
カマラは、しばらく何も言わなかった。
地図の上には、赤い印がいくつも置かれている。敵側の検問。襲撃された村。物資が止まっている道路。カマラの支配がかろうじて届く地域。
その上で、レオは平然と言った。
「戦争ごと、買い取ってやろうぜ」
部屋にいたカマラの部下たちは、意味が分からないという顔をしていた。
カマラだけが、じっとレオを見ていた。
「お前は、自分がどこにいるのか分かっているのか」
「紛争地帯だろ」
「違う」
カマラは地図から顔を上げた。
「お前は、アメリカから逃亡している。お前の居場所が世界に知られれば、アメリカは動く」
「だから何だ」
「お前を匿っている私も、ただでは済まない」
「最初から分かってて俺を呼んだんだろ」
レオは笑った。
「俺をこっそり使って、都合よく金だけ引っ張れると思ったか?」
「そうできれば、最も被害が少なかった」
「無理だな」
レオは机の上に置かれた端末を勝手に手に取った。
「俺の顔を出せ」
「レオ」
「顔を出さなきゃ、世界は金を出さねえ」
カマラの目が細くなる。
「お前の顔は、金を呼ぶ。同時に、軍も呼ぶ」
「呼ばせろ」
「アメリカもか」
「世界中だ」
レオは端末の画面を開いた。
「英雄ってのはな、使う時には顔を晒すもんだ」
カマラは止めなかった。
止めても無駄だと分かっていた。
レオはGVSを開き、公開DRIVEの作成画面へ進む。
画面には、いつもの項目が並んでいる。
【▶ DRIVE】
【+ SUPPORT】
レオは指を止めずに打ち込んだ。
――俺は今、紛争地帯にいる。
――ここでは、食料を送っても奪われる。薬を送っても奪われる。兵士を買っても、その家族まで食わせなきゃ戦争へ戻る。
――だから、戦争ごと買い取る。
――奪われても余るほどの食料、水、薬、住居、種、農具、電力、通信を空から降らせる。
――飢えて銃を持つ連中を、家族ごと戦争から引き抜く。
――金を出せる奴。食料を出せる奴。ヘリや輸送機を飛ばせる奴。空路を通せる奴。水を作れる奴。医療を出せる奴。農地を復旧できる奴。通信をつなげられる奴。
――俺と一緒に、戦争より儲かる世界を降らせろ。
投稿前に、GVSの変換確認が入る。
【変換後表示】
【▶ DRIVE】
私は現在、紛争地域にいます。
この地域では、食料や医薬品を届けても途中で奪われ、兵士やその家族の生活保障がなければ、武装勢力からの離脱も継続しません。
そのため、食料・水・医療・住居・農業資材・電力・通信などを大規模に投入し、住民や兵士が略奪ではなく生活再建へ移れる環境を作りたいです。
【+ SUPPORT】
航空輸送、物資提供、医療支援、給水設備、農地復旧、通信環境、資金提供、現地調整、安全確認などに協力していただけませんか?
レオは画面を見て、口元を歪めた。
「相変わらず、最後だけ気色悪ぃな」
「それがGVSか」
「俺の言葉を、ずいぶん行儀よくしやがる」
「その方が人は応答しやすい」
「知ってるよ」
レオは投稿ボタンを押した。
その瞬間、紛争地帯の小さな部屋から、世界へ火が放たれた。
レオ・グラントは生きている
最初に流れたのは、批判だった。
【逃亡犯が何を言っている】
【また人を危険に晒すつもりか】
【武装勢力への資金供与ではないのか】
【地雷ドッキリを忘れるな】
【これは人道支援ではなく私的軍事介入だ】
【レオ・グラントを直ちに拘束しろ】
だが、批判は注目でもあった。
投稿から数分後、英語圏のSNSで一つの言葉が急速に広がる。
LEO GRANT IS ALIVE.
レオ・グラントは生きている。
地雷原で世界を震わせた男。
仲間を騙して死地へ連れて行き、逮捕された男。
牢獄に消えたはずの男。
アメリカのギャング街で、ドラッグと銃よりも稼げる道を見せた男。
その男が、今度は紛争地帯から「戦争ごと買い取る」と言い出した。
世界は、再びレオを見つけてしまった。
GVSの応答件数が跳ね上がる。
応答:43件。
応答:198件。
応答:1,204件。
応答:7,982件。
「速いな」
カマラが呟く。
「まだ遅いくらいだ」
レオは椅子に座り、画面を眺めていた。
批判。罵倒。支援表明。警告。陰謀論。資金提供。航空輸送の相談。医薬品の提供。衛星通信の試験提供。水処理設備の提案。紛争地域への渡航を希望する者。
混沌だった。
そのすべてを、レオは嬉しそうに見ていた。
「来た来た」
「この中から、使えるものを選ぶ必要がある」
「誰かがやる」
「誰が」
レオは笑った。
「知らねえよ」
カマラは息を吐いた。
「お前は本当に、火をつけることしか考えていないのだな」
「火がつかなきゃ、誰も集まらねえだろ」
その時、GVSの画面に一つの応答が表示された。
【応答:航空輸送支援】
現在地と安全条件が確認できる場合、小規模の医療物資・保存食の空輸について検討できます。
ただし、投下地点、受け取り担当者、周辺武装勢力の接近リスク、投下後の分配方法が不明な状態では実施できません。
まず現地情報の確認と、優先物資の絞り込みをお願いします。
「小規模だと?」
レオは不満そうに鼻を鳴らした。
「ちまちまやってるから奪われるんだよ。空を埋め尽くせって言ってんだ」
カマラは、その応答をじっと見ていた。
「だが、最初の一機は飛ぶかもしれない」
「一機じゃ足りねえ」
「一機も飛ばなければ、百機も飛ばない」
レオは、少しだけカマラを見た。
「……それもそうだな」
ノア
その投稿を、ノアは薄暗い部屋で見ていた。
端末の画面には、レオの公開DRIVEが映っている。
ノアは、しばらく何も言わなかった。
隣の机では、情報収集チームの一人が別のGVSルームを開いている。アメリカ国内のシビックヒーロー関連データ、地雷撤去プロジェクトの支援ログ、レオの過去活動への反応推移。
ノアは、画面の文字を何度も読み返した。
戦争ごと買い取る。
奪われても余るほど降らせる。
飢えて銃を持つ連中を、家族ごと戦争から引き抜く。
「……やはり」
ノアは小さく呟いた。
「あの人は、あんなところでは終わらなかったか」
その声に、隣のメンバーが顔を上げる。
「ノア?」
「金爆弾の応答データに入ります」
「え?」
「レオさんの投稿は、ただの宣言ではありません。現時点で、すでに支援候補が数千件単位で発生しています。分類しないと、第一便すら組めません」
「行くのか?」
「まずはデータです」
ノアは、すぐに金爆弾関連のナビゲーションルームへ参加した。
流れ込む応答を分類する。
航空輸送。
食料。
医薬品。
浄水。
衛生。
通信。
農業資材。
現地語通訳。
資金。
防護。
法的警告。
詐欺の疑い。
売名目的。
過激な志願者。
危険な武器提供の申し出。
ノアの目が速く動く。
「着想はいい」
彼は、誰に聞かせるでもなく言った。
「理屈上では、成功する可能性がある」
奪われる以上に投入する。
兵士の家族ごと生活保障へ移す。
空から食料と通信を落とし、現地の司令官を買収する。
その後、自給インフラへつなげる。
無茶苦茶だ。
だが、レオの熱狂がある今だけなら、理屈上は成立し得る。
問題は、別の場所にある。
「現場情報が足りない」
ノアは、画面に次々とメモを入れていく。
投下地点の安全度が不明。
住民数不明。
カマラ側の兵士数と家族数不明。
敵側の司令官買収候補不明。
医療需要不明。
水源位置不明。
道路封鎖情報不十分。
現地語ごとの通訳配置未整理。
空輸候補と物資提供候補の接続が未処理。
支援物資の重複多数。
危険志願者の除外未実施。
「このままでは失敗する」
ノアの横で、チームメンバーが息をのんだ。
「レオさんだけでは、この計画は失敗します」
「でも、レオさんのところにはカマラがいるんだろ?」
「カマラは軍事と現地交渉の人です。世界中から来る応答を処理する人ではありません」
ノアは、さらに応答を分類しながら言った。
「レオさんは、世界を集めることはできます。でも、集めた世界を現場へ落とす設計をする人ではありません」
「なら、こっちから支援すれば――」
「遠隔では足りません」
ノアは、顔を上げた。
「現地で、レオさんとカマラの横にいて、世界中の応答と現地情報を接続する人間が必要です」
「それって……」
「僕が行きます」
部屋が静かになった。
「ノア、待て。政府が動いてる。今、紛争地帯へ行くのは危険だ」
「だから今行くんです」
ノアは端末を閉じなかった。
別画面で、渡航制限に関するニュースが次々に更新されている。
政府関係者がレオの投稿を確認。
紛争地域への民間渡航自粛要請。
航空会社への安全確認。
人道支援名目の輸送計画に対する審査強化。
「もう少し待てば、安全になるかもしれない」
「逆です」
ノアは首を振った。
「もう少し待てば、行けなくなります」
来るなら早い方がいい
ノアは、必要なメンバーだけを選んだ。
航空データを読める者。
医療物資の分類ができる者。
現地語と英語をつなげる者。
GVS上の大量応答を整理できる者。
衛星通信と簡易端末の設定ができる者。
大部隊ではない。
戦う部隊でもない。
情報を拾い、分類し、現地へ落とすための小さなチームだった。
出発準備を進めながら、ノアはヒーローズの共有チャンネルを開いた。
マヤ。
ジェイデン。
エヴァ。
誰にも事前確認は取っていない。
ノアは短い文章だけを打った。
【ノア】
僕は現地へ向かいます。
金爆弾は、現地で情報を処理する人間がいなければ失敗します。
政府が移動を止める可能性があります。
来るなら早い方がいい。
そのうち、来たくても来られなくなります。
送信。
ノアは端末を閉じ、荷物を肩にかけた。
チームメンバーの一人が言う。
「本当に行くんだな」
「はい」
「レオさんに呼ばれたわけじゃないんだろ」
「呼ばれる必要はありません」
ノアは、部屋の扉を開けた。
「僕の助けが必要なことは、データを見れば分かります」
廊下の向こうでは、既に迎えの車が待っていた。
最初の一機
そのころ、紛争地帯では、第一便の調整が続いていた。
レオは苛立っていた。
「保存食と医薬品だけだと? 少なすぎるだろ」
「最初の便は、投下地点の確認も兼ねています」
遠隔で接続している支援者の声が答える。
「確認なんざ後でいい。派手に落とせ」
その時、別の通信が割り込んだ。
【ノア】
派手に失敗するために、第一便を飛ばすわけではありません。
レオの動きが止まった。
「……ノア?」
【ノア】
第一便は、食料より医療と浄水を優先してください。現地報告では、負傷者と水系感染症のリスクが高いはずです。
保存食は家族単位で分配できる小包装にしてください。大袋では、奪われた時に再配分できません。
投下地点は一か所ではなく、二か所に分けるべきです。片方が奪われても、もう片方の受領記録を取れます。
レオは画面を睨んだ。
「お前、どこにいる」
【ノア】
移動中です。
「どこへ」
【ノア】
あなたのところへ。
カマラが、横から画面を見た。
「この少年は?」
「俺の仲間だ」
【ノア】
連れ戻しに行くわけではありません。
画面の中で、ノアの声は静かだった。
【ノア】
助けに行きます。
あなたには、僕の助けが必要でしょう?
レオは、しばらく黙った。
そして、ふっと笑った。
「生意気になりやがって」
【ノア】
あなたのせいです。
カマラは、そのやり取りを聞きながら、初めて少しだけ表情を緩めた。
外では、灰色の空が広がっている。
まだ、空を覆うほどのヘリはない。
世界中の輸送機が集まったわけでもない。
戦争を買い取るには、あまりにも小さな第一便だった。
だが、その一機が飛ぶことは決まった。
食料と薬だけではない。
水だけでもない。
その機体には、世界がもう一度レオ・グラントを信じてしまったという事実が積まれていた。
