
第一便
カマラの拠点に設置された大型モニターでは、世界各地から動き始めた支援機の情報が表示されていた。
アメリカ発の民間輸送ヘリ。
スイス支援団の医療輸送機。
北欧系財団が手配した補給機。
企業連合が用意した大型輸送機。
金爆弾。
レオがそう呼んだ作戦は、すでに世界中の資金提供者とシビックナビゲーターを巻き込み始めていた。
だが、画面上の表示は赤く染まっている。
【出発保留】
【空域確認中】
【政府間調整中】
【保険審査停止】
【運航許可待機】
レオは、眉をひそめた。
「何だ、これ」
通信端末から、ノアの声が入った。
【ノア】
状況が変わりました。
アメリカ政府が、紛争地域への未承認支援輸送に制限を発表しました。
同時に、各国政府、航空会社、保険会社にも牽制が入っています。
「なんだと?」
レオの声が低くなる。
「ふざけんな。金も物資も集まってる。今さら止められるかよ」
【ノア】
アメリカ政府は、あなたの作戦が現地勢力への利益供与や、紛争拡大につながる可能性があると見ています。
正規ルートの便は、大半が一時停止しています。
「抜け道を探せ」
【ノア】
探しています。
ただし、第一波は大幅に遅れます。
レオは、端末を握りしめた。
「じゃあ、第一便はどうした」
数秒の沈黙。
【ノア】
安心してください。
一便だけ、こちらへ向かっています。
「一便?」
【ノア】
ジェイデンさんたちが、非合法にヘリを出しました。
元ギャンググループの協力者も動いています。
正規ルートを外れ、通信を絞って飛行しています。
もうすぐカマラ側の投下圏へ入ります。
レオは、一瞬だけ固まった。
「あの野郎……」
【ノア】
これで、ジェイデンさんたちも犯罪者です。
ノアの声は静かだった。
【ノア】
あなたが裏切った彼らが、ここまでしてくれました。
「……頼んじゃねえよ」
レオは吐き捨てるように言った。
だが、声はわずかにかすれていた。
【ノア】
そうかもしれません。
でも、彼らは来ました。
だから、この作戦は必ず成功させなければなりません。
「んなことは分かってんだよ!」
レオは叫んだ。
次の瞬間、顔を背ける。
誰にも見えない角度で、目元を乱暴に拭った。
「……くそ」
ジェイデン。
マヤ。
ノア。
エヴァ。
あいつらは、自分を許したわけではない。
それでも来た。
自分が始めた狂った作戦を、成立させるために。
カマラが横目でレオを見る。
「泣いているのか」
「黙れ」
「神の子も泣くのだな」
「黙れって言ってんだろ」
レオは、モニターに映る一つの機体表示を睨んだ。
たった一便。
だがそれは、世界中の正規ルートが止まりかけた中で、最初に戦場へ突っ込んでくる一便だった。
レオは歯を食いしばる。
「やってやるぜ」
低く、呟いた。
「絶対に成功させてやる」
夜明け前の空に、低い振動音が響き始めた。
地面に座り込んでいた子供が顔を上げる。
水の入っていない容器を抱えていた女が、立ち止まる。
見張り台の兵士が、双眼鏡を空へ向ける。
やがて、灰色の空の向こうから、一機のヘリが姿を現した。
「来た……」
誰かが呟いた。
モニターには、二つの投下地点が表示されている。
【投下地点A:カマラ側居住区北部】
【投下地点B:避難民仮設区域東部】
【積載物:医薬品/浄水剤/保存食/衛生用品/簡易通信端末】
通信端末から、ノアの声が入る。
【ノア】
第一便は非合法便です。安全確認と受領記録を優先してください。
投下地点Aには医療担当者と住民代表を配置済み。
投下地点Bにはカマラ側の護衛班を配置しています。
ただし、東側から小規模武装部隊が接近中です。
カマラの顔が険しくなる。
「どこの部隊だ」
【ノア】
識別情報が足りません。車両三台。二十名以上。投下予定時刻までに接触する可能性があります。
「投下地点Bを変更しろ」
カマラが即座に言った。
【ノア】
変更には機体側の再計算が必要です。通信も不安定です。
投下が遅れれば、地点Aの受け取りも危険になります。
「なら護衛を増やす」
カマラが部下へ指示を出そうとした、その時だった。
「やめろ」
レオが言った。
「何?」
「護衛を増やすな」
カマラが振り返る。
「敵部隊が近づいている。あそこには避難民もいる」
「分かってる」
「分かっていて、奪わせる気か」
レオは、空を見たまま笑った。
「そのための第一便だ」
「お前の友人たちが、死を賭けて飛ばした物資だぞ」
「ああ」
「それを敵に渡すのか」
レオは、ほんの一瞬だけ黙った。
「だからこそだ」
カマラは目を細める。
「どういう意味だ」
「これをただ配っただけなら、世界は拍手して終わる」
「アメリカは危険だと言い続ける」
「他の国は様子見を続ける」
「次のヘリは飛ばねえ」
レオは、接近するヘリを見上げた。
「だが、この一便が敵に奪われて、それでも敵の中から要請が返ってきたらどうなる」
「物資を奪う兵士まで動いたと世界に見せられる」
「ジェイデンたちが犯罪者になってまで飛ばした意味が、ただの支援じゃなくなる」
「住民の物資を餌にするのか」
「餌じゃねえ」
レオの目が鋭くなる。
「招待状だ」
奪われる物資
投下地点Aでは、最初の支援箱が無事に受け取られた。
白い布を広げた地面へ、箱がいくつも降ろされる。
医療担当者たちが駆け寄り、住民が少し離れた場所から見守っている。
箱が開けられた。
包帯。
消毒液。
解熱剤。
浄水剤。
小分けにされた保存食。
歓声は上がらなかった。
代わりに、何人もの女性がその場へ座り込み、顔を覆った。
ようやく届いた。
本当に届いた。
一方、投下地点Bでは、支援物資が地面へ到達した直後、砂煙が上がった。
車両三台。
武装した男たち。
粗末な装備を身につけた若い兵士たち。
カマラ側の護衛班が銃を構える。
【カマラ側現地部隊】
敵部隊接近! 物資を回収します! 交戦許可を!
「許可するな!」
レオが叫んだ。
カマラがレオの肩を掴む。
「避難民がいるのだぞ!」
「だから撃つなって言ってんだ!」
【カマラ側現地部隊】
しかし、このままでは物資が――
「奪わせろ!」
レオの怒声が、通信越しに響いた。
「住民を下げろ! 物資は置いていけ! 絶対に撃つな!」
護衛班は迷った。
カマラが目を閉じる。
そして、低く言った。
「……従え。住民を下げろ。交戦は禁止だ」
【カマラ側現地部隊】
了解……!
護衛班が後退する。
敵部隊は、ほとんど抵抗を受けることなく支援箱へ殺到した。
兵士たちの動きは、軍事行動というより飢えた群衆に近かった。
箱を開ける。
保存食を掴む。
水用の薬剤を投げ捨てようとして、別の兵士が拾う。
医薬品の箱を車両へ積む。
通信端末を見つけ、意味も分からず持ち去る。
その映像を見て、カマラの部下の一人が歯を食いしばった。
「奴ら……」
レオは、画面を凝視していた。
奪った兵士の一人が、その場で保存食の封を切っている。
上官が怒鳴りつけた。
それでも男は手を止めなかった。
口へ詰め込む。
もう一つを懐へ入れる。
おそらく、誰かへ持って帰るために。
「見ろよ」
レオは低く笑った。
「司令官の命令より先に、腹が動いてる」
「だから何だ」
カマラの声は怒りで震えていた。
「あれを見て、成功だとでも言う気か」
「まだ成功じゃねえよ」
レオは、簡易通信端末の位置情報を確認した。
「でも、届いた」
「物資が奪われただけだ」
「違う」
レオは端末を操作する。
「俺の声が、あいつらの手元に届いたんだよ」
食え
奪われた簡易通信端末の一つが、敵部隊の車両の中で起動した。
兵士の一人が驚いて手を離す。
小さな画面に、レオ・グラントの顔が映った。
現地語へ変換された音声が、端末から流れ始める。
「よう。俺の荷物を奪った奴ら」
「腹は満たせたか?」
兵士たちが顔を見合わせる。
上官らしき男が端末を取り上げようとする。
だが、別の箱に入っていた端末も同時に起動した。
さらに別の端末も。
複数の車両の中で、レオの顔が一斉に表示される。
「安心しろ。返せとは言わねえ」
「その飯は食え」
「薬も使え」
「家族がいるなら持って帰れ」
「お前らが奪ったからって、俺は怒らねえ」
敵部隊の兵士たちは、言葉を失っていた。
支援物資を奪えば、普通は報復が来る。
追撃される。
撃たれる。
次の物資は来なくなる。
だが、画面の男は笑っている。
「だが、覚えとけ」
「今回降ってきたのは、たった一便だ」
レオの背後には、別の映像が重ねられていた。
飛行許可を待つ支援機。
出発保留になった輸送ヘリ。
スイスと北欧の支援団。
アメリカ政府の制限発表。
そして、非合法で飛んだジェイデンたちのヘリ。
「空には、まだいくらでも飯がある」
「水も、薬も、家も、畑を戻す道具も、全部だ」
「今は止められてる」
「だが、お前らが動けば、世界は止められなくなる」
上官が端末を地面へ叩きつけた。
「消せ!」
しかし一つを壊しても、別の端末から声が続く。
「お前らの司令官が食わせてくれる量より、俺が落とす量の方が多くなる」
「奪い続けてもいい」
「だが、そのうち分かる」
「奪うために銃を持つより、次の便を守るために銃を持つ方が、ずっと得だってな」
若い兵士の一人が、動きを止めた。
手には、小分けされた保存食が握られている。
「銃を捨てろとは言わねえ」
「綺麗な人間になれとも言わねえ」
「俺は、お前らが何をしてきたかなんて知らねえ」
「ただ、次の飯が欲しいなら、次の薬が欲しいなら、家族を安全な場所へ連れていきたいなら――」
レオは、画面の向こうで笑った。
「カマラへ連絡しろ」
「お前らの部隊ごと、俺が買ってやる」
映像が終わった。
車両の中には、誰も声を出せない空気が残った。
「聞くな!」
上官が叫んだ。
「これは敵の罠だ! 食料は全て集めろ! 端末を持っている者は今すぐ渡せ!」
兵士たちは動き始めた。
だが、その動きは明らかに遅かった。
一人は保存食を衣服の下へ隠した。
一人は医薬品の箱を見つめたまま、手放さなかった。
一人は壊されていない端末を、車両の座席の下へ滑り込ませた。
ほんの数分前まで、彼らに選択肢はなかった。
司令官へ従うか。
奪うか。
死ぬか。
そこへ初めて、別の言葉が落ちてきた。
部隊ごと、買ってやる。
作戦ではない
カマラの拠点では、重い沈黙が続いていた。
レオは椅子へ座っている。
いつものように笑っているが、その目の奥にはわずかな焦りがあった。
ジェイデンたちが飛ばした一便を、敵に奪わせた。
成功しなければ、ただの裏切りだ。
「な?」
レオが言った。
カマラは答えない。
「物資が奪われたことを、世界中へ見せた」
「奪った奴らへ、次は敵としてじゃなく客として声をかけた」
「これであいつらの中には、次の便を待つ奴が出る」
「お前は……」
カマラは、拳を握った。
「友人が命を賭けて飛ばした物資を、敵兵への宣伝に使った」
「半分は届いただろ」
「届かなかった者がいる」
「次で十倍届かせる」
「次が来る保証などない!」
「来させるんだよ!」
レオは立ち上がった。
「今の映像を見た世界が、どう思う?」
「やっぱり物資は奪われた。レオの作戦は失敗だ。そう思う奴もいるだろうな」
レオは、画面を指差した。
そこには、投下地点Aで薬を受け取る住民と、投下地点Bで保存食を掴む敵兵の映像が同時に表示されている。
「でもな、同時に見えるんだよ」
「あいつらだって、飯が欲しくて奪っただけだってな」
「住民も兵士も、同じ食料に群がってる」
「だったら、もっと落とせって言う奴が出る」
「兵士までこっちへ来るなら、もっと金を出せって言う奴が出る」
「人の飢えを映像にして、また世界を煽るのか」
「そうだよ」
レオは、少しも迷わなかった。
「それで飯が届くならな」
カマラは、その言葉に何も返せなかった。
正しいとは思わない。
美しいとも思わない。
だが、支援物資が一台ずつ消えていった昨日までとは違う。
奪われた事実すら、次の物資と次の転向を呼ぶ材料へ変えようとしている。
「レオ」
「何だ」
「これは、作戦ではない」
レオは首を傾げた。
「何だって?」
「狂気だ」
レオは笑った。
「今さら気づいたのかよ」
ノアの到着
その頃、ノアを乗せた小型機は、カマラ側拠点から離れた臨時滑走路へ着陸していた。
着陸と同時に、ノアの端末へ大量の情報が流れ込む。
【投下地点A:受領完了/医療対応開始】
【投下地点B:物資の大半を敵部隊が奪取】
【簡易通信端末:複数台起動確認】
【レオ・グラントによる敵部隊向け放送実施】
【世界配信視聴数:急上昇】
【アメリカ国内トレンド:USA/ジェイデンを止めるな/金爆弾を飛ばせ】
【スイス・北欧共同声明:人道輸送制限の再検討を要請】
【非合法支援便の追随:複数確認】
【追加支援応答:急増】
情報収集チームの一人が声を上げる。
「ノア! アメリカ国内でジェイデンさんのヘリ映像が拡散しています!」
別のスタッフが叫ぶ。
「コメントが……USA、USAも一色です!ジェイデンたちの勇気が完全に伝染している!」
「非合法便の追随も出ています! 複数の民間機が正規許可を待たずに動こうとしています!」
「スイスと北欧が、アメリカへ正式に制限解除を求めています!」
ノアは歩きながら画面を見た。
医薬品が失われた。
避難民へ届くはずの食料が奪われた。
だが、敵部隊の兵士へレオの声が届いた。
そして、映像を見た世界が再び反応し始めている。
「レオさんらしい」
ノアは呟いた。
「最悪の方法で、最も大きな結果を引き出そうとする」
「これ、成功なんですか?」
チームメンバーが尋ねた。
ノアは首を振った。
「まだ分かりません」
「敵部隊が本当に動くかは不明です。物資を得たことで、逆に司令官の支配力が強まる可能性もあります」
「次の便が同じように奪われ続ければ、支援者の熱は冷めます」
「現地住民が、敵兵ばかり優遇されていると感じれば、保護区の信頼も崩れます」
「じゃあ、どうするんですか」
「成功条件を作ります」
ノアは端末を操作する。
「後続便からは、ただ奪わせるだけでは駄目です」
「物資を得る条件を明確にする」
「住民への攻撃停止」
「輸送路の一定時間保護」
「負傷者の移送許可」
「家族単位での保護申請」
「部隊転向の意思確認」
ノアの目は冷静だった。
「レオさんは、敵側へ扉を開けました」
「その扉から何を通すかは、僕たちが設計します」
その時、カマラ側拠点から緊急通信が入った。
【未確認通信を受信】
【発信元:投下地点B周辺武装部隊】
【内容翻訳中】
ノアは足を止めた。
数秒後、翻訳された文章が表示される。
【要請】
我々は東部第七検問部隊である。
負傷者十二名と、兵士家族四十三名がいる。
医薬品と食料の継続提供が本当に可能なら、次の輸送路を四十八時間攻撃しない。
ただし、部隊全体の移動には安全保証が必要である。
交渉相手を提示してほしい。
チームメンバーが息を呑んだ。
「本当に……来た」
ノアは、すぐに返信画面を開いた。
しかし送信する前に、一度だけ手を止める。
「まず、カマラへ確認を取ります」
「レオさんへ先に見せると、即座に全世界へ叫びかねない」
「でも、これは――」
「分かっています」
ノアは、ほんの少しだけ笑った。
「第一部隊目です」
一部隊目
カマラの拠点へ、ノアたちの車両が到着した。
扉が開く前に、レオが外まで出てきた。
「遅えぞ、ノア!」
ノアは荷物を抱えたまま、車両から降りる。
「第一便を勝手に敵側への宣伝へ使う方が、よほど早すぎます」
「結果は出ただろ」
「結果が出たから許されるとは限りません」
「相変わらず面倒くせえな」
「あなたほどではありません」
レオは笑った。
「で? 手土産はあるのか?」
ノアは端末を開き、通信内容を表示した。
レオが文章を読み進める。
負傷者十二名。
兵士家族四十三名。
輸送路を四十八時間攻撃しない。
部隊移動には安全保証が必要。
交渉相手を提示してほしい。
レオの顔から笑みが消えた。
ほんの一瞬だった。
次の瞬間、その笑みは、今まで以上に深く戻ってきた。
「カマラ」
カマラは、レオの持つ端末を見ていた。
「何だ」
「司令官一人を買っても、その下の兵士と家族を食わせられねえって言ったよな」
「ああ」
レオは、端末をカマラへ投げ渡した。
「食わせようぜ」
「……」
「こいつらが一部隊目だ」
カマラは、表示された文章を読み終えても、しばらく黙っていた。
レオは外へ出る。
空には、まだ次のヘリは見えない。
だが、敵だった兵士たちが、初めてこちらへ要請を送ってきた。
奪うためではない。
家族を生かすために。
神の子は、扉を蹴破った。
そして、その壊れた扉の前に、ようやく扉を通れる形へ整える者が現れた。
その時、モニターに新しい通知が流れた。
【アメリカ政府:人道輸送制限の一部見直しを発表】
【スイス・北欧支援機:出発許可確認中】
【非合法追随便:複数が正規登録へ切替申請】
【航空輸送:後続支援便が投下条件確認中】
レオは、それを見て笑った。
「ほらな」
ノアが答える。
「まだ空を覆うには足りません」
「分かってるよ」
レオは、煙の残る空を見上げる。
「だから、もっと飛ばす」
一機目は奪われた。
だが、奪った者の中から、初めて戦争の外へ手を伸ばす声が届いた。
金爆弾はまだ、戦争を買い取ってなどいない。
ただ、戦争の値札に、最初のひびが入った。
