
最初のルーム
通りの角にいた若者たちは、レオとジェイデンが近づいても逃げなかった。
逃げるどころか、ほとんどがスマートフォンを取り出した。
レオの顔を知っている。コールドウェルから五千万ドルを引き出した公開対談も、二百億ドルを掲げたシビックヒーローズの動画も見ていた。
「本物じゃん」
「シビックヒーロー様が、こんな所まで何しに来たんだ?」
「撮影か? 俺たちを悪者にして、また金を集めるのか?」
笑い声が起きた。
ジェイデンは、レオより半歩前へ出た。
「今日は撮影じゃねえ。お前らに話がある」
「ジェイデン、あんたまでそっち側かよ」
声を上げたのは、赤いニット帽を被った細身の青年だった。二十歳前後に見える。指先で小さな袋を弄びながら、警戒と興味が混ざった目でジェイデンを見ている。
「そっち側って何だ、マリク」
「金持ちに取り入って、俺たちを更生させる側だよ。レオさんはすごいよな。薬を売ってる奴らをヒーローにするって叫んだだけで、五千万ドルだろ?」
周囲から低い笑いが漏れる。
レオは、マリクの手にある袋を見た。
それから、その顔を見る。
「お前、それを売っていくらになる?」
「聞いてどうする」
「俺より稼いでる顔には見えねえから聞いたんだよ」
マリクの目が険しくなる。
「俺は一週間前まで路上にいた。薬を売ってるお前を責めに来たんじゃねえ。だが、お前がその程度の袋で一生でかい顔できると思ってるなら、笑いに来た」
「何だと?」
「俺はスマホ一台で富豪から五千万ドルを引っ張った。お前は今夜いくらだ? その袋を全部売って、世界に名前が出るのか?」
マリクが一歩踏み出しかけた。
ジェイデンが、無言で二人の間へ腕を出した。
「殴り合いをしに来たんじゃねえ。マリク、お前が言いてえことがあるなら、こいつじゃなくてGVSへ出せ」
「は? 俺がレオに何か頼めってのか?」
「俺に頼むな」
レオがすぐに返した。
「お前が何をしたいのかを書け。金が欲しいなら、金が欲しいでいい。ここで名前を上げたいなら、それでいい。俺が面白いと思ったら、勝手に乗る。それだけだ」
「勝手な野郎だな」
「だから五千万ドルを取れたんだよ」
再び笑い声が起きた。
今度は、さっきより少しだけ空気が軽い。
マリクは袋をポケットへ押し込み、ジェイデンが差し出した端末を受け取った。
「書けば金になるんだろ?」
「活動になれば、ファンドから多少は出る」
「多少じゃ困るんだけどな」
「なら、でかくしろ。お前の話が、本当にでかい金を動かす価値があるならな」
レオの言葉に、マリクは舌打ちした。
だが、端末は返さなかった。
薬を売る理由
マリクが入力した言葉は、短くも綺麗でもなかった。
普通の仕事じゃ金にならない。
この辺で舐められずに生きるには、金と仲間がいる。
薬を売るのが好きなわけじゃないが、売れば金になる。
どうせ表の人間は自分たちを雇わない。
レオが本当に表で稼げると言うなら、証明してみろ。
画面が一度暗くなり、変換結果が表示された。
―――――― GVS ――――――
【ルームテーマ】
ドラッグを売るより、表で稼いで名前を上げられる活動をこの街から作る
【▶ DRIVE】
俺がドラッグを売って稼いでいる理由を話します。
【+ SUPPORT】
同じ街で生きる人には、表で稼げるなら何をしたいか教えていただけませんか?
――――――――――――――
マリクは、画面を見て眉を寄せた。
「何だよ。俺は薬を売るのをやめるなんて言ってねえぞ」
「書いてねえだろ」
ジェイデンが言った。
「お前がなぜ売ってるのか話す。それだけだ。やめるかどうかは、その後にお前が決めろ」
少し離れて見ていた若者が、端末を覗き込む。
「これ、俺も書けるのか?」
「好きにしろ」
「じゃあ俺は、歌だな」
声を上げたのは、パーカーのフードを深く被った青年だった。
マリクが鼻で笑う。
「まだやってたのかよ、タイラー。前に曲上げて、全然再生されなくて消しただろ」
「うるせえな。だからやめてたんだよ」
タイラーは、マリクの表示されたDRIVEを見たまま言った。
「でも、こいつが言ってることなら曲にできる。金が欲しいのに、金を欲しがったら馬鹿にされる。真面目に働けって奴はいるけど、働いた先で何が手に入るかは誰も言わねえ。そういう曲なら作れる」
レオの目が光った。
ジェイデンが端末を渡す。
タイラーは少し迷った後、自分の言葉を入力した。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
この街で金を欲しがる若者の本音を、曲にします。
【+ SUPPORT】
同じ街の人には、歌詞に込めてほしい本音を教えていただけませんか?
――――――――――――――
「悪くねえ」
レオが言うと、タイラーが顔を上げた。
「これ、本当に誰か聞くのか?」
「俺は聞く。面白けりゃ、世界にも聞かせる」
「誰もあんたに頼んでねえぞ」
マリクが横から言った。
「頼まれる必要はねえ。俺は面白いものを勝手に広げるために来た」
さらに一人、短いドレッドヘアの若者が前へ出た。
「タイラーが曲を作るなら、俺は映像を付けられる。前にスマホで動画編集してた。まあ、誰も見なかったけどな」
「名前は?」
「キーラン」
「出せ、キーラン。誰も見なかった動画屋が、誰も聞かなかったラッパーの曲を世界へ出す。十分面白い」
「お前、本当に何でも物語にするな」
ジェイデンが呆れる横で、キーランも入力を始めた。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
この街から出た曲と本音を、短い動画にして発信します。
【+ SUPPORT】
顔を出せない人には、公開してよい声や景色を教えていただけませんか?
――――――――――――――
その頃には、最初は笑っていた若者たちも端末の画面へ顔を寄せていた。
「俺も話ならあるぞ」
「顔は出したくねえけど、声だけならいい」
「薬を売る話じゃなくて、買ってた時の話でもいいのか?」
「俺は曲とか無理だけど、コメントなら書ける」
ジェイデンは、騒ぎ始めた若者たちを見て、わずかに眉を上げた。
これまでなら、誰かが曲を作ると言っても冷やかされて終わった。
動画を出しても、仲間内で数回見られるだけだった。
そのうち誰も話題にしなくなる。
だが今は、マリクの話にタイラーが乗り、タイラーの曲にキーランが乗ろうとしている。
誰かが有名になってから近づくのではない。作る前から、次に関わる者が出ている。
「……妙なもんだな」
ジェイデンの呟きを、レオは聞いていなかった。
レオは、増えていくDRIVEの数だけを見ていた。
「そうだ。もっと出せ。金が欲しいなら隠すな。名前が欲しいなら言え。薬を売ってる理由も、買ってる理由も、怖くて銃を持ってる理由も、全部出せ。お前らが隠してたものほど、外の連中は見たがる」
少額の報酬
最初の音声記録が作られたのは、その夜のうちだった。
マリクは顔を映さず、暗い壁を背景に、なぜ薬を売っているのかを三分ほど話した。
タイラーはその声を聞きながら、端末のメモ欄へ短い歌詞を書き始めた。
キーランは、通りの看板や閉じた店、防犯ガラス越しの光景を撮っていた。
まだ作品と呼べるものではない。
ただの素材と、途中までの歌詞と、荒い映像だった。
それでも、GVSには活動記録として反映された。
【活動報酬:18ドル】
【活動報酬:14ドル】
【活動報酬:16ドル】
「おい。入ったぞ」
キーランが驚いた声を上げた。
「俺もだ。十四ドル」
タイラーの顔に、一瞬だけ笑みが浮かぶ。
マリクも画面を見た。
「俺は十八ドル……本当に入るんだな」
周囲がざわめいた。
何も売っていない。誰かに袋を渡したわけでもない。それでも金が入った。
だが、その空気は長く続かなかった。
マリクは画面を閉じ、レオへ向き直った。
「で、これだけか?」
「何だと?」
「十八ドルだよ。確かに金は入った。だが、これじゃ全然足りねえ。薬を売れば、もっと早く、もっとでかい金になる。あんた、俺たちを今以上に稼がせるって言ったよな?」
タイラーも、書きかけの歌詞から目を上げた。
キーランは黙ったまま端末を握っている。
ジェイデンが、レオを見る。
「さて、ヒーロー様。これが現場の答えだ。ちょびっと金が入ったところで、薬の金には勝てねえぞ」
レオは、三人の画面に表示された金額を見た。
十八ドル。
十四ドル。
十六ドル。
五千万ドルを引っ張った男が、街へ戻って最初に作った動きは、ドラッグ販売に届かない小さな報酬だった。
それでも、レオは笑った。
「今はな」
「今は?」
「お前ら、勘違いするな。GVSへ一回書いて、途中まで曲を作って、すぐ薬より儲かるなら、とっくにこの街は変わってる。お前らが今やったのは、最初の火をつけただけだ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「燃やせ」
レオは、タイラーの端末を指さした。
「曲を完成させろ。キーランは動画にしろ。マリクは、お前と同じ話を持ってる奴を探せ。気に入ったDRIVEがあるなら応答しろ。コメントを書ける奴は書け。SNSへ流せ。自分たちで、続きを見たいと思われる街を作れ」
「それで金が増えるのか?」
「増やすんだよ。今はファンドが出せる金も小さい。だが、お前らが本当に盛り上がれば、俺はその熱気を持って金持ちの前へ行ける。五千万ドルで終わると思うな。お前らが動けば動くほど、俺はもっとでかい金を引っ張ってやる」
マリクは、疑うようにレオを見ていた。
タイラーが、小さく言った。
「……完成させれば、あんたのチャンネルで流すのか?」
「俺が気に入ったらな」
「相変わらず偉そうだな」
「俺に見てほしいなら、俺が無視できねえものを作れ」
タイラーはしばらく黙っていた。
それから、端末のメモを開き直した。
「マリク。さっきの話、もう少し聞かせろ」
「報酬は増えるのか?」
「知らねえよ。だが、途中でやめたら十四ドルで終わりだろ」
キーランも、撮影した映像を見返しながら言う。
「明るい場所で撮るより、このまま暗い通りの方がいいな。顔を出さなくても、ここがどんな街か分かる」
「俺の声、変えられるか?」
「できる。声を加工して、名前も出さない」
マリクは、少し迷った後、ポケットから小さな袋を取り出した。
指先で弄び、やがてそれを握ったまま、タイラーの隣へしゃがみ込む。
「じゃあ、何を話せばいい」
「最初に売った夜のことだ。何でそうなったのか、俺に言え」
レオは、その光景を見て満足げに笑った。
「そうだ。それでいい。お前らが火を大きくすれば、金は俺が取ってくる」
ジェイデンだけが、すぐには笑わなかった。
報酬は、まだ薬の売上には遠い。
それなのに、マリクは帰らずに座っている。タイラーは一度諦めた曲の続きを書いている。キーランは、誰にも見られなかった動画をもう一度作ろうとしている。
ジェイデンは、レオの横顔を見た。
レオは金の話をしている。
若者たちも、金のために始めたはずだった。
けれど、通りの隅で始まったものは、もう金額だけでは測れない何かに見えた。
夜の街で、ドラッグの袋はまだ消えていない。
銃を持つ者も、敵対するグループも、何一つなくなっていない。
ただ、そのすぐ隣で、薬を売る理由を歌にしようとする若者たちが、初めて同じ画面を囲んでいた。
