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ベーシックインカムVSシビックドライブ

目次

AI時代、人間は「暇」になれば幸せなのか?

AIやロボットが発展すれば、人間は働かなくてもよくなる。

そんな未来予測がある。

生産労働の多くをAIやロボットが担い、人間はもっと自由な時間を持てるようになる。生活に必要な最低限のお金は、ベーシックインカムのような制度で配られる。人間は嫌な仕事から解放され、好きなことをして暮らせるようになる。

たしかに、それは今より良い未来に見える。

長時間労働に苦しむ人。
低賃金の仕事に縛られている人。
税金や社会保険料、家賃、生活費に追われている人。
上司や客に気を使いながら、意味の見えない労働を続けている人。

そういう人にとって、「働かなくても生きられる社会」は救いに見える。

しかし、本当にそれだけで人間は幸せになれるのだろうか。

人間は、ただ暇になれば満たされるのだろうか。

この記事では、AI時代の未来像として、ベーシックインカム型の未来と、私が構想しているシビックドライブ型の未来を比較してみたい。

結論から言えば、ベーシックインカムは人間に「お金」を配る仕組みである。

一方で、シビックドライブは人間に「役割」を返す仕組みである。


ベーシックインカムは何を解決するのか

ベーシックインカムは、すべての人に一定額のお金を配る仕組みである。

もしAIやロボットによって人間の仕事が減っていくなら、これはかなり現実的な選択肢になるかもしれない。

仕事がなくなる。
収入がなくなる。
生活できなくなる。

そうならないように、国家が最低限の生活費を配る。

この発想自体は分かりやすい。

ベーシックインカムがあれば、嫌な仕事を無理に続けなくてもよくなる人が増える。ブラック企業にしがみつく必要も減る。低賃金の仕事を断れる人も増える。生活の不安が減れば、創作、学習、育児、介護、地域活動に時間を使える人も増えるかもしれない。

つまり、ベーシックインカムは、生存のための労働から人間を解放する可能性を持っている。

これは大きい。

今の社会では、多くの人が生活のために働いている。
働かなければ食べられない。
家賃を払えない。
税金や保険料を払えない。
だから、多少つらくても仕事を続けるしかない。

この状態から解放されるなら、それは明らかに進歩である。

しかし、問題はその先にある。

お金が配られたとして、人間は何をするのか。


暇になった人間は幸せなのか

AIとロボットによって生産労働が減り、ベーシックインカムで生活できるようになったとする。

食べ物はある。
住む場所もある。
動画もある。
ゲームもある。
AI恋人もいる。
VRもある。
働かなくても死なない。

一見すると、かなり良い未来に見える。

だが、そこには別の問題がある。

人間は、ただ消費するだけの存在になってしまうのではないか。

動画を見る。
ゲームをする。
AIと会話する。
SNSで怒る。
たまに投票する。
国から給付を受け取る。

しかし、自分が社会を作っている実感はない。
誰かに必要とされている実感もない。
自分の怒りや不満が、どこかへ届いている感覚もない。
政治や企業や国家は、自分の外側で勝手に動いている。

これは、貧困ではないかもしれない。

だが、かなり無力な未来である。

人間は働かなくてよくなったのではなく、社会から余っただけではないか。

そう感じる人が増える可能性がある。


労働は収入源であると同時に、小さな権力でもある

労働はつらい。

これは間違いない。

だが、労働には収入以外の意味もある。

仕事がある人には、職場がある。
技能がある。
人間関係がある。
役割がある。
社会に必要とされている感覚がある。
国家や企業に対して、ほんの少しでも交渉材料がある。

もちろん、それが搾取的な労働なら苦しい。

だが、それでも労働は、人間が社会とつながる一つの手段だった。

もしAIやロボット化によってその労働が消え、代わりにベーシックインカムだけが配られるとしたら、人間はどうなるのか。

金はもらえる。
だが、役割はもらえない。

これはかなり危険である。

なぜなら、役割を失った人間は、国家や巨大企業に依存しやすくなるからだ。

国家が「君たちには役割がある。国のために働け」と言えば、そちらに流れるかもしれない。
巨大企業が「このサービスの中で楽しんでいればいい」と言えば、そこに閉じ込められるかもしれない。
暇で無力な人間に、国家が「外敵」を与えれば、戦争動員すら起こりやすくなるかもしれない。

つまり、労働が消えた社会は、必ずしも自由な社会ではない。

場合によっては、個人の権力が今より弱くなる。


シビックドライブは何をするのか

そこで必要になるのが、シビックドライブである。

シビックドライブは、単なる政治参加アプリではない。

人間の余った時間、怒り、不満、悩み、能力、知識、創作意欲を、協力労働へ変える仕組みである。

協力労働とは、協力的な社会を作るための労働である。

誰かの要請を読む。
自分の提案を書く。
他人の提案に応答する。
資料を作る。
体験ログを出す。
動画にする。
政治家に届ける。
企業に届ける。
地域活動に接続する。
寄付や投資を集める。
実践結果をまたGVSへ戻す。

これらは、従来の生産労働とは違う。

物を作るだけではない。
会社の命令に従うだけでもない。
誰かに勝つための競争労働でもない。

社会の要請を読み、協力の形に変えていく労働である。

シビックドライブは、人間を「消費者」として残すのではなく、社会に応答する存在として残す。

ここがベーシックインカムとの決定的な違いである。


ベーシックインカムはお金を配る。シビックドライブは役割を配る

ベーシックインカムは、生活の最低ラインを支える。

それは重要である。

だが、ベーシックインカムが配るのは基本的にお金である。

一方で、シビックドライブが配るのは、お金だけではない。

役割。
仲間。
ログ。
要請先。
応答先。
政治参加。
社会的意味。
成長の機会。
報酬につながる活動履歴。

これらを配る。

たとえば、ある人が「お金がない」と悩んでいるとする。

ベーシックインカムなら、一定額のお金が配られる。
それで生活は少し楽になる。

シビックドライブなら、その悩みはGVSで提案と要請に変換される。

副業失敗談を集める。
情報商材の危険性を調べる。
安く生活する方法を共有する。
シェア村を作る。
政治家に社会保険料の見直しを要請する。
企業や投資家に支援を求める。
動画や記事にして広げる。
資料を作った人、体験談を出した人、動画化した人、営業した人に報酬が発生する。

ここでは、悩みを抱えた人が、単なる受給者ではなくなる。

社会に要請する人になる。
他人の要請に応答する人になる。
資料作成者になる。
ナビゲーターになる。
シビッカーになる。

つまり、シビックドライブは、困っている人を「支援される側」に固定しない。

協力労働へ接続する。


GVSの競争相手はSNSやゲームではない

GVSを考える時、ついYouTube、TikTok、ゲーム、SNSなどと比較したくなる。

しかし、GVSの本当の競争相手は、そこではない。

GVSの競争相手は、既存の労働である。

会社で言われたことをやる労働。
意味があるか分からない資料を作る労働。
上司や客に気を使い続ける労働。
低賃金で拘束される労働。
誰にも感謝されない労働。
自分の人生や社会に接続されない労働。

それと比べた時、GVSの協力労働はどうか。

自分の悩みが提案と要請になる。
他人の要請に応答できる。
資料や動画や発信が社会に残る。
政治家や企業に届く可能性がある。
仲間ができる。
報酬が出る可能性がある。
自分の活動ログが残る。
社会を作っている実感がある。

この比較なら、GVSはかなり強い。

もちろん、最初から十分な報酬が出るわけではない。

ここが最大の問題である。

初期段階では、GVSは既存労働にすぐ勝てない。
資金がないからだ。

だから初期のGVSは、いきなり「仕事」として成立するのではなく、自己救済、遊び、創作、実績作り、仲間作り、将来投資の混合として始まるだろう。

しかし、そこからムーブメントが生まれ、寄付、広告、スポンサー、アフィリエイト、政治献金、企業協賛、資料販売、シビックファンドにつながれば、協力労働は本当に労働になっていく。


シビックドライブの収益はどこから生まれるのか

シビックドライブの収益源は、単純な広告だけではない。

GVSは、社会の困りごとを、提案、要請、資料、活動、ムーブメントに変える。

これは価値がある。

企業は、市場や生活者の要請を知りたい。
政治家は、民意の中身を知りたい。
自治体は、地域課題を知りたい。
投資家は、次の社会的事業を探したい。
メディアは、話題を探している。
クリエイターは、コンテンツを探している。
国民は、自分の悩みを解決したい。

GVSは、それらをつなぐ。

だから収益源は複数ある。

企業協賛。
投資家からの資金。
政治献金。
シビックファンド。
広告収益。
アフィリエイト。
調査レポート。
政策提言資料。
動画・記事・漫画・書籍化。
自治体連携。
教育・研修。
イベント。
寄付・チップ。

重要なのは、シビックドライブ運営がGoogleのように利益を独占する必要が薄いことだ。

GoogleやYouTubeでは、クリエイターは基本的に広告在庫を生む存在である。動画を作り、視聴者を集め、広告を表示させる。

もちろん文化も作っているが、ビジネス構造としては、クリエイターはプラットフォームの外部労働者に近い。

しかし、シビックドライブでは違う。

参加者は、広告要員だけではない。

資料を作る。
営業する。
政治家に届ける。
企業に届ける。
資金を引っ張る。
動画にする。
イベントを開く。
地域で実践する。
海外へ翻訳する。
問題提起する。
監査する。

参加者全員が、ある意味で社会を作る共同事業者になる。

だから、シビックドライブの運営は、参加者から余分に取りすぎるより、参加者の協力労働を記録し、接続し、分配し、監査する役割に寄るべきである。


ベーシックインカムだけの未来は、戦争リスクを下げるのか

ここはかなり重要である。

AIによって労働がなくなり、ベーシックインカムで生活できるようになれば、戦争も減るのではないか。

そう考える人もいるかもしれない。

だが、私は逆のリスクもあると思っている。

労働は、個人の小さな権力でもある。

仕事がある。
技能がある。
収入がある。
職場がある。
社会的役割がある。

これらがあるから、人間は国家や企業に対して完全に無力ではない。

しかし、労働が消え、給付と娯楽だけが残ると、人間は国家への依存を強めるかもしれない。

国家が「君たちには役割がある。国のために働け」と言えば、その役割に飛びつく人が出るかもしれない。
外敵を作り、「国を守るため」と言えば、暇で無力な人たちは動員されやすくなるかもしれない。

つまり、ベーシックインカムだけでは、戦争を防げるとは限らない。

むしろ、人間が役割を失った社会では、国家が役割を与える形で軍事動員するリスクがある。

シビックドライブが違うのは、国家以外の役割を作る点である。

GVSがある。
協力労働がある。
シビックファンドがある。
政治家以外の応答先がある。
国家以外の仲間がいる。
戦争に協力しなくても生きられる道がある。

戦争をなくすには、人間を善人にするだけでは足りない。

戦争に協力しなくても生きられる社会構造が必要である。

シビックドライブは、その方向に向かう。


シビックドライブの嘘

ただし、シビックドライブも完璧ではない。

シビックドライブにも嘘はある。

国民が本当に社会を決めているわけではない。
最終的にどの合論を使うかは政治家やナビゲーターが選ぶ。
資金提供者やインフルエンサーの影響も入る。
人気テーマが有利になる。
動画化しやすい話が有利になる。
ナビゲーターが権力を持つ。
協力労働が新しい搾取になる可能性もある。

つまり、シビックドライブは嘘のない政治ではない。

むしろ、政治の新しい嘘である。

だが、今の民主主義の嘘とは違う。

投票は、民意を一票に圧縮する。
なぜその人に投票したのかは見えにくい。
どの政策を支持したのかも分からない。
政治家は「民意を得た」と言えてしまう。

GVSは違う。

提案が残る。
要請が残る。
代表テーマが残る。
合論ログが残る。
誰がどの資料を作ったか残る。
政治家がどの合論を参考にしたか検証できる。

政治家がGVSを言い訳に使うことはできる。

だが、雑には使えない。

拾い方の妥当性がログで検証されるからだ。

シビックドライブは、政治から嘘を消す仕組みではない。
政治の嘘の内訳を見えるようにする仕組みである。

だから、腐ったシビックドライブでも、堕落した民主制よりはましになり得る。


国民を政治家にするシステム

GVSが投票と決定的に違うのは、国民に考えさせる点である。

投票は、国民に選ばせる。

GVSは、国民に考えさせる。

自分は何に困っているのか。
何を望んでいるのか。
誰に何を要請したいのか。
自分は何なら協力できるのか。
どの代表者に託すのか。
どのテーマを上げるのか。
どの政治家を応援するのか。

これを言葉にする。

これは政治の訓練である。

同時に、官僚的な資料作成の訓練でもある。
哲学的に、自分の人生を考える訓練でもある。
軍師のように、状況を読み、作戦を考える訓練でもある。

GVSに参加する国民は、少しずつ政治家に近づく。
官僚に近づく。
哲学者に近づく。

もちろん、全員が本物の政治家になるわけではない。

だが、政治家の思考の一部を体験する。

これが重要である。

国民には専門知識がない、という言い訳も弱くなっていく。

分からないことはすぐ聞ける。
分かる人がすぐ教えられる。
AIが専門用語を一般向けに変換する。
一般人の疑問を専門家向けの論点に変換する。
全世界の実務経験者、研究者、現場の人、元自衛官、技術者、医師、教師、行政職員が参加する。

素人の意見が、素人のまま終わらない。

GVS内で鍛えられる。

この学習効率は、従来の学校とはまったく違う。


では、どちらが未来に必要なのか

ベーシックインカムは必要かもしれない。

AIやロボットによって生産労働が減るなら、生活を支える仕組みは必要になる。

だから、ベーシックインカムを否定する必要はない。

ただし、ベーシックインカムだけでは足りない。

お金は配れる。
だが、役割は配れない。

暇は作れるかもしれない。
だが、その暇をどう使えばいいのかは教えてくれない。

人間を嫌な労働から解放することはできるかもしれない。
だが、人間を社会に戻すことはできないかもしれない。

シビックドライブが必要なのは、そこだ。

AI時代に余った時間を、協力労働に変える。

人間を、消費者としてではなく、社会に応答する存在として残す。

自分の怒りや不満を、提案と要請に変える。
自分の暇を、資料作成や発信や地域活動に変える。
自分の能力を、他人の要請への応答に変える。
自分の人生を、社会との関係の中で考え直す。

ベーシックインカムは、人間を生かす仕組みである。

シビックドライブは、人間を社会に参加させる仕組みである。

どちらが大事かではない。

ただ、ベーシックインカムだけの未来は、かなり寂しい。

食べていける。
遊んで暮らせる。
でも、自分が何者なのか分からない。

そんな未来になる可能性がある。

だから私は、シビックドライブを考えている。

人間を働かせるためではない。

人間を、もう一度、社会に参加させるためである。

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