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シビックヒーローズ 第十九話 ヒーローは神話になった

目次

一対一

 十六人が消えた翌日も、ボスの周りから人は消え続けた。

 売人が二人。
 見張りをしていた若者が一人。
 倉庫で金を管理していた男まで、夜のうちに姿を消した。

 誰も「ギャングを抜ける」と宣言しなかった。
 誰もボスの前で銃を置かなかった。

 ただ、いなくなった。

 連絡はつかない。
 家にもいない。
 昔の仲間のところにも姿を見せない。

 それなのに、GVS上には新しい声が増えていた。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】
薬の運搬から離れた後に、顔を出さずに収入を得る方法を試します。

【+ SUPPORT】
同じ立場の人には、身元を明かさず参加できる活動を教えていただけませんか?

――――――――――――――

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】
銃を持たずに暮らせる場所へ移るため、必要な条件を確認します。

【+ SUPPORT】
報復が不安な人には、安全に連絡を取る方法を一緒に考えていただけませんか?

――――――――――――――

 誰が書いたのかは分からない。
 だが、ボスには分かっていた。

 これは、もう別の街の話ではない。
 自分の人間が、自分の知らない場所で、自分の許可なく次の生き方を探している。

「見つけたら連れ戻せ」

 ボスは部下へ言った。

「誰をですか」

「消えた奴ら全員だ」

 部下は、すぐには返事をしなかった。

「……見つけて、どうするんです」

 ボスは顔を上げた。

「何だ、その聞き方は」

「いえ。ただ、戻りたいと思っていない奴を連れてきても、また逃げるだけじゃないかと」

 部屋の空気が冷えた。

 以前なら、こんな口答えは出なかった。
 ボスが睨めば、それだけで全員が黙った。

 だが今、目の前の男は怯えながらも視線を逸らさなかった。

「お前も、俺から逃げたいのか」

「俺は……」

「答えろ」

 男の喉が動く。

「死にたくはありません」

 ボスは立ち上がった。

 拳を握った。
 銃へ手を伸ばそうとして、止めた。

 ここで撃てば、また人が消える。
 脅せば従う時代は終わりかけている。
 それが分かっているからこそ、腹の奥が焼けるように熱かった。

「出ていけ」

 男は何も言わず、部屋を出た。

 扉が閉まった後、ボスは一人で端末を開いた。

 画面には、レオ・グラントの動画が映っている。

お前らは本当に、誰かの命令で死にたいのか。
自分にとって何が一番いいのか、自分の頭で考えろ。

「……黙れ」

 ボスは動画を止めた。

 ジェイデンが人を逃がしているだけなら、潰せた。
 隠れ家を壊し、見せしめを作り、恐怖を戻せばよかった。

 だが、レオは違う。

 あの男は、ここにいなくても人を揺らす。
 端末の向こうから、もう自分のために死ななくていいと思わせる。
 レオが笑い、叫び、金を動かすたび、自分の周りから人間が消えていく。

 ボスは、連絡先を開いた。

「レオ・グラント……俺と話せ」

武器なし

「罠だ」

 ジェイデンは、届いた音声を聞き終えるなり言った。

 レオたちが集まっていた部屋には、マヤとノアも来ていた。
 タイラーたちは別室で新しい音源を作っている。安全のため、レオたちの打ち合わせ場所とは分けていた。

 端末から、ボスの声がもう一度流れる。

レオ・グラント。俺と一対一で話せ。
武器は持たない。お前も一人で来い。
配信しても構わない。
俺は、お前に聞きたいことがある。

「話したいわけがない」

 ジェイデンは苛立ったように机を叩いた。

「あいつはもう、部下にお前を殺させられない。だから自分でやる気だ」

 レオは椅子へ深く座り、音声を聞き直していた。

「面白いじゃねえか」

「お前、何を聞いてたんだ?」

「武器なし。配信可。ボスが世界の前へ出るって言ってるんだ。受けるに決まってるだろ」

「駄目よ」

 マヤが即座に言った。

「あなたが撃たれたら、それで済む話ではない。活動へ参加している若者たちも、離脱しようとしている人たちも、一気に危険になる」

「だからこそ、俺が行くんだろ」

「英雄の格好をつける話をしているんじゃないの」

「違うね。あいつが俺を殺せば元に戻ると思ってるなら、本人の前で教えてやる。もう遅いってな」

 ノアが端末を操作しながら口を開いた。

「対談を受ける場合、条件が必要です。場所は事前確認。周囲に第三者を配置。配信は複数端末で保存。発砲や通信断が起きた場合、即時に突入できる距離へジェイデンさんたちを待機させる」

「一対一じゃねえだろ、それ」

「一対一で話すことと、無防備で殺されに行くことは別です」

 ノアは顔を上げなかった。

「それから、これを着てください」

 マヤが、黒い防弾ベストを机へ置いた。

 レオが顔をしかめる。

「冗談だろ。俺は戦争しに行くんじゃねえ。話をしに行くんだ」

「武器なしを守る男なら、あなたが着ていても何も起きないわ」

「服の上から見えたら、俺が怯えてるみたいじゃねえか」

「撃たれて死ぬよりはましよ」

 ジェイデンがベストを掴み、レオへ投げた。

「着ろ。あいつを知ってる俺が言ってる。あの男は、もう話でどうにかなるところにはいねえ」

 レオは受け取ったベストを見下ろした。

 少しだけ沈黙した後、鼻で笑う。

「分かったよ。服の下に隠せるならな」

「本当に、何でそこまで格好の話しかできないのよ」

「英雄は見られる仕事だからな」

 マヤはため息を吐き、ノアは警備条件の確認へ戻った。

 ジェイデンだけが、レオをじっと見ていた。

「レオ。最後に聞く。行かなくてもいいんだぞ」

「行かない理由がねえ」

「あいつが何を言っても、挑発するな」

「善処する」

「それ、守る気がない時の言葉だろ」

 レオは立ち上がった。

「安心しろ、ジェイデン。俺は死なねえ」
「まだ、世界中から取ってくる金が残ってるからな」

奪った男

 対談場所に指定されたのは、閉鎖された小さなボクシングジムだった。

 かつては街の若者が通っていたらしい。
 今はリングのロープも色あせ、壁には剥がれかけた選手のポスターだけが残っている。

 レオは、一人でリング脇の椅子へ座った。
 シャツの下には、防弾ベストが隠されている。

 頭上の古い照明の横に、配信用の小型カメラが設置されていた。
 レオの端末も、テーブルの上で映像を記録している。

 数分後、奥の扉が開いた。

 ボスが一人で入ってきた。

 大柄な男だった。
 年齢は四十代半ばほど。疲れた目をしているが、歩き方にはまだ誰かに道を譲らせてきた人間の癖が残っている。

「レオ・グラント」

「ようやく会えたな。俺を殺したくて仕方ない男」

 ボスは笑わなかった。

「配信は始まってるのか」

「ああ。お前の言い分を世界中が聞ける。光栄だろ」

「俺は、お前に聞きたいだけだ」

「何をだ」

 ボスは、レオの正面へ座った。

「なぜ、俺から奪った」

 レオは一瞬、言葉の意味を測るように顔を傾けた。

「何を?」

「人間だ」

 ボスの声が低くなる。

「俺の下で働いていた奴らだ。俺が食わせてきた。俺が守ってきた。俺が、この街で生きられるようにしてやった」

「薬を売らせて、銃を持たせて、抜けたら殺すと脅してた奴らの話か?」

「お前に何が分かる!」

 ボスは椅子を蹴るように立ち上がった。

「俺がここまで来るのに、どれだけのものを失ったと思ってる。何も持ってなかった俺が、この街で舐められずに生きるために、何をしてきたと思ってる!」

「知らねえよ」

「そうだ。お前は知らねえ。突然出てきて、金持ちの金をばら撒いて、歌だの動画だのを作らせて、俺の人間へ夢を見せやがった」

 ボスの拳が震えていた。

「お前が来なければ、あいつらは俺のところにいた。俺の言うことを聞いていた。俺のために働いていた!」

「だから何だ」

 レオは椅子に座ったまま、ボスを見上げた。

「お前のところにいた連中は、お前の持ち物じゃねえ」

 ボスの顔が引きつった。

「俺が奪ったんじゃねえ。あいつらが、自分で出ていったんだよ。薬を売らなくても金を得られる。銃を持たなくても仲間ができる。お前のために死ななくても、生きていける。そう分かったからな」

「黙れ……」

「何だ。聞きたくなかったのか?」

「俺は、あいつらを守ってきた!」

「違うね。お前は、あいつらが逃げられないように怖がらせてただけだ」

「黙れ!」

 ボスの怒鳴り声が、古いジムに響く。

 レオは立ち上がった。

「あいつらが欲しいなら、追いかけて頼んでみろよ。戻ってきてくれってな。お前が本当に守ってきたなら、誰か一人くらい戻ってくるかもしれねえぞ」

「お前は……」

「だが、戻らねえだろうな。もう見ちまったからだ。お前なしでも生きられる世界を」

 ボスの呼吸が荒くなる。

 配信の向こう側では、この会話を街の若者たちも、抜けた者たちも、ボスの下にまだ残っている者たちも見ていた。

「俺を、何者でもない男に戻す気か」

 ボスの声が急に小さくなった。

「俺は、ここまで来た。命を張った。人を失った。怖がられながら、ようやくこの場所に座った」

「なら、次はお前が自分で決めろよ」

 レオは言った。

「何者でもない一人として生きるか、誰にも従われない王様のまま終わるか」

 ボスは、しばらくレオを見ていた。

 その顔から、怒りが消えたように見えた。
 あるいは、もう怒り以外のものがすべて消えたのかもしれない。

「……だから、お前が嫌いなんだよ」

 ボスの手が、背中側へ動いた。

 レオの目がわずかに見開かれる。

「お前――」

 銃声が響いた。

お前たちのヒーローは死んだ

 衝撃が、レオの胸を叩き潰した。

 息が止まる。
 足から力が抜け、レオは椅子ごと後ろへ倒れた。

 端末が床へ落ち、硬い音を立てて転がる。

 ボスは、銃を握ったまま立ち尽くしていた。

 倒れたレオは動かない。
 胸元から血は見えなかったが、ボスには確認する余裕などなかった。至近距離から撃った。死んだに決まっている。

「……見たか?」

 ボスは、床に落ちた端末を拾い上げた。

 映像はまだ流れていた。
 自分の顔が、画面いっぱいに映る。

「見たか! お前たちのヒーローは死んだ!」

 声が震えていた。
 勝ち誇っているのか、恐怖を隠しているのか、自分でも分からなかった。

「こうなりたくなかったら、馬鹿な真似はやめろ!」
「歌だの、アプリだの、くだらねえ夢を見るのは終わりだ!」
「俺に従え! そうすりゃ、今まで通り生きていける!」

 床に倒れたレオは、動かない。

 ボスは、さらに端末へ顔を近づけた。

「いいか? これが最後の警告だ」
「俺は警告したからな」
「後悔するなよ!」

 その瞬間、ジムの横扉が破られた。

「レオ!」

 ジェイデンが飛び込んできた。

 ボスが振り向くより早く、ジェイデンは体ごとぶつかった。
 端末が再び床へ落ち、銃がリングの下へ滑り込む。

「てめえ!」

 ジェイデンはボスの腕を捻り、床へ押さえ込んだ。

「離せ! あいつが俺から全部奪ったんだ!」

「違う!」

 ジェイデンの声は、怒鳴り声より低かった。

「誰も奪われてねえ」
「お前の下にいた奴らは、自分で出ていったんだよ」
「お前のために死にたくなかったからな!」

 外から足音が押し寄せる。
 ノアが通報していた警察が、ジムへ突入してきた。

 ボスは数人に押さえ込まれながらも叫び続ける。

「俺の街だ! 俺の人間だ! あいつが奪ったんだ!」

 だが、もうその声に動く者はいなかった。

 ジェイデンはボスから手を離し、倒れたレオへ駆け寄った。

「レオ! おい、レオ!」

 肩を掴み、揺らす。

 反応はない。

「ふざけんな……お前、死なねえって言っただろ!」

 その時、レオの喉から、かすれた音が漏れた。

「……うるせえな」

 ジェイデンの手が止まる。

「レオ?」

「胸が……死ぬほど痛え……」

 レオは苦しそうに息を吸い、シャツの下へ手を入れた。
 防弾ベストの胸元には、弾丸がめり込んだ痕が残っている。

 ジェイデンは、その場に座り込むように息を吐いた。

「この……馬鹿野郎が……!」

 レオは、床に倒れたまま薄く笑った。

「見たか……ジェイデン」

「何をだよ!」

「俺は……本当に……撃たれても死なねえ……」

「黙れ! 救急車が来るまで喋るな!」

 マヤとノアも、遅れてジムへ駆け込んできた。

 床に倒れたレオを見て、マヤの顔色が変わる。

「レオ!」

「大丈夫だ……マヤ……」

「どこが大丈夫なのよ!」

 レオは痛みに顔を歪めながらも、床に落ちた端末を指さした。

「映像……残ってるか?」

 マヤは、一瞬言葉を失った。

「あなた、本当に……」

 ノアが端末を拾い、確認する。

「記録されています。発砲も、脅迫も、ジェイデンさんが取り押さえた場面も、すべてです」

 レオは、満足そうに目を閉じた。

「なら……次の金も……取れるな……」

「この状況で、まだ金の話をするのかよ」

 ジェイデンが呆れたように吐き捨てる。

 レオは、苦しそうに笑った。

「当たり前だろ……俺は……シビックヒーローだぜ……」

 救急隊が駆け込んでくる。

 ストレッチャーへ乗せられる直前、レオは再び目を開けた。

「ジェイデン……」

「何だ」

「次の曲のタイトル……決まったな……」

「黙って運ばれろ、馬鹿」

 ジェイデンは、怒鳴りながら目を伏せた。

 ボスは連行され、レオは救急車へ運び込まれていく。
 街の端末には、すでに対談映像が広がり始めていた。

 お前たちのヒーローは死んだ。

 ボスが恐怖を取り戻すために吐いたその言葉は、数時間後には、まったく別の意味で世界を駆け巡ることになる。

 撃たれても、生きていた。
 薬と銃の街へ一人で立ち、支配者の暴力を世界へ晒した。
 そして、倒れてなお金を引っ張ることを考えていた。

 その夜、レオ・グラントは、ただの配信者でも、ただのシビックナビゲーターでもなくなった。

 街の若者たちが語り継ぐ、最初の英雄になった。

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