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投票は民主主義の悪なのか?争う多数決から合論型投票システムGVSへ

選挙で投票したあと、「自分の意思が政治に反映された」と感じたことはあるでしょうか。

候補者を選び、政党を選び、確かに一票は投じています。

しかし、税金の使い道、社会保障、物価対策、働き方、防災、教育、外交など、自分の生活に直接関係する問題について、「自分も決定に参加している」という実感を持てているでしょうか。

自分が投票した候補者が当選しても、すべての政策に賛成できるわけではありません。

反対に、支持していない候補者が当選すれば、その後の意思決定に自分が関われている感覚はさらに薄くなるかもしれません。

選挙が終われば、次の選挙まで政治を見ているだけになる。

私たちは投票する権利を持っています。

しかし、本当に「社会を一緒に動かしている」と言えるのでしょうか。

この問題は、政治に詳しい人だけのものではありません。

あなたが払う税金も、働く環境も、社会保険料も、道路も、防災も、医療も、教育も、社会の意思決定によって形が決まります。

つまり、投票制度のあり方は私たちの日常そのものに関係しています。

シビックドライブでは、現在の民主主義を否定するのではなく、投票という仕組みをさらに発展させる必要があると考えています。

そのために考えているのが、GVSです。

GVSとは「合論型投票システム」です。

ただし、ここでいう合論は、意見の違う人が妥協したり、A案とB案を混ぜてC案を作ったりすることではありません。

中心にあるのはもっと単純です。

「私は何をするのか」

「それを実行するために、他の人に何をしてほしいのか」

この二つを話すことです。

そして、そのコミュニケーションを十分に行ったうえで、代表者と代表となる実行案を投票で選びます。

投票をなくすのではありません。

投票するまでの過程を変えるのです。

目次

あなたの一票は、本当にあなたの意思を表しているのか

現在の選挙では、候補者や政党を選びます。

しかし、一人の候補者が掲げる政策すべてに賛成している人はどれほどいるでしょうか。

経済政策には賛成だけれど、外交政策には反対。

子育て支援には賛成だけれど、財源の考え方には納得できない。

社会保障は維持してほしいけれど、負担は増やしてほしくない。

人間の考えは本来もっと複雑です。

それでも投票では、一人の候補者や一つの政党を選ばなければなりません。

そして選挙が終わると、

「この候補者が支持された」

「この政党が国民から選ばれた」

という結果になります。

しかし、その一票に込められていた細かな意思までは分かりません。

しかも、投票者同士が十分に話し合ったわけでもありません。

隣に住んでいる人が誰を支持し、なぜその人を選んだのかも知らないまま、一人ずつ投票所へ行きます。

それでも最終的には、一つの大きな数字として集計されます。

だからこそ、

「投票はしたけれど、自分が政治に参加した感じがしない」

という感覚が生まれるのではないでしょうか。

多数決は必要だが、多数を取った人が正しいわけではない

100人でA案とB案を投票したとします。

A案51票。

B案49票。

多数決ならA案が採用されます。

しかし、この結果から分かるのは、A案を選んだ人が2人多かったということです。

A案が絶対に正しく、B案が間違っていることを証明したわけではありません。

それでも制度上は、

Aが勝ち、

Bが負けます。

多数決には大きな利点があります。

全員一致を待たなくても物事を決められることです。

期限のある意思決定では、最終的に投票が必要になる場合があります。

シビックドライブも、多数決そのものをなくそうとは考えていません。

問題は、十分なコミュニケーションがないまま、いきなり勝者を決めてしまうことです。

投票が「誰が悪いか」を決めるゲームになっていないか

政治について話すと、

「あの政治家が悪い」

「あの政党が悪い」

「支持している人がおかしい」

という話になりやすいことがあります。

SNSでも同じです。

一つの問題について、

賛成派と反対派。

右と左。

与党と野党。

味方と敵。

という形に分かれていきます。

しかし、そこで少し考えてみてほしいのです。

政治家を批判したあと、自分の生活は何か変わったでしょうか。

相手を論破したあと、社会問題は一つでも解決したでしょうか。

もちろん批判が必要な場面はあります。

不満も怒りも、問題を発見する大切なサインです。

問題なのは、その後です。

「誰が悪いか」

という話から先へ進めなくなると、私たちは社会を変える主体ではなく、社会を評価する観客になってしまいます。

多くの人が「自分でやる勇気」を失っているのではないか

赤ん坊は、何度失敗しても立とうとします。

転んだからといって、

「自分には歩く才能がない」

とは考えません。

何度も挑戦するからこそ、歩き方を覚え、話し方を覚え、さまざまなことを習得していきます。

シビックドライブでは、人間は本来、このように挑戦する力を持っていると考えます。

ところが成長するにつれて、私たちは失敗を非難される経験をします。

間違えれば笑われる。

失敗すれば責められる。

意見を言えば否定される。

競争に負ければ能力がないと評価される。

こうした競争的なコミュニケーションが続けば、

「自分がやってみます」

と言うこと自体が怖くなっても不思議ではありません。

その結果、

「誰かがやるべきだ」

「政府が悪い」

「会社が悪い」

「世の中がおかしい」

という言葉へ逃げてしまうことがあります。

シビックドライブでは、これを道徳的に責めようとは考えません。

むしろ、挑戦する勇気を失っているのであれば、もう一度その勇気を取り戻せる仕組みを作ればいいと考えます。

そのためのコミュニケーションが「合論」です。

合論の元になっている「悪いあの人」「かわいそうな私」「これからどうするか」

合論の発想の元になっているものの一つが、アドラー心理学で知られる「三角柱」の考え方です。

人が悩みを話すとき、

「悪いあの人」

について話すことがあります。

あの上司が悪い。

あの政治家が悪い。

家族が理解してくれない。

会社がおかしい。

もう一つは、

「かわいそうな私」

です。

自分はこんな目に遭った。

自分だけ損をしている。

誰も理解してくれない。

この二つの話を延々と続けても、状況が変わらない場合があります。

そこで視点を変えます。

「では、これからどうするか」

です。

シビックドライブの合論も、この考え方を基礎にしています。

不満を言ってはいけないわけではありません。

批判してはいけないわけでもありません。

苦しいときに「苦しい」と言うことも必要です。

しかし、そこで終わらせません。

「では、自分はこれから何をするのか」

へ進みます。

合論では「実行案」と「要請案」で話す

GVSの合論では、参加者の発言を大きく二つに分けます。

実行案と要請案です。

アプリでは、実行案を「Drive」、要請案を「Support」と表記します。

基本的に参加者は、この二つの形で回答します。

Driveは、

「私は○○します」

という、自分自身が実行する形で表現する実行案です。

Supportは、そのDriveに伴って、

「○○をしてほしい」

と他の参加者へ伝える要請案です。

つまり、

「政府は何とかしろ」

ではなく、

「私は何をするのか」

「そのために何をしてほしいのか」

を話します。

これが合論の基本です。

ただし、ここで重要なのは、Driveを書いた瞬間に現実の実行を約束したことになるわけではないという点です。

GVSはまず、実行案を自由に出し合う合論の空間です。

実際に何を実行するかは、その後の段階で決まります。

だからこそ、「今の自分には難しいかもしれない」と感じるようなDriveでも、まずは案として出すことができます。

最初から実現可能性だけで自分の発想を狭めないことも、勇気を取り戻すためには重要です。

Driveは「やります」だけでは終わらない

Driveには重要な条件があります。

実行した結果を、他の人へ伝えるところまで含めます。

例えば、

「私はこの制度について調べます」

だけでは完結しません。

調べた本人だけが詳しくなっても、その成果が社会へ広がらないからです。

そこで、

「私はこの制度について公的資料を調べ、分かったことを公開します」

とします。

あるいは、

「私は地域の避難所を確認し、設備や問題点をまとめて公表します」

という形です。

実行する。

結果を得る。

それを共有する。

その情報を見た別の人が、さらに次の実行案を考えられるようになる。

そこまで含めた形でDriveを作ります。

Supportは、人々を「仲間」に変えるための要請案

Supportは、一人ではできないことを誰かに手伝ってもらうためだけの仕組みではありません。

もっと大きな目的があります。

人々を同じ問題に関わる仲間へ変え、社会を実際に動かすムーブメントを作ることです。

一人の人がどれだけ良いDriveを考えても、その人だけが動いて終われば、大きな社会変化にはつながりにくいでしょう。

しかし、

「私はこれをします」

というDriveに続けて、

「あなたにはこれをしてほしい」

というSupportを出せば、他の人にも参加する役割が生まれます。

見るだけだった人が、同じ課題に関わる人へ変わります。

さらにその人から新しいDriveやSupportが生まれれば、関係する人が増えていきます。

シビックドライブでは、この考え方にアドラー心理学の「共通の課題」という発想も参考にしています。

最初は一人の問題だったものを、

「これは私たちが一緒に取り組む課題だ」

という状態へ変えていく。

そのための接続点がSupportです。

例えば、

Drive

「私は地域の避難所を確認し、設備や問題点をまとめて公開します」

に対して、

「近くの避難所について情報を提供してほしい」

「自治体が公開している防災資料を知っている人は教えてほしい」

「高齢者が避難するときに困ることを教えてほしい」

というSupportを出します。

すると、一人の調査ではなくなります。

別の人が情報を出す。

別の人が現地を確認する。

別の人が結果を広める。

そこからさらに別の実行案が生まれる。

こうして、一つのDriveを中心に人々が関係を持ち、共通の課題へ参加していきます。

つまりSupportの役割は、

「足りない能力を補ってもらうこと」

だけではありません。

人と人を結びつけ、

「私の問題」を「私たちの課題」へ変え、

一致団結したムーブメントへ育てていくことです。

Supportは単なる応援や支援という意味ではありません。

Driveに伴って、他者にしてほしいことを具体的に伝える正式な「要請案」です。

愚痴や批判を書いても、アプリが合論できる形へ変換する

とはいえ、すべての人が最初から、

「私は○○を実行し、その結果を公開します」

と書けるわけではありません。

むしろGVSが必要なのは、そこまで整理できていない人です。

例えば、

「政治家は国民の生活を全然分かっていない」

と入力したとします。

GVSアプリでは、その文章をそのまま誰かへの攻撃として流すことを基本にしません。

NVC診断などを使い、その発言の背景に何があるのかを整理します。

生活への不安なのか。

自分の意見が届かない苦しさなのか。

政策について知りたいのか。

そして、そこからDriveやSupportの候補を提示します。

例えば、

「私は生活費に関係する政策について調べ、分かったことを公開します」

といったDrive候補です。

利用者は、AIに命令されるわけではありません。

複数の変換候補を確認し、自分の意思に近いものを選びます。

罵倒や攻撃的な言葉を入力した場合も、そのまま他者へぶつけるのではなく、合論に使える形へ変換します。

つまりAIが人間に「こうしなさい」と答えを与えるのではありません。

不満や怒りの奥にあるものを整理し、

「では、これからどうするか」

という言葉へ変える手伝いをします。

合論にはカウンセリング的な役割がある

ここまで見ると、合論が単なる会議方法ではないことが分かります。

不満を、

実行案へ変える。

批判を、

次の行動案へ変える。

「誰かが悪い」を、

「自分はこれから何をするか」へ変える。

そしてSupportによって、

「自分一人の問題」を、

「仲間と取り組む共通の課題」へ変えていく。

その小さな変化によって、人は自分にも何かできると感じられるかもしれません。

シビックドライブでは、合論にこうしたカウンセリング的な役割も持たせようと考えています。

社会問題を解決する以前に、人が挑戦する勇気そのものを取り戻す。

そして一人で頑張るのではなく、仲間と一緒に社会へ働きかける。

それが重要だからです。

なぜ100人ではなく5人程度なのか

ここでGVSの仕組みにつながります。

GVSでは、原則として5人程度の匿名ルームで合論します。

なぜ5人程度なのでしょうか。

100人の前で、

「私はこうします」

と発言するのは勇気が必要です。

しかし5人なら、少し話しやすくなります。

大勢の中では一人の傍観者になってしまう人でも、小さなグループなら自分の発言する番があります。

他の人の話も聞きやすい。

反応も返ってくる。

コミュニケーションそのものを楽しみやすくなる。

こうした小さな経験が、

「自分も参加していい」

「自分も何か考えてみよう」

という勇気につながることをGVSでは目指します。

これは単に会議を効率化するための5人制ではありません。

一人ひとりの主体性を守るための5人制です。

なぜ匿名なのか

匿名にする理由も、挑戦する勇気を守るためです。

実名で、

勤務先も分かり、

周囲の人間関係も分かる状態なら、

「こんなことを言ったらどう思われるだろう」

と考えてしまいます。

さらに、

「そんなことを言ったのだから、お前が責任を持って最後までやれ」

と言われるのであれば、大胆な実行案ほど出しにくくなります。

そこでGVSでは、発言した内容そのものについて、現実の実行責任を負わせません。

「私は○○します」

という形のDriveを書いても、それは契約ではありません。

発言した瞬間に、本当に自分が実行しなければならなくなるわけでもありません。

今の自分には到底できないと思うようなことでも、実行案として出して構いません。

重要なのは、

「そんなことは自分にはできない」

と最初から自分で可能性を閉じるのではなく、

「もしやるとしたら、どんなDriveになるだろう」

と自由に考えることです。

GVSは、最初から人間に現実的な約束だけを要求する場所ではありません。

まず自由に案を出し、合論し、投票し、その中から現実につなげるものを選んでいく場所です。

匿名だから、何を言ってもいいのか

この意味では、GVS内で発言したことについて「発言したのだから責任を取れ」と求めることはしません。

しかし、それは罵倒や攻撃をそのまま相手へぶつける掲示板を作るという意味ではありません。

そもそもGVSでは、不安、愚痴、批判、罵倒などをそのまま流すのではなく、システム側でDriveやSupportなど合論可能な形へ変換します。

つまり、

「発言者に責任を負わせることで秩序を作る」

のではなく、

「コミュニケーションの形式そのものを変えることで、攻撃ではなく実行案と要請案へ変える」

という考え方です。

だからこそ、利用者は失敗や非難を恐れず、大胆な案を出せます。

匿名性によって守りたいのは、まさにこの自由です。

「発言したなら責任を持て」は本当に責任なのか

誰かが新しい案を出したとき、

「お前が言い出したんだから責任を取れ」

と言われれば、次から案を出す人は減っていきます。

失敗したときに、

「だからお前の案は駄目だった」

と非難されるなら、最初から安全なことしか言わなくなるでしょう。

それでは新しい挑戦は生まれません。

シビックドライブでは、責任を別の意味で捉えます。

責任とは、非難を受けることではありません。

失敗したときに、

何が悪かったのかを学び、

その失敗を次の挑戦へ生かすことです。

だからGVSの合論段階では、まず発言責任を求めません。

大胆なDriveを出していい。

結果的に選ばれなくてもいい。

現実にはできない案を出してもいい。

そこから参加者が考え、投票し、より大きな合論へつなげていきます。

そして実際の挑戦で失敗したとしても、必要なのは失敗した人を責めることではなく、次にどう改善するかを考えることです。

失敗を罰する社会では、挑戦する人は減っていきます。

失敗を次の挑戦へ変えられる社会なら、挑戦する人を増やすことができます。

十分に話したあと、一人の代表者と一つの代表Driveを選ぶ

そして、ここからがGVSが「投票システム」である理由です。

5人程度の匿名ルームで合論したあと、参加者は投票します。

選ぶものは二つです。

一人の代表者。

そして一つの代表Driveです。

大きな違いは、いきなり投票していないことです。

それまでに参加者は、

自分はどんなDriveを出したいのか。

どんなSupportを出したいのか。

他の参加者は何を考えているのか。

誰の考えを次の段階へ持っていきたいのか。

を少人数で確認しています。

そのうえで投票します。

現在の選挙のように、ほとんど会話したことのない何百万人もの人が別々に票を投じるのとは、かなり違う投票になります。

代表者同士が、また5人程度で合論する

一つのルームで選ばれた代表者は、そこで終わりではありません。

各ルームから選ばれた代表者同士で、また5人程度の新しいルームを作ります。

そこで再び合論します。

そして、

代表者と代表Driveを選びます。

さらにその代表者同士で次のルームを作る。

これを繰り返します。

例えば非常に多くの人が参加しても、

最初から全員を一つの巨大な議論へ押し込む必要がありません。

5人程度の小さなコミュニケーションを積み重ねながら、少しずつ意思を集約していきます。

一人ひとりが参加しやすい小ささと、大規模な意思決定を両立させるための構造です。

選ばれなかったら、その人の政治参加は終わりなのか

ここも現在の投票と大きく違うところです。

代表者に選ばれなかった人が、その時点で完全に切り離されるわけではありません。

次の合論ルームに直接参加するのは代表者です。

しかし、元の参加者は代表者へ、

「次の合論でこの点について聞いてほしい」

「この情報も伝えてほしい」

「この資料を確認してほしい」

といった伝達や確認を依頼できます。

つまり、

代表者を選んだら全部お任せ

ではありません。

代表者を通して、次の段階にも関わり続けます。

自分の意思がどこへ行ったのか分からなくなるのではなく、代表者との関係が残ります。

政治家を選ぶGVSなら、何が変わるのか

政治家を選ぶ場合を考えてみましょう。

現在の政治では、

「この政治家は良い」

「この政治家は悪い」

「この政党を支持する」

「この政党には絶対に投票しない」

という話になりがちです。

GVSでは、それだけで終わらせません。

例えば、

「私はこの政治家の公約について公的資料を調べ、分かったことを発信します」

というDriveを出します。

そして、そのDriveに伴って、

「公約について補足できる資料を知っている人は教えてほしい」

というSupportを出すことができます。

すると政治家について考えることが、単なる好き嫌いや善悪論から変わります。

公約を調べて発信するDriveを考える。

別の人が資料提供を求めるSupportを出す。

他の参加者のDriveを見る。

その過程で、

「自分は本当は何を望んでいるのか」

「誰を代表者として選びたいのか」

が明確になっていきます。

そのうえで投票するのです。

本来「当選する」とは、その人をみんなで支えることではないか

現在の選挙では、政治家が当選しても、その政治家を国民全体が一緒に応援する状態にはなりません。

むしろ選挙が終わった瞬間から、

「私はあいつに投票していない」

「失敗したら辞めろ」

という対立が続くこともあります。

しかし、本来代表者を選ぶとは、

「あなたに代表してほしい」

ということではないでしょうか。

さらに言えば、

「あなたに全部任せます」

ではなく、

「私たちも一緒に考え、動きます」

という関係であってもいいはずです。

GVSでは、投票する前に十分な合論を行います。

参加者自身もDriveやSupportを出して考えます。

そのうえで代表者を選びます。

だから、選ばれた人に対して参加者が納得し、応援や協力を続ける可能性を高められると考えています。

選挙で勝っただけの人ではなく、

参加者の意思を背負い、参加者と関係を持ちながら進む代表者です。

政治家だけが政治をする国から、国民全員が政治に参加する国へ

現在は政治家が政治をし、市民は政治家を評価するという関係になりやすくなっています。

選挙で選ぶ。

ニュースを見る。

SNSで評価する。

次の選挙でまた選ぶ。

しかしGVSでは、市民自身も考える側へ入ります。

調査するDriveを出す。

発信するDriveを出す。

情報提供を求めるSupportを出す。

代表者へ意見を伝える。

そして投票する。

その後、選ばれたDriveを現実の活動へつなげていく。

そうなれば政治は、政治家だけの仕事ではなくなります。

国民一人ひとりが、自分のできる形で参加するものになります。

シビックドライブが目指しているのは、国民全員が政治家になる社会ではありません。

国民全員が政治の参加者になる社会です。

その状態になれば、政治家の役割も変わります。

国民から離れた場所で意思決定するお飾りの代表ではなく、市民の意思を受け取り、市民の協力を得ながら社会を動かす、本当の意味での国のリーダーになれるのではないでしょうか。

GVSは全員を同じ意見にするシステムではない

合論という名前から、

「全員で一つの意見にまとめるシステム」

と思われるかもしれません。

そうではありません。

人によって考えは違います。

何をしたいかも違います。

だからDriveも違います。

意見の違う人を無理に一つへまとめる必要はありません。

重要なのは、

相手が悪い。

自分が正しい。

という話だけで終わらず、

「では、これからどうするか」

という実行案を一人ひとりが考えることです。

そのうえで、次の段階へ進めたい代表者と代表Driveを投票で選びます。

合論は合意形成そのものではありません。

人が主体的に考え、仲間と共通の課題を作ったうえで投票するためのコミュニケーションです。

投票そのものが民主主義の悪なのではない

では、投票は民主主義の悪なのでしょうか。

シビックドライブでは、投票そのものが悪だとは考えていません。

むしろ大勢で物事を決めるためには、投票は非常に便利な仕組みです。

問題は、

投票しかないことです。

十分に話さない。

候補者について善悪を争う。

一票を入れたら終わる。

当選した後は政治家に任せる。

これでは、せっかくの民主主義でも市民が主体性を感じにくくなります。

GVSが変えようとしているのは、この投票までの過程と、投票した後の関係です。

不満を感じる。

その不満を言葉にする。

「これからどうするか」をDriveとして考える。

他の人にしてほしいことをSupportとして提示する。

少人数でコミュニケーションする。

代表者と代表Driveを選ぶ。

代表者を通して次の合論へつなぐ。

選ばれた案を現実の活動へつなげ、人々が共通の課題に取り組む。

この一連の流れまで含めて民主主義にできないか。

それがGVSです。

「誰が悪いか」から「これからどうするか」へ

私たちは社会に不満を持つことがあります。

会社に不満を持つこともあります。

政治家に腹が立つこともあります。

自分自身がつらくて、

「どうして自分ばかり」

と思うこともあります。

そう感じること自体を否定する必要はありません。

しかし、そこで人生を止める必要もありません。

悪いあの人。

かわいそうな私。

その二つだけではなく、

「これからどうするか」

という第三の方向を見る。

私はどんなDriveを出すのか。

そのDriveに伴って、どんなSupportを出すのか。

そして同じ問題に関心を持つ人たちと、小さな場所から話してみる。

そこで自分の考えが誰かに届く。

自分のDriveが選ばれるかもしれない。

別の人が選ばれても、その人を通じて次の段階へ関われる。

Supportによって、一人だった人に仲間ができる。

一人の不満だったものが、共通の課題になる。

そして共通の課題が、多くの人を巻き込むムーブメントへ変わっていく。

そうした経験を積み重ねることで、

「自分には社会を変える力がない」

と思っていた人が、

「自分にも社会に参加することができる」

と思えるようになる。

投票は、人を勝者と敗者に分けるためだけのものではありません。

人々が十分に考え、話し、仲間になったうえで、

「この人と一緒に進みたい」

「このDriveを次へ進めたい」

と決めるためにも使えるはずです。

争うための投票から、

一緒に社会を動かす人を選ぶ投票へ。

政治家だけが政治をする民主主義から、

市民一人ひとりが参加する民主主義へ。

そのための仕組みとしてシビックドライブが考えているのが、合論型投票システムGVSです。

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