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AIで仕事がなくなれば、私たちは自由になるのか?労働と市民の交渉力から考えるAI社会

もし明日、

「あなたの仕事は、もうAIとロボットだけでできます」

と言われたら、どう感じるでしょうか。

働かなくてよくなる。

毎朝決まった時間に起きなくていい。

満員電車にも乗らなくていい。

嫌な仕事を続けなくてもいい。

生活費まで保障されるのであれば、理想的な未来に見えるかもしれません。

しかし、別の見方もできます。

会社から、

「あなたがいなくても工場は動きます」

国家から、

「あなたが協力しなくても物流も発電所も通信網も動きます」

と言われる社会でもあります。

そうなったとき、市民は本当に自由なのでしょうか。

それとも、

社会から労働を必要とされなくなることで、社会に対して持っていた交渉力まで失うのでしょうか。

AIについて考えるとき、

「仕事がなくなるのか」

「新しい仕事が生まれるのか」

という議論はよくあります。

しかし、もう一つ考える必要がある問題があります。

AIによって、市民の力そのものは強くなるのか、弱くなるのか。

今回はそこを考えてみます。

目次

AIが仕事を速くしても、早く帰れるとは限らない

まず、AIが発展すれば自動的に労働時間が短くなる、とは限りません。

2025年に66社、7,137人の知識労働者を対象に行われた実験では、生成AIを実際に利用した労働者は、メールに使う時間が週に約2時間減り、通常の勤務時間外で働く時間も減りました。

しかし、それ以外の仕事量や仕事内容が大きく減ったわけではありませんでした。

2026年にILOがまとめた実証研究のレビューでも、生成AIによる時間節約は確認され始めている一方、それが今のところ明確な賃金増加や雇用減少、生産量増加などへそのまま表れているわけではないとされています。

つまり、

2時間の仕事が30分になった。

だから1時間30分早く帰れる。

とは限りません。

会社からすれば、

「それなら残りの1時間30分で別の仕事ができますね」

という使い方もできます。

AIが時間を作ることと、

その時間が誰のものになるか

は別問題なのです。

今のところ「人間の仕事が全部なくなる」とは言えない

逆に、

「近いうちにAIがほとんどの人間を失業させる」

と断定できる状況でもありません。

ILOの2025年の推計では、世界の労働者のおよそ4人に1人が、何らかの形で生成AIの影響を受ける可能性のある職業に就いています。

しかしILOは、現状では仕事そのものが丸ごとなくなるより、仕事内容が変化する可能性の方が高いとしています。

2026年の実証研究レビューでも、大規模な雇用消滅はまだ確認されていません。

だから、

「AIで人間の仕事はなくなる」

と決めつける必要はありません。

ただし、ここで考えたいのは未来予測ではありません。

仮にこれからAIとロボットがさらに発展し、人間の労働が大量に不要になった場合、

それは人間を自由にするのか

という問題です。

仕事は「お金をもらう場所」だけではない

仕事には、給料を得る以外の役割があります。

例えば会社が、

「賃金を大幅に下げます」

と言ったとします。

労働者は何もできないわけではありません。

会社を辞める。

労働組合を作る。

集団で交渉する。

場合によってはストライキする。

つまり、

「私たちが働かなければ、この会社は動かない」

ということ自体が交渉力になります。

ILOも、ストライキを労働者が経済的・社会的利益を守るための主要な手段の一つとして位置付けています。

ここでAIの問題が出てきます。

2024年のAmerican Economic Journalに掲載された研究では、自動化される可能性そのものが、賃金交渉における労働者の交渉力を弱める仕組みがモデル化されています。

企業から、

「あなたが嫌なら機械にやらせます」

と言われる可能性が高くなるほど、

「なら辞めます」

というカードは弱くなります。

つまり、

労働が不要になることは、収入だけでなく交渉力にも影響する可能性があります。

「社会参加の権利」がなくなるわけではない

ただし、ここは区別する必要があります。

仕事がAIに置き換わったからといって、

選挙権がなくなる。

言論の自由がなくなる。

政治活動ができなくなる。

というわけではありません。

したがって、

「仕事を失えば社会参加の権利も失う」

と表現するのは正確ではありません。

問題になるのは、

社会参加のための実質的な交渉手段の一つを失う可能性

です。

投票する権利はある。

意見を言う権利もある。

しかし、

「私たちが協力しなければ社会が動かない」

という力は弱くなるかもしれない。

権利があることと、

現実に社会を動かせることは、

必ずしも同じではありません。

人間が働かなくてもインフラが動く社会を考えてみる

少し極端な未来を想像してみましょう。

工場はロボットが動かす。

倉庫も自動化されている。

トラックは自動運転。

発電所も高度に自動化。

行政事務はAI。

ソフトウェア開発もAI。

大量の商品が、ほとんど人間の労働なしで作られています。

これは一面では素晴らしい社会です。

危険な工場で働かなくていい。

重い荷物を運ばなくていい。

長時間運転しなくていい。

退屈な書類作業もしなくていい。

しかし別の側面もあります。

人間が一斉に、

「この条件では働きません」

と言っても、

社会がほとんど止まらないかもしれません。

現在なら強力な交渉手段になる労働拒否が、将来はそれほど大きな力を持たなくなる可能性があります。

これはAIやロボットそのものが悪いからではありません。

社会を動かす設備を誰が所有し、誰が決定権を持っているか

によって意味が変わるからです。

戦争に反対しても「働かない」が通用しなくなる?

この問題は、安全保障について考えるとさらに分かりやすくなります。

仮に、国家が大きな軍事行動を始めたとします。

それを支持する市民もいれば、反対する市民もいるでしょう。

現在の国家や経済は、

工場、

交通、

物流、

港湾、

通信、

エネルギー、

行政、

多くの民間企業

など、大量の人間の労働によって支えられています。

そのため、市民や労働者が協力するかどうかは、社会を動かすうえで無関係ではありません。

しかし将来、

生産も輸送もエネルギーも情報処理も大部分が自動化されれば、

「協力しない」「働かない」という市民の抵抗手段は、今より弱くなる可能性があります。

これは「AIがあれば政府は市民を無視できるようになる」という予測ではありません。

国家には選挙、法律、税制、世論、司法、企業、市場など、ほかにも多くの関係があります。

また、完全自動化された社会が本当に実現するかも分かりません。

ここで考えたいのはもっと単純なことです。

市民の力の一部が「自分たちの労働が必要とされていること」から生まれているなら、それが不要になった社会では別の力が必要になるのではないか。

という問題です。

ベーシックインカムがあれば解決するのか

そこでよく出てくるのが、ベーシックインカムです。

AIやロボットが大量の仕事を代替するのであれば、

働かなくても生活できるお金を配ればいい。

これは一つの考え方です。

仮に十分な生活費が保障されれば、

「仕事がないから食べられない」

という問題は大きく減らせる可能性があります。

しかし、ここでも二つの問題を分ける必要があります。

生活できるか。

そして、

社会を動かす力を持っているか。

です。

例えば、

AIは巨大企業が所有している。

ロボットも巨大企業が所有している。

工場も企業が所有している。

エネルギーや通信など重要インフラも一部の組織が管理している。

市民には毎月生活費だけが支給される。

という社会を考えてみます。

生活はできます。

しかし市民は、

どの技術を開発するか。

どこへ投資するか。

何を生産するか。

AIを何に使うか。

社会の資本をどう配分するか。

という意思決定へほとんど参加できないかもしれません。

この場合、

所得は保障されても、市民の力まで保障されたとは限りません。

「養ってもらえる市民」と「力を持つ市民」は違う

これはベーシックインカムを否定する話ではありません。

生活保障には大きな意味があります。

しかし、生活保障だけで社会の仕組みを完成させてしまうと、

市民は、

「生産には必要ないけれど、生活費は渡される存在」

になる可能性があります。

それを自由と呼べるのか。

ここには議論の余地があります。

シビックドライブでは、

生活できることに加えて、

市民自身が社会を動かせること

が重要だと考えます。

つまり、

市民を守るだけではなく、

市民に力を持たせる。

この違いです。

国家間の競争が続くなら、AIは「人間を楽にするため」だけには使われない

さらに、AIの使い方を企業だけで考えることもできません。

現在、AIや半導体などの技術は経済だけではなく、国家安全保障とも強く結び付いています。

OECDは2026年の報告で、AIを防衛、情報、産業生産、デジタルインフラにも利用される汎用技術として扱い、各国がAIの技術力を競争力や国家安全保障と結び付ける動きが強まっていると整理しています。

また、経済安全保障そのものが、エネルギー、食料、重要インフラ、半導体、重要技術、サプライチェーンなどを守る問題として広がっています。

すると、AIによって生産性が2倍になったとしても、

「では国民の労働時間を半分にしよう」

だけが選択肢ではありません。

もっと生産する。

技術開発を加速する。

国内の生産能力を高める。

他国への依存を減らす。

軍事・安全保障能力へ利用する。

といった方向へ資源を使う動機もあります。

国家間や企業間の競争が続いている以上、

AIが生み出した余裕が、自動的に市民の自由時間へ変わるとは考えにくい

という問題があります。

人間には「AIができない仕事」だけが残るのか

さらに気になるのが、

どの仕事から自動化されるのか

です。

生成AIは現在、事務、文章作成、翻訳、画像、プログラミングなど、デジタル上で完結しやすい仕事に強く影響しています。

ILOの2025年の分析でも、事務系職種の生成AIへの曝露度は特に高く、専門・技術系の一部でも曝露が高まっています。

すると一つの可能性として、

エアコンの効いたオフィスで行う仕事はAIが担当し、

暑い現場。

重い物を扱う仕事。

清掃。

介護。

建設。

設備修理。

など、現実世界で複雑に身体を動かす仕事が人間側に多く残ることも考えられます。

ただし、これは必然ではありません。

ロボットを、

危険な仕事。

重労働。

単純作業。

から人間を解放するために使うこともできます。

だから本当の問題は、

AIとロボットが何を自動化できるか

だけではありません。

何を優先して自動化するかを誰が決めるのか

です。

AI社会では「所有」がますます重要になる

ここまで考えると、

AIが人類を幸せにするかどうかを、AIの性能だけで考えるのは難しいことが分かります。

誰がAIを持っているのか。

誰が計算資源を持っているのか。

誰が半導体を持っているのか。

誰がロボットや工場を持っているのか。

誰がAIによって生まれた利益を受け取るのか。

そして、

誰がその利用目的を決めるのか。

OECDも2026年、AI市場について、基盤モデルには活発な競争がある一方、ハードウェアやデータなど構造的に集中しやすい領域では既存企業の地位が固定されるリスクがあると指摘しています。

AIを動かす高度な半導体や計算資源などのインフラについても、市場集中が競争上の問題になり得るとされています。

だから、

AIの性能が上がれば上がるほど人間が自由になる

とは限りません。

同じAIでも、

力が一部へ集中する方向にも使える。

逆に、

多くの人へ力を分散する方向にも使える。

違いを作るのは、

所有と意思決定の仕組み

です。

労働力以外の力を、市民が持つ

ここでシビックドライブの問題意識につながります。

これまで市民の力の一部は、

労働力

から生まれていました。

しかしAIやロボットが人間の労働を代替していくのであれば、

市民は別の力も持たなければならないのではないでしょうか。

シビックドライブでは、

市民の

資本力

意思決定力

実行力

を高めることを考えています。

これらを、市民が社会を動かす力という意味で、シビックパワーとして考えます。

重要なのは、

「AIに仕事を奪われないよう、不要になった仕事まで残してください」

とお願いし続けることではありません。

仕事そのものは減ってもいい。

危険な作業も単純作業も、できるだけなくしていい。

しかし、

仕事と一緒に市民の力までなくしてはいけない。

という考え方です。

市民もAIやロボットが生み出す資本を持つ

例えばシビックファンドがあります。

シビックドライブでは、企業・商品審査や比較記事などの事業収益をはじめ、シビックドライブから生まれる事業の収益を蓄積し、市民活動や社会改善へ使える資本を増やしていく構想を持っています。

将来的に十分な資本を持てるのであれば、

AI。

ロボット。

自動化設備。

エネルギー。

社会インフラ。

さまざまな生産資産へ市民側から投資するという考え方もできます。

つまり、

AIによって仕事を奪われる側

だけではなく、

AIやロボットが作り出した価値を所有する側にも市民が回る

ということです。

労働力を提供できなくなっても、

資本を持っていれば別の形で社会に関われます。

市民も「AIを何に使うか」を決める

資本だけでも十分ではありません。

決定権も必要です。

例えばAIによって100億円分の生産性向上が実現したとします。

それを、

さらに自動化へ投資するのか。

労働時間を短縮するのか。

給料へ回すのか。

商品の価格を下げるのか。

医療へ使うのか。

災害対策へ使うのか。

新技術を開発するのか。

こうしたことを誰が決めるのでしょうか。

シビックドライブでは、GVSのような仕組みを使って、市民自身も社会的な資本配分や意思決定へ参加できる状態を目指します。

もちろん、GVSを導入すればAI社会の問題が解決すると実証されているわけではありません。

これはまだ構想です。

しかし、

AIを誰が所有するかだけでなく、AIを何のために使うかにも市民が関わる

という考え方は必要ではないでしょうか。

AIは市民の力を弱めるだけの技術ではない

ここまで読むと、

AIは市民を無力にする技術なのか

と思うかもしれません。

しかし、逆の可能性もあります。

これまでなら専門家しかできなかった調査をAIで手伝ってもらう。

大量の行政資料を整理する。

企業の情報を比較する。

プログラムを書く。

画像や動画を作る。

翻訳する。

新しい事業を始める。

一人では難しかったことを実行する。

AIは国家や巨大企業だけを強くする技術ではありません。

一人の市民の実行力を大幅に高める技術

にもなり得ます。

問題は、

市民がAIに置き換えられるだけなのか。

それとも、

市民自身もAIを使って力を持つのか。

です。

AIで仕事がなくなること自体を恐れる必要はない

人間がやらなくてもいい仕事なら、なくなってもいい。

重労働。

危険な仕事。

単純作業。

退屈な事務処理。

AIやロボットがやってくれるのであれば、それ自体は技術進歩の成果です。

問題なのは、

仕事がなくなると同時に、

収入もなくなる。

資本も持てない。

意思決定にも参加できない。

社会から必要とされない。

交渉手段も失う。

という状態です。

だから目指すべきなのは、

何としてでも人間の仕事を残す社会ではなく、仕事が減っても人間の力が減らない社会

ではないでしょうか。

問われるのは「仕事があるか」ではなく「力があるか」

AI時代について考えるとき、

「AIに仕事を奪われる」

ことだけを恐れる必要はないと思います。

むしろ恐れるべきなのは、

仕事と一緒に、市民が社会を動かす力まで失うこと

なのかもしれません。

ベーシックインカムによって生活できる。

AIのおかげで働かなくてもいい。

商品も安い。

生活も便利。

それでも、

社会の重要な意思決定は一部の人だけが行う。

資本も一部の組織だけが持つ。

AIもロボットもインフラも自分たちにはない。

市民はただサービスを受け取るだけ。

それを本当に自由な社会と呼べるでしょうか。

シビックドライブが目指しているのは、

仕事を守ることそのものではありません。

AIやロボットによって、人間がやらなくてもいい仕事は減らしていく。

そのうえで、

市民自身が資本を持つ。

意思決定へ参加する。

AIを使って実行する。

社会を動かす力を持つ。

そんな状態です。

AIに仕事を任せる未来はあっていい。

しかし、

社会そのものまで、AIやAIを所有する一部の組織へ任せる必要はありません。

AIで仕事がなくなったとき、本当に問われるのは、

「次の仕事は何か」

だけではありません。

仕事がなくても、市民は社会を動かせるのか。

これからのAI社会では、その問いの方が重要になっていくのではないでしょうか。

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