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我が町こそ世界一の都 第十話 昔の町より、明るい

目次

遊びに来た人が、仕事を見つける町

 シビックタウン第一期先行開業の日、美和子は朝の六時に瀬戸口食堂へ入った。

 いつも通り、裏口の鍵を開け、冷蔵庫の中を確認し、出汁を取る鍋へ水を張る。

 けれど、窓の外に見える通りは、もう昨日までの商店街ではなかった。

 斜め向かいの高瀬乾物店には、古い木製看板がそのまま残されている。

 ――高瀬乾物店。

 塗装の剥げた文字も、父親の代から使われていた木枠も、理恵の要請で残された。

 その下に、新しい小さな表示が加わっていた。

CIVIC STATION
シビックタウン総合受付・体験入口

「……本当に、残したのね」

 美和子は、食堂の軒先から看板を見つめた。

 高瀬乾物店の入口付近には、以前と同じ棚がある。
 古い秤。包装用の紐。乾物を入れていた木箱。理恵の父親が使っていた値札板。

 ただ、その奥には、昔の店にはなかった光が点いていた。

 GVS接続端末。
 本日の体験DRIVE一覧。
 VR訓練の予約表示。
 複数工場へのホログラム同期参加案内。
 報酬付き業務への接続画面。

 三か月前まで、そこは長年閉じたままの乾物店だった。

 最初に始まったのは、夜に二時間だけ開く、小さな集まりだった。
 動画に字幕を付ける。小物を作る。軽食を運ぶ。写真を並べる。見学だけして帰る。

 それだけで、町に明かりが戻ったように思えた。

 けれど、活動参加者の平均分配額は、月二千六十円だった。

 明かりだけでは、人は残らない。
 楽しさだけでは、生活できない。

 若者たちが出したDRIVEをきっかけに、福野県と県内企業は動いた。

 鯖川フレームで始まったVR職業訓練、AI工程改善、小型ロボット開発は、すでに県内の複数工場へ導入されていた。
 それを工場内部だけで終わらせず、町の中へ開放する。

 仕事を探している人だけではない。
 転職を迷っている人も、子供も、高齢者も、暇だから少し試してみたい人も、誰でも触れられる場所にする。

 その入口として選ばれたのが、高瀬乾物店を中心としたこの通りだった。

「美和子さん、おはようございます」

 声をかけられ、美和子は振り向いた。

 陽斗が、高瀬乾物店の前で手を振っている。
 首から、初めて見る薄い端末証を下げていた。

「おはよう。何、その札」

「今日の案内動画担当です。正式業務の参加証」

「正式業務?」

「はい。初参加者向けの施設案内動画と、訓練紹介映像を作りました。今日は上映確認と、開業記録映像の編集も担当します」

 陽斗は、少し照れたように端末を見せた。

―――――― 業務接続通知 ――――――

【本日担当業務】

シビックタウン第一期・開業記録映像補助
案内動画上映確認/撮影許可確認/記録素材編集

報酬:12,000円

――――――――――――――

「一万二千円……」

 美和子は、思わず数字を読み上げた。

「一日分ですけどね」

「前は、一か月動いて二千六十円だったのに」

「だから、ちょっと怖いです」

 陽斗は、端末証を指で触った。

「でも、嬉しいです。僕が作った動画が、遊びじゃなくて、ここへ来る人の入口になるんです。訓練を受けたい人にも、働きたい人にも、この町を知りたい人にも見てもらえる」

「よかったわね」

「はい」

 陽斗の返事は、以前より少しだけ力強かった。

「美和子さんの食堂も、今日から従業員利用の対象ですよね」

「そうなのよ。提携企業の人や訓練参加者には食事補助が付くんですって。昼から何人来るのか、まだ分からないのに」

「一般客も入れますよね?」

「当たり前でしょう。町の食堂なんだから。企業の食堂に変えるつもりはないわよ」

「じゃあ、僕もあとで行きます。補助券で」

「そこだけは覚えるのが早いわね」

 美和子は笑い、陽斗と一緒に高瀬乾物店へ入った。

高瀬乾物店に、未来が入った日

 店内には、すでに十数人が集まっていた。

 陽斗と同じくらいの若者。
 子供を連れた母親。
 仕事帰りらしい作業着の男性。
 杖をついた高齢の女性。
 高校生らしい二人組。
 ただ物珍しそうに中を覗いている年配の夫婦。

 受付端末の上には、本日のDRIVEが表示されている。

―――――― GVS ――――――

【シビックタウン第一期・本日のDRIVE】

・鯖川フレーム現場同期体験
・県内工場VR訓練体験
・搬送ロボット操作ゲーム
・子供向け防災・物資運搬体験
・瀬戸口食堂/炊き出し拠点体験
・AI改善提案体験
・開業記録動画への参加
・駄菓子屋/小物店/娯楽区画の見学

【+ SUPPORT】

興味のある体験があれば、参加したいものを選択していただけませんか?
遊びや見学だけの参加も可能です。
実務参加や報酬付き業務へ進む場合のみ、別途条件確認を行います。

――――――――――――――

「遊びだけでも、いいのね」

 美和子が言うと、受付の横に立っていた理恵が振り向いた。

「はい。朝から、ロボット操作だけやりたいっていう子が三人来ています」

「理恵さん、おはよう」

「おはようございます」

 理恵は、古い棚の前で少し笑った。

「昨日、小学生の子がこの秤を見て、『これ何に使うの?』って聞いたんです」

「答えられた?」

「はい。父が乾物を量るのに使っていたんだって。毎日ここに立っていたんだって」

 理恵は、秤へ視線を落とした。

「閉じたままだったら、誰にも聞いてもらえなかったんですよね」

 美和子は、何も言わず、理恵の肩へ軽く手を置いた。

 その時、入口の端末前で、男の子が母親の袖を引いた。

「ねえ、ロボットのやつやりたい」

「工場の訓練じゃないの? あなたには難しいでしょう」

「遊びでいいって書いてあるよ」

 端末画面が、子供向け表示へ切り替わった。

―――――― GVS体験案内 ――――――

【子供向け体験】

災害時の飲料水を、搬送ロボットで避難所へ届けよう。

・失敗しても責任は発生しません
・家族や地域参加者と一緒に体験できます
・体験結果は希望者のみ記録できます

――――――――――――――

「お母さんも一緒にやって」

「私まで?」

「一人だと失敗するかもしれないから」

 母親は困った顔をしながら、参加受付を押した。

 美和子は、その様子を見ながら、少し驚いていた。

 職業訓練と聞いた時、もっと堅苦しいものを想像していた。
 仕事を探している人が、真剣な顔で技能を学ぶ場所。

 けれど、ここでは子供が遊びたがり、母親が笑いながら付き合い、隣では仕事帰りの男性が別工場の訓練一覧を眺めている。

 責任が生じるのは、実際の仕事へ進んだ時だけ。
 体験するだけなら、誰でもいい。

 暇だから覗いてみた。
 面白そうだから触ってみた。
 子供に誘われたから一緒にやってみた。

 その軽さが、ここにはあった。

一体のホログラムに、千人が同期する

「美和子さん、現場接続を見に行きませんか」

 陽斗に誘われ、美和子は旧衣料品店へ向かった。

 かつて安いシャツや肌着が並んでいた店だった。
 古い外壁と、色褪せた店名のプレートは残されている。

 しかし、ガラス越しに見える店内には、半円状の訓練席と、大型の立体映像設備が設置されていた。

 入口には、新しい表示が点いている。

LIVE FIELD LINK
現場同期・訓練区画

「ここで、工場の仕事を見るの?」

「見るだけじゃなくて、同じ作業を試せます。今日の接続先は鯖川フレームの自動搬送区画です」

 陽斗が、受付横の表示を指した。

―――――― 現場同期状況 ――――――

接続現場:鯖川フレーム製作所・自動搬送区画
現場表示ホログラム:1体
同期参加者:1,486名
現地映像視聴参加:1,106名
同時訓練参加:380名
発話権付与予定:5名
改善DRIVE受付:常時

――――――――――――――

「千四百八十六人?」

 美和子は、思わず声を上げた。

「この中に、そんなに入るの?」

「ここだけじゃないです。自宅から参加している人もいるし、県内の別の訓練拠点からつないでいる人もいます」

「でも、工場に千人もいたら仕事にならないでしょう」

「工場に立っているのは、一体だけです」

 陽斗は、映像の端に表示された青い人型を指した。

「参加者全員が、あの一体のホログラムに同期しているんです。見える現場も、聞こえる音も同じ。質問に選ばれた人だけが、少しの間、あのホログラムを通して話せる」

「一人の姿を、千人で借りているのね」

「そうです」

 大型表示の向こうに、鯖川フレームの現場が映った。

 白い床。
 整然と並ぶ作業台。
 部品箱を静かに運ぶ搬送ロボット。
 照明の下で、小さな部品を手に取る職人。

 そして、現場の端に、一体の淡い青色のホログラムが立っている。

 顔はなく、胸元に同期人数だけが表示されていた。

【同期参加者:1,486】

 訓練席に座る人たちは、同じ現場映像を見ながら、自分の手元で模擬工程を操作している。

 ある人は、搬送ロボットが停止した際の確認手順を試している。
 ある人は、品質異常を探している。
 高校生らしい二人は、訓練をするでもなく、実際の工場が動く様子に見入っていた。

「動いた。今、本当に鯖川で動いてるやつなんだよな」

「すげえ。あの人、大槻さんじゃない?」

「魔法のランプおじさん?」

 映像の中で、作業台にいた男が振り返った。

『おい。今日は妙に多いな。何人見てんだ』

 現地の声が、訓練区画に響く。

 案内AIが即座に答えた。

『現在の同期参加者は、一千四百八十六名です』

『千人以上が俺の仕事を見てんのか。なら、ちゃんと見とけ』

 大槻は、手にしていたフレーム部品を照明へかざした。

『AI判定じゃ許容範囲になってるが、これは俺なら外す。理由が分かる奴は、質問枠に入れてみろ』

 訓練区画が、一気にざわめいた。

「本当に大槻さんなの?」

 美和子が聞く。

「はい。今、一番人気の現場同期枠です」

「楽しそうね、あの人」

「見られる人数が増えるほど元気になるんですよ」

「昔から変わらないのね……」

 美和子は呆れながらも、笑ってしまった。

 表示画面の端には、質問と改善案が次々に上がっていく。

【質問・改善候補】

・AI判定で除外されなかった理由を確認したい
・光の角度による判定差を訓練画面に追加したい
・初心者が見落としやすい歪みを強調表示できないか
・照明位置の違いを再現する模擬訓練を追加したい

 やがて、発話権付与の表示が点灯した。

【発話権付与:柊木レン】
【同期参加履歴:8回】
【検品初級訓練:修了】
【臨時業務接続希望:登録済み】

 前列に座っていた青年が、体を強張らせた。

 二十代半ばほどだろうか。
 普段着の上から訓練端末を装着している。

 現場に立つホログラムへ、青年の音声が接続された。

『すみません。AI判定では問題なしですが、表面の反射が一瞬だけ歪んで見えました。照明の角度が変わると、見えなくなる傷なんでしょうか』

 大槻が、少し驚いた顔をした。

『お前、前にも来てたな』

 青年が息を止める。

『……分かるんですか』

『履歴が出てる。八回も同じところ見てりゃ、もう初見じゃねえだろ』

 大槻は、部品をもう一度傾けた。

『その通りだ。こいつは光の当たり方で見えなくなる。AIはまだそこを拾いきれねえ。目の付け所は悪くねえな』

『ありがとうございます』

『礼はいらねえ。臨時枠へ入りたいなら、次は実機確認の共同訓練まで来い。画面越しに見つけられるのと、現場で手を止めずに拾えるのは別だ』

『はい』

 接続が終わる。

 青年の端末に、新しい通知が表示された。

―――――― GVS ――――――

【現地共同訓練候補として記録されました】

対象現場:鯖川フレーム製作所・検品区画
確認済み履歴:ホログラム同期参加8回/検品初級訓練修了
次段階:現地共同訓練への参加希望確認

――――――――――――――

 青年は、画面を見たまま、しばらく動かなかった。

 美和子は、思わず声をかけた。

「よかったわね」

 青年は、驚いて振り向いた。

「あ……ありがとうございます」

「鯖川で働きたいの?」

「はい。正社員の採用には落ちたんですけど」

 青年は、少し恥ずかしそうに笑った。

「でも、ここなら訓練を続けて、臨時業務へ入れる可能性があります。鯖川だけじゃなく、北浜精密や福野機工の現場も見られる。何度も参加すれば、向こうにも履歴が残るんです」

「いろいろな工場で、顔を覚えてもらえるのね」

「はい。いきなり知らない現場へ一日だけ行って、終わりじゃない。先に現場を見て、質問して、訓練して、向こうにも知ってもらってから仕事へ入れる」

 青年は、映像の中の大槻を見た。

「正社員にはなれなかったけど、ここなら、まだ近づけるんです。呼んでもらえる現場を一つずつ増やしていけば、この町で働いていけるかもしれない」

 美和子は、返事ができなかった。

 若者に仕事が必要だということを、彼女は理解したつもりでいた。

 けれど、本当に必要だったのは、求人票に載る仕事だけではなかった。

 何度も通える入口。
 落とされても、もう一度近づける道。
 自分を知ってくれる現場。
 今日一日で終わらず、次にもつながる関係。

 この町に生まれたのは、単なる仕事ではない。

 仕事へ近づき続けられる場所だった。

「美和子さん」

 陽斗が、美和子の肩を軽く叩いた。

「次、美和子さんの体験枠、始まりますよ」

「私の?」

「防災訓練です。瀬戸口食堂、炊き出し拠点候補に入ってますから」

「私は見学に来ただけよ。工場で働く予定もないし」

「工場の訓練じゃありません。町の訓練です」

 柊木も、少し笑った。

「僕も参加します。搬送ロボット担当で」

「あなたが、私の鍋を運ぶの?」

「まだ訓練ですけど」

「落としたら承知しないわよ」

「訓練なので、落としても大丈夫です」

「それを聞いたら余計に不安になるじゃない」

鍋を運ぶロボット

 午後、美和子は瀬戸口食堂の裏手に設けられた体験区画へ立っていた。

 参加者は、美和子だけではない。

 小学生が六人。
 陽斗。
 柊木。
 三十代ほどの女性と、その子供。
 近所の高齢者が二人。
 仕事帰りに見学へ寄ったらしい男性。

 それぞれの前に、訓練用の表示が浮かび上がった。

―――――― GVS TRAINING ――――――

【地域防災・生活支援体験】

想定状況:集中豪雨により一部地域で停電・避難発生
拠点:瀬戸口食堂
体験可能役割:炊き出し/物資配布/高齢者確認/子供一時受け入れ/搬送ロボット連携

【▶ DRIVE】

災害時に、瀬戸口食堂を地域の食事支援拠点として活用できるよう、必要な動きと設備を試します。

【+ SUPPORT】

参加者には、食料配布、物資運搬、見守り、避難者案内の中から、体験したい役割へ参加していただけませんか?

【確認事項】

本体験によって実務責任は発生しません。
失敗や途中退出も可能です。
気づいた不便や改善案は、希望者のみDRIVEとして提出できます。

――――――――――――――

「私、本当にやるの?」

 美和子が言うと、小学生の女の子が即座に答えた。

「美和子さんがいないと、ご飯が出ないよ」

「そう言われたら、やるしかないじゃない」

 訓練が始まった。

 食堂の厨房に、仮想上の停電表示が出る。
 冷蔵庫内の食材残量が表示され、避難人数が次々に増えていった。

【避難者数:120名】
【温かい食事を必要とする人数:98名】
【高齢者向け配膳調整:14名】
【子供向け食事調整:23名】

「百二十人分の汁物……?」

 美和子は、思わず声を上げた。

「そんなの、私一人では無理よ」

【提案:炊き出し手順を分担してください】
【提案:搬送ロボットへ鍋・水・保存食の運搬を要請できます】

「ロボット!」

 子供たちが歓声を上げた。

 柊木が、搬送端末を操作する。

「大鍋を調理台の横まで運びます。美和子さん、置く位置を指定してください」

「あっち。火の近くには寄せすぎないで。人が通る場所も空けて」

「了解です」

 仮想表示の中で、小型搬送ロボットが大きな鍋を載せ、ゆっくりと移動を始めた。

 ところが途中で、子供が操作していた物資箱の搬送経路と重なった。

「あっ、ぶつかる!」

 柊木が停止操作を入れる。

 ロボットが、ぎりぎりで止まった。

「危なかった……」

「大丈夫です。訓練ですから」

 先ほどの女の子が言った。

「でも、本番だったらお味噌汁こぼれてたね」

「そうね。ロボットが悪いんじゃなくて、通り道を同じにしたのが駄目なのね」

 美和子の目の前に、改善入力欄が開いた。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

炊き出し時に、搬送ロボットと子供・高齢者の移動経路が重ならないよう、瀬戸口食堂周辺の物資受取位置と避難者案内位置を分けます。

【+ SUPPORT】

防災担当者、ロボット開発担当、子供・高齢者役の参加者には、安全に移動できる通路幅と案内表示を確認していただけませんか?

――――――――――――――

「こんなことまで、すぐ出せるのね」

 美和子は、表示を見つめた。

「美和子さんも、鯖川の訓練したんですか?」

 別の子供が聞いた。

「鯖川っていうより、私のお店の訓練よ」

「でも、ロボットは鯖川のでしょう?」

「そうね。じゃあ私も、今日から鯖川仲間なのかしら」

「僕、昨日も鯖川の訓練やったよ。工場の箱を運ぶやつ」

「それなら、次はうちの鍋もちゃんと運んでもらわないとね」

「おにぎりくれるならやる」

「働く前から報酬交渉するなんて、しっかりしてるわね」

 周囲から笑い声が上がった。

 美和子は、その声を聞きながら、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

 昔、この通りにも子供はいた。
 店先で遊び、駄菓子を買い、食堂の前で母親に呼ばれていた。

 けれど、昔は、工場に入りたい若者と、近所の子供と、食堂の店主が、同じ訓練の失敗を笑い合うことなどなかった。

 昔の町が戻ったのではない。

 昔よりも、ずっと多くの人が、同じ町の話をできるようになっている。

駄菓子屋の明かり

 夕方、防災体験を終えた美和子は、通りを歩いた。

 旧電器店では、小型ロボットの操作体験を終えた子供たちが、次は掃除ロボットを改良したいと騒いでいる。

 旧衣料品店では、仕事帰りらしい女性が、隣の一時預かり区画から子供を迎える前に、北浜精密の訓練予約を確認していた。

 高瀬乾物店では、理恵が初参加者へ、父親の秤とGVS端末の両方を案内している。

 瀬戸口食堂の入口には、提携企業の従業員と一般客が同じ列に並び始めていた。

 そして、少し先に、もう一軒、明かりが点いていた。

「……うそ」

 美和子は、足を止めた。

 古い駄菓子屋だった。

 長い間、シャッターに錆が浮き、看板の文字も読みにくくなっていた店。
 美和子が子供の頃にも通った、小さな店。

 看板は塗り直されていたが、形は昔のままだった。

 中には、ラムネ、菓子、玩具、小さな文具が並んでいる。
 店先には、小学生が三人座り込み、今日のロボット訓練について言い合っていた。

 入口横に、控えめな表示がある。

シビックタウン生活施設
提携企業従業員・訓練参加者利用補助対象/一般利用可

 水野が、後ろから歩いてきた。

「驚いた?」

「ええ……この店、もう絶対に戻らないと思ってた」

「単独で売上を追っていたら、難しかったでしょうね」

「そうよ。駄菓子なんて、いくら売っても大きな利益にはならないもの」

「でも、子供が立ち寄る場所として。訓練参加者が帰りに寄る店として。働く人の家族が町へ出てくる理由として。景観を残す場所としてなら、支える意味がある」

 美和子は、駄菓子屋の明かりを見た。

 子供の一人が、美和子に気づいた。

「あ、美和子さん! 今日、鍋運んでた人でしょう」

「そんな覚え方なの?」

「ロボット止めるの遅かったよね」

「あれは柊木くんの操作でしょう」

「でも、美和子さんが道を空けるの遅かった」

「まあ、生意気な子ね」

 子供たちは笑いながら店の奥へ戻っていった。

 美和子も、笑った。

「昔より、明るいわね」

 水野が聞いた。

「町が?」

「ええ。昔の町は好きだった。でも、昔は、あの子たちと私が同じ話をして笑うことなんてなかった」

 通りの向こうで、高瀬乾物店の照明が点いた。
 旧衣料品店の訓練区画へは、仕事帰りの人が入っていく。
 瀬戸口食堂の前には、夕食補助を使う訓練参加者と、昔からの常連客が同じように並んでいる。

 閉じていた通りに、人が歩いている。

 買い物客だけではない。
 働く人。
 学ぶ人。
 遊びに来た子供。
 親を迎えに来た人。
 ただ見物に来た人。
 もう一度仕事へ近づこうとしている人。

 美和子は、小さく息を吐いた。

「知事さん、よく言っていたわね」

「何を?」

「福野県を、世界一の都にするって」

 水野は、明かりの点いた通りを見渡した。

「最初に聞いた時は、ずいぶん大きなことを言う人だと思ったけれどね」

「私もよ。商店街の店を一つ開けるだけでも精一杯だったのに、何が世界一よって」

 高瀬乾物店から、子供たちの笑い声が聞こえた。
 訓練区画では、先ほどの柊木が、現地共同訓練の申請画面を開いている。
 駄菓子屋の前では、子供たちが搬送ロボットの操作についてまだ言い合っていた。

 美和子は、その景色を見ながら、少しだけ笑った。

「でも……今なら、少し分かる気がするわ」

「世界一の都が?」

「ええ。昔みたいに店が開いているだけじゃない。若い人も、子供も、働く人も、私たちみたいな年齢の人間も、ここでもう一度何かを始められる町なら……」

 美和子は、通りの明かりを見つめた。

「本当に、近づいているのかもしれないわね」

住めない町

「すみません」

 後ろから声をかけられた。

 振り返ると、三十代くらいの女性が、小さな女の子の手を握って立っていた。

 女の子の腕には、今日の子供向け防災体験でもらえる簡易バンドが付いている。

「瀬戸口食堂の方ですよね」

「はい。そうですけど」

「今日、娘と体験に参加しました。すごく楽しかったみたいで……私も、こちらの訓練へ通いたいと思っているんです」

「それは、よかったわ」

「今は県外に住んでいるんですが、ここなら仕事も探せそうだし、娘も安心して過ごせそうで。引っ越してこられないかと思って」

 女性は、申し訳なさそうに笑った。

「近くで借りられる部屋を、ご存じないですか?」

「部屋?」

 美和子は、水野を見た。

「空き家の改修住宅、まだ紹介できたわよね」

 水野の表情が曇った。

「美和子。もうないの」

「え?」

「短期滞在枠も、家族向け改修住宅も、先月で全部埋まった。空き店舗の二階も、周辺の古いアパートも、ほとんど残っていないわ」

「でも、空き家なんてたくさんあったでしょう」

「シビックタウンの計画が発表されてから、契約が一気に入ったの。県外から働きに来たい人だけじゃない。物件価格が上がると見て、買い始めた人もいる」

 水野は、端末を開いた。

 周辺賃貸物件の一覧が表示される。

 美和子は、数字を見て目を疑った。

「この部屋……前は四万円台じゃなかった?」

「今は七万八千円」

「そんな……」

「まだ上がると思う。シビックタウンに近い場所から、どんどん」

 女の子が、母親の手を握ったまま聞いた。

「ここに、住めないの?」

 女性は答えられなかった。

 美和子も、答えられなかった。

 町は、明るくなった。

 仕事も生まれた。
 遊べる場所も戻った。
 子供が笑い、若者が訓練し、食堂には人が並び始めた。
 ここで暮らしたいと思う人まで、現れた。

 なのに、その人たちが住める場所がない。

 暮らしやすく、稼ぎやすい町を作ったはずだった。

 けれど、町が魅力を持ったことで、今度はこの町そのものが、金のある人間にしか手の届かない場所になり始めている。

 美和子は、明かりの点いた通りを見渡した。

 高瀬乾物店。
 駄菓子屋。
 訓練区画。
 ロボット試験区画。
 瀬戸口食堂。

 ついさっきまで、すべてが希望に見えていた。

 今は、その明かりの外側に、入れずに立ち尽くす人がいることに気づいてしまった。

 女性の端末へ、新しい入力欄が表示される。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

子供と一緒にシビックタウンへ移住し、訓練と仕事へ参加できる生活を作りたいです。

【+ SUPPORT】

シビックタウン周辺で、家族が無理なく住める住宅と家賃条件を提示していただけませんか?

――――――――――――――

 女性は、少し迷ったあと、送信ボタンを押した。

【DRIVEを公開しました】

 数秒後、同じ趣旨の応答数が増えていく。

【類似DRIVE:183件】
【関連要請:住宅不足/家賃高騰/短期滞在枠不足/元住民の居住継続不安】

 さらに、別の通知が表示された。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

シビックタウンの近隣に住み続けてきましたが、家賃更新後の金額では生活を続けられません。

【+ SUPPORT】

新しく移住する人だけでなく、以前からこの町に住んでいた人が住み続けられる住宅対策も検討していただけませんか?

――――――――――――――

 美和子の胸が、また冷たくなった。

 ここへ来たい人が住めないだけではない。

 ここに残っていた人まで、出ていかなければならなくなるかもしれない。

 町明り会が明かりを戻したかったのは、誰かに高く売れる町を作るためではなかった。

 ここにいた人が、ここで生きていける町を作るためだった。

「水野さん」

 美和子は、端末を見たまま言った。

「町明り会で、話さないといけないわね」

「ええ」

「ここに住みたい人が住めないなんて……それに、ここにいた人まで追い出されるなんて。そんな町のままにはできないわ」

 水野は、静かに頷いた。

 通りの明かりは、さらに強くなっていた。

 けれど、その明かりが届く場所を増やさなければ、今度は人が明かりの外へ押し出されていく。

 シビックタウンの最初の一日は、歓声の中で始まり、住む場所を求めるDRIVEの中で終わった。

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