
一対一
十六人が消えた翌日も、ボスの周りから人は消え続けた。
売人が二人。
見張りをしていた若者が一人。
倉庫で金を管理していた男まで、夜のうちに姿を消した。
誰も「ギャングを抜ける」と宣言しなかった。
誰もボスの前で銃を置かなかった。
ただ、いなくなった。
連絡はつかない。
家にもいない。
昔の仲間のところにも姿を見せない。
それなのに、GVS上には新しい声が増えていた。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
薬の運搬から離れた後に、顔を出さずに収入を得る方法を試します。
【+ SUPPORT】
同じ立場の人には、身元を明かさず参加できる活動を教えていただけませんか?
――――――――――――――
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
銃を持たずに暮らせる場所へ移るため、必要な条件を確認します。
【+ SUPPORT】
報復が不安な人には、安全に連絡を取る方法を一緒に考えていただけませんか?
――――――――――――――
誰が書いたのかは分からない。
だが、ボスには分かっていた。
これは、もう別の街の話ではない。
自分の人間が、自分の知らない場所で、自分の許可なく次の生き方を探している。
「見つけたら連れ戻せ」
ボスは部下へ言った。
「誰をですか」
「消えた奴ら全員だ」
部下は、すぐには返事をしなかった。
「……見つけて、どうするんです」
ボスは顔を上げた。
「何だ、その聞き方は」
「いえ。ただ、戻りたいと思っていない奴を連れてきても、また逃げるだけじゃないかと」
部屋の空気が冷えた。
以前なら、こんな口答えは出なかった。
ボスが睨めば、それだけで全員が黙った。
だが今、目の前の男は怯えながらも視線を逸らさなかった。
「お前も、俺から逃げたいのか」
「俺は……」
「答えろ」
男の喉が動く。
「死にたくはありません」
ボスは立ち上がった。
拳を握った。
銃へ手を伸ばそうとして、止めた。
ここで撃てば、また人が消える。
脅せば従う時代は終わりかけている。
それが分かっているからこそ、腹の奥が焼けるように熱かった。
「出ていけ」
男は何も言わず、部屋を出た。
扉が閉まった後、ボスは一人で端末を開いた。
画面には、レオ・グラントの動画が映っている。
お前らは本当に、誰かの命令で死にたいのか。
自分にとって何が一番いいのか、自分の頭で考えろ。
「……黙れ」
ボスは動画を止めた。
ジェイデンが人を逃がしているだけなら、潰せた。
隠れ家を壊し、見せしめを作り、恐怖を戻せばよかった。
だが、レオは違う。
あの男は、ここにいなくても人を揺らす。
端末の向こうから、もう自分のために死ななくていいと思わせる。
レオが笑い、叫び、金を動かすたび、自分の周りから人間が消えていく。
ボスは、連絡先を開いた。
「レオ・グラント……俺と話せ」
武器なし
「罠だ」
ジェイデンは、届いた音声を聞き終えるなり言った。
レオたちが集まっていた部屋には、マヤとノアも来ていた。
タイラーたちは別室で新しい音源を作っている。安全のため、レオたちの打ち合わせ場所とは分けていた。
端末から、ボスの声がもう一度流れる。
レオ・グラント。俺と一対一で話せ。
武器は持たない。お前も一人で来い。
配信しても構わない。
俺は、お前に聞きたいことがある。
「話したいわけがない」
ジェイデンは苛立ったように机を叩いた。
「あいつはもう、部下にお前を殺させられない。だから自分でやる気だ」
レオは椅子へ深く座り、音声を聞き直していた。
「面白いじゃねえか」
「お前、何を聞いてたんだ?」
「武器なし。配信可。ボスが世界の前へ出るって言ってるんだ。受けるに決まってるだろ」
「駄目よ」
マヤが即座に言った。
「あなたが撃たれたら、それで済む話ではない。活動へ参加している若者たちも、離脱しようとしている人たちも、一気に危険になる」
「だからこそ、俺が行くんだろ」
「英雄の格好をつける話をしているんじゃないの」
「違うね。あいつが俺を殺せば元に戻ると思ってるなら、本人の前で教えてやる。もう遅いってな」
ノアが端末を操作しながら口を開いた。
「対談を受ける場合、条件が必要です。場所は事前確認。周囲に第三者を配置。配信は複数端末で保存。発砲や通信断が起きた場合、即時に突入できる距離へジェイデンさんたちを待機させる」
「一対一じゃねえだろ、それ」
「一対一で話すことと、無防備で殺されに行くことは別です」
ノアは顔を上げなかった。
「それから、これを着てください」
マヤが、黒い防弾ベストを机へ置いた。
レオが顔をしかめる。
「冗談だろ。俺は戦争しに行くんじゃねえ。話をしに行くんだ」
「武器なしを守る男なら、あなたが着ていても何も起きないわ」
「服の上から見えたら、俺が怯えてるみたいじゃねえか」
「撃たれて死ぬよりはましよ」
ジェイデンがベストを掴み、レオへ投げた。
「着ろ。あいつを知ってる俺が言ってる。あの男は、もう話でどうにかなるところにはいねえ」
レオは受け取ったベストを見下ろした。
少しだけ沈黙した後、鼻で笑う。
「分かったよ。服の下に隠せるならな」
「本当に、何でそこまで格好の話しかできないのよ」
「英雄は見られる仕事だからな」
マヤはため息を吐き、ノアは警備条件の確認へ戻った。
ジェイデンだけが、レオをじっと見ていた。
「レオ。最後に聞く。行かなくてもいいんだぞ」
「行かない理由がねえ」
「あいつが何を言っても、挑発するな」
「善処する」
「それ、守る気がない時の言葉だろ」
レオは立ち上がった。
「安心しろ、ジェイデン。俺は死なねえ」
「まだ、世界中から取ってくる金が残ってるからな」
奪った男
対談場所に指定されたのは、閉鎖された小さなボクシングジムだった。
かつては街の若者が通っていたらしい。
今はリングのロープも色あせ、壁には剥がれかけた選手のポスターだけが残っている。
レオは、一人でリング脇の椅子へ座った。
シャツの下には、防弾ベストが隠されている。
頭上の古い照明の横に、配信用の小型カメラが設置されていた。
レオの端末も、テーブルの上で映像を記録している。
数分後、奥の扉が開いた。
ボスが一人で入ってきた。
大柄な男だった。
年齢は四十代半ばほど。疲れた目をしているが、歩き方にはまだ誰かに道を譲らせてきた人間の癖が残っている。
「レオ・グラント」
「ようやく会えたな。俺を殺したくて仕方ない男」
ボスは笑わなかった。
「配信は始まってるのか」
「ああ。お前の言い分を世界中が聞ける。光栄だろ」
「俺は、お前に聞きたいだけだ」
「何をだ」
ボスは、レオの正面へ座った。
「なぜ、俺から奪った」
レオは一瞬、言葉の意味を測るように顔を傾けた。
「何を?」
「人間だ」
ボスの声が低くなる。
「俺の下で働いていた奴らだ。俺が食わせてきた。俺が守ってきた。俺が、この街で生きられるようにしてやった」
「薬を売らせて、銃を持たせて、抜けたら殺すと脅してた奴らの話か?」
「お前に何が分かる!」
ボスは椅子を蹴るように立ち上がった。
「俺がここまで来るのに、どれだけのものを失ったと思ってる。何も持ってなかった俺が、この街で舐められずに生きるために、何をしてきたと思ってる!」
「知らねえよ」
「そうだ。お前は知らねえ。突然出てきて、金持ちの金をばら撒いて、歌だの動画だのを作らせて、俺の人間へ夢を見せやがった」
ボスの拳が震えていた。
「お前が来なければ、あいつらは俺のところにいた。俺の言うことを聞いていた。俺のために働いていた!」
「だから何だ」
レオは椅子に座ったまま、ボスを見上げた。
「お前のところにいた連中は、お前の持ち物じゃねえ」
ボスの顔が引きつった。
「俺が奪ったんじゃねえ。あいつらが、自分で出ていったんだよ。薬を売らなくても金を得られる。銃を持たなくても仲間ができる。お前のために死ななくても、生きていける。そう分かったからな」
「黙れ……」
「何だ。聞きたくなかったのか?」
「俺は、あいつらを守ってきた!」
「違うね。お前は、あいつらが逃げられないように怖がらせてただけだ」
「黙れ!」
ボスの怒鳴り声が、古いジムに響く。
レオは立ち上がった。
「あいつらが欲しいなら、追いかけて頼んでみろよ。戻ってきてくれってな。お前が本当に守ってきたなら、誰か一人くらい戻ってくるかもしれねえぞ」
「お前は……」
「だが、戻らねえだろうな。もう見ちまったからだ。お前なしでも生きられる世界を」
ボスの呼吸が荒くなる。
配信の向こう側では、この会話を街の若者たちも、抜けた者たちも、ボスの下にまだ残っている者たちも見ていた。
「俺を、何者でもない男に戻す気か」
ボスの声が急に小さくなった。
「俺は、ここまで来た。命を張った。人を失った。怖がられながら、ようやくこの場所に座った」
「なら、次はお前が自分で決めろよ」
レオは言った。
「何者でもない一人として生きるか、誰にも従われない王様のまま終わるか」
ボスは、しばらくレオを見ていた。
その顔から、怒りが消えたように見えた。
あるいは、もう怒り以外のものがすべて消えたのかもしれない。
「……だから、お前が嫌いなんだよ」
ボスの手が、背中側へ動いた。
レオの目がわずかに見開かれる。
「お前――」
銃声が響いた。
お前たちのヒーローは死んだ
衝撃が、レオの胸を叩き潰した。
息が止まる。
足から力が抜け、レオは椅子ごと後ろへ倒れた。
端末が床へ落ち、硬い音を立てて転がる。
ボスは、銃を握ったまま立ち尽くしていた。
倒れたレオは動かない。
胸元から血は見えなかったが、ボスには確認する余裕などなかった。至近距離から撃った。死んだに決まっている。
「……見たか?」
ボスは、床に落ちた端末を拾い上げた。
映像はまだ流れていた。
自分の顔が、画面いっぱいに映る。
「見たか! お前たちのヒーローは死んだ!」
声が震えていた。
勝ち誇っているのか、恐怖を隠しているのか、自分でも分からなかった。
「こうなりたくなかったら、馬鹿な真似はやめろ!」
「歌だの、アプリだの、くだらねえ夢を見るのは終わりだ!」
「俺に従え! そうすりゃ、今まで通り生きていける!」
床に倒れたレオは、動かない。
ボスは、さらに端末へ顔を近づけた。
「いいか? これが最後の警告だ」
「俺は警告したからな」
「後悔するなよ!」
その瞬間、ジムの横扉が破られた。
「レオ!」
ジェイデンが飛び込んできた。
ボスが振り向くより早く、ジェイデンは体ごとぶつかった。
端末が再び床へ落ち、銃がリングの下へ滑り込む。
「てめえ!」
ジェイデンはボスの腕を捻り、床へ押さえ込んだ。
「離せ! あいつが俺から全部奪ったんだ!」
「違う!」
ジェイデンの声は、怒鳴り声より低かった。
「誰も奪われてねえ」
「お前の下にいた奴らは、自分で出ていったんだよ」
「お前のために死にたくなかったからな!」
外から足音が押し寄せる。
ノアが通報していた警察が、ジムへ突入してきた。
ボスは数人に押さえ込まれながらも叫び続ける。
「俺の街だ! 俺の人間だ! あいつが奪ったんだ!」
だが、もうその声に動く者はいなかった。
ジェイデンはボスから手を離し、倒れたレオへ駆け寄った。
「レオ! おい、レオ!」
肩を掴み、揺らす。
反応はない。
「ふざけんな……お前、死なねえって言っただろ!」
その時、レオの喉から、かすれた音が漏れた。
「……うるせえな」
ジェイデンの手が止まる。
「レオ?」
「胸が……死ぬほど痛え……」
レオは苦しそうに息を吸い、シャツの下へ手を入れた。
防弾ベストの胸元には、弾丸がめり込んだ痕が残っている。
ジェイデンは、その場に座り込むように息を吐いた。
「この……馬鹿野郎が……!」
レオは、床に倒れたまま薄く笑った。
「見たか……ジェイデン」
「何をだよ!」
「俺は……本当に……撃たれても死なねえ……」
「黙れ! 救急車が来るまで喋るな!」
マヤとノアも、遅れてジムへ駆け込んできた。
床に倒れたレオを見て、マヤの顔色が変わる。
「レオ!」
「大丈夫だ……マヤ……」
「どこが大丈夫なのよ!」
レオは痛みに顔を歪めながらも、床に落ちた端末を指さした。
「映像……残ってるか?」
マヤは、一瞬言葉を失った。
「あなた、本当に……」
ノアが端末を拾い、確認する。
「記録されています。発砲も、脅迫も、ジェイデンさんが取り押さえた場面も、すべてです」
レオは、満足そうに目を閉じた。
「なら……次の金も……取れるな……」
「この状況で、まだ金の話をするのかよ」
ジェイデンが呆れたように吐き捨てる。
レオは、苦しそうに笑った。
「当たり前だろ……俺は……シビックヒーローだぜ……」
救急隊が駆け込んでくる。
ストレッチャーへ乗せられる直前、レオは再び目を開けた。
「ジェイデン……」
「何だ」
「次の曲のタイトル……決まったな……」
「黙って運ばれろ、馬鹿」
ジェイデンは、怒鳴りながら目を伏せた。
ボスは連行され、レオは救急車へ運び込まれていく。
街の端末には、すでに対談映像が広がり始めていた。
お前たちのヒーローは死んだ。
ボスが恐怖を取り戻すために吐いたその言葉は、数時間後には、まったく別の意味で世界を駆け巡ることになる。
撃たれても、生きていた。
薬と銃の街へ一人で立ち、支配者の暴力を世界へ晒した。
そして、倒れてなお金を引っ張ることを考えていた。
その夜、レオ・グラントは、ただの配信者でも、ただのシビックナビゲーターでもなくなった。
街の若者たちが語り継ぐ、最初の英雄になった。
