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Season5第一話 GVSが生んだ化け物

目次

工場の朝が変わった

 鯖川フレーム製作所の朝は、少しずつ変わり始めていた。

 以前なら、始業前の工場には機械の低い音と、作業員たちの足音だけがあった。

 挨拶は短い。

 笑い声が響くことも少ない。

 仕事とは、そういうものだと黒川は思っていた。

 少なくとも、自分が工場長になるまで、この工場はそうやって動いてきた。

 ところが、今は違う。

 休憩室のスピーカーから、若い声が流れていた。

『本日のGVS改善ログです。休憩室の椅子試験導入は二週目に入りました。使用ログの記録率は六十二パーセント。続いて、工具改善テーマです。工具待ち時間の記録が始まりました』

 黒川は廊下の途中で足を止めた。

 声が明るすぎる。

 工場の朝には、いささか場違いだった。

 その放送を聞きながら、若い作業員が二人、黒川の前を通り過ぎた。

 一人は髪の一部を青く染めていた。

 もう一人は、耳に小さな銀色のピアスをつけていた。

 作業着はきちんと着ている。

 安全靴も履いている。

 ヘルメットも持っている。

 規則違反ではない。

 規則違反ではないのだが、黒川の中の古い工場長が、静かに眉をひそめた。

 なんだ、あの髪の色は。

 あれでも人間か。

 そう思いかけて、黒川は口を閉じた。

 言えば終わる。

 昔の自分なら言っていた。

 今の若い者は。

 工場を何だと思っている。

 遊び場ではない。

 そう言っていただろう。

 だが、今それを言えば、また仕事が増える。

 髪色の安全基準。

 外見に関する職場ルール。

 作業上の危険と個人的嫌悪の線引き。

 管理職発言の扱い。

 AIはそれを実行案と要請に変換するだろう。

 そして、黒川は処理しなければならない。

 工場は明るくなった。

 作業効率も、今のところ悪くない。

 求人も増えている。

 若手の退職者も、今のところ出ていない。

 だが、その裏で、黒川の仕事は増え続けていた。

 見えなかった問題が、次々に仕事になっていく。

 黒川は小さく息を吐いた。

「……ずいぶん若いやつも増えたな」

 口に出した言葉は、それだけだった。

 近くにいた白瀬悠真が、資料を持ったまま振り返った。

「応募が増えているようです」

「知っています」

「見学希望者も増えています」

「それも知っています」

「若者定着モデルとしては、悪くない傾向です」

「悪くない……ですか」

「何か?」

「いや、別に」

若者案は、工場を明るくした

 黒川は工場内を見た。

 壁際には、以前なかった掲示が増えていた。

【GVS改善ログ】
【休憩室 椅子試験導入中】
【工具待ち時間 記録協力願い】
【新人質問タイム 試験運用】
【昼休みラジオ 技術小話募集中】

 黒川は、最後の文字で目を止めた。

「技術小話」

「若手案です」

「知っています。私が選んだのですから」

「最初は工場内ラジオ案でした」

「知っています」

「作業中は危険だという意見が出たため、休憩室と昼休みに限定しました。安全アナウンスと技術小話を混ぜる形です」

「知っています」

 白瀬は黙った。

 黒川は、苦い顔で続けた。

「あなたに説明されなくても、私は管理画面を見ています」

「失礼しました」

「謝るほどのことではありません」

 黒川は休憩室の方を見た。

 ちょうど昼休みの放送準備をしている若手が、マイクを確認していた。

 その横に、ベテランが一人立っていた。

 大槻源三だった。

 例の魔法のランプおじさんである。

 腕を組み、マイクの前に立つ若手をにらんでいる。

「腹から声を出せ。そんな蚊みたいな声で工場に届くか」

「いや、休憩室だけなんで」

「休憩室だろうが何だろうが、声が軽いんだよ。職人の声じゃねえ」

「大槻さん、今日は出演じゃなくて確認だけですよね」

「確認してやってんだろうが」

 黒川は額に手を当てた。

「もう関わっているのか」

 白瀬が小さく言った。

「技術小話コーナーに、本人が興味を示したようです」

「興味ではない。口出しです」

「GVS上では、技術説明品質の改善協力として登録されています」

「便利な言葉ですな」

 黒川はそう言って、休憩室へ向かった。

技術小話という名の口出し

 大槻は、若手に向かってまだ言っていた。

「いいか。フレームってのはな、ただの鉄じゃねえんだよ。音がある。歪みがある。手に残る感触がある。そこを言わねえから、若いやつの説明は薄っぺらいんだ」

「じゃあ、大槻さんがやります?」

「なんで俺がやるんだ」

「今、ほぼやってますよ」

「うるせえ」

 大槻は若手から原稿を奪い取った。

 そして、眉間にしわを寄せた。

「なんだこの文章は。『フレームの精度は製品の品質に関係します』? 当たり前だろうが。眠くなるわ」

「じゃあどう言えばいいんですか」

「こうだ」

 大槻は、マイクをつかんだ。

『このフレームはな、曲がってるように見えなくても、手で持てば分かる。微妙に逃げる。そいつを見逃すと、あとで全部ズレる。若いやつは数字ばっかり見るが、数字の前に手だ。手が嘘をついたら、機械も嘘をつく』

 休憩室にいた数人が、顔を上げた。

 若手が、ぽかんと大槻を見た。

「……それ、めちゃくちゃいいですね」

「当たり前だ」

「録音していいですか」

「するな」

「GVSに入れていいですか」

「入れるな」

「じゃあ、候補だけ見せます」

「またそれか」

 若手がGVS端末を開く。

【入力】
大槻さんの技術説明が分かりやすい。昼休みラジオの技術小話として使いたい。

【変換候補】

  1. 自分は、大槻さんの技術説明を一分程度の短い音声に編集します。昼休みラジオの技術小話として試験放送してよいか確認したいです。
  2. 自分は、大槻さんの説明を新人向けの補助教材として文字起こしします。本人確認のうえ、GVS技術ログに登録してほしいです。
  3. 自分は、ベテランの技術小話を集める企画を作ります。大槻さん以外のベテランにも、短い説明を依頼してよいか合論したいです。

 大槻は画面を見て、鼻を鳴らした。

「俺を見世物にする気か」

「見世物ではなく、技術ログです」

「同じだろうが」

俺の技術だぞ、ただで使わせるか

 黒川はそこで声をかけた。

「大槻さん」

「あ?」

 大槻は振り返り、黒川を見た。

「なんだ、工場長か」

「今の説明は、たしかに分かりやすかった」

「ほら見ろ」

「ただし、使うなら本人確認を取ります。放送する場合は、内容確認と手当の対象にします」

 大槻の眉が動いた。

「手当?」

「技術説明協力手当です。まだ試験運用ですが」

「いくらだ」

「今は一回あたりの固定額ではありません。GVSログへの貢献、放送時間、教材化の有無で計算します」

「めんどくせえな」

「簡単にすると、後で揉めます」

 大槻は、少し黙った。

「……金が出るなら考える」

 若手が笑った。

「やっぱり出るんですね」

「うるせえ。俺の技術だぞ。ただで使わせるか」

 黒川は、その言葉に反論しなかった。

 以前なら言っていたかもしれない。

 社員なのだから、会社のために協力するのは当然だ。

 勤務時間内のことだ。

 技術は会社の業務で培われたものでもある。

 そう言えた。

 だが、今は言い切れなかった。

 大槻の技術は、会社のものなのか。

 大槻のものなのか。

 会社の設備と仕事の中で磨かれたものではある。

 だが、大槻の手の感覚、大槻の言葉、大槻の癖、大槻の見方まで、会社の所有物と言えるのか。

 黒川は、自分の中で答えを出せなかった。

 昼休み。

 休憩室に、初めて大槻の声が流れた。

『このフレームはな、曲がってるように見えなくても、手で持てば分かる。微妙に逃げる。そいつを見逃すと、あとで全部ズレる。若いやつは数字ばっかり見るが、数字の前に手だ。手が嘘をついたら、機械も嘘をつく』

 食事をしていた若手が、笑いながら聞いていた。

「大槻さん、ラジオ向いてるじゃないですか」

「声が偉そうすぎる」

「でも分かりやすい」

「なんか腹立つけど覚える」

 大槻は、休憩室の端で腕を組んでいた。

 明らかに聞こえている。

 明らかに嬉しそうだった。

 だが、顔だけは不機嫌だった。

「くだらねえ」

 そう言いながら、二回目の放送も最後まで聞いていた。

大槻が、外に見つかり始める

 その日の夕方、昼休みラジオの一部が、若手によってGVS連携SNSに投稿された。

【口は悪いが、説明がうますぎるベテラン職人】

 再生数は、まだ大したことはなかった。

 だが、コメント欄には、黒川の見慣れない言葉が並んでいた。

《この人の話、もっと聞きたい》

《工場見学で案内してほしい》

《職人の感覚ってこういうことか》

《口は悪いけど、説明が妙に刺さる》

 黒川は、画面を見たまま動けなかった。

 大槻が、外に見つかり始めている。

 ただの厄介なベテランだった男が。

 文句ばかり言っていた男が。

 腰が痛いと椅子の写真を撮っていた男が。

 会社の外から、価値ある人間として見られ始めている。

 黒川は、背筋に小さな寒気を覚えた。

 GVSは、人間を協力的にする。

 それは分かっていた。

 だが、協力的になった人間が、扱いやすくなるとは限らない。

 むしろ逆だ。

 価値を見つけられた人間は、会社の枠からはみ出していく。

 黒川は、心の中でつぶやいた。

 GVSが生んだ化け物。

 その化け物は、工場の奥で生まれたのではない。

 最初から、そこにいた。

 自分たちが、見ていなかっただけだった。

なんだこりゃあ!

 その時、管理画面に新しい投稿が表示された。

【新規投稿】

 黒川は、何気なく画面を開いた。

【実行案】
自分は、パチンコ台の構造や音、振動の見方を語ることで、工場技術への関心を集められるか試します。撮影は業務時間外に行い、店舗名の直接批判や射幸心を煽る表現は避けます。

【要請】
もし可能であれば、企業案件や協賛の可能性を外部ナビゲーターに調べてほしいです。また、会社には鯖川フレーム製作所の技術発信につながるか確認してほしいです。

 黒川は、数秒間、文字の意味を理解できなかった。

「……ん?」

 投稿者名を確認する。

 大槻源三。

 黒川の頬が引きつった。

「なんだ、これは」

 業務時間内に撮影するという元の入力は、どうやらAI変換の段階で業務時間外へ修正されている。

 店舗名の直接批判も、射幸心を煽る表現も避けることになっている。

 つまり、形だけ見れば、それなりに筋は通っている。

 だからこそ、余計に厄介だった。

「パチンコ台の構造や音、振動の見方を語ることで、工場技術への関心を集める……?」

 黒川は、画面を指さした。

「なんだこりゃあ!」

 隣の事務員が肩を跳ねさせた。

「まさか、これが最終合論に上がるわけではあるまいな!」

 その直後、通知音が鳴った。

【通知】
このテーマには、すでに複数の実行案と要請が集まっています。
第二合論への進行候補に入りました。

 黒川は、口を開けたまま固まった。

 遠くの休憩室から、大槻の声が聞こえた。

「だから言っただろうが。機械は全部つながってんだよ!」

 黒川は、頭を抱えた。

 工場に、化け物がいた。

 しかもその化け物は、まだ目を覚ましたばかりだった。

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