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シビックヒーローズ 第三話 帰ってきたヒーロー

目次

二人で成り上がらないか

 短期居住試験の七日目、レオ・グラントは、モーテルの洗面台の前で自分の顔を見ていた。

 無精ひげは剃った。
 髪も、施設に来ていた理容ボランティアに短く切ってもらった。
 汚れた上着の代わりに、寄付品の黒いジャケットを着ている。

 高級品ではない。
 だが、高架下で毛布にくるまっていた一週間前の自分よりは、ずっとましだった。

 端末には、七日間の活動記録が表示されている。

【短期居住試験:完了】
【聞き取り記録:二十二件】
【改善反映:九件】
【活動報酬:受取可能】

 朝食。
 柔らかい食事。
 部屋での受取。
 交通券。
 洗濯機の利用時間。
 退去後に参加できる報酬活動の一覧。

 小さな改善ばかりだった。

 それでも、この一週間で、モーテルの人間たちはレオの名前を覚えた。

「レオ、次は医療費のことも聞いてくれ」
「俺の姉も空き部屋に入れないか確認してくれ」
「また来るなら、朝食にベーコンを入れろって言ってくれ」

 昨日の夜には、マーカスが笑いながらコーヒーを差し出してきた。

「お前が欲しがってた金で買ったわけじゃない。俺の初出勤祝いだ」

 倉庫の短期勤務が決まったらしい。

 ジョージは、柔らかい朝食を食べながら言った。

「君は口が悪いが、少なくとも口だけではないな」

 エイミーは、ほとんど食堂へ来なくなった。
 ただ、昨日、廊下ですれ違った時に、小さく親指を上げた。

 レオは、そんな連中に感謝されるために動いたわけではない。

 金が欲しかった。
 だから、文句を集めて金にした。

 それだけのはずだった。

「……まだやれるじゃねえか」

 鏡の中の自分へ、レオは呟いた。

 その声は、一週間前より少しだけ強かった。

 かつて、自分はこの程度ではなかった。

 十代の頃から、誰よりも口が回った。
 人を集めるのも、金になる話を嗅ぎつけるのも得意だった。

 二十代の初めには、小さな事業を始めた。
 街の若者を集め、服や音楽イベントや配送仕事をまとめて、いつか本物の会社にするつもりだった。

 だが、金は回らなくなった。
 仲間とは揉めた。
 最後には暴力沙汰まで起こし、逮捕された。

 そこからは早かった。

 信用を失い、部屋を失い、仕事を失い、いつの間にか高架下で寝ていた。

 自分は終わったのだと思っていた。

 けれど違った。

 端末一台と口だけで、四十ドルを取った。
 文句を束ねて、人を動かした。
 七日間で、何人かの生活条件まで変えた。

 だったら、まだ終わっていない。

 レオは、荷物を肩へ掛けた。

 その中には、替えのシャツと充電器。
 そして、まだ傷の残る古いスマートフォンが入っている。

 部屋を出る前、端末が表示した。

【退去後の活動候補を確認しますか】

 レオは、鼻で笑って画面を閉じた。

「俺が欲しいのは、ここの相談係じゃねえ」

 一日何人かの文句を聞いて、小銭を得る。
 それだけなら、路上へ戻らずには済むかもしれない。

 だが、それでは足りない。

 レオは、もっと上へ行きたかった。

戻った通り

 モーテルを出たレオは、地下鉄を乗り継ぎ、昔住んでいた地区へ向かった。

 駅を降りた途端、空気が変わった。

 建物の壁には色の褪せた壁画。
 角のリカーショップには分厚い防犯ガラス。
 路上に停められた車から、重い低音の音楽が漏れている。

 歩道の端では、十代半ばくらいの少年たちが、新しいスニーカーを見せ合って笑っていた。
 その少し先に、首元へ金色のチェーンを下げた男がいる。

 男が、少年の一人へ何かを渡した。
 少年はそれをパーカーのポケットへ入れ、代わりに小さく頷いた。

 レオは足を止めた。

 あの姿を知っている。

 初めは、ただ格好よく見える。
 街で名の通った年上の男に声をかけられる。
 少し手伝えば、すぐに金が入る。
 学校で馬鹿にされても、家に金がなくても、その輪の中にいれば自分は誰かになれる。

 レオも昔は、あの近くにいた。

 ただ、自分は途中で思ったのだ。

 薬を売って、路地で威張るだけでは小さい。
 俺はもっとでかい金を掴む。
 もっと遠くまで名前を売る。

 そう言って街を出た。

 そして失敗した。

「レオ?」

 聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、店の壁にもたれていた男が、サングラスを外した。

 肩幅の広い、黒いパーカー姿の男。
 腕には古いタトゥーが増え、首元のチェーンは昔より太くなっている。

「……ジェイデン」

「マジかよ」

 ジェイデンは、驚いた後、ゆっくり笑った。

「死んだと思ってたぜ」

「勝手に殺すな」

「じゃあ、どこで何してた。最後に聞いた時は、会社を潰して、警察の世話になって、その後は行方不明だった」

「まあ、色々だ」

「色々ねえ」

 ジェイデンは、レオのジャケットと荷物を見た。

「随分、軽そうな人生になったじゃねえか」

「お前は相変わらず重そうだな。鎖も、抱えてるガキどもも」

 ジェイデンの笑みが、わずかに薄れた。

 少年たちがこちらを見ている。
 その目に、ジェイデンへの敬意と警戒が混ざっているのを、レオは見逃さなかった。

 昔と同じだ。

 ジェイデンは、この街で残った。
 そして今は、少年たちへ金を回す側になっている。

「何しに来た、レオ」

「お前に会いに来た」

「金でも借りたいのか?」

「逆だ」

 レオは、口元を上げた。

「二人で成り上がらないか、ジェイデン」

 ジェイデンは、一秒ほど黙った後、腹を抱えて笑った。

「またビジネスか?」

「そうだ」

「お前、懲りねえな。前もそれで全部失ったんだろうが」

「今度は違う」

「何が違う」

「俺が戻った」

 ジェイデンの笑いが、少しだけ止まった。

 レオは続けた。

「一週間前まで、俺は路上にいた。腹を空かせて、誰にも見えない場所で寝てた。だが、今は違う」

「部屋でも借りたのか?」

「人の文句を集めて、金を取った。施設の条件まで変えた」

「何だそれ。相談員にでもなったつもりか」

「違う。金が動く場所を見つけたんだ」

 ジェイデンは、レオの顔をじっと見た。

 馬鹿なことを言っている。
 そう思っているはずだった。

 それでも、完全に背を向けない。

 レオには分かった。

 ジェイデンも気づいている。
 目の前の男の顔に、かつての熱が戻っていることに。

「いい加減、馬鹿ばっかりやってねえでさ」

 ジェイデンは、壁から体を離した。

「お前もグループに戻れよ」

「はんっ。俺にギャングになれっていうのか?」

「それしかねえだろ」

 ジェイデンは、周囲を顎で示した。

「お前にまともな会社がもう一度仕事をくれるのか? 逮捕歴もある。金もない。住む場所だって怪しい。
ここなら、俺が話を通せる。金も作れる。昔みたいに仲間もいる」

「ドラッグを売れって?」

「それが悪いか?」

「悪いね」

 レオは即答した。

 ジェイデンの眉が動く。

「何が悪い。欲しい奴へ売って、金を稼いでる。俺の連中も、それで食ってる。お前みたいに道端でくたばりかけるより、よっぽどましだ」

「好きでやってるってのか?」

「そうだ。それが悪いか?」

 レオは、ジェイデンへ一歩近づいた。

「それじゃ、お前は一生日陰者だ」

 少年たちの笑い声が止まった。

 ジェイデンの目が、鋭くなる。

「……何だと?」

「この通りで薬を売って、ガキに小遣いを配って、街で少し怖がられて終わりだ。金を持ってるつもりかもしれねえが、お前の名前は表じゃ出せねえ。
お前がどれだけ稼いでも、いつまでも日陰でしか威張れねえんだよ」

「路上で寝てた奴が、偉そうに言うじゃねえか」

「ああ。路上まで落ちたから分かった」

 レオは、声を低くした。

「俺はまだ上へ行ける。お前もだ」

「どうやって」

「ついてこい、ジェイデン」

 レオは笑った。

「俺がお前たちを今以上に稼がせて、しかも英雄にしてやる」

 ジェイデンは、呆れたように息を吐いた。

「悪いが、馬鹿な妄想に付き合うのはごめんだぜ」

「ああ、そうかい」

 レオは踵を返した。

「だったら、今夜、俺のレオチャンネルを見ていろ」

「レオチャンネル?」

「面白いものが見られる」

 ジェイデンは、笑いながら腕を組んだ。

「お前が何かやるっていうなら、見てやってもいい」

 レオは振り返った。

「言ったな?」

「ああ。せいぜい笑わせろ」

「楽しみに待ってろよ」

 レオは、そのまま通りを歩き出した。

 手元にあるものは、スマートフォン一台。
 施設で稼いだわずかな金。
 そして、失敗ばかりだった自分の名前。

 それでも、足取りは軽かった。

 高架下で死にかけていた男は、もういない。

 歩きながら、レオはスマートフォンを取り出した。
 画面には、一週間前、高架下のビジョンで見た富豪のニュース映像が残っている。

【生活再建支援基金へ四百二十八万ドルを寄付】

 レオは、その名前を指でなぞった。

「へっ……」

 口元に、笑みが浮かぶ。

「やってやるぜ」

 何もないからこそ、失うものもない。

「見てろよ、ジェイデン」

 レオは、割れたカメラレンズへ自分の顔を映した。

「俺が、表の世界へ引きずり出してやる」

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