
次は人間を壊す
壊された整備工場の前で、レオの配信は始まった。
割られた窓。
倒された照明。
踏み潰された録音機材。
そして、壁に塗りつけられた言葉。
次は人間を壊す。
レオは、その文字がはっきり映る位置へ端末を向けた。
「見えるか? これが、この街で薬を売らずに金を稼ごうとした連中に返ってきた答えだ」
「レオ、やめろ!」
ジェイデンが端末を押さえようとする。
だが、レオはその手を払いのけた。
「やめるわけねえだろ。こいつらが一番見られたくないものを、今から世界へ見せるんだ」
「刺激して何になる! 次は工場じゃなく、本当に誰かが狙われるぞ!」
「もう狙われてるだろ」
レオはジェイデンへ振り返った。
「ここを壊した連中は、俺たちが黙れば満足するのか? マリクたちが曲を消して、薬を売る側へ戻れば、全部丸く収まるのか?」
「だからって、今ここで喧嘩を売る必要はねえ!」
「喧嘩じゃねえ。選ばせるんだよ」
レオは再びカメラへ顔を向けた。
「聞いてるか。ジェイデンのところを襲った連中。お前らのボスも見てるなら、よく聞け」
ジェイデンの顔が強張った。
「俺たちは、薬を売ってた奴を無理やり連れていくつもりはねえ。ギャングを抜けろとも命令しねえ。決めるのは本人だ」
配信の視聴数が、急激に増えていく。
襲撃の映像が切り抜かれ、街の外へも広がり始めている。
「だが、お前らに聞きたい。お前らは本当に、誰かの命令で死にたいのか?」
レオは、壁の文字を指した。
「薬を運んで、銃を握って、抜けたいと思った仲間を脅して、それで最後に何が残る? ボスの椅子か? 違うだろ。お前らの大半は、その椅子に座る前に消えるんだ」
「レオ!」
「黙ってろ、ジェイデン。これはお前の知り合いだけの話じゃねえ」
レオは端末へ一歩近づく。
「別の道で金を得たいと思わないのか。人を脅して恐れられるんじゃなく、表で認められたいと思わないのか。曲でも、動画でも、話すだけでも、安全を作ることでもいい。お前ら自身ができることを出せば、金も仲間も集められる」
夜道の向こうで、サイレンの音が近づいていた。
工場を襲った男たちは、すでに引き上げている。
だが、レオの言葉は追いついていた。
「思ったなら、端末を取れ!」
声が夜の街へ響く。
「俺へ頼む必要はねえ! ジェイデンへ頭を下げる必要もねえ! 自分の言葉で書け! 自分にとって何が一番いいのか、ボスじゃなく、自分の頭で考えることだな!」
俺たちを裏切るのか
数ブロック離れた車の中で、ライアンはレオの配信を見ていた。
「切れ」
運転席に座っていた男が吐き捨てる。
「聞いてるだけで腹が立つ。あいつ、俺たちを何だと思ってやがる」
ライアンは返事をせず、画面を閉じた。
工場を壊した時、自分は車の中に残っていた。
行けと言われた。だが、足が動かなかった。
銃声が鳴った時も、驚いたふりをした。
本当は、いつかこうなると分かっていた。
「ボスに報告する。ジェイデンの連中は逃がしたが、場所は潰した。次は人を押さえれば終わる」
運転席の男が言った。
「終わるのか?」
「何だよ」
「いや……あの動画、もう広がってるだろ。工場を壊したところで、終わるのかと思って」
「終わらせるんだよ」
男の声が荒くなった。
「お前、まさか向こうの言うことを信じてるんじゃねえだろうな」
「信じてねえよ」
「だったら変な顔をするな。薬を売ってた連中が曲を作ったくらいで、俺たちがどうにかなるわけねえ」
ライアンは黙った。
昨日までなら、同じように笑えたかもしれない。
だが、報酬が上がったという話を聞いた。顔も名前も出さずに参加できることも知った。工場を壊さなければならないほど、ボス側がそれを嫌がっていることも見てしまった。
ライアンは、ポケットの中で端末を開いた。
運転席の男からは見えない角度で、GVSを表示する。
レオの配信を見た者が増えたためか、関連するDRIVEや応答が次々と上がってきていた。
曲を作りたい。
安全な場所を探したい。
顔を出さずに話したい。
仲間が薬を売る以外の方法で稼げるか確認したい。
その中に、一つだけ、ライアンの指を止める投稿があった。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
ギャングを抜けても、生きて稼げる道を探します。
【+ SUPPORT】
自分はギャングに関わっています。粛清を受けずにGVSへ参加する方法を教えていただけませんか?
――――――――――――――
「……何だ、これ」
声が漏れた。
「どうした?」
「いや、何でもねえ」
ライアンは慌てて画面を伏せた。
心臓が激しく脈打っている。
自分は、まだ送っていない。
昨日書いた下書きも、危険な場所を伝えられると書いただけだ。ギャングを抜けたいなど、一言も送っていない。
なら、これは誰だ。
反射的に、運転席の男を見る。
こいつなのか。工場を襲った仲間の誰かなのか。倉庫でボスの前に立っていた幹部なのか。
いや。
そもそも、この街の人間とは限らない。
この国には、同じように薬を売り、銃を握り、抜けたくても抜けられない人間が、いくらでもいるのかもしれない。
「ライアン。お前、本当に大丈夫か?」
「……ああ」
「なら行くぞ。ボスへ報告だ」
車が動き出す。
ライアンは、もう一度だけ端末を開いた。
匿名のDRIVEには、すでにいくつかの応答が付いていた。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
顔や名前を出さずに、離れたい人の不安を集めます。
【+ SUPPORT】
抜けることで怖いことがある人には、話せる範囲で教えていただけませんか?
――――――――――――――
もう一つ。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
活動へ参加した人が報復を受けないための条件を確認します。
【+ SUPPORT】
身元を明かさずに参加したい人には、危険を感じる場面を教えていただけませんか?
――――――――――――――
ライアンは、息を呑んだ。
誰かが、もう先に書いている。
そして、それに応える人間もいる。
自分だけではなかった。
撃つ理由
倉庫へ戻ると、ボスは苛立っていた。
「ガキどもはいなかっただと?」
「ジェイデンだけはいました。どうやら直前に場所を変えたようです」
幹部が答える。
「誰かが漏らしたのか?」
その言葉に、倉庫の空気が固まった。
ライアンは、顔を上げなかった。
誰かが自分の胸の音を聞いているような気がした。
「分かりません。ただ、ジェイデンは待っていたようにも見えました」
「……裏切り者がいるってことか」
「可能性はあります」
ボスは、周囲をゆっくりと見回した。
「妙な真似をした奴がいるなら、今のうちに言え。俺は、まだ許してやれる」
誰も答えない。
当然だ。
ここで何かを言えば、それは自分が疑われる材料にしかならない。
ボスの端末が音を鳴らした。
「レオ・グラントが、壊した工場の前から配信を始めています」
「見せろ」
画面に、レオの顔が映る。
「お前らは本当に、誰かの命令で死にたいのか?」
ボスの口元が歪んだ。
「別の道で金を得たいと思わないのか。表で認められたいと思わないのか。そう思うなら、端末を取れ。自分の言葉で書け」
部屋の中で、誰も動かなかった。
しかし、ライアンには分かった。
誰もが、聞いている。
ボスが画面を止めた。
「ジェイデンの仕業か」
「配信しているのはレオです」
「ジェイデンが中で人を集めて、レオが外で騒いでるだけだ。あいつらは、俺たちが本気で動けば終わる」
ボスは立ち上がった。
「次は、向こうから来るのを待たねえ。ジェイデンの連中が人を集める場所を全部潰す。近づく奴も同じだ」
ライアンの隣にいた男が尋ねる。
「こちらから仕掛けるんですか?」
「もう仕掛けられてるんだよ」
ボスは怒鳴った。
「奴らは俺たちの金を奪い、人を奪い、臆病者に逃げ道まで見せてやがる! ここで黙ってりゃ、誰も俺の言うことを聞かなくなる!」
ライアンは、初めてボスの声の中に恐怖を聞いた。
怒っているのではない。
怖がっている。
薬の売上が少し減ることではない。
自分の周りにいる人間が、もう自分だけを見なくなることを。
戦うために集まったのか
レオの配信から数時間後、ジェイデンの端末には、次々と連絡が届いていた。
工場を壊された映像を見た若者たちが集まってくる。
マリクもタイラーもキーランも、隠れていろと言ったのに戻ってきた。
「何しに来た」
ジェイデンが睨む。
「何って、俺たちの活動を壊されたんだろ」
マリクが言った。
「だから、お前らは出てくるな。相手は銃を持ってる」
「じゃあ、俺たちは黙って消えるのかよ」
「消えろとは言ってねえ。安全な場所で続きを作れと言ってる」
「安全な場所ってどこだよ。この街で声を出したら狙われるっていうなら、どこに行っても同じだろ」
ジェイデンは言葉を詰まらせた。
レオが、その横から前へ出る。
「いいじゃねえか。来たい奴は来させろ」
「お前は黙ってろ」
「こいつらは、自分で来たんだ。お前が守るってのは、何もさせずに隠すことじゃねえだろ」
「銃の前へ立たせることでもねえよ」
タイラーが、小さく口を開いた。
「俺は撃ち合いをしに来たんじゃない」
全員が彼を見る。
「工場は壊されたけど、曲のデータは残ってる。声を出したいって言ってる人もいる。だから、俺は続きを作る。もし向こう側にも、出たい奴がいるなら、その人の話も歌にしたい」
マリクが笑った。
「お前、昨日まで再生されないって拗ねてたくせに、急に立派なこと言うな」
「うるせえよ。俺だって金は欲しい。でも、ここでやめたら、あの動画はただの一発ネタで終わるだろ」
キーランも端末を持ち上げた。
「俺は、次の撮影場所を見つける。場所は出さない。ジェイデンの確認なしで公開もしない。それならいいだろ」
ジェイデンは、しばらく黙って三人を見た。
こいつらは、レオに命令されたから戻ってきたのではない。
金を受け取ったから仕方なく来たわけでもない。
自分たちで続きを作ると決めて、戻ってきた。
「……分かった」
ジェイデンは低く言った。
「だが、俺の条件に従え。集合場所は公開しない。新しく参加する奴とは、まず匿名のままやり取りする。向こう側の人間が来ても、いきなり会わせない」
「向こう側?」
マリクが聞いた。
「来るかもしれねえ。もう、こっちを見てる奴がいる」
レオが笑う。
「来させろ。俺が歓迎してやる」
「お前が出たら余計に騒ぎになる。まず俺が見る」
「相変わらず慎重だな」
「お前が馬鹿みたいに突っ込むからだ」
その時、ジェイデンの端末に新しい通知が届いた。
GVSの応答ではない。
登録されていない相手からの、短い音声メッセージだった。
再生すると、荒い息遣いに混じって、若い男の声が聞こえた。
「俺は……そっちへ行きたいわけじゃない」
「ただ、もう撃ち合いたくない」
「抜けたら殺される。名前は出せない」
「本当に、顔を出さずに参加できるのか?」
誰も声を出さなかった。
ジェイデンは、音声を最後まで聞き終えた後、端末を握り直した。
「……来たぞ」
「誰だ?」
レオが聞く。
「向こう側だ」
レオの目が光る。
「最高じゃねえか」
「喜ぶな。こいつは命を懸けて声を送ってきたんだ」
「分かってるさ」
「お前の分かってるは、信用ならねえ」
ジェイデンは、返答入力を開いた。
考えた末、短く打ち込む。
名前は出さなくていい。
まずGVSで、自分が怖いことと、必要な条件だけを書け。
こちらから会うことは求めない。
安全を確認できるまで、誰にも姿を見せるな。
送信する前に、ジェイデンはレオを見た。
「いいか。こいつを英雄物語に使うな」
「まだ何も言ってねえだろ」
「顔に書いてある」
レオは、少しだけ笑った。
「なら、お前が守れ。俺は、こいつがいつか表へ出られる舞台を作る」
「……それでいい。今はな」
ジェイデンは返答を送った。
通りの向こうでは、赤色灯が壊された工場を照らしている。
街にはまだ、薬も銃も残っていた。
ボスの命令も、消えたわけではない。
それでも、敵側から初めて一つの声が届いた。
撃ち合いたくない。
抜けたい。
殺されたくない。
銃声よりずっと小さな声だった。
だが、その声は、これまで誰も開けられなかった扉に、確かに手をかけていた。
