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シビックヒーローズ 第二十三話 神の子、降臨

目次

端末を手に取れ

「それで、どうするつもりなんだ? レオ」

 ジェイデンが言った。

 会議室のモニターには、エヴァが示した資料がまだ表示されている。
 ヴァルデン・グローバルを中心とした企業財団と投資家グループ。シビックファンドへの大規模拠出を検討しているが、レオ本人との接触には慎重になっている。

 彼の名は、金を呼ぶ。
 同時に、何をするか分からない危険物でもある。

 マヤが腕を組んだ。

「向こうが会いたくないと言っている以上、こちらから正式な資料を送るしかないわ。ノア、街の参加者数と報酬推移、それから離脱後の継続率を――」

 レオは答えなかった。

 椅子の背に掛けてあったジャケットを掴み、胸の傷を庇うようにゆっくりと立ち上がる。
 それから、黙ってスマホを手に取った。

「レオ?」

 マヤが呼び止める。

「ついてこい」

「は?」

 ジェイデンが眉をひそめた時には、レオはもう会議室を出ていた。

 エレベーターなど待たず、階段を下りる。
 傷が痛むのか、途中で一度だけ壁へ手をついた。それでも足は止めなかった。

 建物の外には、夕方の街が広がっていた。

 かつては、日が落ちれば銃声を警戒して足早に人が消えていった通り。
 今は、路肩に小さなスピーカーが置かれ、タイラーたちが新しい曲の音を確かめている。少し離れた場所では、キーランが撮影した映像を端末で見せ合う若者たちが笑っていた。

 レオは歩道の真ん中で立ち止まった。

 通りを見渡す。
 そして、何の予告もなく配信を開始した。

「ヴァルデン!」

 突然の怒声に、近くにいた若者たちが振り返った。

 レオの配信開始通知は、一瞬で広がった。
 病院から退院したばかりの英雄が、いきなり路上で配信を始めた。画面の向こうで視聴者数が跳ね上がる。

「お前ら、俺に会いたくねえらしいな!」

 レオは笑っていた。
 怒っているのか、楽しんでいるのか、聞いている者には判別できない笑いだった。

「別に構わねえ。俺たちは、お前らの会議室なんかなくても、ここで始めてる!」

 スマホのカメラが反転する。

 映し出されたのは、綺麗な舞台でも、整った支援施設でもない。
 ひび割れた路上。落書きの残る壁。簡易スピーカーの前で振り返る若者たち。

 レオはタイラーへ顎をしゃくった。

「歌え」

「今ここでか?」

「今以外にいつ歌うんだよ」

 タイラーは一瞬だけ戸惑い、すぐに隣の仲間へ目配せした。
 流れ始めたビートに、路上の空気が変わる。

 薬を運んだ夜。
 銃声から逃げた夜。
 誰にも言えなかった怖さ。
 匿名の画面に書いた一言。
 別の金で、生きていけるかもしれないという感覚。

 それを歌にした曲だった。

 配信のコメント欄が猛烈な速さで流れ始める。

「見ろ!」

 レオは、曲の途中でカメラへ叫んだ。

「昨日まで薬を売ってた奴が、今日は曲を作って金を稼いでる!」
「昨日まで銃に怯えてた奴が、今日は自分の言葉で世界へ話してる!」
「ボスのために死ぬしかなかった連中が、今は自分の人生で金を得ようとしてる!」

 人が集まり始めていた。
 レオの配信を近くで見ていた者。通知を受けて走ってきた者。曲を聞いて足を止めた者。

「これを全米で起こす金を、お前らは持ってるんだろ!」
「俺たちの街で、人が銃を置いて端末を取ったのを、お前らは資料で見てるんだろ!」
「だったら俺を会議に呼べ!」
「机の上の数字じゃなく、ここで起きてることを俺が直接教えてやる!」

 周囲の熱が、一気に膨れ上がった。

 レオは、スマホを掲げたまま群衆へ振り返る。

 そこには、元ギャングもいた。
 曲を作る若者もいた。
 レオを見に来ただけの者も、何が始まるのか分からず立ち尽くす者もいた。

 レオは、彼ら全員へ向かって叫んだ。

「お前ら! 端末を手に取れ!」

 一瞬、通りから音が消えたように感じた。

「歌える奴は歌え! 踊れる奴は踊れ! 話せる奴は自分の言葉で話せ!」
「俺たちは何を壊したいんじゃねえ! 何を始めたのかを見せるんだ!」
「薬と銃より、こっちの方が生きられるってことを世界中に見せつけろ!」
「ヴァルデンに金を出していただけませんかって、俺たち全員でお願いしてやれ!」

 次の瞬間、通りにいた人間たちが一斉に端末を取り出した。

 撮影を始める者。
 GVSへ自分のDRIVEを書き込む者。
 レオの配信を別の言葉で拡散する者。
 タイラーの曲へ合わせ、路上で踊り出す者。

 誰かが叫んだ。

「俺の兄貴は薬で死んだ! でも、次の奴まで同じ目に遭う必要はねえ!」

 別の若者が端末へ向かって話し始める。

「俺は薬を売るのをやめた。正義のためじゃない。こっちの方が金になって、仲間がいて、生きてえと思えたからだ!」

 その言葉へ、画面の向こうから応答が流れ込む。

 レオのすぐ後ろで見ていたヒーローズの面々は、雷に打たれたように立ち尽くしていた。

 レオは誰にも相談しなかった。
 計画書もなければ、役割分担もなかった。
 だが、彼が何を始めたのかは、一瞬で分かった。

 ジェイデンが最初に動いた。

「……あの野郎」

 笑いながらスマホを耳へ当てる。

「おい、聞こえてるか。ニューヨークへ出られる奴を集めろ。ヴァルデン本社の近くで配信を始める」
「勘違いするなよ。店には入るな。入口を塞ぐな。社員に絡むな。窓なんか割ったら俺がぶん殴る」
「曲と映像を持ってこい。俺たちが何を始めたのか、あいつらの目の前で見せるんだ」

 通話を切ると、ジェイデンはレオへ向かって大声を上げた。

「レオ! 本社の方は俺がやる!」

 レオは振り返らず、片手だけを上げた。

 ノアは何も言わなかった。

 ただ、配信の視聴者数と各地で増え始めた投稿を見た瞬間、建物の中へ駆け戻る。
 自室の端末を全て立ち上げ、街で起きた変化の資料、参加者数、報酬推移、離脱要請、資金投入後に生まれたコンテンツ数を、各地のナビゲーターが使える形へ変換し始める。

 数分後、GVS上に共有資料が流れた。

 マヤは、最初こそレオへ駆け寄ろうとした。
 しかし、周囲で一気に端末を取り始めた人々を見て、足を止めた。

「……もう止める段階じゃない」

 小さく呟き、自分の配信を立ち上げる。

「今、レオ・グラントの呼びかけを受けて、各地で活動へ参加しようとしている方へお願いします」

 マヤの声は落ち着いていた。
 熱狂の中で、その声だけが地面を作るように響いた。

「これは店舗や企業の社員を責める活動ではありません。店舗内への侵入、通行妨害、従業員個人への接触、物品の破損、威圧的な行為は行わないでください」
「自分たちが何を経験し、何を始め、どのような資金や協力があれば別の道を広げられるのか。それを、自分の言葉と作品で発信してください」
「安全な活動条件を作れる方には、現地の参加者を支えていただけませんか?」

 マヤの配信もすぐに拡散されていく。

 熱狂はレオが作った。
 それを活動として壊れない形へ接続するのが、自分の役目だと分かっていた。

 エヴァだけは、動かなかった。

 彼女は、路上の端で立ち尽くしていた。

 目の前では、レオがまだ叫んでいる。

「ヴァルデン! 見えてるか!」
「俺は一人でお前らに会わせろって頼んでるんじゃねえ!」
「ここにいる全員が、俺を会議に呼べって言ってる!」
「こいつらの次の人生に金を出す気があるのか、俺の目を見て答えろ!」

 エヴァは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 彼女がレオへ渡したのは、一つの企業情報だった。
 企業と投資家を動かすには、英雄の神話を数字へ変えなければならない。そう教えるつもりだった。

 だが、レオは数字を揃える前に、人間を動かした。

 自分が慎重に資料を整え、投資家へ説明し、数か月かけて作るはずだった流れを、彼は路上でスマホを掲げ、たった一言で爆発させた。

「お前ら! 端末を手に取れ!」

 その言葉は、配信画面を越えて広がっていく。

 ニューヨークのヴァルデン本社近くでは、ジェイデンの仲間たちが広場へ集まり始めていた。
 系列企業のある都市では、若者たちが路上で歌を流し、踊りながら配信を開始した。
 顔を出せない暴力地域の参加者は、暗い部屋から匿名の音声を投稿した。

「俺も抜けたい」
「この街にも、薬以外で生きられる金を流してほしい」
「ヴァルデン。レオ・グラントを会議へ呼んでいただけませんか?」

 誰も銃を持っていない。
 誰も石を投げていない。
 誰も企業の建物へ押し入っていない。

 それでも、世界規模の企業が、たった数十分で包囲されていく。

 エヴァは、喉が乾くのを感じた。

 これは人気ではない。
 単なるデモでもない。
 まして、善意の寄付活動でもない。

 この男はもう、一人で突撃する必要などないのだ。

 彼は、個人で軍隊を持っている。

 しかも、その軍隊はギャングよりも平和的で、通常のデモ隊よりもはるかに強力だった。

開いた扉

 ヴァルデン・グローバル本社の会議室では、投資家向け説明会が中断されていた。

 壁面モニターには、レオの配信が映っている。
 別画面には、本社近くの広場へ集まり始めた人々。
 さらに別の画面には、系列企業のある都市で始まった同時配信。

「ただちに警備を増やしてください」

 広報責任者が言った。

「彼らは敷地内へ侵入していません」

 警備担当者が答える。

「現時点では近隣の公共スペースで歌や配信を行っているだけです。通行妨害も確認されていません」

「では削除申請を」

「何を理由にですか?」

 会議室が静まり返る。

 彼らは攻撃していない。
 暴言を吐いて店舗を襲っているわけでもない。
 企業に金を出してほしいと、活動の成果を見せながら要請しているだけだ。

 投資家の一人が、モニターを見ながら低く言った。

「我々は判断を誤ったのではないか」

「何をです?」

「レオ・グラントを、危険な配信者と見ていたことだ」
「確かに危険だ。だが、危険性の種類が違う」
「この男は、暴動を起こしているのではない。すでに成立している活動を、我々の目の前へ持ってきている」

 別の投資家が口を開いた。

「この配信を無視して、我々だけで拠出判断を続けるのは不可能です」
「彼を招かずに決定すれば、我々は最も重要な当事者の声を避けたことになる」

 ヴァルデン側の責任者は、奥歯を噛んだ。

「彼を呼べば、会議が彼の舞台になります」

「もうなっているでしょう」

 投資家の言葉に、誰も反論できなかった。

 その頃、レオのスマホへ通知が届いた。

 マヤが配信越しに気づき、声を上げる。

「レオ! ヴァルデン側から連絡!」

 レオは、路上の群衆を背に通知を開いた。

 レオの口元が大きく上がった。

「来たぞ!」

 群衆がどよめく。

「会議室で俺を待ってるそうだ!」

 歓声が爆発した。

 レオはスマホを高く掲げ、吠えるように笑った。

「見たか、金持ちども!」
「俺たちは窓一枚割らずに、お前らの扉を開けた!」

 路上で、人々が端末を掲げた。
 曲がもう一度流れ始める。
 タイラーが声を張り上げ、若者たちが笑いながら踊り出す。

 その中央で、レオ・グラントは胸の傷を抱えたまま、世界中からの喝采を浴びていた。

 エヴァは、その姿を見つめていた。

 神話とは、後世の人間が作るものだと思っていた。
 だが違う。

 神話は、今この瞬間にも生まれる。
 人々の目の前で。
 スマホの画面の向こうで。
 一人の男の叫びに、世界が応答したその時に。

 エヴァは、初めてレオ・グラントを恐ろしいと思った。

 そして同時に、目を逸らすこともできなかった。

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