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我が町こそ世界一の都 第三話 失敗する勇気

目次

企画者の名前

 地域GVSで動画制作会の試験実施へ応答した翌日、美和子は開店前の食堂で、一人、端末の画面を見つめていた。

【町の動画制作会・初回企画書提出待ち】

 昨日、自分で押したはずの応答だった。

 条件を満たせるなら、定休日の午後、瀬戸口食堂を二時間だけ使うことを検討する。
 撮影対象への確認、公開前確認、清掃、活動記録は、企画者側で行う。

 無茶な条件ではない。
 むしろ、今まで自分たちが活動する際にも気をつけてきた最低限のことだ。

 それでも、美和子は落ち着かなかった。

 まるで、自分の店の鍵を、まだ顔も知らない誰かに渡す約束をしたような気分だった。

「朝から怖い顔してますね」

 入口から声がして、美和子は顔を上げた。

 春日陽斗が、ノートパソコンを入れた鞄を肩にかけて立っていた。

「陽斗。今日は夜市の動画を直してもらう日だったわね」

「はい。文字の出し方を少し変えれば、スマホでも見やすくなると思うんで」

「そう。助かるわ」

 美和子はいつものように答えた。

 だが、昨日から、陽斗へ向ける言葉の一つひとつに引っかかりを感じてしまう。

 助かる。
 頼りにしている。
 あなたがいてくれてよかった。

 自分は、そう言ってきた。

 陽斗も笑って応えてくれた。
 だから、美和子はてっきり、彼がここで役割を得ていると思っていた。

 しかし昨日、彼が言った。

自分で何かやりたい人がいるなら、最初から駄目だと決めない方がいいと思います。

 あれは、誰に向けた言葉だったのだろう。

 美和子は考えるのをやめ、端末を陽斗の方へ向けた。

「それでね。昨日話していた動画制作会の企画者から、今日中に初回企画書が届く予定なの」

「はい」

「実施することになったら、あなたにも少し見てもらいたいの。撮影や編集のことは、私たちには分からないから」

 陽斗は、すぐには返事をしなかった。

「……美和子さん」

「何?」

「その件なんですけど」

 陽斗は鞄を椅子に置いた。
 そして、ゆっくりと頭を下げた。

「先に言っておきます。あの動画制作会の実行案を出したの、俺です」

 美和子は、言葉を失った。

 店内に流れていた換気扇の音だけが、妙にはっきり聞こえた。

「……あなたが?」

「はい」

「昨日、何も言わなかったわね」

「言えませんでした」

「どうして」

 問うた声が、自分でも思ったより低かった。

 怒っているのか。
 傷ついているのか。
 美和子自身にも分からなかった。

「どうして、私に直接言わなかったの」

 陽斗は、少しだけ視線を落とした。

「前に言いました」

 美和子の胸が、詰まった。

「前に……」

「俺がこっちに戻ってきて、まだ半年くらいの時です。空き店舗を使って、動画制作とか配信の小さな拠点を作れないかって。地元の店の商品を紹介したり、学生が動画を作れたり、町を出た人とも一緒に企画ができる場所にしたいって」

 覚えている。

 忘れたわけではない。
 ただ、終わった話として心の奥へしまっていただけだった。

「私は、駄目だなんて言ってないわ」

 思わず、美和子は言った。

「もう少し経験を積んでからにした方がいいって言ったの。場所を使うにはお金も責任も必要になる。あなたが軽い気持ちで始めて、失敗して、傷つくことになったら――」

「分かっています」

 陽斗は、美和子の言葉を遮るような強さではなく、静かに止めた。

「美和子さんが、俺のために言ってくれたことは分かっています」

「だったら、どうして……」

「だから、直接はもう言えなかったんです」

 美和子は黙った。

 陽斗は、苦しそうに笑った。

「俺が戻ってきた時、美和子さんには本当に助けてもらいました。仕事がなくて困っていた時、夜市の動画を頼んでくれた。店の紹介画像も作らせてくれた。飯も何度も食べさせてもらった。町の人にも紹介してくれた」

「それは……」

「感謝してます。本当に」

 陽斗は、きっぱりと言った。

「でも、だからこそ言えなかったんです。美和子さんの活動を手伝うだけじゃなくて、俺も自分の企画を始めたいなんて」

 美和子の指が、端末の縁を強く握った。

「私が、あなたを縛っていたと言いたいの?」

「そういう言い方をしたいわけじゃありません」

「だったら何なの」

「俺が、自分で決められなかったんです」

 陽斗は、美和子を見た。

「美和子さんに助けてもらった分、役に立たなきゃいけないと思ってました。夜市の動画を作る。商店街の告知を作る。頼まれたものをちゃんと返す。それは嫌じゃなかったです」

「……」

「でも、そのうち、俺は何のためにここへ戻ってきたんだろうって思うようになりました。東京で誰かの企画を作るのが嫌で帰ってきたのに、地元でも結局、誰かの企画を手伝っているだけじゃないかって」

 美和子は、何も言えなかった。

 あの日、陽斗が自分の企画を話した時、美和子は嬉しかった。

 この町で何かをしたいと思う若者が戻ってきた。
 そのことが、純粋に嬉しかった。

 だからこそ、守らなければと思った。

 いきなり大きなことをして失敗しないように。
 無責任な夢に傷つかないように。
 町の中で信用を失わないように。

 まずは自分たちの活動の中で経験を積ませる。
 その方が、陽斗のためになると思った。

 けれど、その間に陽斗は、自分で始めることを諦めていた。

「それで、GVSに出したの」

「はい」

「私に言わずに」

「美和子さんに逆らいたかったわけじゃありません」

「でも、私にはそう見えるわ」

「そうですよね」

 陽斗は、素直にうなずいた。

「俺も、卑怯だと思いました。直接言えなかったから、匿名の実行案として出した。美和子さんが見たらどう思うかも、考えました」

「なら……」

「でも、誰が言ったかじゃなくて、企画の内容を見てもらいたかったんです」

 美和子は、息を止めた。

「俺が直接言ったら、美和子さんは、たぶん俺を心配すると思います。俺が困らないか。俺が失敗しないか。俺が町で気まずくならないか」

「心配してはいけないの?」

「いけなくないです」

 陽斗は言った。

「でも、心配されるだけだと、俺は何も始められないんです」

 店の奥で、時計の針が進む音がした。

 美和子は、端末に表示されている企画名を見た。

【町の動画制作会】

 昨日までは、誰か知らない住民の案だった。
 町で何かを始めたいという、外側から届いた要請だった。

 今、その文字の向こう側に、陽斗の顔が見える。

 自分が仕事を渡し、食事を出し、町の人へ紹介し、守ってきたつもりの若者。

 彼は、ずっと自分の目の前で、始める場所を失っていた。

誰が出した案なのか

 午後になると、荒木、水野、倉田も食堂へ集まった。

 陽斗の企画書を確認するためだった。

「企画者本人が説明するんでしょうね」

 荒木は、昨日から変わらず不機嫌だった。

「匿名で好き勝手に案だけ出して、後は俺たちに任せますじゃ困りますよ」

「その点は、大丈夫」

 美和子が言った。

「企画者は、ここにいるから」

 荒木が眉を上げた。

 美和子は、陽斗を見た。

 陽斗は一度だけ息を吸い、立ち上がった。

「俺です。動画制作会の実行案を出したのは」

 荒木の顔が、目に見えて変わった。

「……お前?」

「はい」

「お前だったのか」

「はい」

「ふざけるな!」

 荒木は立ち上がった。

「お前、俺たちのすぐそばにいながら、匿名であんな要請を出したのか! 美和子さんにどれだけ世話になったと思ってる!」

「荒木さん、やめて」

「やめませんよ! 何ですかこれは。直接言えば止められると思ったから、GVSを使って外から圧力をかけたんでしょうが!」

「圧力をかけたかったわけじゃありません」

 陽斗の声は震えていた。
 けれど、逃げなかった。

「俺が言ったから認めるとか、俺だから駄目だとかじゃなくて、企画として見てほしかったんです」

「同じだろうが!」

「同じじゃありません」

 水野が言った。

 荒木が振り向く。

「恵さんまで、こいつの味方をするんですか」

「味方かどうかの話ではありません」

 水野は、机の上の端末を指した。

「私たちは、提案者が陽斗君だと知らない状態で、条件を見て、試験実施を検討してよいと判断したんです」

「だから何です」

「陽斗君だったから却下するのも、陽斗君だったから無条件で応援するのも、おかしいでしょう」

 その言葉は、荒木へ向けられているようで、美和子にも向けられていた。

 美和子は、胸の内を見透かされたような気がした。

 陽斗だと知った瞬間、自分はどう思ったのか。

 以前止めた分、今度こそやらせてあげたい。
 陽斗に悪かったと伝えたい。
 自分が優しい人間であることを取り戻したい。

 そんな気持ちが、少しもなかったとは言えない。

「見るべきなのは、陽斗君が誰かではなく、この企画を本当に安全に、小さく、続けられる形で試せるかです」

 水野は言った。

「それがGVSで話し合った意味でしょう」

 美和子は、黙ってうなずいた。

「分かったわ。陽斗、企画を説明して」

「はい」

 陽斗は、端末へ企画書を表示した。

【町の動画制作会・初回実施案】

【目的】
商店街の店舗や地域活動を紹介する短い動画を作り、町で暮らす人や外へ出た人にも、地域で行われている活動を知ってもらう。

【初回内容】
瀬戸口食堂の定休日午後に、食堂の看板メニュー一品と、美和子が続けてきた夜市の写真資料を撮影する。

【実施条件】
・実施時間は二時間以内
・参加者は企画者を含む三名
・撮影対象は事前に美和子へ確認する
・公開前に美和子と撮影対象者が確認する
・清掃、機材管理、作業記録は企画者側で担当する
・初回終了後、負担と効果を地域GVSへ報告し、継続可否を話し合う

 荒木は、腕を組んだまま画面を睨んでいた。

「随分、都合のいい企画ですね。美和子さんの店と、美和子さんたちの夜市を使って、自分の動画企画を始めるんですか」

「はい」

「否定しないのか」

「使わせてもらいたいのは事実です。でも、美和子さんの店を勝手に使うつもりもありません。嫌なら断ってもらって構いません」

「嫌なら断れ、か。随分立派になったな」

「荒木さん」

 美和子が止める。

 荒木は納得していない顔のまま、黙り込んだ。

 倉田が、企画書を覗き込みながら言った。

「私は良いと思うけどね。美和子さんの定食、写真だけでもお腹が減るもの。動画で見たら、食べに来たいって人がいるかもしれないわ」

「千佳さん、そんな簡単な――」

「簡単じゃないから、一回だけ試すんでしょう」

 倉田は、柔らかい口調のまま言った。

「うまくいかなかったら、その時また考えればいいじゃない。始める前に全部分かるなら、誰も苦労しないわよ」

 美和子は、その言葉を聞きながら、企画書の最後の一行を見ていた。

初回終了後、負担と効果を地域GVSへ報告し、継続可否を話し合う。

 陽斗は、失敗しないと言っているわけではない。

 うまくいくと約束しているわけでもない。
 町が変わると大げさなことを言っているわけでもない。

 一度試す。
 負担があれば出す。
 改善できるなら考える。
 難しいなら、続けない判断もする。

 美和子が以前恐れていたものは、失敗そのものだった。

 けれど、失敗は本当に、始めさせてはいけない理由だったのだろうか。

守るということ

「陽斗」

 美和子は、ゆっくりと口を開いた。

「あなたに、聞きたいことがあるの」

「はい」

「もし、動画を出しても誰も見なかったら?」

「理由を確認します。撮り方が悪いのか、紹介する内容が悪いのか、そもそも需要がないのか。次に直せることがあるなら直します」

「直しても、見られなかったら?」

「やめることも考えます」

「場所を使ったのに、成果が出なかったら?」

「利用した時間と清掃、記録作成については、自分の責任でやります。成果が出なかったことで店に迷惑がかからないよう、公開内容も確認してもらいます」

「あなたの時間が無駄になったら?」

 陽斗は、一瞬、驚いたような顔をした。

「それは……俺の時間ですから」

 美和子は、息を詰めた。

「俺が決めて使って、失敗したなら、俺が受け取ることだと思います」

 美和子は、返す言葉を失った。

 自分は、そこまで奪っていたのか。

 陽斗の時間。
 陽斗の失敗。
 陽斗が失望する可能性まで、自分が先に背負って、避けさせようとしていた。

 優しさのつもりだった。

 けれど、人は誰かに守られるだけで、自分の人生を作れるわけではない。

「美和子さん」

 荒木が低い声で言った。

「本気でやらせるんですか。失敗するかもしれないんですよ」

「そうね」

「だったら、止めるべきでしょう。今ならまだ、面倒も損も出ていない」

 美和子は、荒木を見た。

 荒木は、本気で心配しているのだ。
 町を。
 店を。
 自分たちがまた背負うことになる負担を。

 それが分かるから、美和子は彼を責められなかった。

 けれど。

「失敗するかもしれないからこそ、あの子自身にやらせなければいけなかったのかもしれない」

 荒木の顔が固まった。

「美和子さん……」

「失敗させないことばかり考えていたら、陽斗はいつまで経っても、私たちの手伝いしかできない」

「手伝いが悪いんですか」

「悪くないわ。私たちは助かった。陽斗がいてくれて、本当に助かった」

 美和子は、陽斗へ顔を向けた。

「でも、助けてもらうことと、その人が自分で始める場所を持てることは、別だったのね」

 陽斗は、黙って美和子を見ていた。

「私は、あなたに仕事を渡しているつもりだった。町に居場所を作っているつもりだった」

「……はい」

「でも、それは私が作った場所の中で、あなたに役割を渡していただけだった。あなたが自分で作りたい場所のことは、ちゃんと聞いていなかった」

「美和子さん」

「ごめんなさい、とは今は言わないわ」

 美和子は、あえてそう言った。

「私が謝って、あなたが気にしないでくださいと言ったら、それで終わってしまうでしょう」

 陽斗は、少しだけ目を見開いた。

「だから、やってみなさい」

 美和子は端末を手元へ引き寄せた。

「あなたの企画として。私の店を使う以上、条件は守ってもらう。うまくいかなかったら、何が駄目だったのか出してもらう。負担が大きければ、私は止めてほしいと要請する」

「はい」

「それでも、あなたが始めることまで、私が先に止めるのはやめる」

 美和子は、GVSの応答欄へ入力した。

【応答】
提示された条件であれば、町の動画制作会の初回試験実施に協力します。自分は店舗提供者として、実施後に負担となったこと、継続可能な条件、改善してほしいことを共有します。

【要請】
企画者には、実施条件を守ったうえで、自分の企画として最後まで初回結果を報告していただけませんか。成果が出なかった場合も、失敗として隠すのではなく、次に活かせる記録として共有してほしいです。

 送信ボタンを押した。

 画面に、美和子の応答が表示される。

【町の動画制作会:初回試験実施を検討開始】
場所提供者と企画者の条件確認後、実施日時を確定します。実施後は、成果・負担・改善点・継続可否を地域合論ルームで確認します。

 美和子は、その表示を見て、胸の奥で何かがほどけるような、逆に重くなるような、不思議な感覚を覚えた。

 陽斗は、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「まだ成功したわけじゃないわよ」

「分かっています」

「むしろ、失敗する可能性も十分ある」

「はい」

「それでもやるのね」

「やりたいです」

 その答えは、今まで美和子が陽斗から聞いたどの返事よりも、はっきりしていた。

 荒木は、最後まで納得しきれない顔をしていた。
 水野は、何も言わずに企画書の保存処理を始めた。
 倉田は、「撮影の日は何か差し入れしようかしら」と、小さく笑っていた。

 美和子は、窓の外に視線を向けた。

 道の向こう側には、閉じた乾物屋のシャッターがある。

 あの店を、陽斗に任せるとはまだ決められない。
 町の空き店舗を、新しい企画へ次々と開ける覚悟もない。
 自分たちが守ってきた活動を、簡単に手放せるわけでもない。

 それでも、今日、美和子は一つだけ決めた。

 町を守るとは、誰かの失敗を先回りして消してやることではない。

 失敗しても、またここで考え、やり直し、次の要請を出せる場所を残すことだ。

 陽斗がノートパソコンを開き、初回撮影の準備項目を書き始めた。

 その指の動きを、美和子は黙って見ていた。

 町の灯りは、誰か一人が守り続けるものではない。

 誰かが自分で火をつけようとした時に、その小さな火を、最初から吹き消さないこと。

 もしかすると、自分たちに足りなかったのは、それだけだったのかもしれない。

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