MENU

シビックヒーローズ 第九話 まがい物のシビックドライブ

目次

二百億ドル

 ノア・ミラーが暮らしているのは、ジェイデンのアパートから車で十分ほど離れた、古い集合住宅だった。

 外壁には補修の跡が残り、階段の照明は二階から上が切れている。入口の脇には、動かなくなった自動販売機と、誰かが置き去りにした子供用の自転車があった。

「本当にここか?」

 レオが尋ねると、ジェイデンは不機嫌そうに答えた。

「頭がいい奴は、立派な家に住んでなきゃ気が済まねえのか?」

「そうじゃねえ。ヒーローズの本拠地にするには、少し絵が暗いと思っただけだ」

「まだ会ってもいないガキの家を宣伝材料にするな」

 レオは笑い、三階の廊下を進んだ。

 ジェイデンが一番奥の部屋の扉を叩く。

「ノア。いるか」

「いますよ」

 すぐに声が返ってきた。

 扉を開けた少年は、レオたちを見ても驚かなかった。
 痩せた体に、古いパーカー。眼鏡の奥の目は、眠そうに見えるほど落ち着いている。

「レオ・グラントさんですね。マヤ・ロドリゲスさんも」

 ジェイデンが眉を上げた。

「お前、マヤまで知ってんのか?」

「公開対談後にレオさんの周辺人物を調べれば、元事業パートナー兼恋人だったマヤさんへ辿り着くのは難しくありません」

「元恋人は余計だ」

 マヤが小さくため息を吐いた。

 レオは少年の横をすり抜けるように部屋へ入った。

「話が早そうだな。俺たちは――」

「シビックヒーローズを作るんでしょう?」

 レオが止まる。

 ノアの部屋は狭かった。ベッドと机だけで半分が埋まり、その机には三台の中古モニターが並んでいる。画面には表計算、地図、グラフ、GVSの公開ログらしいものがいくつも開かれていた。

「シビックドライブのことを知ってるのか?」

「知っていますよ。ただ、レオさん。あれは、まだまがい物です」

 レオの笑みが薄くなる。

「まがい物?」

「数字が動かないからです」

 マヤの視線が、モニターへ向いた。

 ノアは椅子へ戻り、キーボードを叩いた。画面に、シビックファンドの公開記録と、地域ごとの活動報酬推計が表示される。

「GVSの考え方自体は悪くありません。不満を活動へ変えて、協力者と資金をつなぐ。それで実際に助かった人もいる。ただ、これまで動いていた金額では、生活の隙間を埋めることはできても、この街の商売をひっくり返すことはできない」

「だから俺がいるんだろ」

 レオは、机の端へ手をついた。

「俺が、まがい物のシビックドライブを本物にする」

 ノアは、初めて少し笑った。

「確かに、コールドウェル氏から五千万ドルを引っ張ったことは驚きました。僕もあなたには興味があったんです。ヒーローズが来なければ、こちらから連絡しようと思っていました」

「だったら決まりだ。俺たちと来い。世界のヒーローになるぞ」

「いいですね」

 答えが早すぎて、逆にジェイデンが顔をしかめた。

「おい、ノア。お前、もう少し警戒しろよ。こいつは昨日まで家もなかった男だぞ」

「今は、五千万ドルを動かした男でもあります。それに、ヒーローになる以上、具体的な勝算を立てなければいけません。僕がいれば、その勝算を計算できます」

 ノアは別の画面を開いた。

「まず、レオさんが言っている“ギャングを今より稼がせる”ために、どれだけの資金が必要かです」

 地図の上に、いくつもの点が表示される。
 ドラッグ販売に関わる若者の推定人数。販売による収入幅。合法活動へ移るために最低限必要な報酬。住居、安全確保、依存支援、離脱後の保護費用。

 ジェイデンの顔色が変わった。

「お前、もうそんなことまで調べてたのか?」

「公開情報と、この地区で見える範囲の数字を組み合わせただけです。正確な実測はこれから必要ですが、大きな方向は変わらないと思います」

「俺たちが来ると分かってたみたいじゃねえか」

「分かってはいません。でも、レオさんが本気なら、いずれ尋ねる必要があると思っていました。ちょうどよかっただけです」

 レオは満足げに笑った。

「さすが天才少年だな」

「その呼び方を配信で使うなら、事前に報酬条件を確認します」

「いいね。そういう奴が欲しかった」

 ノアは画面を切り替えた。

「問題は、ここからです。仮にこの地区だけへ直接資金を投入できるなら、必要額はかなり下がります。ですが、レオさんはシビックファンドへ資金を入れさせた」

「ああ。それがどうした」

「シビックファンドの資金は、この街専用ではありません。世界中のシビッカーが出すDRIVEと応答、必要性、実行可能性、実績などを合論で確認し、最終的にはAIの総合計算で配分される。つまり、この街に薬物販売以上の報酬が継続的に回るほどの資金を作るには、ファンド全体を巨大にするしかないんです」

 ノアがキーを押した。

 画面中央に、大きな数字が表示された。

【推定必要資金】
$20,000,000,000

 部屋が静まり返った。

「……二百億ドル?」

 ジェイデンが、乾いた声で呟く。

 マヤは画面に近づき、ノアの計算表を追った。しばらくして、彼女の表情から冗談を疑う色が消えた。

「レオ。これは、五千万ドルの四百倍よ。日本円なら数兆円規模。一人の富豪から大金を引き出せた、という話では済まない。大富豪や企業や基金を、次々に巻き込まなければ届かない金額よ」

「五千万ドルって、そんなに小さかったのかよ……」

 ジェイデンが呟くと、ノアは首を振った。

「小さくはありません。最初の実績としては異常なほど大きい。ただ、目標がそれ以上に大きいんです。五千万ドルは、入口を開けたにすぎません」

 ノアはレオを見た。

「できますか、レオさん。本当に、二百億ドルを集められますか?」

 マヤが口を開きかけた。

「待って。いくら何でも、この数字をすぐに――」

「ああ。できる」

 レオの返事は、マヤの言葉を途中で止めた。

 ジェイデンが振り返る。

「お前、数字を聞いてたのか? 二百億ドルだぞ」

「聞いてたさ。だったら、引っ張ればいい」

「そんな簡単に言うなよ!」

「簡単じゃねえから、俺たちがヒーローになるんだろ」

 レオは、ノアの画面に表示された巨大な数字を見て笑った。

 怯えるどころか、目の奥に火がついたようだった。

 ノアも、その表情を見て目を細める。

「やはり、そう言うと思っていました」

「俺が無理だと言ったら、仲間にならなかったか?」

「その場合は、僕があなたの失敗確率を計算する側になっていたと思います」

「いい性格してるぜ」

 マヤは額に手を当てた。

「資金だけでは終わらないわ。仮にジェイデンたちへ、ドラッグ販売を上回る報酬を用意できたとしましょう。売る側は移れるかもしれない。でも、ドラッグを欲しがる人が消えるわけではない。需要が残れば、別の売人が入ってくる。そこはどうするの?」

 ノアも頷いた。

「依存、精神的苦痛、銃暴力への恐怖、娯楽需要。購入側の問題まで含めれば、必要資金も活動規模もさらに変わります。レオさん、そこも考えてあるんですか?」

「そんなことは考える必要がない」

 ジェイデンの声が鋭くなる。

「おい。それは無責任すぎるだろ。お前が街を変えるって言ったんじゃねえのか」

「勘違いするな。俺たちだけで考える必要がないって言ってんだ」

 レオは椅子を引き、ノアのモニターを背にして三人へ向き直った。

「薬を買ってる奴の苦しみは、薬を買ってる奴が出せばいい。治療できる奴、眠れない奴に居場所を作れる奴、銃を持たずに済む安全な場所を作れる奴、もっと面白い遊びを作れる奴。そいつらが勝手にGVSへDRIVEを出せばいい。俺たちの仕事は、そいつらが本気で動きたくなるだけの金と熱気を作ることだ」

 ジェイデンは、まだ納得しきれない顔をしている。

「そんなにうまくいくかよ」

「考えてみろ。薬を売るよりシビックドライブへ参加した方が儲かるってなったら、売人だけが動くと思うか? 仕事がない奴も、治療したい奴も、街で名を上げたい奴も、金を出して名前を売りたい企業も、全員が食いつく。問題を解くのは俺一人じゃない。稼げる場所へ人間が集まって、勝手に街を作り変えるんだ」

 ジェイデンは、口を開いたまま黙った。

「あ……確かに。いや、でも本当にそんなことが起きるのか?」

「起こせる」

 レオは即答した。

「ミスターシビッカーの国じゃ無理かもしれねえ。慎重に話し合って、小さな報酬を分けて、それで満足してるうちはな。だが、ここはアメリカだ。誰もが底から這い上がって、大金を掴み、世界へ名前を売れると信じてる国だ。アメリカンドリームを、今度はシビックドライブでやるんだよ」

 マヤは、言葉を失ったようにレオを見ていた。

「もし、本当にそれができたら……」

「できたら、ではありません」

 ノアが、画面に映る二百億ドルの数字を見ながら言った。

「レオさんが本当にそれだけの金を動かせるなら、僕たちは世界で最初に、ドラッグを売るより街を変える方が稼げる場所を作れる。僕たちは、本当にヒーローになれる」

「その通りだ」

 レオは、二人の言葉を待っていたかのように笑った。

「シビックドライブは、俺たちシビックヒーローがいて初めて使い物になる。いいか、みんな。主役はミスターシビッカーじゃねえ。あいつは絵に描いた餅を書いただけだ。俺たちは、その餅を本当に街へ持ってくる」

「いや、それはいくら何でも言い過ぎよ。GVSがなければ、あなたは――」

「そう思い込め、マヤ」

 レオの声が、部屋の空気を押し切った。

「二百億ドルだぞ。俺たちは今から、誰も信じねえ数字を本気で引っ張りに行くんだ。“僕たちは一参加者です”なんて顔をして達成できる額じゃねえ。俺たちこそシビックドライブそのものだと思え。世界中の金持ちも、売人も、苦しんでる奴も、俺たちを見て動くようにするんだ」

 マヤは何も答えなかった。

 レオの言葉は危うい。
 自分たちを英雄に仕立て、シビックドライブそのものを私物化しかねない考え方だった。

 けれど、画面にある二百億ドルを見れば、常識的な慎重さだけで届く数字ではないことも分かる。

 ノアが、椅子から立ち上がった。

「分かりました、レオさん。もちろん協力します。僕の計算が間違っていないことを、あなたの実行力で証明してください」

「間違ってたらどうする?」

「その時は、僕が数字を修正します。ヒーローは、間違いを隠す人ではなく、達成するまで計算し直せる人でしょう」

 レオは声を上げて笑った。

「決まりだ。これで四人だな」

「俺はまだ納得してねえぞ」

 ジェイデンが言うと、ノアが初めて少年らしく笑った。

「でも、ジェイデンさんがいなければ現場の数字は取れません。もう逃げられないと思いますよ」

「お前までレオ側かよ」

「二百億ドルを本当に取れるなら、乗らない方が馬鹿です」

 レオはドアへ向かった。

「だったら行くぞ。やることは山ほどある。二百億ドルの最初の一ドルを、次は俺たちの名前で引っ張る」

 ノアの画面には、巨大な数字が残っていた。

$20,000,000,000

 五千万ドルの熱狂は、もう過去になった。

 銃とドラッグの街で生まれた四人のシビックヒーローズは、その夜、世界中の金と欲望と希望を巻き込む、途方もない勝負へ踏み出した。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次