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我が町こそ世界一の都 第二話居 場所を奪った英雄たち

目次

地域合論ルーム

 翌日の午後、瀬戸口食堂は定休日だった。

 普段なら、美和子は店の奥で仕込みをするか、弁当配達の帳簿を確認するか、商店街の誰かに呼ばれて外へ出ている時間だった。

 だが今日は、店の座敷に昨日と同じ四人が集まっていた。

 荒木は最初から不機嫌だった。
 水野は団体用端末を前に置き、表示された画面を何度も確認している。
 倉田は美和子の顔色を窺いながら、持ってきた茶菓子の袋を開けるべきか迷っているようだった。
 陽斗は、昨日と同じ場所でノートパソコンを開いていたが、今日は動画編集の画面ではなく、GVSの閲覧画面を表示していた。

 美和子は、座卓の中央に置かれた端末を見た。

【鯖川地域GVS・試験合論ルーム】
企業や既存団体に所属していない住民が、自分の企画を小さく試し、地域の役割や報酬へつなげるにはどうすればよいか。

【既存地域活動団体へ共有してほしいこと】
・現在続けている活動
・負担になっていること
・新しい参加者と一緒に取り組めること
・経験者や責任者でなければ難しいこと
・試験利用を検討できる場所や時間帯

「ほら見てくださいよ」

 荒木が、最初から噛みつくように言った。

「やっぱり、俺たちに場所を出せ、経験を出せ、人を受け入れろって話じゃないですか」

「私たちの負担も書いてよいとあります」

 水野は落ち着いた声で返した。

「何でも無条件で引き受けろという話ではありません」

「条件を書いたところで、結局はやらされるんでしょう。新しい参加者が何かしたいと言ったら、断った方が悪者になる」

「まだ何も始まっていないでしょう」

「始まる前だから言ってるんですよ」

 荒木の声には、昨日よりも強い苛立ちがあった。

 美和子には、その理由が分かる気がした。

 荒木は、新しい人間が嫌いなわけではない。
 町に人が来ることを望んでいないわけでもない。

 ただ、期待して、任せて、消えていった人間を何度も見てきた。

 夏祭りの企画に参加したいと言った若者。
 空き店舗で雑貨販売をしたいと言った移住者。
 週末だけ町の発信を手伝いたいと言った大学生。

 最初は皆、目を輝かせていた。

 けれど、赤字が出る。
 客が来ない。
 片付けが面倒になる。
 他の仕事が忙しくなる。

 そして、最後にはいなくなる。

 残された備品を片付け、壊れた照明を直し、行政へ報告書を出すのは、いつも美和子たちだった。

「まず、私たちの活動を出しましょう」

 美和子は言った。

 荒木が顔を向ける。

「本気で参加するんですか」

「昨日、条件付きで話を聞くと返したでしょう。こちらが何をしてきたのかも、何をこれ以上抱えられないのかも、出さなければ分からない」

「分からせるだけですよね」

「そのつもりよ」

 そう答えながら、美和子は自分の言葉が少し揺れていることに気づいていた。

 昨日までは、白瀬という男に、自分たちの苦労を分からせるための参加だと思っていた。

 けれど今は、それだけではない。

 画面の向こうにいる、町で何かを始めたいという人間が、実際には何を求めているのか。
 それを見ずに怒り続けることはできなかった。

 水野が入力欄を開いた。

「読み上げます。必要なら直してください」

【まち灯り会・継続中の活動】
自分たちは、鯖川中央商店街において、夏祭り・夜市の運営、高齢者向け弁当配達、地域交流スペースの管理、商店街設備の確認と修繕、地域イベントの広報を続けています。

【現在負担になっていること】
イベント準備と撤収、赤字発生時の費用負担、行政向け書類作成、設備修繕、新しく始まった活動が継続しなかった場合の後処理が、一部の担当者へ集中しています。

【要請】
新しい企画を試したい方には、実施内容、必要な場所と時間、費用、片付け、安全管理、途中で継続できなくなった場合の対応を提示していただけませんか。

 荒木は、画面を読んでから鼻を鳴らした。

「最後の一文はいいですね。途中で投げ出した時に誰が片付けるのか、そこを曖昧にするなってことです」

「言い方は穏やかですが、意味は同じです」

 水野が言った。

「穏やかにしすぎて伝わらなきゃ意味ないでしょう」

「喧嘩を売るために参加するわけではありません」

「向こうが先に売ってきたんですよ」

「荒木さん」

 美和子が名を呼ぶと、荒木は不満そうに黙った。

 美和子は、入力された文章をもう一度読んだ。

 自分たちが続けてきた活動。
 自分たちが背負ってきた負担。
 新しい企画を認めるなら、最低限提示してほしい条件。

 間違ったことは書いていない。

 美和子は送信を押した。

 数秒後、まち灯り会の内容が地域合論ルームへ表示された。

 それを待っていたかのように、新しい実行案が一件、また一件と画面に現れ始めた。

自分で始めたい人たち

【地域実行案A:町の動画制作会】
自分は、商店街の店舗や地域活動を紹介する短い動画を作る制作会を、週一回・少人数で試します。撮影や編集に興味のある住民を募り、完成した動画は撮影対象となった店舗や団体の確認を受けてから公開します。

【要請】
利用を検討できる場所と時間帯を提示していただけませんか。初回は二時間以内・参加者四人以内とし、撮影機材の持ち込み、清掃、利用記録、公開前の確認依頼は自分たちで行います。

 美和子は、画面を読んだまま動けなくなった。

 町の店舗や地域活動を紹介する動画制作会。

 それは、かつて陽斗が口にした案にあまりにも似ていた。

 美和子は、思わず壁際へ視線を向けた。

 陽斗は画面を見ている。
 表情は変わらない。
 だが、膝の上に置いた手が、わずかに握られているように見えた。

「動画ですか」

 荒木が低く言った。

「また派手なことから入るんですね。町に必要なのは動画じゃなくて、店で金を使う客でしょうが」

「動画を見た人が店へ来る可能性はあるでしょう」

 倉田が言った。

「可能性だけなら何とでも言えますよ」

「でも、片付けも確認も自分たちでやると書いてあるわ」

 水野が画面を指した。

「以前来た人たちとは、少し違うかもしれません」

「文章なら何でも書けます」

 荒木は譲らなかった。

 美和子は、荒木の言葉を聞きながら、別のところに意識を奪われていた。

 陽斗が以前、企画を話した時も、こうして条件を聞いていればよかったのではないか。

 場所はどこを使うのか。
 何人で始めるのか。
 公開前の確認はどうするのか。
 片付けは誰がするのか。
 失敗した場合は、どこで止めるのか。

 そう聞けばよかった。

 けれど美和子は、陽斗が全てを説明する前に止めた。

 危ないから。
 予算がないから。
 まだ早いから。

 陽斗を守るためだと思っていた。

 その時、次の実行案が表示された。

【地域実行案B:買い物と食事の困りごと確認】
自分は、一人暮らしの高齢者や、昼間に商店街を利用している住民へ、買い物・食事・移動で困っていることを聞き取り、地域で対応可能なことと専門的な支援が必要なことを分けてまとめます。

【要請】
すでに弁当配達や見守りに関わっている方には、現在対応できていることと、負担が大きく対応しきれていないことを共有していただけませんか。聞き取りは、本人が希望した場合のみ行います。

「あら」

 倉田が、画面へ身を寄せた。

「これは、私も少し話を聞きたいわね」

「千佳さん」

「だって、私がお弁当を届けている人でも、本当は別のことで困っているかもしれないでしょう。お弁当を受け取って『ありがとう』と言ってくれるから、それで大丈夫だと思っていただけで」

「だからって、知らない人に高齢者のところへ行かせるのは危ないでしょう」

 荒木が言った。

「本人が希望した場合のみ、とあります」

 水野が返した。

「それに、専門的な支援が必要なことは分けるとも書いてあります。勝手に介護や医療を始める話ではありません」

「恵さんも、随分向こう寄りですね」

「向こう寄りではありません。内容を読んでいるだけです」

 水野の口調は穏やかだったが、いつもより少しだけ硬かった。

 美和子は、二つ目の実行案を見つめた。

 弁当配達は、美和子と倉田が始めた。
 買い物へ行きづらくなった高齢者に、温かいものを届けたいと思ったからだ。

 けれど、美和子たちは、配達を続けるだけで精一杯だった。

 その人が、本当は通院に困っているのか。
 冷蔵庫に何もない日があるのか。
 話し相手がいないことが一番つらいのか。

 そこまで聞き、何かを変える余力はなかった。

 自分たちは支えてきた。
 それは本当だ。

 しかし、支えているからこそ見えなくなっていたこともあるのかもしれない。

 さらに、三件目の案が表示された。

【地域実行案C:空き店舗の利用条件調査】
自分は、現在使われていない店舗や、営業日以外に一部利用を検討できる店舗について、所有者が不安に感じることと、短時間利用なら認められる条件を確認します。

【要請】
空き店舗活用や交流スペース管理を経験した方には、過去に問題となった費用、清掃、騒音、安全管理、責任分担について共有していただけませんか。

「ほら」

 水野が言った。

「場所を使わせろではありません。まず、貸す側が何を不安に思うのか確認すると言っています」

「どうせ最後には使わせろと言うでしょう」

 荒木が答える。

「使いたいなら、条件を聞くのは当然じゃない」

 倉田が言った。

「荒木さんだって、店の電気工事を頼まれたら、まず何を直したいのか聞くでしょう」

「それとこれとは話が違います」

「そうかしら」

 倉田は、それ以上責めることなく、小皿の煮物を一つ口に運んだ。

 美和子は、画面に並んだ三つの実行案を見た。

 動画を作りたい人。
 暮らしの困りごとを確認したい人。
 空き店舗を使う前に、貸す側の不安を知ろうとする人。

 誰も、自分たちに町を作れとは言っていない。

 誰も、無料で場所をよこせとは言っていない。
 誰も、面倒な作業を全て古参に任せるとは言っていない。

 自分はこれをやる。
 そのために、ここだけ教えてほしい。
 できるなら、ここだけ協力してほしい。

 そう言っているだけだった。

「美和子さん」

 荒木が言った。

「まさか、これを真に受けるつもりじゃないでしょうね」

「真に受けるも何も、読んでいるだけよ」

「文章が綺麗だからって、続くとは限りませんよ。最初の一か月は楽しい。動画も撮る。聞き取りもする。空き店舗も調べる。でも半年後には誰もいない。残るのは、また俺たちです」

 美和子は、すぐには答えられなかった。

 荒木の言う通りだった。

 新しい企画が出たからといって、うまくいく保証などない。
 この人たちが本当に続けるのかも分からない。
 報酬を得られるほどの成果が生まれるかも分からない。

 そして失敗した時、町の中で責任を問われるのは、結局まち灯り会かもしれない。

 だからこそ、美和子は今まで止めてきた。

 失敗しそうなものを。
 続かなそうなものを。
 町を傷つけかねないものを。

「……一つだけなら」

 美和子は言った。

 荒木が眉を寄せる。

「何です?」

「一つだけ、小さく試すなら、条件は考えられるかもしれない」

「美和子さん」

「全部を認めるとは言っていない。場所を貸すとも決めていない。まず、私たちが管理できる範囲で、条件を出すだけよ」

 水野が、美和子の顔を見た。

「どの実行案に応答するの?」

 美和子は、迷わず一件目を開いた。

【地域実行案A:町の動画制作会】

 陽斗が、わずかに顔を上げた。

「美和子さん。動画からですか」

 倉田が聞いた。

「ええ」

「高齢者の聞き取りではなく?」

「そちらは、千佳さんと相談しなければ条件を出せない。本人の希望や個人情報もある。簡単には進められないわ」

 美和子は、自分に言い聞かせるように続けた。

「動画制作会なら、場所と時間を限定できる。撮影対象を事前に確認できる。公開前にこちらで見る条件も出せる。まず試すなら、その方が安全よ」

 自分で言いながら、美和子には分かっていた。

 それだけではない。

 この案を、もう一度見過ごすことができなかったのだ。

 以前、陽斗へ試させなかったものに似た企画を。

 美和子は、応答入力画面を開いた。

【応答実行案】
自分は、町の動画制作会について、瀬戸口食堂の定休日の午後を利用した短時間の試験実施が可能か、条件を提示します。

【条件】
・初回は二時間以内、参加者四人以内とする
・撮影対象となる店舗や活動には、事前に確認を取る
・動画の公開前に、撮影対象者が内容を確認できるようにする
・利用後の清掃、機材の管理、活動記録は実行者側で行う
・継続する場合は、初回結果を確認して再度話し合う

【要請】
企画を提案した方には、初回で撮影したい対象、参加予定人数、使用する機材、公開予定の方法、終了後の清掃と記録方法を提示していただけませんか。

 荒木が、信じられないものを見るように画面を見た。

「瀬戸口食堂を使わせるんですか」

「使わせると決めたわけではないわ。条件を満たせるなら、試験実施を検討すると言っているだけ」

「同じでしょう。条件を揃えてきたら、断れなくなる」

「条件を揃えてきても、危険だと思えば止めるわ」

「だったら最初から止めればいいでしょう」

「荒木さん」

 美和子は、静かに言った。

「私は今まで、そうしてきたのかもしれない」

 荒木が、言葉を止めた。

 美和子は、画面から目を離さなかった。

「危険だと思った。続かないと思った。責任を負わせられないと思った。だから、始める前に止めた」

「それが悪いと言うんですか」

「分からないわ」

 美和子は、正直に答えた。

「分からないから、一度だけ、条件を出してみる」

 送信ボタンを押した。

 画面に、美和子の応答が表示される。

 座敷の中は、しばらく静かだった。

 端末が新しい通知音を鳴らしたのは、数十秒後だった。

【地域実行案Aの提案者から応答が届きました】

【応答】
条件を提示していただき、ありがとうございます。初回企画書を作成します。撮影対象への確認、公開前確認、清掃、活動記録は実行者側で担当します。必要であれば、実施前に企画内容を直接説明します。

 美和子は、その文章を読んだ。

 荒木は、何も言わなかった。
 水野は、わずかに息を吐いた。
 倉田は、小さく笑って「ちゃんと返事が来たわね」と言った。

 陽斗だけが、画面を見たまま動かなかった。

「陽斗」

 美和子は、声をかけた。

「はい」

「動画制作会が始まるなら、あなたにも少し手伝ってもらうかもしれないわ」

 陽斗は、一瞬黙った後、静かに答えた。

「……分かりました」

 それは、いつもと変わらない返事だった。

 けれど、美和子には、その声が少しだけ違って聞こえた。

 自分たちは、ずっと人手を探してきた。

 祭りを手伝う人。
 配達を手伝う人。
 広報を手伝う人。
 自分たちが守ってきた活動を、支えてくれる人。

 しかし、町で何かを始めたい人たちは、最初から手伝いたかったわけではないのかもしれない。

 自分で選びたかった。
 自分で試したかった。
 自分の行動で、この町の景色が少し変わるのを見たかった。

 美和子は、閉店した乾物屋のある方角を思い浮かべた。

 あの店のシャッターを、すぐに開けることはできない。
 所有者の許可もいる。費用もかかる。誰かが責任を負わなければならない。

 町づくりは、ゲームのように、指先一つで世界が変わるものではない。

 それでも、自分が決めることを諦めた人間ばかりの町が、面白くなるはずもなかった。

 美和子は、端末の画面に残る実行案を見た。

 まだ、何も始まってはいない。
 食堂を貸すと決めたわけでもない。
 自分が間違っていたと認めたわけでもない。

 ただ一つだけ、これまでとは違うことがあった。

 誰かが始めたいと言った企画を、美和子は初めて、始まる前に止めなかった。

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