
名前のない活動
レオ・グラントが、匿名のシビックドライバーとして活動を始めてから、三週間が経った。
「おい、なんだこの文章は! 俺の言葉が死んでるじゃねえか!」
レオが端末を指さして叫ぶ。
【レオが入力した文章】
銃を捨てた程度でまともな顔すんな。お前らの過去は消えねえ。だったら逆に売れ。撃たれた話も、逃げた話も、全部コンテンツにして金へ変えろ。
【変換後表示】
暴力から離れた経験は、簡単に消せるものではありません。過去を隠すのではなく、同じ状況にいる人へ届く記録・音楽・動画などへ変え、収入につなげる活動を始めたいです。協力していただけませんか?
「こんなの、俺じゃねえだろ」
別の端末で確認していたノアが、静かに答えた。
「実行案の核は残っています」
「核しか残ってねえんだよ。俺の良さは毒だろうが。毒を抜いたら、ただの健康飲料じゃねえか」
「その毒で相手が逃げる可能性があるから、変換されるんです」
「逃げるやつは放っとけ」
「そうやって人を切り捨てた結果、今は匿名活動をしているのでは?」
レオは、しばらく黙った。
「……お前、最近ずいぶん言うようになったな」
「レオさんが、遠慮するなと言ったので」
「言ったか?」
「言いました」
「なら仕方ねえな」
レオは舌打ちしながら、椅子へ座り直した。
匿名活動用の端末には、毎日、数え切れないほどのテーマが流れてくる。
【ギャングを抜けた後の仕事がありません】
【弟が昔の仲間とまた会い始めました】
【歌を作っていますが、公開する勇気がありません】
【元売人だった経験を話すのが怖いです】
【活動を始めたのに、仲間が増えません】
かつてのレオなら、一つ一つに応答するような仕事は退屈だと切り捨てていた。
大勢を動かす。
金を引っ張る。
誰も無視できない結果を作る。
それが、自分の役割だと思っていた。
だが今は、名前も顔も出ない端末の向こうで、誰かの小さな活動に応答を返し続けている。
「くだらねえな」
レオは、毎日のようにそう言った。
そして、毎日のように端末を開いた。
数日後、最初に応答した若者たちの実行ルームから、一本の短い動画が届いた。
小さなスタジオで、三人の青年がマイクを囲んでいる。
内容はまだ粗い。
映像も手作り感が強い。
だが、昨日まで暴力と薬物の話しかできなかった若者たちが、自分たちの過去を歌詞にしていた。
【この活動に参加して、初めて昔の話を金になる形で話せました】
【まだ怖いですが、次の曲も作ってみます】
【最初の実行案を出してくれた匿名ドライバーに感謝します】
レオは、動画を最後まで見た。
「……まあ、悪くねえな」
ノアが横から画面を覗き込む。
「嬉しいですか?」
「俺の実績になるんだから当然だろ」
「そうですか」
「なんだ、その顔は」
「いえ。レオさんが動画を三回見直した理由が分かっただけです」
「確認だよ。成果物の確認」
「はい」
「お前、絶対信じてねえだろ」
レオは不機嫌そうに言いながら、もう一度だけ再生ボタンを押した。
出演許可
その夜、レオの端末に新しい通知が表示された。
【活動評価更新】
【継続参加率:88%】
【実行協力成立数:39件】
【支援継続中テーマ:15件】
【公開活動復帰審査:条件付き承認】
「……ん?」
レオの指が止まる。
通知を開き、条件欄を読み進めた。
【大規模な資金拠出の呼びかけ禁止】
【特定組織・企業への直接行動誘導禁止】
【視聴者への集合要請禁止】
【現場活動紹介・インタビュー・通常の動画出演は許可】
レオは、数秒間、画面を見つめた。
そして、勢いよく立ち上がった。
「ノア!」
「何ですか?」
「通ったぞ」
「何がですか?」
「出演許可だよ! 見ろ! 通常の動画出演は許可って書いてある!」
ノアが端末を確認する。
「あ、本当ですね。おめでとうございます」
「おめでとうございますじゃねえ。もっと驚け。もっと喜べ。伝説がカメラの前に帰ってくるんだぞ」
「条件付きですけどね」
「細かいことを言うな。条件付きでも出演は出演だ」
レオは、端末を持ったまま部屋を歩き回った。
「何に出る? マヤの資金報告はつまらねえな。ノア、お前のデータ解説は論外だ。俺の復帰一本目だぞ。もっと絵になるやつがいい」
「ジェイデンさんが、今度、街の活動紹介動画を撮る予定です」
レオの動きが止まった。
「ジェイデンと?」
「はい。以前は売人が集まっていた通りに、音楽スタジオや夜間相談所ができたので、現地を歩いて紹介する企画です」
「……それに俺が出るのか」
「嫌ですか?」
「馬鹿言え」
レオは笑った。
「最高じゃねえか。俺とジェイデンが、あの街を歩く。昔を知ってるやつなら、見るに決まってる」
すぐにジェイデンへ連絡を入れる。
数回の呼び出し音の後、画面にジェイデンの顔が映った。
『なんだよ、夜中に』
「ジェイデン。喜べ」
『嫌な予感しかしねえな』
「俺の動画出演が認められた」
『……マジか』
「マジだ。しかもお前の次の撮影に出てやる」
『誰が呼んだんだよ』
「ノアだ」
画面の外でノアが小さく首を振っていた。
『お前、ちゃんと条件読んだのか? 街の紹介だぞ。お前の復活ライブじゃねえからな』
「分かってるよ。俺はただのゲストだ」
『お前がただのゲストで終わったこと、一度でもあったか?』
「今回は大人しくする」
『信用できねえ』
「じゃあ、撮影で確認しろ」
ジェイデンは、面倒そうに頭をかいた。
『……分かった。だが、変な呼びかけはするなよ。勝手に金を集めるな。視聴者を煽るな。俺の進行を奪うな』
「注文が多いな」
『お前相手だからだよ』
レオは笑った。
「安心しろ。今回は、本当にカメラに映れるだけで十分だ」
その言葉に、ジェイデンは一瞬だけ黙った。
『……そうかよ』
「ああ」
通信を切った後も、レオはしばらく端末を握ったままだった。
匿名で実績を積むことはできた。
誰かの活動を前へ進めることもできた。
だが、カメラの前に立つことは、それとはまったく違う。
自分の顔が映る。
自分の声が届く。
自分がまだここにいると、世界へ見せられる。
「やっとか」
レオは、久しぶりに心の底から笑った。
「やっと、俺の出番が戻ってくる」
神の子、カメラの前へ
数日後。
かつて売人たちが集まり、銃声が珍しくもなかった通りに、撮影機材が並べられていた。
古びた建物の壁には、若者たちが描いた鮮やかなペイントが広がっている。
空き店舗だった場所には、小さな音楽スタジオが作られていた。
通りの奥には、夜間相談所の案内と、共同キッチンの活動予定が貼られている。
ジェイデンはスタッフからマイクを受け取りながら、何度目かのため息をついた。
「なあ、ノア。本当に大丈夫なんだよな」
「出演条件は共有済みです。問題のある発言があれば、配信は停止できます」
「停止する前に何か起きそうなのが嫌なんだよ」
その時、通りの向こうから声が飛んできた。
「おいおい。主役を待たせるんじゃねえよ」
ジェイデンが顔をしかめる。
「もう主役気取りかよ」
派手なジャケット。
胸元の金色のアクセサリー。
見慣れた不敵な笑顔。
レオ・グラントが、撮影現場へ歩いてくる。
近くで準備をしていた若者たちが、次々に振り返った。
「……レオだ」
「本物?」
「嘘だろ。レオ・グラントが来た」
小さなざわめきが、通り全体へ広がっていく。
レオは、その声を聞いて立ち止まった。
「いいな」
「何がだよ」
ジェイデンが近づく。
「久しぶりに、俺を見て驚く声を聞いた」
「お前、ほんとに変わってねえな」
「変わる必要があるか?」
「少しはあれよ」
ジェイデンは、レオの肩を軽く叩いた。
「念のために言うが、今日はこの街で始まった活動を紹介する動画だ。お前の伝説を語る回じゃねえ」
「分かってる。今日はお前に付き合ってやるよ」
「俺の企画なんだから、最初からそうしろ」
ノアが撮影開始の合図を出した。
「配信、始めます」
赤いランプが点灯する。
画面上の視聴者数が、一気に跳ね上がった。
一万人。
三万人。
十万人。
コメント欄に、文字が滝のように流れ始める。
【レオ!?】
【本物だ】
【神の子が帰ってきた】
【待ってた】
【ジェイデンとレオが並んでるの泣ける】
【おかえり、レオ】
【また見られる日が来るとは思わなかった】
【今日は暴れるなよ】
【顔見られただけで嬉しい】
レオの目が、コメント欄の一点で止まった。
【おかえり、レオ】
それから、同じ言葉がいくつも流れた。
【おかえり】
【戻ってきてくれてありがとう】
【待ってたぞ】
【やっぱりレオがいると嬉しい】
ジェイデンがカメラへ向けて話し始める。
「今日は、この街で始まっている新しい活動を紹介する。昔ここにいたやつなら分かると思うが、この通りは――」
「ジェイデン」
「なんだよ」
「一言だけ、いいか」
ジェイデンは、疑うようにレオを見た。
「本当に一言だけか?」
「多分な」
「多分って言うな」
画面外でノアが、困ったように笑っている。
ジェイデンはため息をついた。
「……短くしろよ」
レオは、カメラの正面へ立った。
コメント欄の流れがさらに速くなる。
「よう」
一度、息を吸う。
「久しぶりだな」
それだけで、画面は歓声のような文字で埋まった。
【レオ!】
【帰ってきた!】
【おかえり!】
【声が聞けてよかった】
【待ってたぞ!】
レオは、一瞬だけ言葉を失った。
銃撃を受けて倒れた時の歓声とも違う。
巨額の資金を動かした時の熱狂とも違う。
何かを成し遂げろと叫ぶ声ではなかった。
ただ、戻ってきた自分を見て、喜んでいる声だった。
「……なんだよ」
レオは、少しだけ顔を背けた。
「随分、寂しがってたみてえじゃねえか」
ジェイデンが横から笑う。
「お前も嬉しそうじゃねえか」
「うるせえ。始めるぞ。街の紹介なんだろ」
「お前が進行すんな」
「だったらさっさと案内しろ」
「はいはい。じゃあまず、ここだ」
ジェイデンが指し示したのは、通りの角に作られた小さな音楽スタジオだった。
中では、若者たちが録音の準備をしている。
「ここは、昔この辺にいた連中が始めたスタジオだ。売る側だったやつも、使ってた側だったやつも、家族を巻き込まれたやつもいる。今は、それぞれの話を曲や動画にしている」
レオは、スタジオの入口で足を止めた。
中にいた青年の一人が、緊張した顔で頭を下げる。
「あの……レオさん。俺たち、あなたの動画を見て、最初に端末を開きました」
「俺の?」
「はい。俺たちみたいなやつでも、何かできるかもしれないと思ったんです」
レオは、返事をせずに青年を見た。
青年は慌てて続ける。
「もちろん、今やってるのは俺たちの活動です。でも、最初のきっかけは……」
「分かってるよ」
レオは、青年の肩へ手を置いた。
「お前らが自分で続けてんなら、それでいい」
ジェイデンが、意外そうにレオを見る。
「何だよ」
「いや。もっと自分の手柄みたいに言うかと思った」
「俺がきっかけなのは事実だろ。わざわざ言わなくても分かる」
「そこは変わらねえのな」
「当たり前だ」
撮影は、その後も続いた。
共同キッチンで料理を運ぶ若者。
夜間相談所で初参加者へ端末の使い方を教える女性。
壁画を描きながら、自分の街を怖い場所のまま終わらせたくないと話す少年。
レオは、ジェイデンの隣を歩きながら、一つ一つの活動を見て回った。
時々、余計な口を挟む。
時々、自分の名前が出ると満足そうに笑う。
だが、誰かを煽ることも、無茶な呼びかけをすることもなかった。
ただ、久しぶりの撮影を楽しんでいた。
おかえり、レオ
撮影が終わる頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
「配信、終了しました」
ノアの声が響く。
レオは、すぐに端末を取り上げた。
「数字は?」
「最終同時視聴者数は八十二万人です。録画再生はこれからさらに伸びると思います」
「八十二万か。悪くねえな」
「街の活動紹介動画としては異例です」
「俺が出たからだろ」
「それは、かなり大きいと思います」
「だろ?」
レオは得意げに笑い、コメント欄を開いた。
【街がこんなに変わっていたとは知らなかった】
【活動に参加してみたい】
【音楽スタジオを応援したい】
【ジェイデンとレオが普通に歩いてるだけで感動した】
【レオ、思ったより大人しかったな】
【また出てほしい】
【おかえり、レオ】
レオの指が、最後のコメントで止まる。
しばらく無言で眺めた後、彼は小さく笑った。
「……悪くねえな」
「何がだよ」
ジェイデンが聞く。
「また俺を見てるやつがいるってことがだ」
「お前、思ったより寂しがり屋だったんだな」
「殴るぞ」
「今日は暴力禁止だろ」
「撮影は終わった」
「やっぱり危ねえじゃねえか」
二人のやり取りを見て、周囲にいた若者たちが笑った。
レオは、もう一度端末へ目を落とす。
【次の動画も待ってる】
【ジェイデンとの企画、また見たい】
【今度はスタジオで歌ってくれ】
【レオが街を歩くだけで面白い】
「おい、ジェイデン」
「なんだよ」
「次はいつ撮る」
「もう出る気満々かよ」
「当たり前だろ。俺を一回出して終わりにする気か?」
「条件守れるなら考えてやるよ」
「今日の俺は完璧だっただろ」
「自分で言うな」
「で、次は?」
ジェイデンは、面倒そうにため息をついた。
だが、その口元は笑っていた。
「今度、別の地区で夜の音楽イベントがある。元ギャングの連中も、家族支援をやってる連中も集まる。大人しくできるなら、来てもいい」
「決まりだな」
「まだ決まりじゃねえ」
「もう決まった」
レオは、夕焼けの通りを見渡した。
自分がいない間にも、街は変わっていた。
自分の名前が出ていない場所でも、人々は活動を続けていた。
それでも今日、この場所に自分が立つと、確かに喜んでくれる人間がいた。
誰かの主役を奪わなくてもいい。
世界中の金を動かさなくてもいい。
今はただ、ジェイデンの隣でカメラに映り、笑っているだけでよかった。
「なあ、ジェイデン」
「あ?」
「今日、楽しかったな」
ジェイデンは、目を丸くした。
「……お前がそんな普通の感想言うと、逆に怖えよ」
「うるせえな。撤回するぞ」
「いや、いいんじゃねえか」
ジェイデンは笑った。
「また撮ろうぜ。普通にな」
「普通ってのは気に入らねえが……まあいい」
レオは、端末の画面をもう一度開いた。
そこには、今もコメントが増え続けている。
【おかえり、レオ】
【また会おう】
【次の動画、楽しみにしてる】
レオは、それらを何度も読み返した。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「ただいま、ってやつか」
夕暮れの通りに、若者たちの笑い声と撮影機材を片付ける音が響いていた。
久しぶりに戻ってきた神の子は、その日、何も壊さなかった。
ただ、仲間の隣で笑い、カメラの前に立てることを、心から喜んでいた。
