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シビックファミリー 第一話 シビックハウスへようこそ

 シビックファミリー 第一話 シビックハウスへようこそ

 スイスで一番憧れられている職業は、政治家だった。

 昔は、芸能人やスポーツ選手や起業家に憧れる若者が多かったらしい。

 けれど、GVSが広がってから、政治家の意味は少し変わった。

 議会で法律を作る人。
 選挙で選ばれる人。
 国民投票の場で意見を示す人。

 それだけではない。

 GVSで人々のDRIVEを読み、SUPPORTを集め、合論を進め、地域の困りごとを仕事や制度や活動にしていく人。

 そんな人たちも、政治家のように見られるようになっていた。

 GVSで成果を出せば、収入を得られる。
 支持者が増えれば、活動拠点を持てる。
 さらに支持が広がれば、実際に議員や自治体の代表を目指すこともできる。

 政治家は、遠い議会の中にいる大人だけのものではなくなった。

 若者にとって、それは手の届くスターだった。

 稼げる。
 目立てる。
 敬われる。
 社会を動かせる。
 しかも、今すぐ始められる。

「私たちも、シビックファミリー始めようよ」

 ニナ・バウマンがそう言ったのは、使われなくなった倉庫の二階だった。

 駅から歩いて十五分。
 表通りから一本外れた、古い建物の二階。
 階段は少し湿っていて、窓枠は斜めに歪んでいる。
 部屋の隅には、前の持ち主が置いていった木箱が残っていた。

 それでも、ニナたちには十分だった。

 ニナと、レヴィと、マリー。

 三人は、その倉庫を自分たちのシビックハウスにすることにした。

「おお……これが私たちのシビックハウスか」

 レヴィが、部屋の真ん中で両手を広げた。

 埃が舞った。

「夢が広がるね」

 マリーが窓を開ける。

 少し冷たい風が入ってきた。

「じゃあ私は、椅子を探してこようかな。最初に来た人が座れる場所、ちゃんと作りたい」

「私は入口の案内を書くよ。どこに座ればいいか、誰に声をかければいいか、分かるようにしたい」

 マリーは端末を開いた。

「じゃあ私は、初めて来た人向けの説明を作る。GVSルームの入り方とか、帰りたくなったら帰っていいとか」

「それ、私も手伝っていい?」

 ニナが言った。

「いいよ。二人でやろう」

 レヴィは古い木箱を見た。

「受付はこれ使えるかな」

「布をかけたら受付になると思う」

「じゃあ、布も探す」

 三人は少しずつ部屋を整えた。

 椅子を並べた。
 案内を書いた。
 端末を置いた。
 古い木箱に白い布をかけた。
 入口には小さな紙を貼った。

【Nina Civic Family】

 その文字を見た時、ニナは少しだけ胸が熱くなった。

 政治家になったわけではない。
 まだ誰かの代表になったわけでもない。
 GVSで大きな成果を出したわけでもない。

 それでも、場所はできた。

 誰かが来る場所。
 誰かの困りごとを聞く場所。
 自分たちも、政治を始める場所。

 けれど、一週間経っても、誰も来なかった。

 予約フォームは静かだった。
 GVSに投稿しても、反応は少なかった。
 若者向け国民投票説明会のDRIVEも、第一合論で残らなかった。

 三日目の午後、レヴィは椅子に座ったまま天井を見上げた。

「来ないね」

「うん」

 マリーは端末を見ながら言った。

「予約フォームは動いてる。朝、自分で試した」

「じゃあ、フォームは元気だね」

「部屋も元気にしたいね」

 ニナは白い布をかけた受付を見た。

 誰も来ない受付。
 それでも、そこに布をかけた時の気持ちは、まだ残っている。

「近くに、エリナ・ヴァイスのシビックハウスがあるよね」

 マリーが言った。

 ニナは顔を上げた。

「エリナ先生の?」

「うん。見学枠がある。明日の午前、空いてる」

 レヴィが立ち上がった。

「見に行こう。椅子も見たい」

「椅子?」

「長く座っても疲れないやつ。うちの椅子、一時間で腰が活動終了する」

 マリーが笑った。

「私は入口の案内を見たい。どうやって人を迎えてるのか知りたい」

「私は、フロントハウスを見たい」

 ニナは言った。

「人が来る場所って、どう作るのか見たい」

 翌日、三人は電車に乗った。

 車窓の向こうに、スイスの街並みが流れていく。

 石造りの建物。
 路面電車。
 花のある窓辺。
 遠くの山。

 ニナは端末で見学案内を開いていた。

 集合場所、フロントハウス前。
 見学可能施設、セントラルガーデン、GVSホール、VR訓練室、食堂。
 エリナ本人との面会は保証されない。

 最後の一文で、ニナは少しだけ息を止めた。

 エリナ・ヴァイス。

 GVSが生んだ天才。
 若いシビックファミリーたちから、エリナ先生と呼ばれている少女。
 ドライバーランクでは、兄のイーサン・ヴァイスさえ十五歳で追い抜いたという。

 ただ、ニナが知っているのはログだけだった。

 本人がどんな人なのかは知らない。

 駅から歩いて十分ほどで、門が見えた。

 ニナは足を止めた。

 白い入口棟が、朝の光を受けて立っていた。

 その奥には芝生の広場があり、ガラス張りのホールが見える。
 さらに奥には、低い宿泊棟、食堂、丸い屋根の訓練施設が並んでいた。
 庭の道を、端末を持った若者たちが行き来している。
 パンの箱を運ぶ人もいる。
 小さな子供と並んで歩く大人もいる。

 看板には、控えめにこう書かれていた。

【Elina Civic House】

 レヴィが、ゆっくり息を吐いた。

「これはすごいね」

「うん」

 マリーは目を細めた。

「まるで豪邸だ」

 ニナは門の向こうを見たまま頷いた。

「私たちも、いつか広場を作りたい」

「じゃあ、まず倉庫の前にベンチを置こうかな」

 レヴィが言った。

「外で待てる場所があったら、初めて来る人も少し楽だと思う」

「私は案内板を見る。入口で迷わないようにしたい」

 マリーが端末を構えた。

「写真は撮っていい範囲だけね」

「うん。案内に従う」

 ニナは、白いフロントハウスを見上げた。

「私は、人が並んでる理由を知りたい」

 フロントハウスの前には、行列ができていた。

 若いシビックファミリーらしき人たち。
 スーツ姿の大人。
 子供を連れた女性。
 高齢の男性。
 端末を胸に抱えた少女。

 みんな静かに順番を待っている。

「これは何の行列なんだろう」

 レヴィが言った。

 近くにいた少女が、こちらを振り向いた。

「エリナ先生の面会待ちだよ」

「面会?」

 ニナが聞き返す。

「うん。ログを見てもらう人、相談の人、政治家の人、いろいろ。今日は少ない方だと思う」

「少ないんだ」

「午後はもっと並ぶよ。大物政治家が来る日とか、すごい」

 マリーが小さく言った。

「政治家も並ぶんだ」

「並ぶよ。エリナ先生の見立て、欲しい人多いから」

 少女はフロントハウスを見上げた。

「エリナ先生って、すごい人なんだろうな」

 レヴィが言うと、少女は少し驚いた顔をした。

「知らないの?」

「名前は知ってる」

「私たちと同い年だよ」

「え?」

 ニナは思わず声を出した。

「同い年?」

「十八歳。GVSが生んだ天才って言われてる。ドライバーのログ、読んだら分かるよ」

 少女は少しだけ笑った。

「ただ、ちょっと欠点があってね」

「欠点?」

 マリーが聞いた。

「会えば分かるよ。見学なら、たぶん中に入れると思う」

 列は、思ったより早く進んだ。

 前にいた若者は、端末を抱えて入り、数分後、顔を真っ赤にして出てきた。
 スーツ姿の女性は、中から出るとすぐ同行者と何かを話し始めた。
 子供を連れた女性は、フロントハウスの横にある小さな案内板を見ながら、広場の方へ歩いていった。

 ニナは、その流れを目で追った。

 面会。
 見学。
 相談。
 訓練。
 食堂。
 広場。

 ここでは、人が一か所で止まっていない。

 誰かが来て、何かを見て、どこかへ移っていく。

 自分たちの倉庫にも、こんな流れが作れるだろうか。

 まず、入口。
 次に、座る場所。
 その次に、GVSを見る場所。
 帰る時には、次に来る理由を一つ渡す。

 ニナは端末にメモをした。

 順番が来た。

 フロントハウスの扉が開く。

 中から、小さな白いドローンが出てきた。

「見学予約を確認しました。ニナ・バウマンさん、レヴィさん、マリーさん。ようこそ、フロントハウスへ」

 丸い目が青く光った。

「ルミだ……」

 マリーが小さく言った。

「本物だ」

 レヴィも続けた。

 ニナは緊張しながら中へ入った。

 室内は、外観よりもずっと人の気配があった。

 丸いテーブル。
 壁のホログラムスクリーン。
 いくつもの端末。
 積まれた資料。
 飲みかけのカップ。
 窓際の植物。
 奥には、淡い色のカーテン。

 カーテンの前で、ルミが止まる。

「エリナ。見学者三名です」

 カーテンの向こうで、何かが小さく動いた。

 少し間があって、かすかな声がした。

「……う」

 ニナたちは固まった。

 今の声が。

 エリナ先生。

 ルミが説明する。

「エリナ・ヴァイスは現在、緊張により直接応答が困難です」

 レヴィが、息を止めたような顔でニナを見る。

 マリーも目を丸くしている。

 ニナは、さっきの少女の言葉を思い出した。

 ただ、ちょっと欠点があってね。

 会えば分かるよ。

 たしかに分かった。

 GVSの神と呼ばれる少女は、カーテンの奥から出てこなかった。
 声も、ほとんど出ないらしい。

 けれど、なぜかそのことに、ニナは少し安心した。

 こんな場所を作った人にも、出てこられない場所がある。

 そう思えたからかもしれない。

 ルミが三人の端末へ見学案内を送った。

 セントラルガーデン。
 GVSホール。
 VR訓練室。
 食堂。
 見学後の質問フォーム。

 その下に、短い一文が追加された。

参考になりそうなところがあれば、自由に見ていってください。

 署名はない。

 でも、誰が書いたのかは分かった。

 ニナはカーテンに向かって、静かに頭を下げた。

「ありがとうございます」

 返事はなかった。

 ルミが代わりに言った。

「エリナ・ヴァイスは現在、返答文を作成中です。完了予定は未定です」

 レヴィが、少しだけ笑った。

 マリーも、肩の力を抜いた。

 ニナも笑った。

 フロントハウスは、思っていたほど遠い場所ではなかった。

 豪邸みたいに広い。
 人も多い。
 政治家も並ぶ。
 GVSの天才もいる。

 でも、飲みかけのカップがあり、資料が積まれ、カーテンの奥で固まっている同い年の少女がいる。

 ルミが扉の方へ進んだ。

「見学を開始します。最初はセントラルガーデンです」

 三人はフロントハウスを出た。

 芝生の匂いがした。

 広場では、五人組が端末を囲んで合論していた。
 その少し向こうでは、子供が大人に何かを説明している。
 食堂の前では、パンの箱を運ぶ若者が通り過ぎた。
 VR訓練室の入口では、ヘッドセットをつけた少年が一歩踏み出して、すぐ係の人に支えられていた。

 ニナは、立ち止まって広場を見た。

「私たちも、いつかここまで来たい」

 レヴィが頷いた。

「まずベンチを探す」

 マリーが端末にメモを打つ。

「私は入口の案内。あと、見学後に送る質問フォームも作りたい」

「私は、フロントハウスの流れを書く」

 ニナは言った。

「来た人が、次にどこへ行けばいいか分かるようにしたい」

 三人は歩き出した。

 エリナ・ヴァイスのシビックハウス。

 政治家ではない若者たちが、政治家になる前に政治を始める場所。

 ニナは、まだ何も成し遂げていない。

 けれど、今日見たものは、倉庫の二階に持って帰れる気がした。

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