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シビックヒーロー 第一話 ヒーローは、腹を空かせていた

目次

金が欲しい

 レオ・グラントは、世界を救いたかったわけではない。

 人の役に立ちたかったわけでもない。
 貧しい者同士で助け合おうなどと、考えたこともなかった。

 欲しかったのは、金だった。

 今日食うための金。
 今夜、風の当たらない場所で眠るための金。
 明日もまだ人間らしく生きていられると思える程度の金。

 冬の夜、レオは高架道路の下で、薄汚れた毛布にくるまっていた。

 目の前には、巨大な広告ビジョンがある。
 画面の中では、白いスーツを着た富豪が、大勢の拍手を浴びていた。

『今夜、私たちは住居を失った人々のために、新たな支援基金を立ち上げます』

 画面の端に、数字が表示される。

【寄付総額:4,280,000ドル】

 会場は歓声に包まれた。
 司会者は涙ぐみ、支援を受けたという家族が壇上で抱き合っている。

 レオは、空っぽの腹を押さえながら笑った。

「四百万ドルもあるなら、俺に十ドルくらい寄越せよ」

 誰にも届かない声だった。

 昼間、無料のスープを配っている施設へ行ったが、配布時間に間に合わなかった。
 別の宿泊支援は、身分確認と面談が必要だと言われ、途中で帰った。

 質問に答えるのも、事情を説明するのも嫌だった。

 住む場所がない理由。
 働いていない理由。
 家族を頼れない理由。

 そんなものを話したところで、最後に返ってくるのは決まっている。

 頑張りましょう。
 働ける仕事を探しましょう。
 生活を立て直しましょう。

 立て直せるなら、とっくにやっている。

 レオはポケットから古い端末を取り出した。
 画面にはひびが入り、残りの充電は七パーセントしかない。

 充電だけでもしなければ、明日には通信すらできなくなる。

 仕方なく立ち上がり、駅の地下通路へ向かった。

 そこには公共充電区画と、無料で使える行政端末があった。

 以前は、食事配布や就労相談の案内ばかりが並んでいた場所だ。
 だが今は、中央の一台に、見慣れない表示が出ている。

GVS PUBLIC ACCESS
困りごとを、実行案と要請へ変換できます

「またこれか」

 レオは、顔をしかめた。

 最近、街中でこの表示を見かけるようになった。
 失業。家賃。孤独。地域の不満。
 何でも入力すれば、誰かが協力できる形に変換してくれるらしい。

 くだらない、とレオは思っていた。

 世の中は、協力なんかで動いていない。
 金のある奴が、やりたいことをやる。
 金のない奴は、頭を下げるか、見えない場所で死んでいく。

 それだけだ。

 だが、今は腹が減っていた。

 端末の椅子へ座り、入力欄を開く。

【現在、困っていることを入力してください】

 レオは、指を乱暴に動かした。

金がない。腹が減った。寝る場所もない。
仕事を探せとか説教はいらない。
テレビで寄付して拍手されてる金持ちがいるなら、まず俺に飯と部屋と金を寄越せ。
本当に助けられるなら、綺麗事じゃなく今日中に助けろ。

 送信ボタンを押した。

 数秒後、画面が白く光った。

―――――― GVS ――――――

【背景カード】

現在、安定した住居と収入がなく、当日の食事と睡眠場所の確保にも困難を抱えています。
一時的な支援だけでなく、生活を立て直すための報酬機会を必要としています。

【▶ DRIVE】

本日利用できる食事・短期住居・報酬付き活動を確認し、実際に生活再建へつながる条件かを自分自身で試します。

【+ SUPPORT】

食事・短期住居・報酬付き活動を提供できる運営者には、本日から利用できる条件と、利用後に収入へつながる機会を提示していただけませんか?

――――――――――――――

「何だよ、これ」

 レオは、画面を睨んだ。

「俺は検証がしたいんじゃねえ。金を寄越せって言ったんだ」

 端末の端に、小さなボタンが点滅している。

【変換内容について相談する】

 レオは、苛立ったまま押した。

 すぐに、電子音声が流れる。

『入力内容を確認しました。現在、食事、睡眠場所、収入機会を必要としているという理解でよろしいですか』

「見りゃ分かるだろ」

『はい。その条件に合う活動候補を確認できます』

「活動じゃなくて、金だ」

『報酬が発生する活動候補を優先して表示できます』

 レオの指が止まった。

「……報酬?」

『はい。住居を失った当事者が、短期居住支援を実際に利用し、不足条件を記録する活動などがあります』

「泊まって、文句を言えば金になるってことか」

『利用者の視点で記録を提出し、必要な改善条件を示す活動です。参加条件を満たした場合、報酬が支払われます』

 レオは、椅子へ深く座り直した。

 支援を受けるのではない。
 自分が試す側になる。
 自分の惨めな生活が、誰かにとって必要な情報になる。

「見せろ」

『本日利用可能な活動候補を表示します』

 画面に、一件の候補が現れた。

―――――― 活動候補 ――――――

【短期居住試験参加者募集】

空室となっている小規模ホテルの一部を、住居を失った人の短期生活拠点として試験提供します。

【提供内容】

・個室利用:七日間
・一日二食
・シャワー、洗濯、充電利用可
・初日衣類・衛生用品提供

【参加内容】

・入居時と退去時の匿名記録提出
・生活上不足していた条件の報告
・公開範囲は本人が選択可能

【活動報酬】

七日間の記録提出完了後:280ドル

――――――――――――――

 レオは、画面を見たまま黙った。

 七日間の部屋。
 二食。
 シャワー。
 そして二百八十ドル。

 大金ではない。
 それでも、今のレオには途方もない条件だった。

「今日から泊まれるのか」

『空室があります。参加申請後、条件確認が完了すれば本日から利用できます』

「俺が途中で気に入らなくなったら?」

『退出可能です。ただし、完了報酬は提出した記録範囲に応じて再計算されます』

「名前は出るのか」

『匿名、活動名、実名から選択できます』

 レオは、唇を舐めた。

 どうせ今さら隠すものなどない。
 名前を出したところで、失う地位も仕事も家族もない。

「活動名で出す。レオ・グラントだ」

『確認します。短期居住試験へ参加し、活動報酬を受けるためのDRIVEを公開しますか』

 画面には、先ほどの変換文が表示されていた。

 他人のために頑張るとも、感謝するとも書かれていない。
 自分が今日から使える部屋と金を得るために、実際に試すと書いてある。

 それならいい。

「送れ」

【DRIVEを公開しました】

 十秒ほどで、画面が切り替わった。

【応答通知】

短期居住試験への参加を承認しました。
本日中に入居可能です。

【利用施設】
Civic Restart Residence 第三区画

【初日利用可能内容】
・交通用電子券
・衣類受取券
・衛生用品受取券
・本日の夕食

 レオは、画面の文字を何度も読み直した。

「……本当に、今日からか」

『はい。移動用電子券を端末へ送信します』

 割れた端末が小さく震えた。

 そこに、地下鉄へ乗るための電子券が表示されている。

 レオは立ち上がった。

 腹はまだ減っている。
 体は寒い。
 この仕組みを信用したわけでもない。

 だが、今夜は、高架下へ戻らなくていいかもしれない。

七日間の部屋

 指定された施設は、中心街から地下鉄で二十分ほど離れた場所にあった。

 古い三階建てのホテルだった。
 看板の半分は消えたままだが、入口には新しい表示が取り付けられている。

CIVIC RESTART RESIDENCE
短期居住・生活再建試験区画

「大層な名前だな」

 レオは、鼻で笑った。

 受付端末へ活動名を入力すると、部屋番号と電子鍵が発行された。

【部屋番号:307】
【夕食提供:18:00〜20:00】
【初回記録:本日中に任意提出可能】

 三階まで階段を上がる。

 足が重かった。
 腹が減っているせいか、暖かい場所へ向かっていると分かったせいか、急に疲れが押し寄せてきた。

 三〇七号室の前で、端末をかざす。

 鍵が開いた。

 狭い部屋だった。

 白いベッド。
 小さな机。
 シャワールーム。
 充電器。
 折りたたまれた新しいシャツと下着。
 暖房の静かな音。

 レオは、入口で立ち尽くした。

 誰にも追い払われない部屋。
 鍵を閉められる場所。
 横になっても、荷物を抱えたまま眠らなくていいベッド。

 彼は、ゆっくり中へ入り、扉を閉めた。

 電子錠の音がした。

 それだけで、胸の奥が妙に痛くなった。

「……くそ」

 レオは、ベッドへ座った。

 柔らかかった。

 感謝するつもりはない。
 泣くつもりもない。
 これで人生が変わったなどと、綺麗なことを思うつもりもない。

 けれど、温かい部屋に座った途端、体から力が抜けた。

 端末が静かに点灯する。

【本日の記録を入力しますか】
【活動記録は報酬評価に反映されます】

 レオは、涙の滲みかけた目で、その文字を見た。

 暖かい部屋に入ったことも。
 安心して眠れることも。
 さっきまで道端で震えていた人間が、ここへ辿り着いたことも。

 全部、記録すれば金になる。

 レオは、端末を握りしめた。

「俺の惨めさにも……値段が付くのかよ」

 画面の向こうで、入力欄が静かに点滅していた。

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