
黒瀬が抜けた後
黒瀬迅が出ていった。
正直、ほっとした。
あの男に言われた言葉は、まだ頭に残っている。
稼げないなら、黙っていろ。
何度思い出しても腹が立つ。
だが、黒瀬がいなくなった事業部は、少しだけ静かになった。
あの男は嫌なやつだった。
間違いなく嫌なやつだった。
でも、資料を作るのは速かった。
金の匂いを嗅ぐのも速かった。
外部支援者向けに何を見せればいいか、よく分かっていた。
黒瀬が抜けた後、事業部の作業室には、妙な空白ができた。
残ったメンバーは悪い人たちではなかった。
むしろ、黒瀬よりずっと話しやすい。
俺の生活ログを勝手に使わないように、公開範囲も確認してくれる。
親子エリアの撮影禁止範囲も守ろうとしている。
生活継続・収益化確認表も、丁寧に修正してくれている。
ただ、勢いは落ちた。
黒瀬がいた時は、よくも悪くも話が前に進んだ。
あの男は、人を置いていく。
だが、話も止めない。
いなくなると、残った人たちは慎重になった。
「佐倉さん」
事業部の残留メンバーの一人が、旧PC室で俺に声をかけた。
「黒瀬さんの言い方は、明らかに問題でした」
「まあ、そうですね」
「ただ、生活継続・収益化確認表の企画自体は、やはり重要だと思っています」
俺は少し黙った。
黒瀬は嫌いだ。
だが、金は欲しい。
俺の月間報酬見込みは少し上がっている。
でも、生活が安定したわけではない。
GVS部。
SNSナビゲーター部。
料理部。
清掃部。
コミュニケーション部。
やることは増えた。
だが、まだ金は少ない。
だから俺は、答えた。
「続けるだけなら、やります。公開範囲を確認してくれるなら」
事業部のメンバーは、ほっとしたようにうなずいた。
「ありがとうございます。黒瀬さんの案件ではなく、シェア村事業部の共同企画として扱い直します」
黒瀬の案件ではない。
その一言で、少しだけ気分が軽くなった。
だが同時に、俺は思った。
黒瀬が抜けた穴を、どうやって埋めるつもりなんだろう。
外部講師を呼ぶ案
その日の夜、GVSのコミュニティモードに新しい提案が立った。
【事業部・SNSナビゲーター部合同提案】
外部の成功しているGVSプレイヤーを招き、SNS発信・資金調達の勉強会を開く
【背景】
黒瀬迅氏の離脱により、シェア村のSNS発信・事業化・資金調達ノウハウが弱くなっている。
生活継続・収益化確認表、親子参加者向け支援ログ、共同食改善、GVS初心者支援などを外部に届けるには、発信と資金調達の専門知識が必要。
【要請】
もしよければ、外部で成功しているGVSプレイヤーやシビックナビゲーターを招き、勉強会を開いていただけませんか?
俺は、それを見てうなずいた。
外部講師。
それなら分かる。
黒瀬が抜けたのなら、外から詳しい人を呼ぶ。
普通の流れだ。
候補には、いくつかの名前が並んでいた。
国内のSNSナビゲーター。
地方創生系の起業家。
副業コミュニティの運営者。
シビックドライブ連携企業の広報担当。
海外のGVSプレイヤー。
その中に、ひときわ目立つ名前があった。
【候補】
レオ・グラント
アメリカのゴールドGVSプレイヤー。
シビックヒーローズの中心人物。
GVS関連の動画発信と資金調達で世界的に知られる。
支援金、広告収益、企業協賛、寄付を大規模に集めた実績あり。
俺は、画面を見て固まった。
「いや、無理だろ」
思わず声に出た。
レオ・グラント。
名前くらいは知っている。
動画も何本か見たことがある。
アメリカでシビックドライブを派手に広げた人物。
資金を引っ張る力が異常に強い人物。
自分たちをシビックヒーローズと呼んで、賛否両論を巻き起こしている人物。
ゴールドGVSプレイヤー。
俺はシルバーだ。
手元三万円のシルバー。
向こうはアメリカのゴールド。
格が違いすぎる。
そんな人物を、地方の廃校シェア村に呼ぶ。
無理に決まっている。
全体チャットにも、似たような反応が流れていた。
【GVS部メンバー】
さすがにレオ・グラントは無理では?
【SNSナビゲーター部】
オンライン講義だけでも難しそう。
【事業部】
要請だけなら送ってみてもよいのでは?
【親子支援部】
撮影が入る場合は親子エリアの公開範囲確認が必要です。
【コミュニケーション部】
外部講師を呼ぶ場合、事前の発言ルールと撮影同意が必要です。
もう撮影の心配をしている人がいる。
気が早すぎる。
来るわけがない。
俺はそう思っていた。
要請文を作る
それでも、GVSは進む。
送るだけならタダだ。
誰かがそう言った。
確かに、送るだけならタダだ。
コミュニティモードでは、レオ・グラント宛ての要請文が作られ始めた。
【要請案】
自分たちは、日本の地方廃校を活用したシェア村プロジェクトで、生活再建・副業・GVS・SNS発信・資金調達を組み合わせた実験を行っています。
現在、黒瀬迅氏の離脱により、SNS発信・資金調達・生活ログ事業化の方針を再構築する必要があります。
もしよければ、アメリカでシビックドライブ発信と資金調達に成功しているレオ・グラント氏に、オンライン勉強会または現地視察をお願いできませんか?
かなり丁寧な要請文だった。
俺は、その資料づくりを手伝うことになった。
なぜか、俺の生活継続・収益化確認表も添付資料に入るらしい。
【添付資料案】
・シェア村プロジェクト概要
・生活継続・収益化確認表
・手元資金が少ない初期参加者の匿名モデルケース
・親子参加者向け生活・見守り・収入ルート
・黒瀬迅氏離脱後の事業部課題
・生活ログ発信時の同意・匿名化・収益分配ルール案
・GVS初心者支援と段ボールカウンセラー運用課題
俺は、資料を見ながら思った。
俺の生活不安が、英語に翻訳されてアメリカに飛んでいく。
何だこれ。
手元三万円が、国際資料になっている。
俺は事業部メンバーに聞いた。
「これ、本当に送るんですか?」
「はい」
「返事来ると思います?」
「普通は難しいと思います」
「ですよね」
「ただ、レオ氏は日本のシビックドライブには関心があるはずです」
「そうなんですか?」
「ミスターシビッカーの国ですから」
その言い方に、少し引っかかった。
ミスターシビッカー。
海外では、シビックドライブ創設者がそう呼ばれているらしい。
日本では、あまり本人を前面に出さない。
少なくとも、俺が見てきたGVSでは、仕組みそのものが中心だった。
でも海外では、そうでもないのかもしれない。
レオ・グラントのような人物が広げたなら、なおさらだ。
俺は、要請文を眺めながら呟いた。
「まあ、どうせ返事来ないだろ」
その時は、本気でそう思っていた。
返事は数時間後に来た
返事は、その日の深夜に来た。
【外部連絡】
レオ・グラント氏側より返信がありました。
俺は、端末を二度見した。
「返信?」
開くと、英語の短いメッセージが表示されていた。
【LEO GRANT】
Interesting.
I’ll come.
俺は、しばらく画面を見ていた。
来る?
オンラインじゃなくて?
続けて、事業部メンバーが全体チャットに投稿した。
【事業部】
レオ・グラント氏側より、現地視察・勉強会・撮影同行の希望がありました。
【予定】
明日、日本到着。
到着後、シェア村へ移動。
勉強会、視察、インタビュー、撮影許可確認を希望。
俺は叫んだ。
「明日!?」
隣の仮宿泊室から、誰かが壁を叩いた。
俺は小声で謝った。
だが、叫びたくもなる。
明日。
明日来る。
アメリカのゴールドGVSプレイヤーが。
シビックヒーローズの中心人物が。
資金調達の化け物が。
なぜか、地方の廃校シェア村に来る。
全体チャットは、一気に騒がしくなった。
【SNSナビゲーター部】
本当に来るんですか?
【事業部】
現在、移動ルート確認中です。
【親子支援部】
親子エリアは原則撮影禁止でお願いします。
【生活ナビゲーター】
明日午前中までに撮影同意の確認を行います。
【コミュニケーション部】
外部撮影時の発言トラブル対応ルールを作ります。
【GVS部】
勉強会テーマを決めた方がいいです。
【料理部】
昼食の人数を確認してください。
昼食。
そこも関係するのか。
俺は端末を置いて、天井を見上げた。
黒瀬が出ていって、少し静かになると思っていた。
甘かった。
もっと面倒なものが来る。
シェア村が騒ぎ出す
翌朝、シェア村はちょっとした祭りみたいになっていた。
ただし、楽しい祭りではない。
緊急準備だ。
旧職員室では、生活ナビゲーターが撮影許可リストを確認している。
親子エリアでは、撮影禁止範囲が赤い線で表示された。
体育館には、勉強会用の椅子が並べられた。
事業部は資料を印刷し直している。
SNSナビゲーター部は、告知文を作っている。
コミュニケーション部は、外部ゲスト対応時の注意事項をまとめている。
段ボールカウンセラーは、廊下の隅で充電されていた。
俺は、事業部の作業室に呼ばれた。
「佐倉さん、生活継続・収益化確認表の説明をお願いできますか?」
「俺がですか?」
「はい。レオ氏は、佐倉さんのケースに関心を持っているようです」
「俺のケースに?」
「手元資金が少ない初期参加者が、GVS部とSNSナビゲーター部で収益化を目指している点が分かりやすいとのことです」
嫌な予感がした。
俺の手元三万円が、また刺さっている。
「顔出しはしませんよ」
「もちろんです。声出しもなしで構いません」
「じゃあ、どうやって説明するんですか?」
「匿名モデルケースとして、こちらで資料化します。佐倉さんには、公開可能な範囲の確認だけお願いしたいです」
確認だけ。
そう言われると、断りにくい。
俺はため息をついた。
「分かりました」
そして思った。
黒瀬の時と同じだ。
俺の生活不安は、少しずつ資料になる。
表になる。
動画になる。
人を呼ぶ。
でも今度は、相手がでかすぎる。
シビックヒーロー登場
夕方。
校門前に人が集まった。
事業部。
SNSナビゲーター部。
GVS部。
コミュニケーション部。
生活ナビゲーター。
料理部。
親子エリアの一部も、撮影禁止ラインの後ろから見ている。
俺は、できるだけ後ろに立っていた。
だが、なぜか事業部のメンバーに前の方へ押し出された。
「佐倉さん、モデルケースなので」
「モデルケースって言うな」
そう言っている間に、校門の前に黒い車が止まった。
続いて、もう一台。
思ったより多い。
ドアが開いた。
最初に降りてきたのは、カメラを持ったスタッフだった。
次に、通訳らしき女性。
その後ろに、タブレットを持った小柄なスタッフ。
さらに、撮影許可担当らしき人。
最後に、金髪の男が降りてきた。
動画で見た顔だった。
レオ・グラント。
アメリカのゴールドGVSプレイヤー。
シビックヒーローズの中心人物。
資金調達の怪物。
彼は、両手を広げ、校舎を見上げた。
「ハーイ、ジャパンのタートルベイビーズ!」
場が止まった。
俺は、その瞬間に思った。
呼ぶんじゃなかった。
だが、次の瞬間、レオの横にいた小柄なスタッフが、すっと近づいた。
そして、彼の耳元で何かを囁いた。
レオは一瞬だけ真顔になった。
それから、笑った。
「OK、OK。ワンモア」
「ワンモア?」
俺が呟く前に、レオは車の方へ数歩戻った。
何をしているんだ。
登場をやり直すのか。
スタッフが片手を上げた。
「Three, two, one」
レオが、もう一度歩き出した。
今度は、まっすぐ俺を見ていた。
「よう、ブラザー」
白い歯を見せて、レオは笑った。
「君が、手元三万円のシルバーか?」
俺は固まった。
何だこりゃ。
頭おかしいのか。
その時、カメラを持ったスタッフが、俺の横を通り過ぎた。
そこで、ようやく分かった。
こいつは、今、登場シーンを撮り直したのだ。
俺たちは、視察を受けているのではない。
撮影されている。
シビックヒーローVSシルバー
「人の生活不安をキャッチにするな」
俺がそう言うと、レオは楽しそうに笑った。
「HAHAHA! さすがピグ殿の国だな。言うことがナイーブだぜ、ブラザー」
「ピグ?」
「知らないのか? シルバーのくせに?」
レオは、大げさに肩をすくめた。
「ミスターピグだよ。俺が金を入れてやってる、豚の貯金箱さ」
「……豚の貯金箱?」
そこで、ようやく意味がつながった。
ミスターシビッカー。
シビックドライブの創設者。
海外では、そう呼ばれている人物。
レオはその男を、ミスターピグと呼んでいるらしい。
「馬鹿にしてるのか」
俺がそう言うと、レオは目を輝かせた。
「へい、ブラザー。そうさ」
レオは、両手を広げた。
「馬鹿にしてる」
「……は?」
「どうした? 怒ったかい?」
レオは、俺の顔を覗き込むようにして笑った。
「だったら、かかってくればいい。さあ、どうした? タートルベイビー。カモォン!」
場が凍った。
事業部の誰かが息を呑む。
コミュニケーション部の一人が、慌てて段ボールカウンセラーを見た。
カメラは、止まっていない。
俺は、拳を握りかけていた。
レオは、それを見逃さなかった。
「いいねえ。その顔だ」
「……何なんだ、お前」
「なら見せてやれ!」
レオは、カメラの方を指差した。
「怒りも、恥も、生活不安も! どうだい、ブラザー。今、視聴者は沸いてるぜ?」
「人の不安を見世物にするな」
「Hyuu!」
レオは、口笛を吹くように笑った。
「だったら隅っこに集まって、誰にも見られず、自分たちだけの学芸会でも開いていたらどうだい?」
「学芸会?」
「そうさ。綺麗な言葉を並べて、提案と要請ごっこをして、みんなで拍手する。最高に平和だ」
レオは、わざとらしく胸に手を当てた。
「それで金が動くならな!」
俺は、言葉を失った。
「お前は金が欲しいんじゃなかったのか? シルバータートルベイビー」
「……呆れたな」
俺は、ようやく声を出した。
「これがシビックドライブか?」
レオは、大きく笑った。
「HAHAHA! その通り!」
そして、自分の胸を親指で指した。
「俺こそがシビックドライブそのもの。俺こそがシビックヒーロー」
「ふざけるな」
「ふざけてるから届くんだよ、ブラザー」
レオは、校舎の方を見た。
「君たちピグ殿のシビックドライブは偽物ってことさ」
周囲の空気が、さらに冷えた。
今度は俺だけじゃない。
事業部も、GVS部も、コミュニケーション部も、何人かが明らかに表情を変えた。
レオは、それすら面白そうに見ていた。
こいつは分かっている。
どの言葉を言えば、誰が怒るか。
どこまで踏み込めば、空気が変わるか。
どの瞬間に、カメラが欲しがる顔になるか。
全部、分かってやっている。
いや。
たぶん、本気でもある。
本気で馬鹿にしている。
本気で笑っている。
本気で、自分こそがシビックドライブを動かしていると思っている。
だが、その本気すら、カメラに映る形にしている。
俺は、この男を呼んだことを、二度目に後悔した。
もっと面倒な男
レオは、俺の肩に手を置こうとして、途中でスタッフに止められた。
スタッフが何かを小声で言う。
レオは笑って、手を引っ込めた。
「OK、同意確認前はノータッチ。日本式だな」
「アメリカでも普通にやめろ」
俺が言うと、レオはさらに笑った。
「いいねえ、ブラザー。君、思ったより返すじゃないか」
「帰ってほしいですけどね」
「帰らないさ」
レオは、校舎を見上げた。
そして、満足そうに笑った。
「ここは、いいドル箱になる」
その一言で、俺は三度目の後悔をした。
黒瀬が出ていって、少しは静かになると思っていた。
だが、どうやら俺たちは、もっと面倒な男を呼んでしまったらしい。
