
東京へ行かなくても
鯖川フレーム製作所の旧資料室は、いつの間にか簡易編集室になっていた。
以前は、古い製品カタログや設備点検表が積まれていた部屋である。今は壁際にモニターが置かれ、撮影用の機材が並び、赤髪が編集ソフトの画面を開いていた。
映っているのは、大槻だった。
『勝てるかどうかは知らねえ。俺はフレーム屋だ。見るのは、音と振動と、部品がどう当たってるかだ』
画面の中の大槻が、偉そうに腕を組んでいる。
「ここ、やっぱりいいっすね」
赤髪が言った。
「短く切れば、冒頭に使えます」
「その後に、大槻さんが青に止められて怒ってるところを入れると、固すぎなくていいと思います」
金黒が椅子の背にもたれながら言った。
青髪は、GVS撮影ログと映像の使用可否を照らし合わせている。
「使えると思います。ただ、コメント欄で攻略動画と誤解されそうな反応があったので、概要欄と冒頭に『眼鏡フレーム職人としての観察企画』と表示します」
「まだそんな細かいことやってんのか」
部屋の隅で缶コーヒーを飲んでいた大槻が、面倒そうに言った。
「必要です」
「俺が喋ってりゃ分かるだろ。攻略なんかじゃねえって」
「分からない人もいます」
「馬鹿のために文字を増やすな」
「その発言は公開しません」
「するな」
赤髪と金黒が笑った。
大槻は不機嫌そうに缶を机へ置いた。
「それにしても、お前らも随分楽しそうだな。仕事だぞ、これは」
「大槻さんが言います?」
赤髪が振り返った。
「撮影の日、一番はしゃいでたじゃないですか」
「俺は盛り上げてやったんだ」
「仕事でしぶしぶ、でしたっけ」
「うるせえ」
金黒が笑いながら言った。
「でも、本当にありがたいですよ。大槻さんにも、GVSにも」
「あ?」
大槻は眉をひそめた。
「なんだ急に。気持ち悪いな」
「俺、実は東京に行こうと思ってたんすよね」
赤髪が、編集画面を見たまま言った。
「動画の仕事やりたくて。東京なら、何かあるかなと思って。でも親が反対するし、金もないし、結局ここに残ったんです」
「東京なんか行っても、家賃で死ぬだけだろ」
「まあ、そうかもしれないですけど。でも鯖川に残ったら、ずっと工場で同じ作業だけやるんだと思ってました」
赤髪は、画面の中の大槻を指さした。
「まさか、工場の給料もらいながら、カメラ持って動画作ることになるとは思わなかったです」
金黒もうなずいた。
「俺も子どもの頃から、動画に出たり、編集したりする仕事に憧れてたんですよ。でも、普通に考えたら無理じゃないですか。登録者もいない。収入もない。東京に出たところで成功する保証もない」
「今だって成功したとは限らねえだろ」
「でも、給料の保証がある状態で挑戦できるのは大きいですよ。動画が伸びなかったら即生活できなくなる、ってわけじゃないですから」
青髪も、端末から顔を上げた。
「それに、工場技術発信チームという形なら、ただ目立つためではなく、工場の仕事として意味を持たせられます。撮影も、編集も、GVSログ管理も、今までここにはなかった仕事です」
「ふん」
大槻は、あまり興味なさそうに鼻を鳴らした。
だが、三人は止まらなかった。
「俺、この前町で声かけられましたよ」
金黒が嬉しそうに言った。
「動画に出てる人ですよね、って」
「俺も俺も」
赤髪が笑う。
「工場の赤髪ですよね、って言われた」
「俺はまだないです」
青髪が言った。
「青は画面に出てる時間少ないもんな」
「そのうち増やします」
「出る気あるんじゃねえか」
大槻が呆れたように言った。
金黒は笑いながら続けた。
「でも、今の鯖川ってすごいですよ。福野県じゃ、工場そのものが英雄扱いされ始めてるじゃないですか。若者が残る町を作る第一号だって。俺たちまで、地元の誇りみたいに見られ始めてる」
大槻は、三人の顔を見た。
「なるほどな。そんなこともあるもんか」
そして、椅子に深く座り直す。
「まあ、俺はパチンコができりゃ、それでいいんだがな」
「大槻さん、そこだけ一貫してますね」
「当たり前だ」
俺が担当になるとは聞いてねえ
その時、大槻のスマホが震えた。
画面を見た瞬間、彼の顔から笑みが消えた。
「……なんだ、これは」
「どうしました?」
金黒が覗き込もうとする。
大槻はスマホを机に置いた。
【新規参加要請】
外部技術導入・適合検証チーム
【概要】
外部企業・研究機関・技術者から提案された新技術について、鯖川フレーム製作所の製造工程、安全基準、熟練者の感覚に適合するかを検証する新チームを試験的に設置する。
【参加要請】
眼鏡フレーム製作の経験、技術説明実績、外部発信活動を持つ大槻源三さんに、初期検証メンバーとして参加していただけませんか。
赤髪が声を上げた。
「すごいじゃないですか! 新部署ですよ!」
「すごくねえよ」
「でも、大槻さんの技術が認められたってことでしょう?」
「面倒だっつってんだ」
大槻は頭をかいた。
「このテーマ、俺も合論でいいと思ったんだよ。外の技術を入れて、鯖川に合う形で使えるか試す。悪くねえ話だと思った」
「じゃあ、いいじゃないですか」
「俺が担当になると思ってなかったんだよ!」
大槻の声が編集室に響いた。
「俺はもう、動画撮影もやってる。見学者向けのフレーム説明もやってる。販売ブースにも顔を出せと言われてる。そこへ今度は技術開発チームだ?」
青髪が慎重に言った。
「拒否することもできると思います」
「分かってる。分かってるがな……」
大槻はスマホの画面を睨んだ。
「これは、まさかあれか。俺の有能さに気づいた上の連中が、使い潰そうって腹じゃねえだろうな」
赤髪が笑った。
「自分で有能って言います?」
「事実だろうが」
「まあ、それはそうですけど」
「認めるのかよ」
「認めますよ。大槻さんいないと、今の動画も技術小話も成立してないですから」
大槻は、一瞬だけ黙った。
褒められて悪い気はしない。
だが、仕事が増えるのは面倒だった。
面倒なのに、断る気にもなれない。
外部技術を、自分の目で見てみたい。
使えるものなのか、口だけの連中が持ち込んだ玩具なのか、確かめてやりたい。
そんな熱が、自分の中にあることを、大槻自身が一番よく分かっていた。
「……ちっ」
大槻は、参加要請の画面を閉じなかった。
「本当に、ろくでもねえランプだな」
大槻さんばかりに、集まりすぎでは
その頃、管理室では白瀬が同じ参加要請を見ていた。
「大槻さんばかりに、要請が集まりすぎではありませんか」
黒川は、椅子の背にもたれた。
「私もそう思います」
「動画撮影、見学者対応、販売ブース、技術小話、今度は外部技術導入の検証です」
「現場が、まず大槻さんに接続すれば話が動くと思い始めているんです」
「危険ですね」
「危険です」
黒川は即答した。
「GVSは、隠れていた才能を見つけました。しかし、見つけた才能へ仕事を集中させる仕組みにもなりかねない」
白瀬は画面を見た。
外部技術導入チームへの参加要請には、大槻を推す実行案と要請が並んでいた。
熟練者の感覚が必要だ。
外部向け説明ができる。
新技術に疑いを持ちながらも試せる人物がよい。
若手三人との撮影チームもあるため、導入過程を記録し発信できる。
どれも、それなりに筋が通っていた。
「別の社員を育てる実行案を、少数意見として再合論にかけてはどうでしょう」
白瀬が言った。
黒川は、すぐには答えなかった。
「何のためにですか」
「大槻さんへの集中を避けるためです」
「若者を抜擢するためではありませんか」
白瀬は言葉を止めた。
「大槻さんが応答できていて、本人も拒否していない。現場も、彼ならできると考えている。そこへ、若者定着モデルなのだから若者にも仕事を回すべきだ、と外から介入する。それは、本当に正当でしょうか」
「……確かに」
「もちろん、負担が限界になれば止めます。本人が拒否するなら別の人を探します。ですが、大槻さんが断らないんです」
「我慢している可能性は?」
「大槻さんの性格で、我慢して黙って引き受けているとは思えません」
白瀬は、少しだけ笑った。
「それは、私も同意します」
「口では文句を言いますが、仕事はやる人間です。昔からそうでした。むしろ、やる気があるからこそ文句も多い」
白瀬は、画面の中の要請をもう一度見た。
「GVSによって、隠れていた熱意を見つけられることは分かりました」
「熱意ですか」
「はい。社員によっては、決められた作業だけで十分な人もいる。逆に、もっと試したい、もっと評価されたい、もっと外とつながりたい人もいる。全員を一律に同じ仕事へ押し込むことの方が、非効率なのかもしれません」
黒川は、しばらく黙った。
「……大槻さんが、その代表例だというのが納得できませんが」
「そこは、私もです」
二人は同時にため息をついた。
GVSは魔法のランプだ
編集室では、大槻がようやくスマホを机に置いた。
「お前ら」
三人が振り返る。
「俺の直属の部下になれ」
「は?」
赤髪が目を丸くした。
「今度の外部技術導入・適合検証チームに入れ。撮影だけじゃなく、新しい技術の確認も、俺と一緒にやれ」
「入れって……」
青髪が困った顔をした。
「大槻さんに、そんな権限はないでしょう」
大槻は、にやりと笑った。
「俺には、これがある」
手に持ったスマホには、GVSの入力画面が開かれていた。
金黒が首を傾げる。
「GVSを使って要請するってことですか?」
「そうだ。俺がお前らと技術開発チームをやりたいという実行案を出す。お前らが応答する。筋は通るだろうが」
「でも、それって……」
赤髪が言いよどんだ。
「大槻さんの要請を通すために、俺たちを先に固めるってことですよね」
「お前らが本当に俺とやりたいなら、何の問題がある」
「それは……」
三人は黙った。
大槻と仕事を続けたいかと言われれば、続けたい。
動画も面白い。
技術開発チームも、興味がないわけではない。
だが、何かが違う。
青髪が、慎重に口を開いた。
「でも、どうして俺たちなんです? 大槻さん、仲のいいベテランの人もいますよね」
「あいつらは駄目だ」
大槻は即答した。
「技術はある。仕事もできる。だが、GVSのことを何も分かっちゃいねえ」
「俺たちは分かっていると?」
「少なくとも、撮影支援モードを見て、要請を整理して、外に出すところまでやった。今の時代、そっちの方が頼りになる」
青髪の顔が少し硬くなった。
「今の時代って、どういう意味ですか」
大槻は笑った。
「俺はもう、分かっちまったんだよ」
「何をです?」
「これからの時代、これを使いこなせる奴が得をする。使えない奴は損をする。昔どれだけ偉かったか、何年働いたか、どんな技術を持ってるか。それだけじゃ足りねえ」
大槻は、スマホを軽く振った。
「欲しいものがあるなら、実行案にする。人に動いてほしけりゃ、要請にする。応答を集める。外へ出す。金も人も仕事も、そこから引っ張る」
金黒が、戸惑った声で言った。
「でも、それって……本来のシビックドライブの趣旨とは違うんじゃないですか」
「シビック?」
大槻は鼻で笑った。
「なんだそりゃ」
「協力して、誰かを押しつぶさずに――」
「どうでもいいぜ、そんなことは」
部屋が静かになった。
大槻は、GVSの入力欄を開いたまま言った。
「重要なのは、GVSが魔法のランプだってことだけだ」
青髪は、大槻の画面を見た。
そこには、すでに入力途中の文章があった。
【入力中】
自分は、赤髪、青髪、金黒とともに、外部技術導入・適合検証チームで活動したい。撮影、記録、GVS進行確認、技術発信まで一体で行えるため、この四人で新チームへ参加することを要請する。
「大槻さん」
青髪が低い声で言った。
「それが通らなかったら、どうするんですか」
大槻は、迷いなく答えた。
「通るまでやる」
「通るまで?」
「実行案を出す。要請を出す。条件を変える。応答を集める。それでも駄目なら、相手が折れるまで合論するだけだ」
「そんなの、協力じゃないですよ」
大槻は笑った。
「結果的に一緒に仕事をするなら、協力だろうが」
誰も答えなかった。
モニターには、少し前まで、大槻の動画が映っていた。
文句ばかり言うベテランが、若者に乗せられ、職人としての価値を見つけられ、町の外へ届き始める映像だった。
赤髪も、青髪も、金黒も、その変化を嬉しいと思っていた。
自分たちの夢も、そこに乗っていた。
地元に残ったまま、やりたかった仕事ができる。
給料を得ながら、動画を作り、町の誇りになれる。
GVSは、本当に魔法のランプだった。
だが、ランプから出てきたものが、いつまでも願いを叶えるだけの存在であるとは限らない。
青髪は、大槻の入力画面を見つめた。
協力のための仕組みが、相手を折れさせるための道具へ変わろうとしている。
新しい暴力の形が、そこに生まれようとしていた。
