
五千万ドルの応答
公開対談の会場には、二脚の椅子と、小さな丸テーブルだけが用意されていた。
片方に座るのは、ダニエル・コールドウェル。
生活再建支援基金へ四百二十八万ドルを寄付し、一週間後には、その支援を受けた男から突撃配信を受けた富豪。
もう片方に座るのは、レオ・グラント。
元ホームレス。逮捕歴あり。シルバーGVSプレイヤー。
そして、コールドウェルから提示された百万ドルを拒み、この対談を要求した男。
会場には報道関係者と、シビックナビゲーションの配信スタッフが入っている。
対談のライブ配信には、開始前から数十万人が待機していた。
レオは、黒いジャケットの内ポケットから、ひびだらけのスマートフォンを取り出した。
画面はもうほとんど映らない。
富豪へ突撃し、警備員に地面へ叩きつけられた時に完全に砕けた、レオが最後まで持っていた端末だった。
彼はそれを、丸テーブルの上へ置いた。
コールドウェルが、その端末を見る。
「それが、あの日のスマートフォンですか」
「ああ。あんたの前へ突っ込んで、俺の顔ごと地面に叩きつけられた時に壊れた。だが、配信は最後まで生きていた」
「その映像は見ました。何度も」
「なら話は早いな」
レオは椅子へ深く腰を下ろした。
緊張していないわけではない。視聴者数は、すでに施設で聞き取りをしていた頃とは桁が違う。
だが、怖さよりも興奮の方が大きかった。
高架下から見上げていた男が、今は目の前にいる。
そして今日、自分は施しを受けに来たのではない。
配信スタッフが合図を出した。
【LIVE START】
司会者が短く二人を紹介した後、コールドウェルが先に口を開いた。
「レオさん。まず、私はあなたへ謝罪すべきかもしれません。私の支援した施設が、あなたにとって十分ではなかったこと。そして、あなたがあのような危険な行動に出るほど、何かを伝えようとしていたことを、私は後から知りました」
「謝る必要はない。あの施設がなければ、俺は今も高架下で寝ていたか、どこかで死んでいたかもしれない」
レオの言葉に、会場がわずかに静まった。
「ただし、あれで終わりなら小さすぎる。部屋を七日貸して、飯を出して、路上の人間が一人減りました。それで満足するなら、あんたの金はきれいな自己満足で終わる」
司会者が息を呑んだ。
コールドウェルの側近らしい男が、わずかに表情を固くする。
しかし、コールドウェル本人は笑わなかった。
怒りもしなかった。
「だから、あなたは私へ突撃したのですか」
「ああ。俺のいた街じゃ、今も若い奴がドラッグを売って金を作ってる。売った方が早く稼げるからだ。買う奴もいる。遊びたい奴もいるが、眠れない奴や、怖さを忘れたい奴もいる。そこへ銃が混ざって、また街が怖くなる」
レオは、テーブルに置かれた壊れたスマートフォンを指で叩いた。
「俺は、一週間前までそいつらをどうにかしようなんて考えてなかった。自分が食えればそれでよかった。だが、施設で人の文句を集めたら金になった。朝飯が出るようになった。食えない老人に別の飯が出た。だったら、もっとでかい問題でも同じことができるかもしれないと思った」
「ドラッグ販売より稼げる仕事を作る、と」
「それだけじゃない。薬を売ってる奴が、日陰でしか金を作れない状態を終わらせる。薬を買ってる奴が、そこへ逃げるしかない状態も変える。銃を持たなきゃ生きられないと思ってる連中に、別の力を渡す。俺はそれをやりたい」
コールドウェルは、少し身を乗り出した。
「そのために、私はあなたへ百万ドルを提供しようとしました。用途は問わずに」
「だから断った」
「なぜですか。あなた自身、まだ豊かな生活を得たわけではないでしょう」
レオは笑った。
「ミスター、俺はあんたから金を一銭も受け取らない。百万ドルを俺の口座へ入れたら、俺は“富豪に拾われた元ホームレス”で終わる。壊れたスマホを振り回して、命懸けで騒いだら金持ちに救われましたって物語だ。そんなものに、ジェイデンたちがついてくると思うか?」
「ジェイデン?」
「俺の昔の友達だ。今は街でドラッグを売る連中を束ねてる。あいつは俺に言ったよ。普通の仕事をするより、こっちの方が金になる。仲間もいる。それの何が悪いってな」
レオは一度、息を吐いた。
「俺は、あいつを悪人だから救いたいわけじゃない。俺自身、逮捕されて路上まで落ちた人間だ。偉そうに説教できる立場じゃない。ただ、あいつほどの男が、ドラッグを売って日陰で威張る以外の道を選べないまま終わるのが気に入らない。だから俺は、あいつらよりでかい金を、表の世界から引っ張ってみせると言った」
会場のスクリーンには、ライブ配信の視聴者数が表示されていた。
【LIVE VIEWERS:1,420,881】
コメント欄が流れ続けている。
本当に百万ドルを断ったのか?
こいつは馬鹿だ。でも嘘ではなさそうだ。
ジェイデンって誰だ。
ドラッグディーラーをヒーローにする?
コールドウェルは何て答えるんだ。
コールドウェルは、しばらく黙っていた。
「では、あなたは私に何を求めるのですか」
レオは、迷わなかった。
「俺へ金を渡すな。シビックファンドへ出せ。俺の街で、ドラッグを売るより稼げるDRIVEを生み出すための金を出せ。仕事を作りたい奴、治療へつなげたい奴、銃を持たなくても安全な場所を作りたい奴、街を発信したい奴。そいつらがGVSで動き出した時に、金が足りないから止まるなんてことがないようにしろ」
「あなた自身の報酬は?」
「俺は俺の実績で取る。シビックナビゲーションで成果を出して、報酬を得て、ランクを上げて、誰よりでかい顔をしてやる。俺は聖人になるつもりはない。金も名声も欲しい。だが、あんたから個人的に恵んでもらう金じゃなく、俺が人と金を動かした結果として取る」
コールドウェルは、そこで初めて笑った。
「あなたは、私が想像していた以上に欲深い人だ」
「当たり前だろ。欲がなきゃ、地面に押さえつけられてまで叫ばねえよ」
会場から、抑えきれない笑いが起きた。
だが、その笑いには、突撃動画を見た時の嘲りとは違うものが混ざっていた。
コールドウェルは、テーブルの上に手を置いた。
「私は、あなたが私から百万ドルを受け取れば、あなたが何を始めるのか見られると思っていました。しかし、あなたは私の想像よりもはるかに大きな要求をしてきた」
「払えないのか?」
「いいえ」
コールドウェルは、正面のカメラへ視線を向けた。
「レオ・グラント個人への百万ドル提供は取り下げます。その代わり、銃と違法ドラッグに依存しなくても、人々が安全と収入と誇りを得られる地域活動を生み出すため、シビックドライブファンドへ初期拠出を行います」
会場が静まり返る。
スクリーンの表示が切り替わった。
【DANIEL CALDWELL】
【CIVIC DRIVE FUND:INITIAL CONTRIBUTION】
数字が、一桁ずつ表示される。
【$50,000,000】
一瞬、誰も声を出せなかった。
五千万ドル。
百万ドルを断った男が、その場で五十倍の金を街とシビックドライブへ引っ張った。
次の瞬間、会場が爆発した。
叫び声。
拍手。
報道カメラの連写音。
配信画面を埋め尽くすコメント。
CIVIC HERO
レオが本当に金を持ってきた
ドラッグの街に五千万ドル
こいつは寄付を受けたんじゃない。寄付させた
CIVIC HERO!
CIVIC HERO!
CIVIC HERO!
レオは、しばらくスクリーンの数字を見ていた。
五千万ドル。
自分の口座には、一ドルも入らない。
それなのに、体が震えるほど興奮していた。
高架下で、腹を空かせながら見上げていた富豪。
その男の金を、自分は今、街へ向けて動かした。
レオは、ゆっくり立ち上がった。
「聞いてるか、ジェイデン」
どこかで配信を見ているはずの旧友へ向けて、レオはカメラを指さした。
「俺は一ドルも受け取ってねえ。だが、お前らのドラッグの金とは比べものにならねえ金を、表の世界から引っ張ってきた」
会場の熱気が、さらに大きくなる。
「ここからだ。薬を売って稼ぎたい奴も、銃を持って威張りたい奴も、俺のところへ来い。お前らが本当に欲しいのが金と仲間と成り上がる舞台なら、俺がもっとでかい場所へ連れていってやる」
コールドウェルは、その背中を見ていた。
止める者はいなかった。
司会者も、側近も、報道陣も、もうレオの声を遮れなかった。
配信画面の片隅で、ひとつの呼び名が異常な速度で広がっていく。
CIVIC HERO — LEO GRANT
レオ・グラントは、世界で最初にシビックドライブへ巨額資金を引き込んだ英雄として、世界中に名前を知られることになった。
そしてこの日から、銃とドラッグで回っていた街へ、別の熱気が流れ込み始めた。
