
街へ戻る
シビックヒーローズが二百億ドルを目標に掲げる動画は、ノアの加入を決めたその日の夜に撮影された。
撮影場所は、ジェイデンの古いアパートの一室だった。壁紙は剥がれ、照明は暗く、マヤが用意した資料だけが大型モニターに映っている。
それでも、レオは豪華なスタジオなど必要ないと言った。
「俺たちが、どこから始まったか分かる方がいい」
動画の中心に立ったレオは、五千万ドルは入口にすぎず、必要なのは二百億ドルだと宣言した。ノアがその根拠を数字で示し、マヤが富豪一人では到底届かない規模だと説明した。
最後に、ジェイデンが不機嫌そうな顔で画面へ映った。
『俺は、まだこいつの話を信じたわけじゃない。薬を売るより稼げる道が本当にあるなら、俺が最初に確かめる。それだけだ』
その言葉は、レオの演説よりも多く切り抜かれた。
ドラッグを売る側にいる男が、顔を出してシビックドライブへ関わろうとしている。
その事実だけで、動画はさらに勢いを増した。
公開から一晩で、レオチャンネルの登録者数は跳ね上がった。GVS上では、シビックヒーローズに関連する応答が絶えず届いている。
【活動参加希望:2,184件】
【資金提供に関する問い合わせ:47件】
【銃・違法ドラッグ・地域雇用に関するDRIVE:増加中】
レオは、端末に流れる数字を見て笑った。
「いいねえ。もう次の金が匂ってきやがる」
ノアは机に座り、届いた応答を分類していた。隣ではマヤが、資金提供を申し出た団体や企業の一覧へ目を通している。
ジェイデンだけは、窓際で煙草を指に挟んだまま、面白くなさそうに外を見ていた。
「よし」
レオが勢いよく立ち上がった。
「次はコールドウェルだ。五千万ドルを出した男が、二百億ドルの話を見て黙ってるわけがねえ。今すぐ会いに行って、追加で吐き出させる」
「待ってください」
ノアの声は小さかったが、レオの足を止めるには十分だった。
「何だ、ノア。怖気づいたか?」
「逆です。二百億ドルを本気で狙うなら、今コールドウェル氏に会いに行くべきではありません」
レオは眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「あなたが五千万ドルを引き出したことは、もう十分な注目を集めました。二百億ドルの動画を出したことで、GVS上の参加希望も増えています。ただ、現時点ではまだ、期待と話題が増えただけです」
「参加者が増えたなら結果だろ」
「違います。コールドウェル氏へ次に見せるべきなのは、視聴数ではなく、この街で本当に人が動いた証拠です」
ノアはモニターへ、いくつかの項目を表示した。
【確認すべき実績データ】
・GVS参加者数
・ドラッグ販売経験者の参加意向
・希望する合法活動と最低報酬
・住民側の要請内容
・銃所持・報復リスクによる参加障壁
・初期活動に必要な資金
「この数字があれば、コールドウェル氏だけではなく、次の資金提供者にも交渉できます。逆に、何も持たずに追加資金を求めれば、あなたは五千万ドルを引き出して満足できなかった男に見えるだけです」
「俺は満足してねえんだから、それで正しいだろ」
「正しくても、資金は動きません」
レオは鼻を鳴らした。
言い返したいが、ノアの説明が間違っていないことは分かった。富豪へ突撃した時は、何もないからこそ命ごと賭けられた。だが今は違う。五千万ドルとシビックヒーローズの名前を背負っている。
「で、どうしろってんだ」
「まず、この町でGVSを広めてください。ジェイデンさんと一緒に、実際にドラッグ販売に関わっている人、そこへ流れそうな若者、困っている住民から話を集めるんです。彼らが何をすれば薬より稼げると感じるのか、どのくらいの報酬が必要なのかを確認します」
レオは、すぐにジェイデンを指さした。
「なら、こいつにやらせりゃいい。街の連中を知ってるのはジェイデンだろ」
「実務はジェイデンさんが中心で構いません。でも、レオさんも行ってください」
「俺も?」
「あなたは今、この町で最も知られている人物です。五千万ドルを引っ張った男が目の前に立っていれば、“本当に金になるのか”と疑っている人も話を聞きに来る。あなたが何かを説明する前に、あなたがいること自体が参加の理由になるんです」
レオは、呆れたように笑った。
「ただ立ってるだけでいいってのか?」
ノアは淡々と答えた。
「それがヒーローというものでしょう?」
ジェイデンが、窓際で声を上げて笑った。
「よかったな、元ホームレスヒーロー。お前はただ立ってるだけのカカシでいいってよ」
「誰がカカシだ」
「面倒なことは俺がやる。話を通す相手も、危ない奴も、俺の方が分かる。お前は偉そうな顔で立って、たまに笑ってろ。むしろ勝手に喋って邪魔するなよ」
「俺が喋らなくて、誰が人を乗せるんだ」
「必要な時だけ喋れ。お前は調子に乗ると、薬を売ってる奴の前で二百億ドルの演説を始めるだろ」
「悪いか?」
「撃たれたくなきゃ、悪い」
その言葉で、部屋の空気が少しだけ冷えた。
五千万ドルが動いた。
二百億ドルを掲げた。
世界は、レオたちを新しい英雄として見始めている。
だが、街にはまだ銃がある。
ドラッグの袋と現金を交換し、今夜を生きる者がいる。
レオの名前が広がったからといって、彼らが拍手をして迎えてくれる保証などない。
レオは、机の上に置かれた壊れたスマートフォンへ目を向けた。
「分かった。行ってやるよ。俺が本当にカカシで人を集められるか、試してみようじゃねえか」
「その間、コールドウェル氏との交渉は私がするわ」
マヤが、資料を閉じながら言った。
レオが振り返る。
「お前が?」
「二百億ドルを集めるなら、あなたが街へ出ている間にも資金提供者との接触は進める必要がある。コールドウェル氏には、ヒーローズ結成後に何が起き始めているのか、私から説明する」
「手に負えなくなったら呼べよ。俺が駆けつけて、また一発で金を吐き出させてやる」
マヤは微笑んだ。
「心配しないで。あなたがいなくても、私一人であなたより多くの資金を集めてくるわ。手が空いたら、あなたたちの現場にも合流する」
「言うじゃねえか」
「あなたの元恋人ですもの。大口だけは負けないわ」
ジェイデンが顔をしかめた。
「このチーム、面倒な奴しかいねえな」
「だから二百億ドルを取りに行けるんです」
ノアは、何でもないことのように言った。
レオは、ジャケットを羽織った。
ジェイデンも煙草を消し、ポケットへ端末を入れる。
「ノア、数字は任せた。マヤ、金持ちどもを逃がすな。ジェイデン、行くぞ」
「命令するな。案内するのは俺だ」
二人はアパートを出た。
英雄が戻る街
夕暮れの通りは、騒がしくもなく、静かでもなかった。
道路の端には古い車が並び、角の店には厚い防犯ガラスがはめ込まれている。歩道には若い男たちが集まり、音楽を流しながら笑っていた。
そのうちの何人かが、レオに気づく。
「おい……あれ、レオじゃねえか?」
「動画の男だ。五千万ドルの」
「ジェイデンと一緒にいるぞ」
小さなざわめきが、通りを伝って広がっていく。
レオは、思わず口元を上げた。
「本当に見てやがるな」
「だから調子に乗るなって言っただろ」
ジェイデンは歩みを緩めずに言った。
「ここにいる連中は、動画のコメント欄とは違う。お前が失敗すれば笑うだけじゃ済まねえ。今の稼ぎを奪いに来たと思えば、敵になる奴もいる」
「それでも話は聞くさ」
「なぜ分かる」
「俺が五千万ドルを引っ張ったからだ。金の匂いを無視できる奴なんていねえよ」
ジェイデンは何も答えなかった。
通りの奥に、数人の若者がいた。
一人が、別の男から小さな袋を受け取る。
ごく自然な動きだった。まるで、飲み物を買うか、鍵を渡すかのように。
レオは、その光景を黙って見た。
世界がシビックヒーローと呼び始めた男が戻ってきても、目の前の商売はまだ何一つ変わっていない。
ジェイデンが、低い声で言った。
「さて、ヒーロー様。あいつらに、薬を売るよりGVSの方が稼げるって信じさせてみろよ」
レオは、笑った。
「任せろ。俺が立ってるだけで人が集まるんだろ?」
「口を開くのは、俺が合図してからだ」
「分かったよ。今日はお前を立ててやる」
「本当に分かってんのか、お前は」
二人は並んで、若者たちのいる角へ向かった。
銃とドラッグで生きる街へ、英雄という名のカカシと、その街を知り尽くした男が、初めて足を踏み入れた。
