
金を集めればいい
朝になっても、空は晴れなかった。
雲ではない。遠くで燃えた家や車両の煙が、地平線を薄く覆っている。
レオ・グラントは、古びた武装車両のボンネットへ腰を下ろし、渡された水のボトルを片手で弄んでいた。
「で?」
目の前には、イブラヒム・カマラが立っている。
「俺を牢獄から引っ張り出して、わざわざこんな場所まで連れてきた理由を聞かせろよ」
カマラは黙っている。
「地雷か? 食料か? 薬か? 家か? 兵隊か?」
レオはボトルの蓋を開け、水を喉へ流し込んだ。
「金なら集めてやる。地雷原であれだけ世界が騒いだんだ。俺がここへ来たと流せば、もっとでかい金が動く」
「来い」
カマラは、それだけ言って歩き始めた。
「おい。相談する気があるなら、もう少し愛想よく――」
「金を集めた後に起きることを見せる」
レオは眉をひそめた。
周囲には、カマラの兵士らしい男たちがいる。
銃を抱えた若者。
顔に大きな傷のある男。
車両の下で工具を握っている少年。
壁際で眠っている負傷兵。
誰もレオへ歓声を上げない。
誰も救世主を見るような目をしていない。
レオは小さく鼻を鳴らした。
「歓迎されてねえな」
「まだ何もしていない男を歓迎する理由はない」
「手厳しいねえ」
「この土地では、言葉より食料の方が信用される」
「だったら食料を持ってくりゃいいだろ」
カマラは答えなかった。
やがて彼が立ち止まったのは、低い石造りの倉庫の前だった。
扉は壊れ、外壁には複数の弾痕が残っている。
中へ入った瞬間、レオは顔をしかめた。
湿った土と、腐りかけた穀物の臭い。
床には、破れた袋や空箱が無造作に散らばっていた。
食料支援の印字。
医療団体のマーク。
粉ミルクの袋。
浄水剤の小さな容器。
「何だ、ここは」
「三日前まで、支援物資の保管場所だった」
「三日前まで?」
「外部から、食料と医薬品が届いた。車両三台分だ」
レオは、足元の箱を蹴った。
「空っぽじゃねえか」
「一台分は、ここへ来る途中で奪われた」
「敵にか」
「ああ」
「なら検問を潰せ」
「一台分は、ここへ着いた後に消えた」
レオの足が止まった。
「……誰が取った」
「私の兵士だ」
レオはゆっくりと振り返る。
「お前の部下が、守ってる住民の飯と薬を盗んだのか?」
「そうだ」
「だったら吊るせばいい」
カマラの表情は動かなかった。
「一人吊るせば、次の一人が奪う」
「見せしめにはなる」
「兵士たちは三か月、十分な給料を受け取っていない。家族へ食料を送れない者もいる。負傷しても薬がない。死んでも妻子へ何も残らない」
「だから住民から奪っていいってか?」
「よくはない。だが、処罰すれば解決する話でもない」
レオは舌打ちした。
「面倒くせえな。なら兵士にも金を払え。家族にも飯をやれ。俺が集めてやる」
「金を渡す前に、その金を誰が守る」
「……」
「兵士一人へ渡せば、上官が取る。部隊長へ渡せば、その部隊ごと狙われる。住民へ配れば、家に武装した者が来る。車両で物資を運べば、輸送路に新しい検問ができる」
「司令官を買収すりゃいい」
「司令官の値段は知っている」
カマラは、空になった箱の一つを見下ろした。
「問題は、その下にいる兵士と、その家族だ」
レオは黙る。
「司令官一人が寝返っても、数百人の兵士が翌日から食えなくなれば、その部隊は崩れる。家族を守れなければ、兵士は戻る。別の司令官がより多く払えば、また買い直される」
「お前、試したのか」
「何度もな」
カマラは淡々と答えた。
「こちらへ来れば守ると言った。戦闘をやめれば家族も受け入れると言った。だが、私の側にも十分な食料はなかった。薬もなかった。住居もなかった。守るべき者が増えた分だけ、私の兵士まで飢えた」
「……」
「それで、また奪い合いに戻った」
倉庫の中に沈黙が落ちた。
レオは空箱を見ていた。
金を集めればいい。
食料を送ればいい。
武器を捨てた奴には新しい仕事を与えればいい。
アメリカでは、それで流れを変えられた。
地雷原でも、資金と機材と人間が集まれば、地雷は消え始めた。
だが、ここでは、届いた物そのものが争いになる。
守る側まで、奪わなければ暮らせない。
「……くそみてえな場所だな」
「そうだ」
カマラは否定しなかった。
作った者が奪われる国
倉庫を出た後、カマラはレオを車両へ乗せた。
古い道を走る車内から、レオは無言で外を見ていた。
焼けた家。
潰れた商店。
道端の穴。
水の容器を抱えて歩く女性たち。
銃を持ち、ぼんやりと車両を見送る少年。
「この国には何もねえのか」
レオが言った。
「何も?」
「まともに食っていける仕事だよ。アメリカなら、ギャングを抜けた後にやることはいくらでもあった。動画を作る奴も、音楽をやる奴も、店を始める奴もいた。金を出す奴もいた」
レオは窓枠へ肘を乗せた。
「ここで兵士を買って、飯を食わせたところで、その後どうすんだ。ずっと外から食料を送ってもらうのか?」
「降りろ」
車両が止まる。
カマラは、舗装もされていない道へ降りた。
レオも続く。
目の前には、広大な平地が広がっていた。
乾いた畑。
崩れた水路。
屋根のない倉庫。
使われなくなった井戸。
焼けた小屋。
家畜の姿が一頭もない柵。
レオは、しばらくその景色を見ていた。
「……農地か」
「以前はな」
「以前?」
「穀物が採れた。豆も採れた。牛も山羊もいた。乳も肉も得られた。市場もあった」
「だったら何で今は、空箱を奪い合ってる」
カマラは、壊れた水路の脇へ立った。
「畑へ出れば狙われる」
レオは黙る。
「種を撒き、数か月待って収穫する者は、武器を持つ者に勝てない。家畜を増やせば奪われる。倉庫へ穀物を貯めれば襲われる。市場へ運べば検問で取られる」
「……」
「やがて、人々は作ることをやめる」
カマラは、泥で埋まった水路を指差した。
「耕すより奪う方が早い。育てるより、育てた者から取る方が生き残れる。子供たちは、それを見て育つ」
「産業がないんじゃなくて、産業が殺されたってことか」
「違う」
カマラは、静かに言った。
「産業を続ける人間が、殺されるのだ」
レオは、笑えなかった。
アメリカでギャングに入った若者たちは、ドラッグを愛していたわけではない。
銃で人を脅すことだけが生き甲斐だったわけでもない。
そこに金と、仲間と、居場所と、誇りがあったから入った。
こちらでは、その構造が町の一角ではなく、土地全体を覆っている。
作るより奪う。
守るより支配する。
従わなければ家族ごと飢える。
レオは、足元の乾いた土を踏んだ。
「それで、お前は俺に何をさせたい」
「分からない」
「は?」
「何をすればよいのか、私にも分からない」
カマラは、畑の向こうを見たまま言った。
「私は、自分の支配区域をある程度守れる。司令官と交渉もできる。必要なら戦うこともできる」
「ならやれよ」
「やってきた。その結果がこれだ」
カマラは、壊れた水路へ視線を落とした。
「一つの村を守れば、別の村が襲われる。物資を運べば奪われる。敵を買えば、次の敵が現れる。部下を締めつければ、部下の家族が飢える」
「……」
「私は、戦争に勝ちたいのではない」
カマラの声は低かった。
「この土地で、人が作って生きられるようにしたい。だが、そのために何が必要なのか、もう私には分からない」
レオは、カマラの横顔を見た。
この男は、何か答えを持って自分を呼んだわけではない。
世界を変えられる男を見つけたから、最後の賭けとして連れてきた。
それだけだった。
「俺に丸投げかよ」
「そうだ」
「随分と高く買われたもんだな」
「お前なら、できない話を聞いても逃げずに騒ぎ始めると思った」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
レオはそう言ったが、その声にはいつもの軽さがなかった。
答えのない夜
その夜、レオは一人で部屋にいた。
カマラから与えられた簡素な部屋には、古い机と椅子、薄い寝具しかない。
遠くで銃声が鳴る。
誰も驚いて走り出す様子はない。
ここでは、夜に銃声が響くことすら日常なのだろう。
レオは椅子へ座り、机の上に足を乗せていた。
「金を集める」
小さく呟く。
「奪われる」
空の倉庫が浮かぶ。
「司令官を買う」
カマラの声が浮かぶ。
――その下にいる兵士と家族を、翌日から誰が食わせる。
「部隊ごと買う」
なら、何百人、何千人、その家族まで食わせる必要がある。
「食料を送る」
道で奪われる。
倉庫で奪われる。
守る側まで奪う。
「……ちっ」
レオは机を蹴った。
地雷原は簡単だった、などと言うつもりはない。
爆発すれば死ぬ場所だった。仲間も本気で泣いていた。エヴァには殺人鬼と呼ばれた。
だが、地雷は消せば終わる。
ここでは、人間が何度でも地雷になる。
腹を空かせた兵士。
食料を奪われた住民。
家族を守るために銃を持つ少年。
奪う側へ回らなければ生き残れない村。
レオは、乱暴に髪をかき上げた。
「どうすりゃいいんだよ」
答える者はいない。
世界中から金を引っ張れる。
人を熱狂させられる。
富豪も企業も群衆も動かせる。
だが、その金を一台の車両に乗せて運べば奪われる。
一つの倉庫へ集めれば奪われる。
一つの村だけを助ければ、そこが襲われる。
レオは、ふと顔を上げた。
「……一つ?」
呟いた声が、自分の耳へ戻ってくる。
一台だから、奪われる。
一つの倉庫だから、奪われる。
一つの村だけが持っているから、そこを襲えば得になる。
なら。
「……全部にやればいいのか?」
レオは椅子から足を下ろした。
敵の村にも。
味方の村にも。
兵士の家族にも。
逃げてきた者にも。
奪おうとする者にすら。
一台の車両では足りない。
一つの倉庫でも足りない。
一回の支援でも足りない。
「奪われるなら……」
レオの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「奪われる以上に、ぶち込めばいい」
食料。
水。
薬。
住居。
種。
農具。
発電機。
井戸。
通信手段。
抱えきれないほど。
奪いきれないほど。
奪った者が、次に何をすればいいのか分からなくなるほど。
「は……」
喉の奥から、笑いが漏れた。
「はは……ははははっ!」
外で誰かが警戒するように足を止めた。
だがレオは気にしない。
脳内に、今まで見たこともない光景が広がっていた。
何もなかった灰色の空を、無数の機体が埋め尽くす。
落ちてくるのは爆弾ではない。
人を殺すものではない。
人が殺し合う理由を、上から押し潰すほどの物量。
「そうだ」
レオは立ち上がった。
「金が届かねえなら、届く量を増やせばいい」
「奪われるなら、奪う意味がなくなるまで降らせりゃいい」
「司令官が兵士を食わせてるから従うなら、そいつらより俺が食わせりゃいい」
その顔に、久しぶりに熱が戻っていた。
危険で、傲慢で、誰にも止められない熱。
「戦争を終わらせるんじゃねえ」
レオは、小さく笑った。
「戦争より、こっちの方が儲かるって見せてやる」
金爆弾
翌朝。
カマラは、部屋の中央に広げた地図を見ていた。
味方の区域。
敵側の検問。
襲撃された集落。
物資が止まっている道路。
避難させなければならない住民の位置。
数人の部下が、低い声で状況を報告している。
そこへ、扉が開いた。
「よう、カマラ」
カマラは顔を上げた。
レオが立っていた。
昨日のような苛立ちも、倉庫で現実を見せられた後の沈黙もない。
代わりに、ひどく嫌な笑みを浮かべている。
「何だ」
レオは、地図の前まで歩いてきた。
「絶対に撃ち落とされないヘリを知ってるか?」
カマラは眉をひそめた。
「何を唐突に言っている」
「知らねえか?」
「アメリカの最新兵器の話かね?」
「俺がそんな馬鹿な話をすると思うか?」
「お前は、十分に馬鹿な話をする男だと思っている」
「違いねえな」
レオは笑った。
そして、地図の上に両手を置いた。
「だが、今回はもっと馬鹿な話だ」
「……何だ」
「絶対に撃ち落とされない無敵のヘリってのはな」
レオは、地図の上の一つの村を指で叩いた。
次に、カマラ側の集落。
敵側の検問の先にある村。
避難民が集まっている地域。
兵士たちの家族が暮らす区域。
「そのヘリが、爆弾じゃなくて金爆弾を降らせるヘリってことだ」
カマラは、しばらく動かなかった。
「……金爆弾?」
「食料。水。薬。家。種。農具。発電機。通信端末。現金でも何でもいい」
「待て」
「この空を、そいつらで埋め尽くす」
「待てと言っている」
カマラは、初めて明確に戸惑った顔を見せた。
「お前は何を言っている」
「聞こえなかったか? 全部降らせるって言ってんだよ」
「物資は奪われると、昨日話したはずだ」
「ああ」
レオは、あっさり頷いた。
「奪わせろ」
「……何?」
「一回目は奪わせろ。二回目も奪わせろ。十回目まで奪えるなら奪ってみろ」
カマラは何も言えない。
「あいつらが奪える量の十倍、百倍を落とす」
「お前の村だけじゃねえ。敵の村にも落とす。兵士の家族にも落とす。逃げてきた連中にも落とす」
「食料を積んだ車両一台を奪って勝った気になってる奴らへ、空から世界ごと投げつけてやるんだよ」
「そんな物量を、どうやって……」
「俺が集める」
「金だけでは足りない。機体がいる。飛行経路がいる。投下場所がいる。現地で受け取る者も――」
「だから世界中へ聞くんだろうが」
レオは、カマラの言葉を遮った。
「ヘリを飛ばせる奴。輸送機を出せる奴。飯を用意できる奴。薬を持ってる奴。井戸を掘れる奴。畑を戻せる奴。端末をつなげられる奴。金を出せる奴」
レオは、自分の胸を叩いた。
「俺一人でやるんじゃねえ」
「……」
「GVSで世界中へ投げる」
「この土地へ何ができるか、全員に出させる」
「俺は舞台を作る。世界が無視できねえくらい派手な舞台をな」
カマラは、地図からレオの顔へ視線を移した。
「それで、兵士が戦いをやめると思うのか」
「全員じゃねえよ」
レオは、地図上の駒を一つ指で弾いた。
駒は机から落ち、床を転がった。
「王様になりたい司令官。人を殺すことしかできねえ奴。支配してなきゃ自分が何者か分からねえ奴」
レオは、笑みを深くする。
「そういうのは、お前が何とかしろ」
「……私に押しつけるのか」
「お前の仕事だろ?」
カマラは、しばらくレオを見つめた。
「俺が狙うのは、その下だ」
レオは地図へ指を戻した。
「腹が減ってる兵士」
「家族を食わせたい兵士」
「銃を持たなきゃ死ぬと思ってる奴」
「逃げ道がなくて、司令官へ従ってる奴」
拳を地図の上へ落とす。
「全部、買ってやる」
「……」
「銃を捨てろとは言わねえ」
「まず食え。家族にも食わせろ」
「それから、その銃で畑を奪うのか、畑を守るのか選べ」
「奪って一日食うより、守って生き続ける方が儲かるって見せてやる」
「必要な金額が分かっているのか」
「知らねえ」
「空を飛ばす手段は」
「知らねえ」
「各地へ物資を配る方法は」
「知らねえよ」
「なら、なぜできると思う」
レオは笑った。
「俺が知らねえだけだろ」
カマラは黙る。
「世界中の誰かは知ってる」
「俺は答えを持ってるから、ここまで来たんじゃねえ」
「答えを持ってる奴らを、俺の舞台へ引きずり出せるから来たんだよ」
部屋の中に、沈黙が落ちた。
カマラの部下たちは、レオを理解できないものを見るように立ち尽くしている。
カマラ自身も、すぐには答えなかった。
やがて、低い声で言う。
「狂っている」
レオは笑った。
「知ってるよ」
「本当に実行すれば、世界中を巻き込むことになる」
「そのために俺を呼んだんじゃねえのか」
「私は、ここまでの話を求めてはいなかった」
「だろうな」
レオは、煙で濁った空の方角へ顔を向けた。
「でも、もう思いついちまった」
その目には、まだ一機も存在しないはずの機体が見えていた。
灰色の空を覆い尽くす輸送機とヘリ。
人を殺す爆弾ではなく、戦争より豊かな生活を降らせる群れ。
レオは、地図へ向き直る。
「カマラ」
「何だ」
「戦争ごと、買い取ってやろうぜ」
