策補佐官だ。

「先生。知事の公式アカウントにも、シビックナビゲーターと思われる方々からメッセージが届いています」

 小泉が、少しだけ横を向いた。

「そうですか。確認してみます」

 数秒後、小泉が言った。

「なるほど」

 声に、少しだけ驚きが混じっていた。

「私にしてほしいこと。協力できること。その二つが書かれている」

「はい」

「ただの陳情ではないですね」

「GVS由来の要請は、できるだけその形に整えています」

「しかし、ナビゲーターにも代表者がいるのですか?」

「代表者というより、まとめ役に近いですね」

「GVSの画面では実行案が散らばって見える。ですが、このメッセージではかなりまとまっている」

「今回は、私たちの側でAI要約を使い、整理しました」

「いつの間に?」

「正確には、私のスタッフです」

「物の数分で?」

「AI要約はリアルタイムで行われます」

 小泉は、しばらく黙った。

 おそらく、頭の中で仕組みを組み立て直している。

 GVSの中で声が出る。

 ナビゲーターが拾う。

 AIが要約する。

 Xで動く。

 知事のアカウントに要請が届く。

 知事が返答する。

 その返答がまたGVSへ戻る。

 単なるチャットではない。

 意見募集でもない。

 政治家と国民の間に、短い往復が発生している。

要請が応答事業に変わる

「分かりました」

 小泉が言った。

「では、私の返答はこうです」

 私は、録画のタイムラインに目をやった。

 まだ撮影開始から、二十分も経っていない。

 だが、すでに小さな循環が生まれていた。

 GVSの合論。

 ナビゲーターの発信。

 知事への要請。

 知事の返答。

 そして、次の合論。

「地元企業を、若者に選ばれない古い仕事として扱うなら、この企画には協力できません」

 小泉は、はっきりと言った。

「彼らは県を支えてきた人たちです」

「はい」

「ただし、若者の声を無視するつもりもありません。地元企業が守るべき価値と、変えるべき部分を分けて考えてください」

 私は、その言葉をすぐにGVSへ送った。

【新規テーマ】
地元企業を責めずに、若者が選びたくなる仕事へ変えるには

【匿名知事:実行案】
私は、地元企業を古い存在として責めるのではなく、県を支えてきた仕事として尊重したいです。ただし、若者が選びにくい理由も無視できません。

【匿名知事:要請】
もしよければ、地元企業で守るべき価値と、若者向けに変えるべき部分を分けて考えていただけませんか?

 送信した瞬間、新しいトークルームが立ち上がった。

 RoomF。

 RoomG。

 RoomH。

 RoomI。

 RoomJ。

 五人ずつの枠が、また一瞬で埋まっていく。

 小泉が、わずかに前のめりになった。

「また、すぐ埋まるのですね」

「はい」

「まるで、私がその要請を出すことを予測していたようです」

「予測していた、というより、想定される論点がすでに合論されていました」

「想定される論点?」

「はい。GVSでは、一日に無数のトークテーマで合論が行われています。今回の対談についても事前に告知していたため、参加者たちはさまざまな可能性を想定していました」

「例えば?」

「知事が若者流出を問題にした場合。地元企業側が反発した場合。県議会との調整が問題になった場合。財源の話になった場合。ふるさと納税に接続する場合。地元企業を守るべきか変えるべきかという論点も、その一つです」

 小泉は、しばらく黙った。

「つまり、私の発言を一つだけ狙っていたわけではない」

「はい。無数の可能性が、すでに下書きのように合論されていました。知事の要請が出たことで、その中から近い論点が本番のトークルームとして立ち上がった形です」

「……なるほど」

 小泉が、少しだけ笑ったように見えた。

「政策スタッフが百人いるようなものですね」

「正確には、政策スタッフではありません。参加者それぞれが、自分の立場から実行案と要請を出しているだけです」

「しかし、結果としては準備されている」

「はい。GVSは、一つの正解を予測するのではなく、分岐を大量に用意します」

「用意がいい」

「政治家の要請を、一度で終わらせないためです」

 すぐに、新しい合論の一部が映し出された。

【RoomF-1:実行案】
私は、地元企業で守るべき価値と変えるべき部分を分ける表を作ります。守る価値には、技術、地域雇用、職人性、安定した仕事を入れます。変える部分には、長時間労働、説明不足、若手教育の弱さ、閉鎖的な職場文化を入れます。

【RoomF-1:要請】
もしよければ、地元企業で働いている方は、「これは守りたい」「これは変えてほしい」をそれぞれ三つずつ出していただけませんか?

【RoomF-3:応答/実行案】
私は、若者側として、地元企業に応募する前に確認したい項目リストを作ります。給料、夜勤、離職率、仕事内容、身につく技術、人間関係、転職可能性を入れます。

【RoomF-3:要請】
もしよければ、企業側の方は、この項目に答えられる範囲と、答えにくい理由を共有していただけませんか?

【RoomF-5:応答/実行案】
私は、RoomFの意見を匿名知事に渡せる一枚資料にまとめます。若者側の要請と企業側の守りたい価値を分けて整理します。

【RoomF-5:要請】
もしよければ、各メンバーは自分の実行案を一文に短縮して共有していただけませんか?

 小泉は、画面を見たまま黙っていた。

 参加者が、自分の作業を持ち始めている。

 リストを作る人。

 表を作る人。

 企業に聞く人。

 知事に渡す資料をまとめる人。

 それぞれが、自分の役割と、他者への要請を同時に出している。

「なるほど」

 小泉が言った。

「これは、単なる意見ではないですね」

「はい」

「それぞれが、少しずつ作業を持っている」

「それがGVSの基本です」

 私は答えた。

「意見を言うだけではなく、自分が何をするか、他の人に何をしてほしいかを出します」

「だから、話が散らばりにくい」

「はい。完全には防げませんが、普通の議論よりは行動に近づきます」

 小泉は、しばらく黙っていた。

「匿名ナビゲーターさん」

「はい」

「このRoomF-5の一枚資料。完成したら、私に送ってください」

「承知しました」

「ただし、企業を吊し上げる資料にはしないでください」

「もちろんです」

「若者の不満も、企業の不安も、どちらも残してください」

「その形でまとめます」

 画面の端で、RoomF-5がすぐに応答した。

【RoomF-5:応答/実行案】
匿名知事に渡す資料は、企業批判ではなく、守る価値と変える部分を分けた改善資料として作成します。

【RoomF-5:要請】
もしよければ、匿名知事には、資料を見る際に「県として支援できること」「企業側に任せること」「若者側に協力してほしいこと」を分けてコメントしていただけませんか?

 小泉は、その文面を見て、初めて明確に反応した。

「私にも要請が来るのですね」

「はい」

「なるほど」

 少しだけ、声が柔らかくなった。

「ただの視聴者ではいられないわけだ」

「政治家も、GVSでは参加者です」

 私は言った。

「国民から要請されるだけではなく、政治家も要請できます。そして、応答も求められます」

 小泉は、画面を見つめた。

 モザイクの奥で、何かを考えている。

「面白い」

 小さく、そう聞こえた。

 そしてすぐに、付け加えた。

「まだ信用したわけではありませんが」

「それで構いません」

 画面では、RoomF-5が一枚資料を作り始めている。

 別のルームでは、地元企業への質問リストが更新されている。

 さらに別のルームでは、若者向けの求人説明ページの見本が作られている。

 GVSの中で生まれた実行案が、ナビゲーターに拾われ、応答事業へ変わっていく。

 県名は伏せられている。

 知事の顔も見えない。

 それでも、要請は動き始めている。

 地方政治は、ようやく画面の中に現れ始めていた。

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