MENU

シビックヒーローズ 第六話 一銭もいらない

目次

あなたと話をさせてくれ

 シルバーGVSプレイヤーになった翌朝も、レオ・グラントの生活はほとんど変わらなかった。

 寝ている場所は、ジェイデンが使わせている古いアパートの一室。
 冷蔵庫に入っているのは、炭酸飲料と冷凍食品ばかり。
 壊れたスマートフォンは、捨てることもできず、机の上に置かれている。

 違うのは、レオが握っている端末に、朝から通知が絶えず届くことだった。

【レオチャンネルへの応答:126件】
【活動参加希望:34件】
【銃とドラッグの街に関する情報提供:58件】

 街を変えたいという者。
 元売人だという者。
 薬物依存から抜けたが、戻りそうで怖いという者。
 自分の弟がジェイデンのようなグループへ近づいていると訴える母親。

 レオは、ベッドの上でそれらを片端から読んでいた。

 ジェイデンが、紙袋に入った朝食を持って部屋へ入ってきた。

「まだ読んでるのか」

「読まなきゃ、金になる話を逃すだろ」

「シルバー様は忙しいな」

「敬意が足りねえぞ」

「昨日まで壊れたスマホを眺めて喜んでた男に、どう敬意を払えってんだ」

 ジェイデンは紙袋を放り投げた。レオは片手で受け取り、中から熱いサンドイッチを取り出す。

「お前のところへ、変な連中が来始めてる」

「変な連中?」

「お前の動画を見たっていう若い奴だ。ドラッグを売ってない奴もいる。売ったことがある奴もいる。お前なら何か仕事を出せるのかって聞いてきた」

「何て答えた?」

「知らねえって追い返した」

「馬鹿か。連れてこいよ」

 レオはサンドイッチを口へ押し込みながら端末を操作した。

「俺はまだ、何も用意できてねえ。金も、仕事も、場所もない。だが、人が来るなら話は別だ。人が集まっているところに、金は出る」

「それで本当に薬より稼げるようになるのか?」

「これから証明するんだよ」

 レオは答えながら、画面を更新した。

 だが、待っていた名前はなかった。

 ダニエル・コールドウェル。

 富豪へ突撃してから、三日が過ぎていた。
 レオは、一度も口には出さなかったが、朝起きるたびにその名を探していた。

 突撃動画は、すでに数百万回見られている。
 レオチャンネルはシビックナビゲーションへ登録され、GVS上で銃とドラッグの街を扱う活動として応答も集まり始めた。
 シルバーGVSプレイヤーの称号も得た。

 自分はもう、ただ警備員に押し倒された馬鹿ではない。
 あの叫びに続く行動を、少なくとも見せた。

 それでも、コールドウェルから連絡は来ない。

「なあ、レオ」

 ジェイデンが冷蔵庫から飲み物を取り出しながら言った。

「本当に来なかったら、どうする」

「来る」

「だから、来なかったらだよ」

 レオは端末から目を上げた。

「その時は、もう一度こっちから行く」

「今度こそ撃たれるぞ」

「じゃあ、その前に連絡してくるさ。あの男が馬鹿じゃなければな」

 ジェイデンは、呆れたように缶を開けた。

「金持ちを脅迫するホームレス上がりのシルバー様か。大物だな」

「元ホームレスだ。間違えるな」

「まだこの部屋に転がり込んでるくせに、偉そうに」

 レオは笑い返し、再び画面へ目を落とした。

 その時だった。

 通知音が一つ、静かに鳴った。

 他の応答とは違う、資金提供者認証付きの表示だった。

【認証済み資金提供者から連絡があります】

 レオの手が止まる。

 ジェイデンも、缶を口へ運びかけたまま動きを止めた。

 レオは通知を開いた。

【送信者】
Daniel Caldwell Foundation
ダニエル・コールドウェル財団

「……来た」

 ジェイデンが立ち上がった。

「本物か?」

「認証済みだ」

「何て書いてある」

「黙ってろ」

 レオは、ゆっくりと本文を開いた。

 文章は、想像していたよりずっと短かった。

レオ・グラント様

先日の配信映像、およびその後のGVS活動を確認しました。
あなたが何を始めるのか、見届けたいと考えています。

ダニエル・コールドウェルは、あなた個人へ1,000,000ドルを提供します。
用途は問いません。
受領を希望される場合は、下記より確認してください。

 その下に、大きなボタンが表示されている。

【資金提供を受領する】

 部屋の空気が止まった。

 ジェイデンが、信じられないように呟く。

「百万ドル……」

 レオは答えなかった。

「おい。レオ、百万ドルだぞ。お前、本当に引っ張ってきたのか」

 ジェイデンの声は、いつもの嘲笑とは違っていた。
 ドラッグを売り、若い連中へ金を回し、この街でそれなりの立場を作ってきた男が、初めてレオを理解できないものを見るように見ている。

 百万ドル。

 それだけあれば、レオはもうジェイデンの部屋へ転がり込む必要はない。
 新しいスマートフォンも、服も、車も、部屋も買える。
 自分一人なら、しばらく何不自由なく暮らせる。

 高架下で腹を空かせていた自分なら、迷わず飛びついたはずだった。

 けれど、レオは受領ボタンを押さなかった。

「レオ?」

「違う」

「何がだ」

「俺が欲しかったのは、これじゃねえ」

 ジェイデンの顔に怒りが浮かんだ。

「ふざけるなよ。お前は金が欲しかったんじゃねえのか。百万ドルだぞ。俺たちが何年ここで稼いでも、簡単には触れない金だ」

「ああ。だから駄目なんだよ」

 レオは、画面を見たまま言った。

「俺がこの金を受け取ったら、俺はコールドウェルに拾われた男で終わる。命を張って騒いだら、金持ちから百万ドルもらえました。それで話は終わりだ」

「それの何が悪い」

「小さいんだよ」

 レオは、ようやくジェイデンを見た。

「俺一人が百万ドルをもらって、何が変わる。お前が薬を売るのをやめるのか。お前の連中が明日から表で稼げるのか。薬を買ってる連中が、もう買わなくて済むようになるのか」

「そんなもん、お前一人でどうにかできる話じゃねえだろ」

「だから、俺一人の金にしちゃいけねえんだ」

 レオは椅子へ座り直し、返信欄を開いた。

 指が一度だけ止まる。

 百万ドルを断る。
 そんなことをすれば、二度と同じ機会は来ないかもしれない。
 コールドウェルが「では別の者へ出す」と判断すれば、レオはまた端末一台の男に戻る。

 それでも、ここで受け取ったら、自分は本当に小さな男で終わる。

 レオは入力を始めた。

ミスター・コールドウェル。
あなたから金は一銭も受け取らない。
だが、俺と対談をさせてくれ。
その場を動画で配信させてほしい。

あの日、俺があなたに叫んだことが、百万ドル欲しさの嘘ではないと説明したい。
俺は、俺一人を救ってほしいわけじゃない。
あの街でドラッグを売って稼いでいる連中が、表でそれ以上に稼げる場所を作りたい。
銃やドラッグがなければ生きられないと思っている連中に、別の成り上がり方を見せたい。

俺に金を送って終わるな。
俺と話してくれ。

 ジェイデンは、背後から画面を見ていた。

「お前、本当に送るのか」

「ああ」

「百万ドルを断って、話がしたいって?」

「話じゃねえ。舞台だ」

 レオは、返信文を見直した。

「コールドウェルが俺へ金を渡せば、救われるのは俺一人だ。だが、あの男が世界の前でシビックドライブへ賭ければ、金を出す奴も、動く奴も増える。お前らを日陰から引っ張り出すには、そっちの方がでかい」

 ジェイデンは、何も言えなかった。

 目の前の男が、百万ドルを手放そうとしている。
 それは善人だからではない。
 たった一人で金を得るより、自分を中心にもっと巨大な金と熱気を回す方を選んだからだ。

 レオは送信ボタンを押した。

【返信を送信しました】

 部屋の中に、冷蔵庫の作動音だけが響いた。

「……馬鹿だな、お前」

 しばらくして、ジェイデンが言った。

「ああ。だが、面白いだろ」

「コールドウェルが怒って、話ごと消えたらどうする」

「その時は、俺が百万ドルを断った映像を出す」

「それすら使うのかよ」

「何でも使う。俺には、まだ何もねえからな」

 レオは、壊れたスマートフォンへ目を向けた。

 百万人の視線を得るために砕けた、最後の道具。
 そして今、百万ドルを得るためではなく、もっと大きな舞台へ上がるために、目の前の金を捨てた。

 待つ時間は、長く感じた。

 一分。
 五分。
 十分。

 ジェイデンは何度も部屋を歩き回り、レオは椅子に座ったまま画面を見ていた。

「……来ないな」

 ジェイデンが言った、その直後だった。

 端末が鳴った。

【ダニエル・コールドウェル財団より返信】

 レオは、口元を上げた。

「言っただろ」

 通知を開く。

レオ・グラント様

1,000,000ドルを拒否した方は、あなたが初めてです。
コールドウェル本人も、あなたの提案に関心を示しています。

公開対談、および配信条件について調整を開始します。

 ジェイデンは、言葉を失った。

 レオは、銀色のシルバーGVSプレイヤー徽章が表示された画面を伏せ、笑った。

「さあ、ジェイデン」

「……何だ」

「お前らが薬を売って稼ぐ時代を、終わらせに行こうぜ」

 まだ一ドルも手に入れていない。
 だが、レオはすでに、百万ドルより大きな何かを掴みかけていた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次