
シビックワールド
その朝、福野県中のGVS端末に、同じ通知が表示された。
工場の休憩室にも。
シビックタウンの受付にも。
隣県から鯖川の現場へ通う電車の中にも。
空き家を探し続けていた親子の端末にも。
家賃の更新通知を前に、住み慣れた町を離れるべきか迷っていた高齢者の画面にも。
表示されたのは、これまでの地域DRIVEとは比較にならないほど巨大な計画だった。
―――――― GVS ――――――
【日本列島シビックドライブ改造計画】
【第三の柱・福野県国家実証計画】
CIVIC WORLD/シビックワールド
【▶ DRIVE】
福野県シビックタウンの地下に、住宅・交通・物流・医療・保育・介護・訓練・研究開発・防災機能を備えた地下防護生活圏を建設します。
地上の町並みと歩行空間を守りながら、住居不足を解消し、災害や有事にも生活と仕事を継続できる新しい世界を作ります。
【+ SUPPORT】
居住希望者、建設・設備・医療・物流・生活支援・AI・ロボット分野の参加希望者には、必要な住居、参加可能な役割、懸念点、必要条件を提示していただけませんか?
――――――――――――――
最初の数分、端末は静かだった。
計画が大きすぎたのだ。
地下に住宅を作る。
地下に交通網を通す。
その下を自動運転車両と搬送ロボットが走る。
地上の車道は徐々に減らし、人が歩き、遊び、暮らす町として残す。
住居不足への対策として読むには、あまりにも遠大だった。
公共事業として読むには、あまりにも生活そのものに入り込んでいた。
シビックステーションの受付端末の前で、美和子は画面を見つめたまま動けなかった。
「地下に……町を作るの?」
隣に立っていた水野も、さすがに返事が遅れた。
「町というより……書いてある通りなら、生活圏全部ね」
「食堂も?」
「食事提供区画、共同厨房、仮設居住区の生活支援……あるわね」
美和子は、画面を指で送った。
計画概要の次には、初期参加方針が表示されていた。
―――――― シビックワールド初期参加方針 ――――――
【初期整備対象】
・建設参加者向け仮設居住区
・地下住宅試験区画
・地下交通/自動運転物流試験路
・電力/水/通信設備区画
・医療/保育/介護支援区画
・共同食堂/生活用品供給区画
・VR/ホログラム訓練区画
・AI/ロボット開発・安全確認区画
【参加支援候補】
・仮設居住区利用枠
・食事/医療/訓練支援
・技能・危険度・継続期間に応じた活動報酬
・長期参加者への完成区画入居優先枠
・子育て世帯/介護世帯向け生活支援枠
――――――――――――――
「入居優先枠……」
美和子の後ろで、誰かが声を漏らした。
振り返ると、受付へ来ていた若い夫婦が、同じ表示を見ている。
腕に抱かれた子供は、父親の胸で眠っていた。
「完成したら、住める可能性があるってことですよね」
父親が言った。
「建設や生活支援に参加した人は、優先枠へ進めるみたいです」
母親が、画面を見たまま答える。
「仮設住宅でも……今の家賃よりは、ずっと現実的かもしれない」
美和子は、何も言えなかった。
ほんの数日前まで、住める家を求める人たちへ、何を返せばよいのか分からなかった。
空き家はない。
家賃は上がる。
地上に住宅を増やせば、戻り始めた町並みを壊しかねない。
外へ人を流せば、周辺地域まで同じ問題が広がっていく。
その答えとして示されたのが、地下にもう一つの世界を作るという話だった。
突拍子もない。
そう思うのに、画面の向こうでは、住む場所を失いかけた人たちが、すでに自分の生活と結びつけて読み始めている。
端末が、小さく音を鳴らした。
【最初の応答DRIVEを受信しました】
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
シビックワールド建設に参加し、子供と暮らせる地下住宅区画への入居を目指します。
【+ SUPPORT】
子育て世帯向けの仮設居住枠、保育区画、参加可能な短時間業務を提示していただけませんか?
――――――――――――――
投稿者は、以前、美和子へ住宅相談をしてきた女性だった。
美和子は、思わず画面へ手を伸ばした。
「この人……」
「最初から待っていたのかもしれないわね」
水野が言った。
「住める場所を」
その投稿をきっかけにしたように、端末の表示が動き始めた。
一件。
五件。
二十件。
百件。
DRIVEが、次々に立ち上がる。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
地下建設向け搬送ロボットの操作訓練を受け、資材運搬へ参加します。
【+ SUPPORT】
鯖川ロボット開発担当には、建設現場向け訓練枠を公開していただけませんか?
――――――――――――――
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
仮設居住区で働く人と家族へ、温かい食事を提供する共同食堂へ参加します。
【+ SUPPORT】
調理経験者、食材供給事業者、配膳ロボット担当には、必要な設備と役割を提示していただけませんか?
――――――――――――――
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
地下生活圏の高齢者向け移動支援と介護区画の設計に参加します。
【+ SUPPORT】
介護職経験者、利用希望者、医療担当者、ロボット開発者には、地下で不安になる点を共有していただけませんか?
――――――――――――――
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
地下交通網の自動運転試験に参加し、子供や高齢者も安心して利用できる移動方法を検証します。
【+ SUPPORT】
交通・安全・防災分野の担当者には、試験参加条件と危険確認項目を提示していただけませんか?
――――――――――――――
「ちょっと……」
美和子は、流れる表示に追いつけなくなった。
「これ、本当にみんな、今出しているの?」
「そうみたい」
水野も、声を失っていた。
地下に住めるなら参加したい。
建設なら自分にもできるかもしれない。
食事なら手伝える。
保育なら経験がある。
物流なら現職の技能を使える。
工場で覚えたロボット操作を、地下建設へ使いたい。
誰も、田中のために動いているわけではなかった。
自分が住みたいから。
家族と暮らしたいから。
仕事がほしいから。
面白そうだから。
自分の技能を試したいから。
日本で最初の地下世界を作る側へ入りたいから。
理由は、ばらばらだった。
なのに、それらはすべて同じ場所へ向かっていた。
地下へ。
福野県の下に、まだ存在しない世界を作るために。
地下へ行く男
「美和子さん」
声をかけられた。
入口に、柊木レンが立っていた。
いつもより息が上がっている。
走って来たのだろう。
「レンくん。あなたも見たの?」
「はい」
柊木は端末を握りしめていた。
「僕、参加します」
美和子は、思わず聞き返した。
「建設に?」
「はい。鯖川の臨時業務を続けながら、地下建設向けの搬送ロボット訓練へ進みます」
「でも、危ない仕事でしょう」
「危険確認も、追加訓練もあります。すぐに現場へ入るわけじゃありません」
「そうじゃなくて……」
美和子は、言葉を探した。
ついこの前まで、柊木は鯖川の工場へ入れるかどうかだけで一喜一憂していた青年だった。
それが今、地下世界の建設へ参加すると言っている。
「そんなに急いで決めていいの?」
柊木は、一度、黙った。
そして、高瀬乾物店の窓越しに、流れ続けるDRIVEを見た。
「僕、正社員には落ちました」
「ええ」
「でも、ホログラムで何度も参加して、大槻さんに声をかけてもらって、臨時業務へ入れて、ようやくここで働けるかもしれないと思えました」
「……」
「それでも、僕はまだこの町に住めません。隣県から通って、呼ばれた日に来て、終わったらまた帰る。仕事へ近づけたのに、生活はずっと外側のままなんです」
柊木の声には、悔しさよりも、決意があった。
「だったら、自分が住める場所を作る側へ回ります」
「地下でも?」
「地下でもです」
柊木は、少し笑った。
「むしろ、面白くないですか。今まで何もなかった場所に、これから自分が住む町を作るんですよ」
その顔を見て、美和子はそれ以上止められなかった。
無茶だと思う。
危険もある。
計画が必ず成功する保証など、どこにもない。
けれど、柊木は誰かに命じられているわけではない。
初めて、自分の暮らす場所へ、自分から手を伸ばそうとしている。
柊木の端末に、新しい入力欄が開いた。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
地下建設向け搬送ロボット訓練を受け、シビックワールド建設業務への参加を目指します。
【+ SUPPORT】
鯖川フレーム、地下建設担当、安全管理担当には、臨時作業員から進める訓練枠と、仮設居住区の利用条件を提示していただけませんか?
――――――――――――――
柊木は、迷わず送信した。
【DRIVEを公開しました】
その表示を見た陽斗が、店の奥から駆け寄ってきた。
「レンさん、本当に行くんですか」
「お前も何かやるんだろ」
「僕は……」
陽斗は、自分の端末を見た。
画面には、すでに映像関係の参加要請が大量に表示されている。
【建設参加者の記録映像】
【仮設居住区の生活記録】
【地下区画完成までの定点撮影】
【安全確認・公開範囲の映像管理】
【全国向けシビックワールド紹介映像】
「僕は、掘れないし、ロボットもまだ動かせないですけど」
陽斗は、端末へ入力を始めた。
「でも、記録ならできます」
美和子が、陽斗の横顔を見た。
かつて彼は、古い乾物店で小さな動画制作会をやろうとしていた。
美和子に主導権を奪われたように感じ、怒り、匿名でDRIVEを出した。
その動画が町へ人を集めた。
シビックステーションが生まれた。
シビックタウンが始まった。
そして今、彼は地下世界が作られていく記録を撮ろうとしている。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
シビックワールド建設へ参加する人々の理由と、地下生活圏が作られていく過程を映像記録します。
【+ SUPPORT】
建設参加者、仮設居住区の入居希望者、生活支援担当者には、撮影可能な活動と公開条件を提示していただけませんか?
――――――――――――――
「送ります」
陽斗が言った。
誰に確認するでもなく、送信ボタンを押した。
美和子は、胸が熱くなると同時に、少し怖くなった。
陽斗も。
柊木も。
住居を求めていた親子も。
あまりにも自然に、この巨大な計画へ入っていく。
地下に世界を作るなど、昨日までなら笑い話だったはずなのに。
今は、誰も笑っていない。
瀬戸口食堂の次の役割
その日の午後、瀬戸口食堂の端末にも、新しい要請が届いた。
―――――― GVS ――――――
【実行協力要請】
対象候補:瀬戸口食堂/町明り会
【内容】
シビックワールド建設初期に設置される仮設居住区において、建設参加者・訓練参加者・帯同家族向けの共同食堂運営モデルを作成していただけませんか?
【必要項目】
・一日あたり提供可能食数
・配膳ロボット連携の可否
・炊き出し訓練ログの転用可否
・子供/高齢者向け食事対応
・現地参加/遠隔助言/訓練担当の希望
――――――――――――――
「また、私の店なの?」
美和子は、呆れたように言った。
水野は、資料を覗き込みながら答えた。
「防災訓練をやったからでしょうね。百二十人分の炊き出し、途中まででも回した実績があるもの」
「あれは訓練よ。しかも鍋をぶつけかけたじゃない」
「だから記録があるのよ。どこで危なかったか、どう改善すべきかまで」
「本当に、何でも次につながるのね……」
美和子は、端末を見つめた。
仮設居住区。
地下世界が完成するまで、建設へ参加する人たちが暮らす場所。
おそらく、最初は快適とは言えないだろう。
工事の音もする。人も多い。知らない土地から来た家族もいる。
そこで、毎日食べる場所が必要になる。
美和子は、厨房を振り返った。
瀬戸口食堂は、ようやく人が戻ってきたばかりだ。
これ以上のことなど、すぐにできるのか分からない。
それでも、柊木の顔が浮かんだ。
地下に、自分が住める場所を作ると言った青年。
その青年が、仮設住宅で暮らしながら働くなら。
「……食べるものくらい、必要よね」
水野が、美和子を見た。
「やるの?」
「まだ、全部は無理よ。店もあるんだから」
美和子は、端末へ指を置いた。
「でも、共同食堂の訓練と献立づくりなら始められる。配膳ロボットの使い方も、もう少し試してみたいし」
「十分、参加する気じゃない」
「仕方ないでしょう」
美和子は、ため息を吐いた。
「住む場所を作る人が、お腹を空かせていたら、世界一の都どころじゃないもの」
入力欄へ、言葉が並んでいく。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
瀬戸口食堂と町明り会は、仮設居住区の共同食堂運営に向けた献立設計・炊き出し訓練・配膳ロボット連携試験へ参加します。
【+ SUPPORT】
建設参加予定者と帯同家族には、必要な食事量、子供・高齢者向け対応、食事時間やアレルギー等の条件を提示していただけませんか?
――――――――――――――
【DRIVEを公開しました】
送信した瞬間、美和子は、妙な感覚に襲われた。
自分まで、もう地下へ向かい始めている。
あれほど昔の町を守ろうとしていた自分が。
乾物店の看板を残すことにこだわった自分が。
今は、まだ影も形もない地下世界で、誰に何を食べさせるかを考えている。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
昔の町を捨てたわけではない。
あの明かりを、もっと多くの人へ届けたいと思っただけだ。
止まらないDRIVE
県庁では、白瀬が表示画面から目を離せずにいた。
シビックワールドの公開から、まだ六時間しか経っていない。
それなのに、集計画面はすでに異常な数字を示していた。
―――――― シビックワールド公開後六時間集計 ――――――
居住希望DRIVE:18,462件
仮設居住区利用希望:9,706世帯
地下建設・設備参加希望:6,281件
AI/ロボット開発・操作参加希望:4,107件
医療/介護/保育/食事支援参加希望:3,824件
交通/物流/電力/通信分野協力希望:2,936件
映像記録・発信・広報参加希望:5,412件
反対・安全確認・監査要請:3,109件
――――――――――――――
「多すぎる……」
白瀬は、思わず呟いた。
想定を超えていた。
居住希望だけではない。
地下を掘りたい者。
ロボットを動かしたい者。
仮設住宅の保育を手伝いたい者。
危険性を調べたい者。
監査したい者。
反対意見を出し、計画の穴を確認したい者まで、同じ速度で集まっている。
賛成だけが熱気なのではない。
怖いから確認したい。
危ないから止める条件を作りたい。
誰かが犠牲にならないように監視したい。
そうした声まで、シビックワールドの周囲へ集まり始めていた。
「知事、これは……受け止めきれません」
白瀬は、隣に立つ小泉へ言った。
小泉も、画面を見たまま動かなかった。
「これだけの人が、福野県に……」
「仮設居住区も、訓練設備も、安全確認の人員も、まだ不足しています。地下建設の法的整理も、事業参加条件も、報酬計算も、何も確定していません」
「だが、人はもう動き始めている」
小泉の声は、震えていた。
恐怖なのか、感動なのか、白瀬には分からなかった。
「私が、福野県を世界一の都にすると言った時……こんな光景を、本当に見られるとは思っていなかった」
小泉は、表示の中から一件のDRIVEを開いた。
投稿者は、県外に住む中学生だった。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
シビックワールドができるまで、地下の町に必要な遊び場や学校の案を考えます。
【+ SUPPORT】
地下に住む予定の子供や、建設に関わる大人には、怖いことや楽しみなことを教えていただけませんか?
――――――――――――――
小泉は、その文章を長く見つめた。
「子供まで、未来を自分で考えようとしている」
白瀬は、答えられなかった。
確かに、凄まじい光景だった。
行政が住民へ計画を説明し、理解を求めているのではない。
人々が、まだ存在しない地下世界に対して、自分ができる役割を次々に差し出している。
けれど、白瀬の胸には、同時に重い不安があった。
これほどの熱は、誰が止めるのか。
安全が確保できない時に、待てと言えるのか。
地下へ入居できる人数が足りない時に、誰を選ぶのか。
高報酬と居住権を目の前にした人々は、本当に危険を冷静に見られるのか。
その時、執務室の扉が開いた。
田中丸栄が、ゆっくりと中へ入ってきた。
高齢の体を支える杖の音が、静かな室内へ響く。
「田中先生」
小泉が、反射的に姿勢を正した。
「状況は」
田中は、挨拶より先に尋ねた。
白瀬は、集計画面を共有した。
「公開後六時間で、居住希望が一万八千件を超えています。建設・設備・生活支援・監査要請まで含めると、対応対象はすでに数万件規模です」
「そうか」
田中は、驚かなかった。
画面を見ながら、わずかに目を細めただけだった。
白瀬は、その横顔を見た。
第三の柱。
田中は、そう言った。
つまり、この地下世界は、住宅問題が起きてから考えた案ではない。
工場が変わり、町が変わり、人が集まり、住む場所が足りなくなるところまで、最初から計画の中にあったのだろう。
ならば――。
白瀬の胸に、一瞬だけ疑問が浮かんだ。
家賃の上昇も。
隣県へ押し出される人々も。
住み続けられないと訴えた佐藤のような住民も。
この人は、最初から――。
「白瀬君」
不意に名前を呼ばれ、白瀬は顔を上げた。
「はい」
「何を考えている」
「……この規模の参加希望を、どう受け止めるべきかを」
田中は、少しだけ白瀬を見た。
その視線に、白瀬は、自分の中に浮かんだ問いを口にしてはならないような感覚を覚えた。
「すべてを一度に受け止める必要はない」
田中は言った。
「まずは、参加条件を出せ。安全確認、訓練、仮設居住、報酬、撤退条件、監査枠。地下を掘る前に、人が安心して参加できる入口を作る」
「はい」
「熱は止めるものではない。だが、熱だけで人を穴へ入れてはならん」
白瀬は、わずかに息を呑んだ。
田中は、危険を理解している。
誰よりも、理解しているのかもしれない。
そのうえで、この計画を進めようとしている。
「小泉君」
「はい」
「県民へ知らせろ。今集まっているDRIVEは、計画の承認ではない。参加可能性と必要条件を集める段階だ。地下建設は、安全確認と事業条件が整った区画から始める」
「承知しました」
「ただし」
田中は、止まることなく増え続ける投稿数を見た。
「この熱を、消すな」
小泉は、胸を突かれたように頷いた。
「はい」
「福野県に住みたいと願う者がいる。自分の手で住む場所を作りたいと願う者がいる。それを、制度が遅いという理由で失望へ戻してはならん」
「必ず、形にします」
小泉は、深く頭を下げた。
その姿を見ながら、白瀬は、胸の奥に沈んだ疑問を押し戻した。
今は、問う時ではない。
住宅を求めている人がいる。
仕事を求めている人がいる。
地下でもいいから、この町の近くで暮らしたいと願う人がいる。
そして、自分には、田中を疑う前にやるべき仕事がある。
地下へ流れる明かり
夜になっても、シビックステーションの明かりは消えなかった。
高瀬乾物店の中では、地下建設の参加方法を知りたい人が端末へ並んでいる。
駄菓子屋の前では、子供たちが「地下に秘密基地を作るなら何が必要か」を話し合っている。
旧衣料品店の現場同期区画では、鯖川フレームの搬送ロボット訓練に、地下建設向けの追加枠が表示された。
瀬戸口食堂では、美和子が仮設居住区向けの献立案を紙へ書き出している。
「毎日建設をやる人なら、軽い物だけじゃ持たないわよね」
「量も必要だし、安く続けられないと」
水野が計算端末を叩く。
「炊き出しだけで考えない方がいいわ。常設の共同食堂になるなら、朝と夜も要る」
「私、地下に行くなんて一言も言ってないんだけど」
「もう地下で何を食べさせるか考えてる人が、今さら何を言ってるの」
美和子は、思わず笑った。
店の外では、陽斗が撮影を始めていた。
高瀬乾物店の看板。
画面の前に並ぶ人々。
地下建設向け訓練へ登録する柊木。
仮設居住区の食事支援を考える美和子。
家族向け居住枠の通知を待つ母親。
駄菓子を食べながら地下の遊び場を描く子供たち。
陽斗の端末に、記録映像用のタイトル入力欄が表示される。
【映像記録タイトルを入力してください】
陽斗は、少し考えた。
そして、入力した。
地下に世界を作る日
記録開始の表示が点灯する。
その映像は、まだ小さな商店街の夜を映しているだけだった。
地面は掘られていない。
地下住宅もない。
交通網もない。
仮設居住区すら、まだ設計中だった。
それでも、人々はすでに、自分の役割を探し始めている。
住む場所がないという不満から。
仕事へ近づきたいという願いから。
子供を育てたいという希望から。
自分の技術を試したいという欲望から。
町を守りたいという執着から。
ばらばらだった声が、一つの地面へ向かって集まっていく。
県庁の窓から、田中丸栄はシビックタウンのライブ映像を見ていた。
隣には、小泉と白瀬が立っている。
「先生」
小泉が、震える声で言った。
「始まりましたね。シビックワールドが」
田中は、すぐには答えなかった。
映像の中で、若者が端末へ触れる。
子供が笑う。
食堂の女主人が、まだ存在しない居住区の食事を考えている。
工場へ入りたかった青年が、地下建設の訓練を選んでいる。
やがて田中は、低く言った。
「違うよ、小泉君」
「違う……?」
「始まったのは、世界ではない」
田中は、地上の通りを埋める人々の明かりを見た。
「時代だ」
小泉は、言葉を失った。
白瀬も、画面から目を離せなかった。
静かだった田舎町の一角から始まった光は、もう商店街だけのものではない。
工場を変えた。
町を変えた。
住む場所を求め、地面の下へまで進もうとしている。
誰かが命じたからではない。
自分が暮らす世界を、自分で作りたいと願った人々が、次々に手を伸ばしている。
その熱は、もう誰にも止められない。
人類が競争し、奪い合い、勝った者だけが未来を作る時代の、その先へ。
要請に応答し、仲間とともに、自分たちの世界を作り始める時代へ。
福野県の地下には、まだ何もない。
だが、その何もない空間へ向かって、すでに無数の人生が走り始めていた。
