
最初の作品
タイラーが曲を完成させたのは、空が白み始める少し前だった。
古びたアパートの一室で、安いスピーカーから低いビートが流れている。
マリクは床に座り、膝を立てたまま黙っていた。キーランは端末に映像を並べ、タイラーの声が入る箇所に合わせて順番を入れ替えている。
映っているのは、顔ではなかった。
ひび割れた歩道。
夜中でも灯りが消えない酒屋の看板。
防犯ガラスの奥で働く店員。
街灯の下を歩く、名前のない靴。
ポケットの中で握られた、小さな袋。
その映像に、加工されたマリクの声が重なった。
最初に薬を売った夜、家へ金を持って帰った。
母親は何も聞かなかった。
ただ、その夜だけは電気が止まらず、弟が腹を空かせなかった。
続いて、タイラーの声が入る。
薬が欲しかったわけじゃない。
銃が好きだったわけでもない。
金を持って帰った夜だけ、誰も自分を馬鹿にしなかった。
真面目に生きろと言うなら、その先に何があるのか見せてほしかった。
曲が終わった。
部屋の中に、短い沈黙が落ちた。
「……どうだよ」
タイラーは、誰の顔も見ずに言った。
マリクはしばらく答えなかった。
自分が話したことなのに、別の誰かの話を聞いているようだった。
「俺、こんなこと言ったか?」
「言った。言い方は変えたけどな」
「そうかよ」
マリクは鼻をこすった。
「悪くねえ。思ったより、格好悪くねえな」
「お前の人生なんだから、格好悪くしてどうすんだよ」
タイラーが笑う。
キーランも、ようやく息を吐いた。
「じゃあ、映像はこれでいいか。声は全部加工した。顔も出てない。店の名前と道路標識も消した」
「まだだ」
部屋の入口から、ジェイデンの声がした。
タイラーたちが振り返る。
ジェイデンの隣には、端末を持ったノアが立っていた。レオはその後ろで、待ちきれないように指を鳴らしている。
「また止める気かよ」
レオが言った。
「止めるんじゃねえ。出すなら、死なずに続けられる形にするだけだ」
ジェイデンはキーランから映像を受け取り、一つずつ確認していった。
「この壁の落書きは消せ。場所が分かる奴には分かる。あと、マリクの話に弟の年齢が出てる。そこも伏せる」
「そこまで必要か?」
マリクが不満そうに言う。
「必要だ。お前が自分から話したいことと、誰かがお前を特定する材料は別だ」
ノアも頷いた。
「音声の背景に、一定間隔で通る高架鉄道の音が入っています。この地区を知る人間なら、時間帯と場所を絞れる可能性があります。音声は話し声だけ残して、環境音を落とした方がいいです」
キーランが目を丸くする。
「そこまで分かるのかよ」
「相手も馬鹿とは限りませんから」
レオは、深いため息を吐いた。
「面倒くせえな。いい作品ってのは、今この瞬間の熱で出すから価値があるんだろ」
「死んだら次の作品は作れねえ」
ジェイデンが返す。
レオは一瞬だけ黙り、それから肩をすくめた。
「分かったよ。守るのはお前の仕事だったな。さっさと終わらせろ。これは金になる」
「最後までそれかよ」
「それ以外に何がある」
ジェイデンは呆れたように笑い、再び映像へ目を戻した。
修正には一時間ほどかかった。
その間、マリクは何度も完成前の曲を聞き直した。
タイラーは二曲目の断片をもう書き始めていた。キーランは、次に撮るならどんな映像が必要かをメモしている。
レオは、その様子を見て口元を上げた。
まだ大金は動いていない。
だが、止まっていた人間が勝手に動き始めている。
これなら売れる。
これなら、次の金を引っ張れる。
ナビゲート
安全確認が終わると、動画はGVS上の活動記録として公開された。
表示されたのは、マリクのDRIVEだった。
―――――― GVS ――――――
【▶ DRIVE】
俺がドラッグを売って稼いでいた理由を話します。
【+ SUPPORT】
同じ街で生きる人には、表で稼げるなら何をしたいか教えていただけませんか?
【応答活動】
・街の若者の本音を曲にする
・顔を出さずに映像として発信する
――――――――――――――
レオは、それを確認すると、自分の配信チャンネルを開いた。
「さて。ここからは俺の仕事だ」
「待てよ」
マリクが声をかける。
「何だ。怖くなったか?」
「そうじゃねえ。あんたがこれを流したら、俺の話が世界に出るんだろ」
「ああ」
「……ちゃんと金になるんだろうな」
レオは笑った。
「お前が続きを作りたくなるくらいにはな」
「曖昧だな」
「俺に未来の金額を保証しろってのか? そんな約束をする奴は詐欺師だ。だが、お前の話を誰にも見られないまま終わらせるつもりはねえ」
マリクは少し考え、頷いた。
「なら、やれよ」
「言われなくてもやる」
レオは、シビックナビゲーション上でマリクたちの活動を取り上げた。
銃とドラッグの街で、最初の曲が生まれた。
薬を売ったことを謝るための曲ではない。
薬を売る以外に金を得る道が見えなかった若者が、自分の話で表へ出ようとする曲だ。
レオの言葉とともに、動画は一気に流れ始めた。
最初に増えたのは再生数だった。
次にコメントが増えた。
だが、マリクが本当に驚いたのは、その後だった。
「おい……これ、何だ?」
端末に、新しい応答が表示される。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
薬を買ってしまった夜のことを、顔を出さずに話します。
【+ SUPPORT】
同じように逃げ場が欲しかった人には、薬以外で夜を越えた経験を教えていただけませんか?
――――――――――――――
さらに別の応答が続く。
―――――― GVS 応答 ――――――
【▶ DRIVE】
この曲に字幕を付け、別の街で同じ問題を抱える人へ届けます。
【+ SUPPORT】
自分の地域でも話を集めたい人には、公開できる範囲を教えていただけませんか?
――――――――――――――
キーランが画面を覗き込んだ。
「字幕? 別の街へ流すってことか?」
「俺も映像を作ってたって奴がいる」
タイラーが、次々に届く応答を読み上げる。
「次の曲の編集を手伝える。顔を出せない奴向けの映像を一緒に考えたい。自分の兄も薬を売ってたから、話を聞けるかもしれない……」
マリクは、何も言わずに画面を見ていた。
「どうした?」
タイラーが聞く。
「いや……俺の話だろ、これ」
「ああ」
「何で、知らねえ奴らが続きをやるって言ってんだよ」
タイラーは少し笑った。
「お前だけの話じゃなかったんだろ」
マリクは、しばらく画面を見つめた後、乱暴に髪をかき上げた。
「次の曲、作るなら俺の知ってる奴にも聞いてみる。薬を買ってる側の話なら、たぶん出せる奴がいる」
「お前、昨日までは金の話しかしてなかっただろ」
「金も欲しいに決まってんだろ。だが、こんだけ話が来るなら、一曲で終わらせるのも馬鹿みてえじゃねえか」
レオは、その会話を聞いて満足そうに笑った。
「そうだ。もっと出せ。もっと作れ。街中の話を全部作品にしろ。お前らが動けば、金も動く」
ジェイデンは、横目でレオを見た。
レオは、やはり金の話しかしていない。
けれど、マリクの目は、昨日までのそれとは違っていた。
資料が揃ってきました
その夜、ノアはアパートの机に四つの画面を並べていた。
再生数。
GVS上の応答数。
新規参加者数。
匿名化や安全条件に関する要請数。
作品制作へ進んだ人数。
活動を続けたいと答えた参加者の割合。
マヤは、数字を一つずつ確認しながら資料へまとめている。
「思った以上ね。最初の一作品で、ここまで次の活動が生まれるとは思わなかった」
「まだ一時的な反応の可能性はあります」
ノアは冷静に答えた。
「ですが、少額報酬の段階でも、複数人が新しい制作へ進んでいる。単なる視聴ではなく、応答から次のDRIVEが生まれています」
レオが、ソファの背へ腕を回したまま聞く。
「で、結局どうなんだ。金になるのか?」
ノアは、画面をレオの方へ向けた。
「資料が揃ってきましたね。このデータなら、さらに資金流入が期待できます」
レオの口元が上がる。
「ほら見ろ。俺の言った通りだ」
「正確には、街の参加者が作品と応答を生み始めた結果です」
「それを世界に見せたのは俺だろ」
「そこを否定するつもりはありません」
マヤが資料を閉じた。
「最初の五千万ドルは、あなた自身の衝撃に対して出されたお金だった。でも、次は違う。この街で、少額のファンド報酬から実際に作品が生まれ、次の参加者が増えた。その結果に対して、資金を求められる」
「上等だ」
レオは立ち上がった。
「次は、俺が英雄だから金を出せじゃねえ。この街が本当に動き始めたから、もっと金を出せと言えるってことだな」
「珍しく理解が早いじゃない」
「金の話だからな」
マヤは苦笑し、ノアは次の資料作成へ画面を切り替えた。
「追加資金が入れば、活動報酬の水準を上げられる可能性があります。そうなれば、参加を迷っている人にも現実的な選択肢になります」
「なら、急げ。こいつらの熱が冷める前に、金を戻してやる」
レオは窓の外を見た。
通りの隅では、タイラーたちが次の曲について話している。
その周囲には、昨日より多くの若者が集まっていた。
まだ、遊びだ
同じ頃、数ブロック離れた建物の奥で、一人の男が動画を見ていた。
画面には、顔を隠したマリクの映像と、タイラーの曲が流れている。
「ジェイデンのところで、また人が集まっています」
部屋の入口に立つ男が言った。
「レオ・グラントが動画を広げたせいで、こっちの若い連中も見ているようです」
奥に座る男は、最後まで動画を見てから端末を伏せた。
「放っておけ」
「ですが――」
「歌って、動画を作って、それで薬より稼げるなら好きにすればいい」
男は、鼻で笑った。
「どうせ、すぐに分かる。夢を見たところで、腹は満たせねえ。ジェイデンの顔くらいは立ててやる」
「分かりました」
「ただし」
男の声が低くなる。
「うちの人間が、向こうへ金を取りに行き始めたら知らせろ」
部下が頷き、部屋を出ていく。
男は再び端末を手に取った。
画面には、マリクの曲へ応答する新しいDRIVEが、また一つ増えていた。
まだ、ただの遊びだ。
まだ、自分の商売へ届くはずがない。
男はそう考え、画面を閉じた。
だがその夜、街のどこかで、誰かが初めてこう入力していた。
薬を売る以外で、本当に金になるなら。
自分も、一度だけ試してみたい。
