
戻ってきた神の子
レオ・グラントがカメラの前へ戻ってから、二か月が経った。
最初の数週間は、何もかもが順調だった。
ジェイデンと共に、かつて銃とドラッグに支配されていた街を歩いた。
元売人たちが始めた音楽スタジオを紹介した。
家族支援の共同キッチンを訪ねた。
夜間相談所で、若者たちが初参加者へ端末の使い方を教える様子を撮影した。
さらに、レオ自身が企画を立てることもあった。
昔は互いに敵対していた若者同士が、一つの楽曲を作る企画。
元ギャングと被害者家族が、顔を出さずにそれぞれの生活再建を語る企画。
銃撃が多かった地区の子供たちが、自分たちの街へ新しい壁画を描く企画。
どれも、アメリカ国内で行われた。
どれも、安全管理と本人同意を守った。
どれも、レオらしい派手さはありながら、問題を起こすことなく終わった。
シビックヒーローズ全体での撮影にも、レオは何度か参加した。
マヤが住民の話を聞き、ノアがGVS上の応答状況を解説し、エヴァが資金の流れと監査結果を報告する。
そこへレオとジェイデンが顔を出し、冗談を言いながら現場を歩く。
視聴者は喜んだ。
【レオが普通に活動してるの嬉しい】
【ジェイデンとのコンビやっぱり好きだ】
【ヒーローズ全員揃うと安心する】
【昔より今のレオの方がいい】
【暴れなくても面白いじゃん】
レオも、最初は満足していた。
「見ろ、ジェイデン。俺が出た回だけ再生数が三倍だ」
「街の活動より自分の数字しか見てねえのかよ」
「活動が伸びて、俺の数字も伸びる。何が悪い」
「悪いとは言ってねえ。お前らしいなと思っただけだ」
「褒め言葉として受け取っておく」
そう言って、レオは笑っていた。
新しい英雄たち
だが、一か月が過ぎ、二か月が過ぎる頃には、少しずつ空気が変わっていた。
シビックドライブが広がるにつれ、各地で新しい顔が注目され始めた。
【十七歳の少女、薬物依存者家族のための共同住宅プロジェクトを開始】
【元少年兵の青年、避難民向け学習拠点を設立】
【若きシビックナビゲーター、三都市を結ぶ生活支援網を実現】
【新たなシビックヒーローたちが世界各地で台頭】
かつてなら、世界の中心にいたのはレオだった。
今は違う。
自分が街を歩き、若者と笑い、良い企画を成功させている間にも、世界は次々に新しい英雄を見つけていく。
コメント欄も変わり始めた。
【レオって、もう資金調達しないの?】
【そろそろ二百億ドルの続きを見せてくれると思ってた】
【街歩き企画もいいけど、最近ずっと同じじゃない?】
【大人しくなったのはいいけど、少し物足りない】
【新しいヒーローの方が今は勢いあるな】
【レオはもう危ない企画できないのか】
【また世界をひっくり返してくれると思ってたのに】
動画の再生数も、最初ほど跳ねなくなった。
十分に高い。
普通の配信者なら、一生かかっても届かない数字だ。
だが、レオにとっては落ちていた。
「……何だよ」
レオは、ソファに座ったまま端末を更新した。
最新の動画。
ヒーローズ全員で行った、元ギャングの音楽イベント取材。
再生数は悪くない。
コメントも好意的だ。
だが、その中には何度も同じ言葉が混ざっていた。
【資金調達はもうやらないの?】
【昔のレオならもっとすごいことやった】
【安全な場所で撮影してるだけなら、他の人でもいい】
「……好き勝手言いやがって」
背後から、ジェイデンの声がした。
「またコメント見てんのか」
「数字の確認だ」
「さっきから同じページを何回更新してんだよ」
「必要な分析だろ」
「お前、あんまり気にすんなよ」
レオは、ゆっくりと振り返った。
「何をだ」
「新しいヒーローが出てきたとか、再生数がちょっと下がったとか、資金調達しろってコメントとかだよ」
「別に気にしてねえよ」
「そうか」
「ああ」
「なら、その端末を机に置け」
レオは黙った。
ジェイデンが鼻で笑う。
「がっつり気にしてんじゃねえか」
「うるせえな」
「今のお前だって、十分やれてるだろ。お前の企画で動いた奴もいる。俺と撮った動画だって、普通に人気ある。前みたいに世界中をパニックにしなくても、やれることはある」
「分かってるよ」
「本当にか?」
「分かってるっつってんだろ」
ジェイデンは、少しだけ心配そうにレオを見た。
「変なこと考えるなよ」
「考えてねえよ」
「ならいい」
ジェイデンが部屋を出ていく。
簡単な方法
扉が閉まった後、レオはもう一度端末を開いた。
コメント欄には、相変わらず同じ言葉が流れている。
【また資金を動かしてくれ】
【次はどの企業を落とすんだ?】
【神の子なら、まだ終わりじゃないだろ】
【二百億ドルの続きが見たい】
「……資金調達は駄目だ」
レオは、低く呟いた。
自分がもう一度、金を出せと叫べば、人は動く。
企業へ押しかける。
投資家を追い詰める。
街中でレオの名を叫び、金を出さない相手を敵と見なす。
二百億ドルを動かした時、世界は熱狂した。
だが、同時に訴訟寸前まで追い込まれ、FBIにも目をつけられた。
次に同じことをすれば、もう表には戻れない。
マヤも、エヴァも、ノアも、ジェイデンも、二度と自分をカメラの前へ立たせないだろう。
「金は駄目だ」
レオは、背もたれへ体を沈めた。
「だが……金だけだったか?」
目を閉じる。
元ホームレスとして這い上がった日。
ギャングの街で、ジェイデンと並んだ日。
銃声が響き、自分の胸が血に染まった日。
死んだと思われた自分が、再びカメラの前へ立った日。
世界が最も熱狂したのは、金が動いた瞬間だけではなかった。
レオ・グラントが、本当に死ぬかもしれない場所へ立っていた時だった。
誰もが画面から目を逸らせず、誰もが自分の名を叫び、誰もが生きて戻れと願った。
あの時、自分は神になった。
レオは、ゆっくりと目を開けた。
「あったじゃねえか」
端末を手に取る。
「簡単な方法が」
GVSに集まっている海外の要請一覧を開く。
難民。
飢餓。
児童労働。
紛争。
地雷被害。
その中で、レオの指が止まった。
【地雷被害地域からの要請】
【戦闘終了後も、農地と通学路へ戻れません】
【地雷除去と生活再建へ協力していただけませんか】
添付映像には、赤い警告標識が映っていた。
【DANGER MINES】
レオは、胸元の傷へ指を当てた。
「俺が、もう一度死にかけりゃいい」
口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「そうすりゃ、誰も俺が終わったなんて言えねえ」
地雷被害地域プロジェクト
数日後。
シビックヒーローズの会議室に、レオが作成した企画書が表示されていた。
【地雷被害地域におけるシビックドライブ現地発信プロジェクト】
マヤは、資料を最後まで読んでから顔を上げた。
「地雷被害地域?」
「ああ」
「レオ。あなたが企画を出すこと自体は止めないわ。これまでの国内企画も、結果は出ている。でも、これは話が違う。紛争後地域よ」
「だから意味があるんだろ。アメリカ国内で活動してるだけじゃ、届かねえ要請がある」
「意味があることと、安全に実行できることは別よ」
エヴァも、資料を読みながら口を開く。
「企画の目的自体には反対しない。地雷被害地域の要請が十分に届いていないのも事実でしょう。ただし、現地支援団体との契約、安全区域、撮影範囲、退避経路。すべて確認できるまで承認はできないわ」
「確認すりゃいい。今回は企業に乗り込むわけでもねえ。視聴者へ金を出せと叫ぶわけでもねえ。現地の要請を聞いて、世界へ伝える。健全そのものだろ」
ジェイデンは、腕を組んだままレオを睨んでいた。
「お前、変なこと企んでねえよな?」
「何だよ。俺が企画を出すたびに犯罪者を見る目で見るな」
「お前の場合、念のためだ」
ジェイデンは、ノアへ顔を向ける。
「おい。こいつには契約書くらい書かせておいた方がいいぞ」
「そこまでしなくても……今回は現地支援団体も同行する予定ですし、安全確認済み区域からの撮影になっています」
「いいや。こいつにはそのくらいがちょうどいい」
「親友の扱いじゃねえな」
「親友だから言ってんだよ」
レオは、呆れたように笑った。
「いいぜ。書けばいいんだろ。危険区域には入らねえ。勝手な演出もしねえ。現地責任者の指示に従う。それで満足か?」
「お前が本当に守るならな」
「守るさ。俺を何だと思ってやがる」
「言わせる気か?」
会議室に、小さな笑いが起きた。
マヤも、完全には安心していないようだったが、国内でのレオの活動実績を無視することはできなかった。
「……現地支援団体と安全条件を確認する。エヴァが問題ないと判断し、全員が同意するなら、正式企画として検討しましょう」
「それでいい」
レオは、あっさりと頷いた。
その態度があまりにも自然だったため、誰もそれ以上追及しなかった。
企画の目的は正しい。
現地の声を届ける意味もある。
レオが企画を主導することも、今ではおかしなことではない。
問題があるとすれば、紛争後地域へ向かう危険だけだった。
そして、その危険には、安全契約と専門団体の同行で備えられるはずだった。
地雷の町
数週間後。
シビックヒーローズの五人は、地雷被害地域へ到着した。
現地責任者の説明を受けながら、安全確認済みの道を歩いていく。
赤い標識より先へは入らない。
指定された移動線から外れない。
撮影場所は現地スタッフが確認する。
活動内容の変更には、全員の同意が必要になる。
ノアは真剣な顔で地図を確認していた。
マヤは住民への聞き取り予定を確認していた。
エヴァは安全責任者と契約内容を照合していた。
ジェイデンは、歩きながら何度もレオへ目を向けていた。
「言っとくぞ。ここでは、マジで勝手なことすんな」
「何度言わせんだ。分かってるよ」
「お前の伝説より、人の命の方が大事だ」
レオは、軽く肩をすくめた。
「当たり前だろ」
ジェイデンは、それ以上何も言わなかった。
エヴァも、最後に一度だけレオを見た後、住民たちの待つ場所へ向かった。
五人が、同じ道を歩いていく。
地雷被害地域の声を世界へ届けるための、正式な現地発信プロジェクト。
安全条件は共有されている。
全員が同意している。
現地責任者も同行している。
危険区域へ入る予定など、どこにもない。
全員が、そのつもりでここへ来た。
レオ・グラントだけを除いて。
歩きながら、レオは遠くの赤い標識へ目を向けた。
胸元の傷が、また熱を持つ。
「今度は、俺だけじゃ足りねえ」
誰にも聞こえない声で、レオは呟いた。
「お前ら全員で、俺をもう一度神にしてくれ」
