
まだ足りない
公開対談が終わった夜、レオ・グラントは、ジェイデンのアパートへ戻ってきた。
建物の前には、すでに数人の若者が集まっていた。
スマートフォンを向ける者。レオの名を呼ぶ者。配信で見たと興奮気味に話しかけてくる者。
「レオ! 本当に五千万ドル引っ張ったのか?」
「俺も参加できるのか? ドラッグなんか売ってないけど、この街のことなら知ってる!」
「ジェイデンも出るんだろ? シビックヒーローになるのか?」
レオは足を止め、集まった若者たちを見回した。
昨日まで、自分のことを知る者などほとんどいなかった。
富豪へ突撃した時でさえ、笑われる馬鹿として見られていた。
だが今、彼らの目には期待がある。
五千万ドルという数字が、自分の言葉へ重みを与えている。
「焦るな」
レオは、わざとゆっくり言った。
「五千万ドル程度で、街が勝手に変わるわけじゃねえ。だが、薬を売るよりでかい金を表で動かせるってことは見せた。次は、その金を使うだけの仕事を俺たちが作る番だ」
若者たちがざわめく。
ジェイデンは、アパートの入口に立ったまま、呆れた顔でレオを見ていた。
「お前、もう演説家気取りかよ」
「聞いてたのか。なら話が早い」
「中へ入れ。これ以上ここで騒がれたら、近所から追い出される」
レオは若者たちへ片手を上げた。
「また連絡する。GVSを見てろ。次のDRIVEは、俺が出す」
歓声が上がる。
ジェイデンは眉間を押さえながら、レオを部屋へ押し込んだ。
五千万ドルじゃ足りない
「で?」
ドアを閉めるなり、ジェイデンはレオへ向き直った。
「で、とは?」
「俺たちへの報酬はどうすんだよ」
レオは、ソファの上に置かれた飲み物を勝手に開けた。
「五千万ドルが動いた。お前も見ただろ」
「見たさ。お前が富豪の前で大口叩いて、世界中に持ち上げられてるところもな。だが、金がファンドへ入ったことと、俺たちの手元へ入ることは別だろ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃねえ。外で集まってた連中は、もう明日にでも仕事と金が来ると思ってるぞ。お前が英雄面して呼び込んだんだから、責任は取るんだろうな」
レオは缶を置き、笑った。
「まだ十分じゃねえんだよ」
「は?」
「五千万ドルじゃ、街一つ変えるには足りない。住む場所、仕事、治療、安全、配信、訓練、全部作るなら桁が違う。俺はもっと金を引っ張る」
ジェイデンは数秒黙り、やがて乾いた笑いを漏らした。
「またか? お前はいつもそうだ。でかい話を見つけた途端、足元の約束を忘れる」
「忘れてねえ。でかくした方が、お前らも稼げるって言ってるんだ」
「だから、俺たちは今どうすりゃいいんだよ」
「やりたきゃ、お前が勝手にGVSをやっておけ」
「やり方を教えろよ!」
思わず声を荒らげたジェイデンに、レオは面倒そうに端末を向けた。
「不満や愚痴はないのか? 金が足りねえ。薬以外の仕事がねえ。顔を出せば危険だ。銃を置けるわけがねえ。そういうのを入力しろ。AIが、やれることと手伝ってほしいことへ変えてくれる」
「それだけか?」
「それだけだ。まずは自分で出せ。俺がお前ら全員の面倒を見る話じゃねえ」
「俺たちを英雄にするって言ったのはお前だろ」
「だから、英雄になりたきゃ自分で動けって言ってる」
ジェイデンは、殴りたいものを見るようにレオを睨んだ。
だが、レオはすでに立ち上がり、ジャケットを羽織っている。
「どこへ行く」
「仲間を集める」
「俺がまだ何も納得してねえのに?」
「お前はもう仲間だ。気にするな」
「勝手に決めるな!」
レオは振り返りもせず、ドアを開けた。
「俺たちはシビックヒーローズになる。二人じゃ絵が弱いんだよ」
ドアが閉まる。
ジェイデンは、しばらくその場に立ち尽くした。
「……あの野郎」
机の上には、レオが置いていったGVSの登録画面が表示されている。
【今、困っていることを入力してください】
ジェイデンは舌打ちし、椅子へ座った。
「愚痴なら、腐るほどあるよ」
元恋人
レオが向かったのは、街の中心部に近い小さなオフィスだった。
共同ワークスペースの一角で、黒い髪を肩まで伸ばした女性が、大型モニターを見ながら資料を作っている。
「相変わらず、数字ばっかり見てるな」
女性の手が止まった。
ゆっくりと振り返った顔は、レオを見ても驚かなかった。
「来ると思ってたわ、レオ」
「見たのか?」
「富豪へ突撃して押さえつけられるところも、百万ドルを拒否して五千万ドルを引っ張るところもね。世界中が見てるのに、私だけ見ていないと思った?」
「相変わらず話が早いな、マヤ」
マヤ・ロドリゲスは椅子の背にもたれ、レオを上から下まで見た。
「本当にカムバックしたのね。少なくとも、目だけは昔に戻ってる」
「昔よりでかい。俺はシビックヒーローズを結成する」
「その名前、自分で考えたの?」
「ああ。最高だろ」
「恥ずかしげもなく言えるところは、変わってないわね」
マヤは呆れたように笑ったが、拒絶はしなかった。
レオは机の前へ歩み寄る。
「俺には金を引っ張る役ができる。ジェイデンには街の連中へ接触できる力がある。だが、俺たちだけじゃ、数字も資料も説明も足りねえ。コールドウェルの次に金を出す奴らへ、何が起きてるか説明できる人間が要る」
「私をその役にしたいのね」
「お前以上に向いてる奴は知らねえ」
「昔、あなたの事業計画の赤字を説明してあげた時以来の高評価ね」
「今回は赤字にはしねえ」
「あなたが金を持たないなら、少なくとも勝手に溶かす心配は減ったわ」
マヤはモニターを閉じた。
「分かった。協力する。私は資料を読み、支援者や視聴者に説明できる。どの活動に資金が必要で、何が成果で、何がただの熱狂なのかも示すわ」
「決まりだな」
「ただし、私だけでは足りない。現地のデータを集める担当が必要よ。薬を売る若者の数、利用者が求めている支援、銃撃の起きる場所、参加者の報酬、活動後の変化。あなたが叫ぶだけでは、二度目の五千万ドルは引っ張れない」
「誰か当てはあるのか?」
「用意しようと思えばできるわ。大学や支援団体に、分析のできる人間はいる」
レオは、首を振った。
「それじゃ弱い」
「弱い?」
「外から来た優等生が数字をまとめても、誰も熱狂しねえ。俺たちが変えるのは、あの街だ。あの街から出てきた人間が、あの街を数字で暴く。それで初めて物語になる」
マヤの目が細くなる。
「また人を物語にするのね」
「埋もれたままにするより、ましだろ」
「本人が望むならね」
「望ませるさ。でかい舞台を見せればいい」
マヤはため息をついた。
「危ういところまで、本当に昔のままね」
「褒め言葉として受け取っておく」
レオは端末を取り出した。
「ジェイデンに聞いてみる。この街で、数字に強くて、まだ誰にも拾われてない奴がいないか」
貧困街の天才
アパートへ戻ると、ジェイデンは端末を睨みながらソファに座っていた。
「よう。GVSはできたか?」
「黙れ。文句を書けと言ったから書いたら、活動候補が三つも出てきやがった。どれを選べば金になるのか分からねえ」
「ちゃんと始めてるじゃねえか」
「お前のせいだ」
レオの後ろからマヤが入ってくると、ジェイデンは目を丸くした。
「マヤ?」
「久しぶり、ジェイデン。あなたも相変わらずね」
「お前まで巻き込まれたのか?」
「レオが五千万ドルを動かした以上、無視する方が難しいわ」
レオは二人の間に割って入った。
「昔話はあとだ。データを集められる奴が要る。この街のことを知っていて、数字や端末に強くて、まだどこにも使い潰されてない奴だ」
ジェイデンは顔をしかめた。
「注文が多すぎるだろ」
「思い出せ。お前の周りには、変な奴がいくらでもいるだろ」
「変な奴なら目の前にいる」
「俺以外だ」
ジェイデンはしばらく黙った。
やがて、何かを思い出したように天井を見上げる。
「……そういや、一人いたな」
「誰だ」
「ノア・ミラー。まだガキだが、頭だけはやたら良い。学校でも浮いてるらしいが、数字とログを見ると気持ち悪いくらい覚えてる。俺の連中のスマホを直したこともある」
マヤが反応した。
「何歳?」
「十六か、十七だったか。母親と暮らしてる。ここじゃ毛色が違うが、このままいたら埋もれるか、面倒な連中に使われるだろうな」
レオの顔に、笑みが広がった。
「ビンゴ。そいつだ」
「何がビンゴだ。子供だぞ」
「だからいい」
マヤが警戒するようにレオを見る。
レオは、机の上にある砕けたスマートフォンを手に取った。
「ヒーローには物語が必要だ。元ホームレスの俺。ドラッグの街で生きるジェイデン。資料を武器にする元恋人。そして、貧困街に埋もれかけている天才少年が、街の数字を握る」
「あなた、本当に人を売り出すことしか考えてないのね」
「売り出して何が悪い。誰にも見つからず、薬の売上計算に使われるより百倍ましだ」
ジェイデンは、渋い顔のままレオを見ていた。
「ノアが乗るとは限らねえぞ」
「乗せるんじゃねえ。選ばせる」
レオは、壊れたスマートフォンを机へ戻した。
「埋もれたまま終わるか。俺たちと一緒に、世界中の金を引っ張る側へ来るかをな」
マヤは、短く息を吐いた。
「本人の意思を無視したら、私は降りるわよ」
「分かってる。俺は命令しに行くんじゃねえ。成り上がる話を持っていくんだ」
レオは、ドアへ向かった。
「行くぞ、ジェイデン。シビックヒーローズの四人目を迎えに行く」
ジェイデンは立ち上がりながら、顔をしかめた。
「いつ俺が正式メンバーになったんだよ」
「お前がGVSへ愚痴を書いた時点で決まりだ」
「そんなルールはねえだろ!」
マヤが笑った。
レオは振り返らず、夜の街へ歩き出す。
五千万ドルでは足りない。
街を変えるには、金も、人も、物語も、まだ足りない。
ならば、集めればいい。
銃とドラッグで回っていた街の片隅で、後に世界を騒がせることになるシビックヒーローズは、まだ名前も知られていない一人の少年を探しに向かった。
