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我が町こそ世界一の都 第十一話 世界一の都の家賃

目次

住みたい人が、住めない町

 シビックタウン第一期の先行開業から、三か月が経った。

 瀬戸口食堂の昼は、以前とは比べものにならないほど忙しくなっていた。

 鯖川フレームの訓練参加者。
 北浜精密工業の現場同期を終えた転職希望者。
 子供向けロボット体験を終えた親子。
 旧電器店のAI開発区画へ通う若者。
 商店街の様子を見に来た県外の見学者。

 昼の十二時を過ぎると、店の前には自然と列ができる。

 美和子は、配膳補助端末の表示を見ながら、厨房の中で次々に皿を並べていた。

「日替わり定食、あと八つです!」

「こっちは子供用二つ!」

「美和子さん、訓練参加者用の食事補助確認、終わりました!」

「陽斗くん、動画の撮影に来たんじゃなかったの?」

「人が足りない時は手伝う契約です。あとでちゃんと業務ログに入れます!」

「そういうところだけ妙にしっかりしてきたわね!」

 食堂の隅では、搬送用の小型ロボットが、空いた食器を回収口まで運んでいる。

 最初の防災訓練で、美和子が「人とロボットの通路がぶつかる」とDRIVEを出した結果、瀬戸口食堂には配膳補助用の運行経路が試験導入された。

 始めの頃は、店内を動く機械に落ち着かなかった。
 けれど、重い盆を何度も運ばなくて済むことを知ると、もう外してほしいとは思わなかった。

「美和子さん! 鍋、補充できます!」

「お願いします。火元には近づけすぎないでね!」

「分かってます。前に怒られたから!」

 端末を操作していたのは、柊木レンだった。

 鯖川フレームの正社員採用には落ちたが、シビックタウンでホログラム同期参加とVR訓練を続け、今では鯖川の検品補助と搬送設備確認の臨時業務へ入るようになっている。

 仕事のない日は、シビックタウンで追加訓練を受けたり、食堂や防災区画の搬送試験へ参加したりしていた。

 初めて会った頃より、表情が明るい。

「レンくん、今日は鯖川じゃなかったの?」

「午前中だけです。午後は福野機工の同期訓練があります」

「そんなにいろいろ行って、大丈夫なの?」

「まだ顔を覚えてもらっている途中ですから。鯖川だけじゃなくて、複数の現場へ入れるようになれば、仕事が途切れにくくなるんです」

 柊木は、照れたように笑った。

「この前、北浜精密の担当者に『前にも同期してましたよね』って言われました」

「あら。よかったじゃない」

「はい。ちょっと嬉しかったです」

 美和子は、忙しい手を止めずに頷いた。

 昔なら、町に残った若者が、複数の工場から名前を覚えられ、必要な日に仕事へ呼ばれるなど想像もできなかった。

 工場は、遠くにある閉じた職場だった。
 雇われるか、落とされるか。
 一度入れなければ、そこから先へ近づく方法などなかった。

 今は違う。

 シビックタウンへ来れば、子供でも工場の現場を覗ける。
 転職を迷う大人でも訓練へ参加できる。
 採用に落ちた若者でも、何度も現場へ同期し、質問を出し、共同訓練へ進み、臨時業務へ入れる。

 町の中に、仕事へ近づくための道が何本も生まれていた。

 美和子は、それが嬉しかった。

 この町は、確かに変わったのだ。

 昼の混雑が少し落ち着いた頃、入口の戸が開いた。

「すみません。今、少しよろしいですか」

 顔を上げると、以前、娘を連れて防災体験へ来ていた女性が立っていた。

「あら。こんにちは。今日は娘さんは?」

「保育体験区画にいます。すごく気に入ったみたいで」

「それはよかったわ。何か召し上がります?」

「いえ……今日は、少し相談があって」

 女性は、手元の端末を握りしめていた。

 美和子は、その表情を見て、厨房の奥に声をかけた。

「陽斗くん、少しだけお願いしていい?」

「はい。任せてください」

 美和子は、女性を空いている席へ案内した。

「お住まいのこと?」

 女性は、苦笑した。

「分かりますか」

「前にも、近くへ引っ越したいって言っていたでしょう」

「はい。あれから何度も探したんです。でも、もう無理かもしれません」

 女性は、端末を美和子へ向けた。

 表示されていたのは、周辺の賃貸物件一覧だった。

【シビックタウン徒歩圏内/家族向け賃貸】

二DK 月額九万一千円
二LDK 月額十一万四千円
空き家改修住宅 募集終了
短期滞在住宅 抽選待機数:二百三十二世帯
子育て世帯優先枠 新規受付停止

「十一万円……?」

 美和子は、思わず声を漏らした。

「去年までなら、六万円台だったと聞きました」

「ええ。この辺で十一万円なんて、聞いたこともないわ」

「私は今、隣県の実家にいます。母に娘を見てもらいながら、シビックタウンの訓練にはホログラム参加しています。でも、本当はここへ移りたかったんです」

 女性は、食堂の窓の外を見た。

 高瀬乾物店の前を、親子連れが歩いている。
 旧衣料品店の訓練区画から、作業着の男性と高校生が一緒に出てくる。
 駄菓子屋の軒先では、子供たちが小型ロボットの景品を見せ合っている。

「娘が、ここへ来た日はずっと機嫌がいいんです。私も、介護補助の訓練を受けてみたい。仕事ができれば、母もこちらへ呼べるかもしれないって思っていました」

「……ええ」

「でも、ここで働く前に、ここに住む金がありません」

 美和子は、何も言えなかった。

 仕事が生まれれば、生活できると思っていた。

 けれど、生活を始める前に家賃が立ちはだかる。
 仕事を得るために移り住みたい人が、仕事を得る前の段階で弾かれてしまう。

「隣県から通うことはできないの?」

「できます。でも、娘を連れて毎日通うのは難しいです。訓練だけならホログラム参加で済みますけど、現地の業務へ進むなら、やっぱり近くに住みたい」

 女性は、少し間を置いた。

「それに……隣県側の駅周辺も、家賃が上がり始めています」

「向こうまで?」

「福野県へ通いやすい場所から、少しずつ」

 美和子は、端末の表示を見つめた。

 シビックタウンへ入りたい人が、周辺へ広がっている。
 住めない人は、隣の町へ行く。
 そこも高くなれば、さらに外へ押し出される。

 明かりは確かに広がった。

 けれど、その光を追う人々の足元で、住む場所が少しずつ奪い合いになっている。

「私、GVSにもう一度出してみます」

 女性が言った。

「前にも住宅の要請を出したんですけど、今度は隣県から通っている人たちとも一緒に」

 美和子は頷いた。

「出してください。私たちも、ちゃんと確認します」

 女性は入力を始めた。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

子供と一緒にシビックタウンの訓練・仕事へ参加しながら暮らせる住居を探します。現在は隣県から参加していますが、通勤と子育ての両立が難しく、周辺地域の家賃も上昇しています。

【+ SUPPORT】

福野県、参加企業、住宅所有者、周辺自治体には、シビックタウンへ参加したい家族が無理なく住める住宅枠と、隣接地域まで含めた家賃高騰対策を検討していただけませんか?

――――――――――――――

【DRIVEを公開しました】

 送信表示が消える前に、関連する要請数が更新された。

【類似DRIVE:四百二十一件】
【隣接市町村からの通勤・参加要請:百三十六件】
【隣県居住者からの住宅・交通要請:七十八件】
【従来住民からの居住継続不安:九十二件】

 美和子は、数字の増え方に息を呑んだ。

 この町に入りたい人の声だけではない。

 ここに住み続けていた人の声まで、急速に増えていた。

追い出される人

 その日の夜、町明り会の臨時確認会が開かれた。

 場所は瀬戸口食堂の奥座敷だった。

 美和子、水野、理恵、陽斗。
 そして、地域側の参加者が数名。
 壁面端末には、住宅関連DRIVEの集計結果が映し出されている。

―――――― GVS集計報告 ――――――

【シビックタウン居住関連DRIVE/直近三十日】

移住希望者の住宅要請:六百八十四件
短期滞在枠不足:二百五十七件
家賃上昇への不安:三百二十一件
従来住民の居住継続要請:百四十六件
隣接地域・隣県からの通勤要請:二百十二件
空き家提供希望:十九件
投資目的取得に関する報告:五十四件

【周辺家賃推移】

計画発表前平均:四万六千円
現在平均:七万八千円
新規募集物件平均:九万二千円

【近隣市町村・主要交通沿線】

平均家賃上昇率:二十四%
短期入居希望者数:前年度比四・六倍

――――――――――――――

「九万二千円……」

 理恵が、小さく呟いた。

「そんな家賃、ここでは普通じゃなかったでしょう」

「普通じゃなかったわ」

 水野が答えた。

「でも、もう新規募集はその金額になっている。シビックタウンに近い、訓練に通いやすい、鯖川の臨時枠へ入りやすい。それだけで値段が上がる」

 美和子は、唇を噛んだ。

「どうして。人が来てくれるのは嬉しいことだったでしょう」

「嬉しいわ。でも、人が増えれば住む場所が必要になる。空き家は使い切った。改修できる物件も限られている。そこへ外から買い付ける人が入れば、価格は上がる」

「外から買い付けるって……住むためじゃないの?」

「値上がりすると思って買う人もいる。高く貸せると思って押さえる人もいる」

「そんな……町を株みたいに」

「町が魅力を持ったからよ」

 水野の声は冷静だった。

「私たちが望んだ結果の一つでもある」

 美和子は、その言葉に何も返せなかった。

 陽斗が、端末を見たまま言った。

「僕も、近くへ越そうと思っていました」

 美和子は、顔を上げた。

「陽斗くんも?」

「はい。動画の仕事が増えて、現場同期の記録撮影もあるし、夜の編集業務もある。ここに住めば、もっと仕事に入れると思ったんです」

「今はどこから来ているの?」

「家から車で四十分くらいです。でも、夜まで仕事をすると帰るのがきつくて」

「だったら、近くに住めれば……」

「無理です」

 陽斗は、少し笑おうとして、笑えなかった。

「一日一万二千円の仕事が入るようになって、前よりはずっとましです。でも毎日あるわけじゃない。今の家賃じゃ、ここに住むためにもっと仕事を取らないといけない。でも近くに住めないと、仕事に参加しづらい」

 堂々巡りだった。

 町が陽斗に仕事を与えた。
 陽斗は、もっと町へ関わりたいと思った。
 だが、関わりやすい場所へ住むには、その仕事だけでは足りない。

「レンくんは?」

 美和子が聞く。

 陽斗は、端末の一覧から一件のDRIVEを開いた。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

鯖川フレームおよび県内提携工場の臨時業務へ継続参加するため、通勤負担の少ない場所へ居住します。

【+ SUPPORT】

正社員ではなく、臨時業務と訓練から仕事を積み上げている参加者にも、収入に見合った短期住宅・住み込み枠・交通支援を提示していただけませんか?

【背景情報/本人許可済み】

現在居住地:隣県・県境沿線
片道通勤時間:一時間四十二分
鯖川フレーム同期参加:十一回
現地共同訓練:一回
有償臨時業務参加:三回
短期滞在住宅抽選:二回落選

――――――――――――――

「一時間四十二分……」

 美和子は、声を失った。

「それでも来ているんです」

 陽斗が言った。

「鯖川で働きたいから。ここで顔を覚えてもらいたいから。臨時でも、何度も呼ばれる人になりたいから」

「そこまでして来てくれる人に、住む場所も用意できないの……」

 その時、端末に新しい投稿が表示された。

 投稿者名を見て、理恵が息を呑んだ。

「この人……駅の裏のアパートに住んでいる佐藤さんじゃないですか」

 美和子も知っていた。

 瀬戸口食堂へ時々来る、高齢の女性だった。
 夫を亡くしてから、一人で古いアパートに暮らしている。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

これまで住んできたシビックタウン近隣の住居で、これからも生活を続けたいです。

【+ SUPPORT】

家賃更新後の金額では生活を続けられないため、以前からこの地域に住んでいた住民が立ち退かずに済む支援や住宅条件を提示していただけませんか?

【背景情報/本人許可済み】

現行家賃:四万三千円
更新後提示家賃:七万二千円
居住年数:十九年
転居希望:なし

――――――――――――――

 食堂の中が、静まり返った。

 美和子の中で、何かが切れた。

「違う」

 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。

「こんなの、違うわ」

 水野が、美和子を見る。

「美和子」

「私たちは、この町に人が戻ってほしかった。ここで働けるようになってほしかった。子供が歩いて、若い人が笑って、昔からいた人も安心して暮らせる町にしたかった」

 美和子は、画面に表示された佐藤の要請を指した。

「それなのに、ずっとここにいた人が、家賃を払えなくて出ていくなんて。そんなの、町を戻したことにならないでしょう」

 誰も答えなかった。

 答えられなかった。

 シビックタウンは成功していた。
 その成功が、佐藤を追い出そうとしている。

 理恵が、小さな声で言った。

「お父さんの店を残してもらえて、私は嬉しかったです」

 皆が理恵を見る。

「でも……もし、父が今もこの近くの家を借りて暮らしていたら、払えなくなっていたかもしれないんですね」

 美和子は、理恵の言葉に胸を締めつけられた。

 景観を残す。
 店の名前を残す。
 明かりを戻す。

 それだけでは、足りなかった。

 そこに暮らしていた人が残れなければ、町の記憶は看板と建物だけになってしまう。

地上に、何を建てるのか

 翌日、白瀬悠真が瀬戸口食堂へ来た。

 以前、シビックタウン計画を持ち込んだ時と同じように、資料を抱えている。

 だが、今回は黒川工場長はいなかった。

 代わりに、白瀬の顔には、はっきりと疲労が浮かんでいた。

「住宅関連の要請は、県でも確認しています」

 白瀬は、町明り会の前で頭を下げた。

「見通しが甘かったことは、認めます」

「謝ってほしいわけじゃありません」

 美和子は答えた。

「住む場所をどうするのかを、聞きたいんです」

「はい」

 白瀬は、資料を開いた。

【緊急居住対策候補】

一、既存空き家の追加調査・改修
二、空き店舗上階の住宅転用
三、鯖川グループおよび参加企業による借上げ住宅
四、短期滞在用仮設住宅の増設
五、従来住民向け家賃補助
六、周辺市町村への交通接続・訓練拠点分散
七、商店街周辺空き地への集合住宅建設

「これを全部やれば、どうにかなるの?」

 美和子が尋ねた。

 白瀬は、すぐには答えなかった。

「短期的には、一部の要請に応えられます」

「一部?」

「空き家は、すぐ住めるものがほとんど残っていません。大規模改修が必要な物件を含めても、確保できるのは百戸から百五十戸程度です」

「要請は、もう六百件以上あるのに」

「はい」

「仮設住宅は?」

「建てられます。ただ、土地が必要です。商店街周辺に置けば景観と歩行空間を圧迫します。郊外に置けば、シビックタウンへの交通整備が必要になります」

「家賃補助は?」

 水野が尋ねた。

「出せます。しかし、補助を前提に賃料がさらに上がる危険があります。県が家賃を補填するほど、物件所有者側が高値を維持しやすくなる」

「じゃあ、住宅を建てるしかないの?」

 美和子の言葉に、白瀬は次の資料を表示した。

 商店街周辺の地図。
 空き地と駐車場跡地。
 古い住宅街。
 シビックタウンの訓練区画と生活施設予定地。

 その上に、いくつもの集合住宅建設候補が重ねられている。

「最も速いのは、周辺に中高層の集合住宅を建てる案です。鯖川グループと県内建設事業者が参加すれば、相当数を供給できます」

 美和子は、画面を見た。

 その建物が建てば、確かに人は住める。

 けれど、駄菓子屋の後ろに大きな集合住宅が立つ。
 高瀬乾物店の向こうに、工事車両が並ぶ。
 子供が歩き始めた通りの周辺に、住居区画と駐車場が増える。

「この町の景色は、どうなるの」

 美和子は聞いた。

「変わります」

 白瀬は、逃げずに答えた。

「住宅を増やす以上、変えずに済むとは言えません」

「景色を残したいなら、住みたい人を断れということ?」

「そう言っているわけではありません。ただ……地上で解決するなら、何かを使わなければならない。空き地も、道路も、町並みも、周辺の土地も」

 白瀬は、端末を握る手に力を入れた。

「そして、地上へ広げれば広げるほど、今度は隣接地域の地価が上がる。すでに県境沿線まで影響が出ています」

 陽斗が、画面を覗き込んだ。

「じゃあ、周りの町へ住めばいいって話でもないんですね」

「はい。福野県で仕事が増えるほど、周辺は通勤圏として値上がりする。住宅を外へ広げるだけでは、家賃高騰を外側へ移すだけになる可能性があります」

「そんな……」

 美和子は、椅子へ座り込んだ。

 誰かに来てほしいと願った。

 来てくれた。

 仕事がほしいと願った。

 仕事が生まれた。

 暮らしやすい町にしたいと願った。

 人々は、ここで暮らしたいと言ってくれた。

 その結果、今度は町が足りなくなった。

「白瀬さん」

 美和子は、ゆっくり顔を上げた。

「知事さんは、このことを知っているの?」

「はい。これから、直接報告に行きます」

「だったら、伝えてください」

「何をでしょうか」

「知事さんが言ったんです。福野県を、世界一の都にするって」

 白瀬は、黙って聞いていた。

「世界一の都が、住みたい人を追い返して、昔から住んでいた人を追い出す町でいいはずがないでしょう」

 白瀬は、深く頭を下げた。

「必ず、伝えます」

敗れた理想家

 福野県庁の知事室で、小泉純也は、白瀬が持ち帰った報告を黙って読んでいた。

 画面には、住宅不足に関する数字が並んでいる。

 移住希望。
 家賃高騰。
 短期住宅不足。
 隣県からの長距離通勤。
 従来住民の立ち退き不安。
 周辺地域への価格上昇の波及。

 そして、最後に美和子の言葉が記録されていた。

世界一の都が、住みたい人を追い返して、昔から住んでいた人を追い出す町でいいはずがないでしょう。

 小泉は、長い間、何も言わなかった。

「知事」

 白瀬が声をかける。

 小泉は、画面を見たまま呟いた。

「私は……何を作ったんだろうな」

「知事」

「若者が出ていく県を変えたかった。人がここで働き、暮らし、この県を好きだと言えるようにしたかった」

 小泉は、乾いた笑いを漏らした。

「そのために、人が住めない町を作ったのか」

「シビックタウンは、失敗ではありません」

「分かっている」

 小泉は、すぐに答えた。

「失敗ではないから、なおさら苦しい。成功した。人が来た。仕事も生まれた。子供が笑う町にもなった。その成功で、今度は人が押し出されている」

 白瀬も、答えられなかった。

 彼自身、何日も住宅対策を検討していた。

 空き家改修。
 借上げ住宅。
 家賃補助。
 集合住宅。
 交通圏の拡張。
 周辺市町村への分散。

 どれも、部分的な答えにはなる。
 だが、シビックタウンに集まり続ける人の流れを、根本から受け止めるものではなかった。

「田中先生へ、報告します」

 小泉が言った。

 白瀬は、わずかに身を固くした。

 小泉は、その反応に気づいたようだった。

「怖いか」

「……はい」

「私もだ」

 小泉は、自分の手を見た。

「私はずっと、福野県を世界一の都にすると言ってきた。けれど、シビックタウンを本当に形にしたのは田中先生だ。私が掲げていただけの言葉を、あの方は次々に実物へ変えてしまう」

「……」

「今度もまた、私たちには思いつかなかった答えを出すのかもしれない」

 白瀬は、胸の奥が重くなるのを感じた。

 自分も同じだった。

 制度を作る。
 現場の要請を拾う。
 資料へまとめる。
 危険を確認する。

 それはできる。

 だが、工場の不満から県全体の産業改革を見出し、商店街の小さな夜活動からシビックタウンを作り、そして住宅危機を前にさらに巨大な答えを出すような力は、自分にはない。

 田中丸栄という政治家は、あまりにも大きすぎた。

下へ作れ

 その日の夜、田中丸栄との通信がつながった。

 画面の向こうで、田中は椅子に深く座っている。
 年齢を感じさせる顔だったが、その目だけはまだ鋭かった。

「住宅問題か」

 田中は、報告の冒頭だけで言った。

「はい」

 小泉は、資料を共有した。

「空き家改修では追いつきません。短期住宅も不足しています。家賃は急騰し、従来住民からも居住継続要請が出ています」

「周辺への波及は」

「すでに始まっています。隣接市町村、隣県の交通沿線へも居住希望者が流れています。家賃上昇も確認されています」

「地上に住宅を増やす案は」

 白瀬が答えた。

「可能です。ただ、シビックタウン周辺の景観と生活施設用地を大きく削ることになります。さらに、需要の増加速度を考えると、地上で横へ拡張し続ける限り、価格上昇と通勤圏の拡大を周辺へ押し広げるだけになる可能性があります」

 田中は、黙った。

 画面に、福野県の地図が映っている。

 シビックタウン周辺は赤く表示されていた。
 住宅要請と地価高騰が集中している地域。

 そこから外へ、橙色の線が伸びている。
 隣接市町村。
 県境沿線。
 隣県の住宅地。

 シビックタウンに集まった熱が、住む場所を求めて外へ外へと広がっている。

「田中先生」

 小泉は、声を絞り出した。

「私は……どうすればよいのでしょうか」

 白瀬は、小泉の横顔を見た。

 知事が、答えを求めている。

 県民の前では、世界一の都を掲げた政治家。
 シビックタウンの開業時には、福野県の未来を語った人物。

 だが、今の小泉は、田中の前で自分の限界を隠そうともしていなかった。

「私は、人が戻る県を作りたかった」
「けれど、戻ってきた人を住ませる場所すら作れない」
「地上へ建てれば、町を壊す。外へ広げれば、隣の地域を押し上げる」
「先生。私には、もう答えが見えません」

 田中は、画面の地図をしばらく見ていた。

 そして、低い声で言った。

「ならば、下へ作れ」

 小泉が、顔を上げた。

「……下へ?」

「横へ広げれば、次は隣の町が高くなる。その先へ広げれば、隣県が寝るためだけの町になる。地上に住宅を詰め込めば、ようやく戻した景観と生活の場を潰す」

 田中は、地図の表示を切り替えた。

 平面の地図の下に、新しい層が現れる。

 何も描かれていない、福野県地下層。

「地上に戻した明かりを、住宅と車道で覆う必要はない」

「地下に、住宅を建てるというのですか」

 小泉の声は震えていた。

「住宅だけではない」

 田中の指が、空白の地下層へ線を引いた。

「生活区画。医療。保育。介護。食料備蓄。訓練。研究開発。電力。水。通信。物流」

 さらに、その下へ、もう一段の層が表示される。

「交通網は、居住区のさらに下へ通す。自動運転車両と搬送ロボットで、人と物を動かす。地上の車道は段階的に減らし、人が歩き、遊び、暮らす町として残す」

 白瀬は、画面を見たまま言葉を失った。

 自分たちが考えていたのは、空き家と家賃補助だった。
 どこへ何戸の集合住宅を建てるかだった。
 どの町へ交通を伸ばせば、通勤可能圏を広げられるかだった。

 田中は、そのすべてを一度に飛び越えた。

 地上の町を守りながら、地下にもう一つの生活圏を作る。
 住居だけではない。
 交通も、物流も、医療も、研究も、防災も、国家防衛も。

 白瀬は、かすれた声で言った。

「地下生活圏……国家防衛都市計画、ということですか」

 田中は、白瀬を見た。

「小さいな、白瀬君」

「……小さい?」

「都市ではない」

 田中は、地下層の表示を拡大した。

「世界だよ」

 画面に、新しい文字が表示される。

――――――――――――――

日本列島シビックドライブ改造計画
第三の柱・構想案

CIVIC WORLD
シビックワールド

福野県地下防護生活圏・国家実証計画

――――――――――――――

「シビックワールド……」

 小泉は、茫然とその文字を読み上げた。

「地下に人を押し込めるのではない」

 田中は言った。

「すでに、この町に住みたい者が溢れている。働きたい者がいる。訓練したい者がいる。子供を育てたい者がいる。親を支えながら残りたい者がいる」

 田中の声は、次第に強くなった。

「ならば、住める世界を増やせばいい」

 地下の表示に、仮設住宅区画が追加される。

「建設初期は、地上に仮設居住区を置く。住み込みで参加する者を募る。地下住宅、交通、物流、防災、医療、生活施設を、自分たちの手で作らせる」

 白瀬が、思わず言った。

「危険です。規模が大きすぎます。地下生活圏の法整備も、安全基準も、国費の確保も、まだ何一つ――」

「だから、作るのだ」

「しかし、参加者を仮設住宅へ集めて、失敗すれば……」

「取り返しはつかん」

 田中は、即座に答えた。

 部屋が静まり返った。

「失敗すれば、私の政治生命などという話では済まない。仮設住宅へ集まった人間の生活を失わせる。福野県の資本を失う。鯖川モデルも、シビックタウンも、GVSへの信用も失う。日本を変えられるという希望そのものが終わる」

「それでも……やるのですか」

 白瀬が聞いた。

 田中は、迷わなかった。

「やる」

 その言葉は、あまりにも短かった。

「地上の家賃が上がるのを眺めながら、人が町の外へ押し出されるのを待つのか。ようやく戻った明かりを、高額な住宅街と車道で塗り潰すのか。隣県まで福野県の寝床にして、格差を広げ続けるのか」

 田中は、地下の空白を指した。

「答えがないのなら、作るしかない」

 小泉は、画面から目を離せなかった。

 福野県を、世界一の都にする。

 それは、自分が何度も口にした言葉だった。

 知事選でも。
 県議会でも。
 工場改革が始まった時も。
 シビックタウンが開業した時も。

 自分は、その言葉を信じていた。
 本気で、この県を変えたいと思っていた。

 けれど、自分にできたのは、願うことだった。
 掲げることだった。
 田中が描いた計画へ、必死についていくことだった。

 工場の改革を、一県の産業モデルへ変えたのも。
 小さな商店街の活動を、シビックタウンへ引き上げたのも。
 そして今、住宅不足から地下世界を見出したのも。

 すべて、この老人だった。

 知事として、悔しいと言うべきなのかもしれなかった。
 自分が県民を守るのだと、田中へ条件を突きつけるべきなのかもしれなかった。

 だが、小泉の胸に湧いたのは、ほとんど畏怖だった。

 自分が夢として掲げることしかできなかった世界を、この男は、本当に作ろうとしている。

「田中先生」

 小泉は言った。

「何だね」

「最後まで……お供させていただきます」

 白瀬が、小泉を見た。

「知事……」

「私は、福野県を世界一の都にすると言いました」

 小泉の声は震えていた。

 けれど、言葉は止まらなかった。

「ですが、私一人では、その入口にすら辿り着けなかった」
「工場が変わり、町が変わり、ここまで来られたのは、先生がいたからです」
「先生が本当に、福野県の地下に、人が生き続けられる世界を作ろうというのなら……」

 小泉は、深く頭を下げた。

「私も、政治生命のすべてを賭けます」
「最後まで、お供させていただきます」

 田中は、しばらく何も言わなかった。

「失敗すれば、君も終わるぞ」

「はい」

「歴史に残る無能な知事として、福野県を私の大博打へ差し出した男として、二度と立ち上がれなくなるかもしれん」

「それでもです」

 小泉は、顔を上げた。

「私の夢を、本当に作ろうとしてくださる方を、ここで一人にはできません」

 田中は、目を閉じた。

 そして、静かに息を吐いた。

「愚かな男だな、君は」

「先生ほどではありません」

 一瞬の沈黙のあと、田中は、初めて小さく笑った。

「よろしい」

 その声には、年老いた政治家の疲労と、それでも燃え尽きるつもりのない熱が混じっていた。

「ならば、福野県の地下に、日本の未来を作るぞ」

 白瀬は、二人を見ていた。

 言葉が出なかった。

 巨大すぎる。

 危険すぎる。

 自分なら、こんな決断はできない。
 家賃補助の制度を詰め、空き家改修の数字を出し、反対意見を拾い、慎重に次の案を積み上げることしかできない。

 田中のように、町の家賃問題を見た瞬間、地下にもう一つの世界を作れなどとは言えない。

 その能力の差が、あまりにも苦しかった。

 けれど、画面の中には、すでに新しいDRIVEの草案が立ち上がっていた。

―――――― GVS ――――――

【▶ DRIVE】

福野県シビックタウンの地下に、住宅・交通・物流・医療・保育・介護・訓練・研究開発・防災機能を備えた地下防護生活圏「シビックワールド」を建設します。

地上の町並みと歩行空間を守りながら、住居不足を解消し、災害や有事にも人が生活と仕事を継続できる新しい生活圏を作ります。

【+ SUPPORT】

福野県民、移住希望者、従来住民、参加企業、建設・地下インフラ・医療・物流・防災・AI・ロボット分野の関係者には、必要な住居、参加可能な業務、危険性、反対意見、必要な条件を提示していただけませんか?

――――――――――――――

 白瀬は、その文章を見つめた。

 提案ではなく、始まりだった。

 福野県の地上に戻った明かりは、今、地下へ向かおうとしている。

 住む場所を求める人々のために。
 押し出されようとしている住民のために。
 そして、まだ誰も見たことのない、日本の次の世界を作るために。

 田中丸栄の、人生最後の大博打が始まろうとしていた。

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